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日本の城などの写真を見ていると、庭などに植えられているのは圧倒的に松が多いです。
庭だけではなく、襖絵などにも多く使われていますよね。
赤穂浪士で有名なのも【松の廊下】だし。

いったいなんで松なんでしょうか?
日本人の好きな樹木ってことなら、桜でもいいと思いますし、他にも杉とか檜とかいくらでも樹木はありますよね。

今までは深く考えたことはなかったのですが、急に気になり出しまして。
はっきりした理由があるのなら、どうか教えて下さい。

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A 回答 (5件)

こんにちは。


燃料や松脂などの使い道も多々あるでしょうけど、「養分の少ない痩せた土でも育つ」というのも重要ではないでしょうか。

お城の石垣というのは、その内側には玉石を沢山入れてあります。
大きい石だけですぐ土にしてしまうと水はけが悪く石垣は崩れやすくなってしまいます。

その為に土そのものは量が少なく、おまけに畑のように肥えた土を持ってくるわけにはいきません。

すると、痩せた土でも育つ植物しか植えられなくなります。
松は盆栽などでも石の上に根を生やしたりしてますよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「養分がなくても育つ」言われてなるほどと納得しました。
確かに、お城の中にたくさんの土を運び込むこと自体大変ですよね。
昔の人は本当にいろいろ考えていたんだなと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/17 12:25

松は、針葉樹ですから、一年中緑の葉を付けているため目隠しになります。


桜は、広葉樹ですから冬は落葉し、目隠しにはなりません。
松には、植物油脂(松脂)が多く、生木でもよく燃えるので、緊急時の燃料になります。
松の薄皮(硬い外側の表皮の内側に柔らかい薄皮があります)は煮れば食用になります。(マズイらしい。。。)
テレビ放送の受け売りでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり戦国の武将は趣味と実益を兼ねて、しっかり考えていたということですね。
籠城する時なんかは、松の薄皮食べたんでしょうか(ホントにまずそう)

お礼日時:2008/08/17 12:22

戦で篭城したときの食料にしたそうです。


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1168737.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
昔の人は偉かった、と読んでつくづく思いました。

お礼日時:2008/08/17 12:20

長寿を表す縁起のよい木ともされているようですので


繁栄の願いも含めてかもしれません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
松は縁起のいい木なのですか?
そう言えば松竹梅といいますよね。

お礼日時:2008/08/17 12:19

良質の燃料にもなるし食料にもなるからです

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほどはっきりした実益があったのですね。

お礼日時:2008/08/17 12:18

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Q極限状態での食料

極限状態で人肉を食料にしたという話はありますが、そのほかきちんとした記録で普段食料とは考えられないもので生き延びたという記録にはどのようなものがありますか?

Aベストアンサー

東北地方の飢饉の際の記録には、色々出てきますね。
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えー、つまり日本人には美味しい海草ですが、彼ら肉食の欧米人にとっては、普段食料とは考えられないものを食べた、と思っているようです(悲)。
また、戦後の日本人が飢えから犬を食べた(近所から野良犬が消えた)のはお年寄りに聞けば事実とわかるかと思います(犬は食べ物、の内でしょうか?)。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
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Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

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ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
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Q江戸時代の人はどうやって寒さをしのいだ?

今夜合気道の稽古に行きました。
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すると、稽古の後にある人がこう言いました。
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私「ダウンとかないですよね。藁をかぶって寝てたんでしょうか」
「じゃあ戦のときはどうやって寝たんだろう」
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「でも農繁期には戦はしないだろ」
私「いや、秀吉のころには兵農分離していたし、やったのでは?
昼間は広いところで戦っても、夜は農民の家や納屋で寝たのでは?」

「そんなに都合よく寝るところが見つかるかな。テント張ったのでは?」
私「無理です。大将は天幕張ったかもしれないけど、雑兵は無理でしょ」

「寒いけど我慢したのかな」
「我慢できるとは思えません。寒すぎますって」

すると別の人が言いました。
「江戸時代とか、かけ布団はなかったらしいよ」
私「そりゃ死にますよ。服を何枚も重ねたのですかね」

さて、実際の農民や戦場の武士はどうやって寒さをしのいで
寝ていたのでしょう?

Aベストアンサー

江戸時代と農民と戦場の武士とは、時代も条件も違いますので、バラバラの回答になります
江戸時代に冬季に武士が野宿するような戦闘は行われませんでした。(念のため)

日本家屋というのは「住いは夏をもって旨とすべし」と言われていたように密閉度の低い風通しの良い構造になっていました。
部屋の仕切りも襖か障子でした。
逆に言いますと冬は現在に比べれば相当に寒い環境でした。

現在のようにエアコンや石油ストーブなどが普及しなかった昭和30年代以前は江戸時代も昭和時代も余り変わりはありませんでした。
都市部では、火鉢と炬燵(行火)がごく普通の暖房設備でした。
火鉢や炬燵のある部屋に家族全員が集まって寒さをしのぐというのがごく普通の習慣でした。
部屋ごとに部屋全体を暖房するというのは、高度成長期以降の習慣です。

炬燵や行火が使われるようになったのは室町時代以降とされています。
火鉢は奈良時代から使われていました。
火鉢に使われる木炭は縄文時代からありました。
つまり、奈良時代から昭和30年代までの都市部の暖房というのは、主役は火鉢でした。
信長が秀吉の才能を注視するようになった切っ掛けは、城中で使われる炭を大幅に節減したことだったと言われています。
江戸時代の江戸の街の様子を描いた江戸名所図絵という書籍がありますが。
その中に、部屋の障子を全て開け放って、皆で庭に積もった雪を眺めている絵があります。
部屋の真ん中に火鉢が一つ置いてあるだけです。
江戸時代は現在よりも寒冷で、江戸でもよく雪が積もりました。(小氷河期と言われています)
あちらこちらで雪見という行事をやっていました。

台所などの炊事場には七論と呼ばれる煮炊き用の移動式の炉があって夏でも火が入っていました。
湯沸かし器がありませんでしたから、常時お茶用などのお湯を沸かしていました。
この移動式というか携帯形の炉は平安時代から置き炉と呼ばれて使われていました。
日中は必ず火が入っていましたので、暖房の役目も結果的には担っていました。

農漁村地帯では囲炉裏が唯一最大の暖房設備でした。
囲炉裏の周りに集まって寒さをしのいでいました。
現在、村興しなどで古民家を使って囲炉裏端での食事を提供していますので、機会があれば訪ねてみて下さい。

明治以降ストーブが普及した後はストーブが囲炉裏の代わりをしていました。
学校も教室にストーブが一つ置いてあるでけでした。
入学試験の際には不公平になるということで、ストーブは消してありました。
つまり暖房のない教室で試験を受けていました。
もしお祖父さんやお祖母さんがおられれば聞いてみて下さい。

明治になるまではウールという動物質の繊維製品がありませんでしたから、着物は木綿が主体でした。
木綿の入手が難しかった関東以北の地では麻が主体でした。
セーターという衣料品は明治以降に着られるようになった衣料品です。
木綿も麻も現在の衣料品に比べれば保温性が劣ります。

江戸時代には、着物は夏は一重と言って浴衣のような感じの着物でしたが秋になるとあわせといって、夏の着物に裏を付けて二重にしました。
和服というのは、糸を抜いてばらばらにして洗い、また縫い直すというやり方をします。
この為に季節ごとに一枚にしたり重ねたりということを繰り返して着ていました。
冬になると、この重ねた表裏の間に綿を入れた綿入れという状態にして着ていました。
この綿入れの綿の量を増やした掻巻(かいまき)、あるいは褞袍(どてら)というものを作って掛布団代わりにしていました。丹前とも呼ばれました。
掛布団が無かったのではなく、チャントその代わりの役目を果たすものがありました。

質問者さんが、江戸時代どころか、昭和20年代の家へ行けば、おそらく寒さに文字通り震え上がるでしょう。
簡単に言えば昔の人は寒さには強かったということです。

あとは、生活習慣が違いますので、一人で部屋にこもってゲームで過ごすなどということはありませんでした。
常に火のある部屋へ家族が集まって過ごしていました。

それと、人間はある程度寒さには慣れます。
これは外国人観光客の方にも見受けられます。
南欧以外のヨーロッパから来られた方やアメリカから来られた方は日本人よりもはるかに薄着です。
永平寺などで修業をされている僧侶も特に暖房もなく一冬過ごします。
寒稽古で頑張って下さい。寒さには直ぐに順応します。

戦国時代の武士の野宿ですが、当然焚火をして寒さを凌ぎました。
移動の際には、蓑と呼ばれる稲わらを重ねた外套を着用していました。
雪のある時期はお互いに足場も悪く体の動きも鈍りますので、余り積極的には戦はしていませんでした。
この当時の常識を破ったのが佐々成政のさらさら越えです。
命懸けで冬の立山を越えています。
常識外の行動でしたので、現在まで伝えられています。

人間の体というのは血液が循環していますから、手足を温めるだけでも寒さは凌げます。
焚火が効果があるのはこのためです。
湯たんぽもこの原理を応用したものです。
寒いなと思ったら手をお湯に10分ほど浸けてみて下さい、全身が温かくなってきます。
最近温泉地で足湯というのが流行っていますが、これも相当暖かくなります。

江戸時代と農民と戦場の武士とは、時代も条件も違いますので、バラバラの回答になります
江戸時代に冬季に武士が野宿するような戦闘は行われませんでした。(念のため)

日本家屋というのは「住いは夏をもって旨とすべし」と言われていたように密閉度の低い風通しの良い構造になっていました。
部屋の仕切りも襖か障子でした。
逆に言いますと冬は現在に比べれば相当に寒い環境でした。

現在のようにエアコンや石油ストーブなどが普及しなかった昭和30年代以前は江戸時代も昭和時代も余り変わりはありませんで...続きを読む


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