限定しりとり

私は、フランスという国が全くわかりません。
第二次世界大戦では、枢軸国と連合国の間で二股かけ、勝ち組に常にすりよります。

しかも、ノルマンディー上陸作戦で英米の多くの兵士が死傷するのに、自ら積極的に戦おうともしません。私だったらこんな国は相手にしません。しかも、戦後、戦勝国として国連常任理事国になるなど、不遜な態度が露骨です。

普通、ドイツに降伏して武装解除されたのでしたら、全く問題はありませんが、フランスは武装解除もせず、政府や軍隊もぐちゃぐちゃで、どちらについているのか全くわからない状態でした。人間であれば完全に信用を失うのですが、フランスは戦後ますます影響力を増しているように見えます。

私は、この国が理解できません。

質問1.こういった先進国は普通の国なのでしょうか。

質問2.それを受け入れる他の国々の対応にも問題はないのでしょうか。

個人的見解でもいいです。教えてください。どこかで納得したいのです。

A 回答 (9件)

フランスという国のイメージとして、近代戦史以外にどういう感じですか。

すくなくとも、悪い印象とか胡散臭いとっつきにくいということはないと思います。その点、文化の親和性がいいのです。とくに日本ともあっている部分が多い。お互いに刺激を請合ったヨーロッパ人種としては、実はアングロサクソンよりも割合が多い気がします。ゲルマンはもとより。

つまり、「文化」という上流階級の貴族趣味に端を発しているものが、国民的に受けいられる土壌のある国、言い換えれば、国民が総じて文化的であり、その点かつての日本(こんなところで「かつて」などといわねばならない無念さがあります)と共通性があります。

人間が総じて「強い」国なのです。誇り高いといと言ってもいい。

そういう国が、隣国のドイツという国によって近代に非常な圧迫を受けます。フランスの感覚からすればドイツとは経済人口工業では確かに負けていますが、決して文化水準は勝るとも劣らないという敵愾心があります。それが、普仏戦争(1870年)の敗北、第一次大戦(1914年)の大被害(かろうじて勝利)という苦い歴史を味わい、そのトラウマは極限まで達しました。それは、1940年の対独敗北によって決定的になりましたが、その歴史が、質問者さんのおっしゃるような醜い外交の歴史に影を落としているという面もあります。

しかし、こういう綱渡りでしか、自国を守るすべがなかったという悲劇の歴史がこの国にはあったのです。それも突き詰めれば、自国への相田と思います。核の問題にしても、植民地独立戦争にしてもしかりです。
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全体として質問者はフランスとイタリアを取り違えておられるように感じました。



イタリアは最初枢軸国に加わって北アフリカ(リビァ)に侵攻しましたが、軍備の近代化が遅れていたので英国軍の反撃に会い多数の捕虜を出して敗退しました。 これは後のドイツアフリカ軍団の活躍と対照的でした。 

このほかの戦線でも敗退につぐ敗退でヨーロッパ一の弱い国という評判でした。
イタリア領アルバニアからユーゴスラビアやギリシャに攻め込みましたがいずれも敗北し、ドイツ軍の援助でようやく勝利する始末でした。
海軍も南イタリアのタラント軍港を英国空母から攻撃され戦艦2隻を失い、以後アドリア海奥に隠れて逃げまどう始末で完全に枢軸国の足手まといでした。

ムッソリーニが失脚してバドリオ政権が王政を復活させた以後イタリアはドイツ占領下におかれ、僅かな反独レジスタンスがありましたがドイツ軍の本国への引き上げを妨げることはできませんでした。
その後バドリオ政権はドイツに宣戦布告を行い連合国の仲間入りを果たし勝利国の一員に名を連ねたのです。
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他の回答者の方も言っておられるように、ドイツの傀儡政権と化したヴィシー政権と、亡命政府である自由フランスがありました。

残存している軍内で、色々な動きがあったのは事実ですが、最終的には大半の部隊が自由フランスの側に立つ事になります。

ヴィシー政権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3% …

自由フランス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1% …

自由フランスのフランス軍はドイツと戦っています。
アフリカ戦線の最終局面であるチュニジア攻略戦(1942年から43年)では、フランス軍は第19軍団を主軸として5万人のフランス兵を作戦に参加させ戦っています。
それに続くイタリアでの戦いでは、フランス軍はジュアン将軍指揮する遠征軍(4個師団、約10万人)を派遣し、イタリアの地でドイツ軍と戦いました。イタリア戦線での連合軍の戦死者のうち34%がフランス軍の戦死者でした。ちなみにイギリス軍は10%です。
1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦では、フランス軍の軍艦40隻と貨物船50隻が参加し、上陸部隊としては第4コマンドの177人のフランス人部隊が参加しました。
8月になってフランス第2機甲師団が上陸し、後にパリ開放一番乗りをします。
ただ、ノルマンディー上陸作戦にフランス軍の参加兵力が少なかったのは、もう一つの上陸作戦にフランス軍主力が参加したからです。
1944年8月15日、南フランスのプロヴァンス地方に連合軍はドラグーン作戦と呼ばれる上陸作戦を行いました。
参加兵力はアメリカ軍3個師団と、タッシーニ将軍指揮するフランス軍7個師団(15万人)です。
この作戦にフランス軍はイタリア戦線の部隊やアフリカで再編成した部隊も合わせて派遣しました。
つまり、北仏(ノルマンディー)からは米英軍が主力となり進撃し、南仏(プロヴァンス)からは米仏軍が主力となって進撃する戦略だったのです。
北仏から進撃した米英軍と南仏から進撃した米仏軍は、フランス国内で手を結びドイツ国内へと進撃していきます。

さらにはレジスタンスの活躍がありました。連合軍のフランス上陸を前に、自由フランスは、フランス国内のレジスタンス組織を再編成しフランス国内軍を創設し、組織的に連合軍に協力するような体制を整えています。
ノルマンディー上陸作戦が開始された時は、20万人のレジスタンスが決起し、それ以後、レジスタンスに参加する者は増加しました。
なお一部のレジスタンスは南フランスに上陸したフランス正規軍に組み込まれています。
連合軍総司令部は「フランスのレジスタンスは、正規軍15個師団の戦力に相当した」と述べています。

つまり、自由フランスのフランス軍は連合軍の側に立って、アフリカ戦線時代から戦っており、多くの戦死者を出し勝利に貢献しています。
そうした事が、後の戦勝国としてフランスにそれなりの権威と発言権を持たせる一因となりました。

ですから質問者さんの質問1と質問2の前提にある考え(特に、自ら積極的に戦おうとしない)が、少なくとも私の見解とは違うので、私にとっては質問それ自体が疑問です。
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ヨーロッパの国々なんて、そんなもんです。



あのイタリアはムソリーニが影響力を失い始めると水面下で連合軍と和平交渉をしますが、イタリアはその席で、英米軍と停戦した後には対ドイツ戦に参戦するので戦争が終わったときには(戦勝国の中にいるので)戦勝国扱いしてくれとぬけぬけといって連合軍関係者を驚愕させました(もちろんその都合のいい提案は即却下されましたが)。
そもそも、ナチスドイツとても最初はバリバリの反共国家でした。だからこそ当時の日本はナチスとイタリアと共に三国同盟を結びました。ソ連に対する包囲網だったのです。ところが、突如ヒトラーはソ連と不可侵条約を結びました(ポーランドを挟み撃ちにするため)。このナチスの「裏切り」に日本国内は動揺、平沼内閣は「欧州の情勢は複雑怪奇」とのコメントを残して倒れてしまいました。

さらにさらに遡れば、昔30年戦争というのがドイツでありました。30年もずーと戦争していたんです。この戦争、どことどこが戦ってるのかすらよくわからなくなってくる複雑な戦争なんですが、ま、わかりやすくいえばプロテスタントを支持したドイツ諸侯&スウェーデンとカソリックのハプスブルク家の戦争となるのですが、戦争の後半にフランスが参戦するのですが、フランスはカソリック国家にも関わらずプロテスタント側に味方しました。
ついでにいえば、フランスは中世ヨーロッパにおける不倶戴天の敵であるオスマン・トルコとすら同盟をしたことがあります。これは今でいうならヨーロッパの国がタリバンと同盟するようなものです。

もひとつこっそりいえば、現在の中国(共産党)は日本軍と国民党軍(現在の台湾)が戦うようにそそのかし、直接的にはほとんど日本軍と戦っていません(というか、まともに日本軍と戦えるほどの実力もなかった)が、日本軍との戦いに疲弊した国民党軍を打ち破り、まんまと戦勝国の仲間入りをしました。
ソ連やイギリスとて、アメリカの支援がなければとても戦争には勝てなかったでしょう。そういう意味では戦勝国というのはアメリカだけかもしれません。
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>枢軸国と連合国の間で二股かけ


ドイツに破れたあと、国内は分裂し、
一方はドイツの占領下。一方は、中立状態。
その中立状態の軍隊に、先に攻撃したのはイギリス。

>勝ち組に常にすりよります
自国の権益を守るための行動であって、連合軍側にすりよった訳では
ない。

>ノルマンディー上陸作戦で自ら積極的に戦おうともしません
敵前上陸には参加を英仏から拒否されたが、上陸後には戦闘に参加
している。

>私だったらこんな国は相手にしません。
パットンも同じ事言った。チャーチルやドイツの将官も同じ気持ち
だったろう。

>戦後、戦勝国として国連常任理事国になるのは不遜な態度。
オランダ、ベルギー、オーストラリア、カナダも同じ気持ちだった
ろうけど、英米が望んだ事でもある。

>人間であれば完全に信用を失う
ロシア、共産主義、イスラム民族主義に対抗するためにはフランスの
存在が英米には不可欠であった。
フランス経済が西側に依存しているので、裏切りや造反行為はありえない。

>フランスは戦後ますます影響力を増している
イギリスと植民地戦争を繰り広げた300年前から考えると、影響力は
むしろ下がっている。
戦後も、米ソの対立に翻弄され、強がった自己アピールをしたり
仲介役をかって出たりしてるけど
決定的な影響力は無い。
グルジア問題で、長引いたりコジれたりすると最も泣きそうなのは
経済ではアメリカに依存し、資源ではロシアに依存している
フランスとドイツ。

植民地戦争・ナポレオン戦争・普仏戦争・第一次大戦・第二次大戦・
ベトナム戦争では、イギリスやドイツやロシア相手に勝てないばかり
か負けたりしている。
それでも、したたかに、しぶとく自分の場所を確保し多くの国から
期待されている。
フランスは、基本的に英米寄りでドイツと組みし、ロシアや中国と
紛争を起こす日本の事を好きではない。
だからパリは好きでも、フランスの外交や政治に不快を示す日本人
も多いが、
でも、21世紀はアメリカ・中国・ロシアの大国に翻弄されることが
ほぼ確定的な日本にとって
フランスの「戦いにはめっぽう弱く、プライドが高いくせに
あざとく、老獪で、負けても負けてもしがみつき、誇り高い」この国
を見習うべきなんじゃないか。

質問1.こういった先進国は普通の国なのでしょうか。
はい。でも・・・・普通って?

質問2.それを受け入れる他の国々の対応にも問題はないのか。
問題は別にない。どの国も問題だらけだから。
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根本で全く間違った解釈をしているから、話しに一貫性が無く理解できないのは当たり前。



たとえてみれば、ヴィシー政権と自由フランスを一緒くたにすることは、北の将軍様と南の大統領の言動に一貫性がないといっているのと同じことではないか と。
あるいは、カブール政権とタリバンか?
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二股と言うのは、ヴィシー政権と自由フランスの事を言っているのでしょうか。

ヴィシー政権は実質的にドイツの傀儡政権で、ドゴールの自由フランスと共同歩調を取っていた訳ではありません。両者が共同謀議によって、二股外交政策を取っていた証拠があるのでしょうか。少なくとも、私は聞いた事がありません。
どちらについているか分からないのではなく、枢軸国の傀儡として成立したヴィシー政府と、領土と主権の回復を目指した自由フランスの二者に別れた、と言うのが正確な理解です。フランスは紛れも無く、一度はドイツに敗れ、国土の主要な部分を占領されていたのですから、その時点で組織的に統一された意思決定は不可能になっていたのです。ですから、分裂を単純に背信行為と非難するのは、些かピントのぼやけた理解の仕方でしょう。
ノルマンディー上陸作戦は、正式にはオーヴァーロード作戦と呼ばれ、海岸に敵前上陸する作戦は、その第一段階に過ぎません。敵前上陸は大変デリケートな段階ですので、その部分には英語の通じない兵で編制された仏軍部隊を参加させなかっただけです。

確かに、ミッテラン氏などは、ヴィシー政権で最初のキャリアを作った人物ですが、日本の岸信介氏が満州国の官僚であった事を考えれば、それを日本人が罵る筋合いでもないでしょう。
降伏の形は、日本が経験したような「無条件・全面降伏」だけではありません。もう少し、歴史を深く勉強なされば、その点が見えて来るでしょう。「納得」を求めるのならば、勉強して下さい。
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あなたの書いていることは根本的に全部間違っているので


理解できないのは当然でしょう。
先入観がデタラメならば、理解できないのも当然だ、
ということで納得してください。
どこから話していんだろ、と途方にくれる感じですが、
あなたの先入観が間違っていることは質問にないので・・・
聞く気も無いのでしょうか。

ともかく、質問自体については、見当違いですから答えられない。
ま、本でも読んで一から勉強しなおしてください。
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質問1.こういった先進国は普通の国なのでしょうか。



まず、基本的な事実関係の理解が間違っていますので、質問自体が成り立ちません。

>枢軸国と連合国の間で二股かけ
これは事実ではありません。ドイツのパリ占領後、ヴィシー政権という、いわば傀儡政権ができ、フランス南部を支配したのは事実ですが、パリを含む北部はドイツ軍の占領統治下です。

で、それとは別にロンドンにドゴールを指導者とする亡命政権ができ、こちらはドイツ軍への徹底抗戦を呼びかけています。そして、フランス各地や植民地で「自由フランス」というレジスタンス(そもそもこの言葉自体フランス語です)が活動をします。ちなみにドゴールは、ドイツとの緒戦で、フランス機甲師団を率いて、唯一ドイツに勝利した将軍なのです。

レジスタンスの具体的な活動内容としては
・ドイツ軍情報の連合軍への提供
・通信、運輸などの妨害
・小規模な戦闘活動
などです。その他に、捕虜となった連合国兵士の脱走支援、などにはレジスタンス以外のフランス人も強力をしています。
この辺りの事情については、映画「大脱走」などでも描かれていますね。

その自由フランスですが、ノルマンディー上陸作戦には「自由フランス第2機甲師団」が参加し、パリ解放も一番乗りでした(もちろんこれは儀礼的な意味でしょうけれど)。

パリ解放後、占領下のドイツ軍政に協力をしたフランス人は、民衆のリンチにあっています。ドイツ軍に協力をしていた女性が頭を丸坊主にされ、裸で町を追放される光景の有名な写真があります。

もちろん一般庶民全てがドイツ軍に対して積極的に抵抗したとは思いませんが、消極的な抵抗をしたり、少なくとも精神的には反ドイツ・親ドゴールが普通の人達の感覚だったようです。

戦後のフランス政権は、このドゴールを首班とする政権ですから、別に「二股かけ」たわけでもなければ、自ら積極的に戦おうとしなかったわけでもありません。
逆に、一貫して反ドイツであり、積極的に戦った人達の政権だったわけです。だからこそ、戦後の政権としての「正当性」を連合国も認めたわけですし、戦勝国としても遇されているわけです。
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