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アガサ・クリスティの「誘拐された総理大臣」によれば、大戦中のある時期、英国総理大臣がベルサイユで行われる連合国会議出席のため、駆逐艦でフランスに渡ったとあります。(そこで誘拐される)
実際にこのような史実があるのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

誘拐事件はフィクションですが、


『英国総理大臣がベルサイユで行われる連合国会議出席のため、駆逐艦でフランスに渡った』は本当です。
この時に「パリ講和会議」が行われ「ベルサイユ条約」が発効されています。
ただし、第一次世界大戦でのお話です。


原作は1924年に発表された短編集「ポアロ登場」の一編になります。
つまり、第二次世界大戦前の話の作品で、原作では第一次世界大戦終戦時に起こった事件の打ち明け話という設定でした。
そして、実際にこの時期にロイド・ジョージ首相はパリに行っており、ベルサイユ宮殿での調印式に出席しています。


この「誘拐された総理大臣」は上述したとおり、原作では第一次世界大戦末期の話なのですが、
演出がしづらいためなのか、映画化や、テレビドラマ化される際には第二次世界大戦の話に設定変更される場合が多いようです。
そのため、微妙に違和感を感じる部分が出てくるようです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7% …
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チャーチルがレイノー首相と会うために渡仏したと記憶しています

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当時のイギリス首相はウィンストン・チャーチルです。


彼は大戦中に何度もフランスに行っています。移動手段は飛行機です。
チャーチルは1940年5月16日、5月22日、5月31日、6月11日、6月13日、ドイツ軍に攻められ苦戦するフランスに行き、フランスのレイノー首相と会談していますが、それは全て飛行機(輸送機)による移動でした。ちなみに戦闘機が12機護衛していました。
この後、フランスはドイツに敗北し、チャーチルは数年の間フランスに行っていません。
チャーチルが再びフランスの地を踏むのは、1944年6月にノルマディー上陸作戦が行われた後で、やはり輸送機で7月20日にシェルブール半島の飛行場に降り立ちました。
フランス解放後初めてパリを訪れたのは1944年11月11日で、この時も輸送機で飛行場に降り立ち儀仗兵を率いたド・ゴールに迎えられました。

チャーチルは軍事会議や議会などの政治、経済、外交についても会議に出席したり判断したりしなければならず、時には外国の要人とも会うので非常に忙しく、移動手段にはよく飛行機を使っていたようです。
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