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軍縮会議で戦艦の排水量は35000トン上限と決められたのになぜフッドだけが例外として40000トン超でありながら廃艦とされなかったんでしょうか?

A 回答 (2件)

基本的に軍縮は、これからの建造を抑制することが主眼でした。


日米は建艦競争してましたからね。
ところが、英国は第一次大戦の疲労から、無理でした。
日本は戦艦8巡洋戦艦8の88艦隊計画を持ってました。
それに対抗する、英米は日本を抑えようとしたことがきっかけでした。
条約の内容は、戦艦の基準排水量を35000トンまでとし、無効10年は新しい主力艦を作らないと言うことでした。
しかし、完成している船については、その合計トン数でOKとなりました。
フッドは第一次大戦中に建造されて、ジェットランド沖海戦の教訓をいれて、完成時には、基準排水量が越していましたが、特例として認められたようです。
この時、長門は完成していました。しかし、陸奥は完成していなかったのですが、条約会議までに、突貫工事で何とか間に合わせたのです。
しかし、英米は完成してないと言い張り・・・
陸奥の保有を認める代わりに、英米に、ポストジェットランド型の戦艦2隻の建造を認めたのでした。
ちなみに、その時に建造していた、陸奥以降の戦艦は、加賀、土佐、巡洋戦艦は赤城、天城、高雄、愛宕は建造中止して、解体されました。
ただ、加賀、赤城は航空母艦として、転用されたのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
疑問氷解、とまではいきませんが調べる手がかりはつかめそうです。

お礼日時:2002/12/22 14:43

 一言でいってしまうと「妥協の産物」みたいです。



 ワシントン軍縮会議は、英米が「長門」「陸奥」を封じ込めようとしたものですが、米が共同歩調を取っていた英が4万トン超のフッドの存在を忘れていたみたいですね。

 で、結果的にフッド、長門、陸奥の3艦の保有が認められたようですね。

 「フッド」「ワシントン条約」――をキーワードに、google で検索した結果からの考察です。
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