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自分のことを「マゾかも?」って思っています。
マゾになる人にはどういった要因があるのですか?

(1)家庭環境に問題があるのでしょうか?

(2)幼少期に精神的肉体的虐待を受けた場合と何か関係があるのでしょうか?

A 回答 (2件)

>人間だれしもSの自分、Mの自分を持っているんです。



lupinmamaさんのこの言葉が、真だと思います。フロイトによれば、サディズム、マゾヒズムの両者は、すべての人に少なからず「傾向として」ある、と言うことです。

ところで、フロイト後期の理論で、「死の欲動」という理論があるのですが、これは、“人間は、そもそも「破壊願望」とでも言うべきものを持っていて、主体、客体に関わらず、攻撃の対象になり得る”というものです。なんだか、過激な感じがしますね。つまり、人間が持っている攻撃性が極端に外に向けば、サディズム。内に向けばマゾヒズムになる、と言う話です。例えば、嫌なことがあったとき、人間は攻撃性を発揮します。他人に当り散らす人もいれば、自分を責めまくる人もいるわけです。その根っこがこの攻撃性というやつです。ただ、これだけでは、「マゾになる人にはどういった要因があるのですか」というcoconutさんの疑問には、答えきれていませんね…。

そこで、またまた、フロイトの登場です。彼は、この両傾向の発生をcoconutさんが(2)で挙げられている「幼少期」に求めます。ただし、「精神的肉体的虐待」と必ずしもイコールではないようです。まず、子どもが、残酷なことを好むというのは、よく言われることですよね。これが第一次の攻撃性。ここにサドとマゾが、同居していると、彼は言います。初めの頃のフロイトは、このときに感じた罪悪感がマゾヒズムの原型だといいます。そして後で、外部に対する攻撃性になるとサディズムだとも言っています。(深層系の心理学説は仮説の域を出ていませんから[出ることが出来ないんだけど]、実感としてはそんな気もするという程度に考えておいた方が無難です。)

ここからは僕の考えです。自分のサド-マゾ傾向の起源を「幼少期」に求めるのは、正しいと思います。おそらく、育った環境の中で、こう生きるのが自分にとって一番良い生き方だというものを学習したのでしょう。心に溜まったもやもや(怒りとか悲しみとか)を、どのように解消するかと考えたとき、他人に当たるか、自分に当たるかという選択がなされたのかも知れません。それが、大人になってから、サドとして出るかマゾとして出るかというのは、よく分かりませんが、土台は子ども時代にあったのだと思います。

マゾになる人が問題のある家庭環境に育つとは限りませんし、まして精神的肉体的虐待を受けていると、必ずしも言えません。ただ、もしもそのようなことがあった場合に、その影響も考慮されてしかるべきだという程度には関係があるのだと思います。
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(1)(2)ともにあるといえばある、無いといえばない、


というところでしょうか。
coconutさんはこういう事に原因があって自分にマゾっ気があるのかな?
と思っているのでしょう。
この手の本(様々なSM関係の書物)にはそういう事がよく書かれていたりしますが、全部が全部そういう経験、環境の人であったわけじゃないですよ。
人間だれしもSの自分、Mの自分を持っているんです。
好きな子にいじわるしたり、怒られたのにちょっと嬉しかったり、
そういうのも広い意味では、SとMな部分では?と思います。
だから「マゾかも?」
という線引きにこだわらずに自分の傾向として
とらえていけばいいのではないかと思います。
私事で恐縮ですが、ダンナのおかげで
「私Mっ気がある!」と気がついた私です。(笑)
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