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第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

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A 回答 (15件中1~10件)

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」


ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C% …

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。
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あと技術的にも独自のものをもっていました。



たとえば硬い金属とされるジュラルミンをアメリカは改良して超ジュラルミンを作り戦闘機に用いました。
日本は太平洋戦争直前に、さらに頑丈な超々ジュラルミンの開発に住友が成功しています。
ゼロ戦に使われ、撃墜された期待を調べたアメリカ人が今までの金属とことなり耐久性が高いことに驚いたともいわれています。

また731部隊の人体実験ともいえる研究成果は、そのデータの貴重性(というか他はもっていない)から戦後アメリカとの取引材料に使われ、関係者の多くは裁判にもかけられず、全国の大学病院のトップに就任していき、日本各地で戦後の病院システムをもり立てていったというのを、テレビでみました。
(彼らの名前が部隊につながるかをさかのぼるのはおもしろいかもしれません)

独自研究があることで、日本はわりと強く他国にはないものをもっていたのかもしれません。

ずるさがあったとしても勝てば官軍です。でも負けてしまいましました。
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米国のイラク戦争は、数ヶ月で終了しました。

イラク上空の制空権は、2時間で米国のものになりました。イラクの戦闘機は、F15にすべて打ち落とされたのです。
日本と米国の戦いは3年も続いています。太平洋の制空権は、最初の約1年間は日本が握りました。米国の戦闘機はすべてゼロ戦に打ち落とされたのです。黄色いサルの乗るサルが作った戦闘機など、すべて打ち落としてやると待ち構えていたフィリピンの米空軍は、数日で、ゼロ戦に殲滅されたのです。速度も火力も旋回能力もすべてゼロ戦のほうが上でした。国産の戦闘機を作れた日本と、輸入物の戦闘機のイラクとの違いでしょうか。
日本の多くの人は、6年間言論の自由を奪って、占領軍が行った洗脳教育のおかげで、大東亜戦争を侵略戦争で、真珠湾のだまし討ちで開始され、無条件降伏したと信じています。大東亜戦争は、有色人種で事実上の唯一の独立国であった大日本帝国が、世界の植民地を無くすことで独立を維持することを目的に、マーレー半島上陸作戦から開始し、天皇制を戦後の国民の判断で維持するかどうかを決めてよいという条件で降伏した有条件降伏です。日本は敗北しましたが、東アジアの植民地に原住民による軍隊を創設することで、独立戦争を可能にして、結果として多くの植民地を解放することに成功しました。この結果、戦争に負けても、植民地になることなく、自らの独立も維持するという戦争の目的は達成しました。
だから、大日本帝国は、とっても強い国だったと思います。
そうそう、日露戦争を歌ったこんな民謡が昔あったそうです。「一列談判破裂して、日露戦争始まった。さっさと逃げるはロシアの兵。死ぬまで尽くすは日本の兵。5万の兵を引き連れて、6人残して皆殺し。・・・。」ペリュリューの戦いや硫黄島の戦いなどでは、まさに死ぬまで戦う日本兵に、米軍は死闘を余儀なくされ、多くの戦死者を出しました。
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>日本は強かったの?


日本はその長い歴史の中で、殆どが他の国と外交使節を交換する程度で、これ以外は殆ど没交渉でした。 ただ海外の進んだ技術の吸収には大変な意欲を見せています。 そこから、日本は軍需産業の育成には並々ならぬ才能を示す国民だったことがわかります。 その一例に鉄砲の伝来があります。

(1)鉄砲の伝来
西暦1543年に種子島に漂流したポルトガル船に乗っていた商人が種子島の領主に鉄砲二挺を献上した。 これが伝来のいきさつです。 これから数年も経ずして今の滋賀県に時の足利幕府は鉄砲鍛冶を開いています。 驚くべき早さで鉄砲の威力が日本中に伝わって行ったことが伺えます。 そして、この世界最新兵器の導入に積極的だった武将が戦国の乱世を乗り切って行ったのです。

(2)関が原の合戦における鉄砲動員数
鉄砲伝来から57年後、関が原の合戦がありました。 東西両軍が動員した鉄砲の数は六万挺と言われています。 当時、全世界に存在した鉄砲の数は九万挺程度と目されています。 関が原に集結した鉄砲は全て国内調達です。 

(3) 当時のヨーロッパ人を驚かせた日本人の能力の精神性の高さと技術吸収力の高さ
全世界の総数の七割を供給出来る鉄砲鍛冶が存在していたという事実は驚異です。 その性能においては、世界で最先端であったと容易に想像されます。 

安土桃山時代に日本にキリスト教を布教のため来日していた宣教師たちが国に送った書簡の中で日本人の潜在能力の高さについて驚ろきの目を持って報告しています。 
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外国が日本をどう評価していたかはその国が日本をどう思っているかによって多少違ってきます。

公平で妥当な評価はあまり期待しない方がいいと思います。そこには主観というものが入ってきますから。
それはさておき、戦後アメリカ軍の兵士はガダルカナル戦で生き残った日本軍兵士とりわけ早い段階にガダルカナルに派遣された一木支隊の先遣隊の兵士をみつけると「おまえは強かった。よくやった」と言うそうです。その兵士が「いや、俺はジャングルに逃げ込んでいただけだ」と言っても、「いや、おまえはすごい」と言うそうです。これは、アメリカ軍の兵士が日本軍の兵士を過大に評価することで、そんなに強い日本軍を倒した俺たちはもっと強いという自己満足からくるそうです。
実際の日本軍は一兵卒の勇気は世界一でしたが、近代戦を理解できなかったため総合的な判断ではアメリカの敵ではなかったということでしょう。でも、日本軍の名誉のために言っておくと、他の国(英・独・ソ)が1対1でアメリカと戦争しても勝ち目はないでしょう。当時の世界全体のレベルで言えば日本軍はどちらかというと、強い部類に入るのではないでしょうか。
他の時代はどうだったかというと、安土桃山時代の日本軍は東アジア最強の軍隊でした。100年以上の戦国時代で実戦経験は豊富ですし、鉄砲という新兵器も大量に保有していました。江戸時代前期に明の残党を率いて清に抵抗していた鄭成功は日本に支援を求めたことがありますが、それも日本軍は精強であるという評価があったからでした。もっとも、その頃の日本は大坂夏の陣から30年ぐらい経過していて軍隊の質はかなり低下していましたが。
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何を以って強いか弱いかを判定するかですが…



   練度…兵士の訓練度合いと士気
世界一と言っても過言ではありません。時々行き過ぎますが…

   戦術面
欧米のコピーでしかありませんが、コピーを正確に再現する能力に長けています。コピーを補う練度があります。

   戦略面
日露戦争の頃はありましたが、官僚主義に走った軍部は戦争の止め方がわからなくなりました。練度・戦術面をすり潰すだけの無さです。

   工業技術面
現代の中学生レベルです。部品一つ統一規格で作れませんでした。

   総合評価
日本は負けた…戦略面&工業技術面
すごかった…戦術面
強かった…練度と士気

   最後に国際政治面
     日本はあの戦争に負けて何を失ったのか
朝鮮半島、台湾、満洲の領有権…無くなって清々したんじゃないでしょうか
肥大化した軍隊…あのまま継続して欲しいですか?

     日本はあの戦争の結果得たもの
東南アジアとインドの経済利権
軍事貢献しなくてよくなった
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機動艦隊については書かれてますね。


これこそ世界の海を制する所以です。
それを日本は実行したのですから弱いとは思えません。

それと、日本が列強諸国を震撼させたのは、部隊の発砲率だそうです。
日露戦争での普通の日本軍の発砲率が各国の主力精鋭部隊と同じほどになったとか。
その犠牲として、士官の死亡率も高かったとか。
当時の国際常識で、一般部隊の異常な発砲率と士官の戦死は尋常ならざるものだったそうな。
米ソはその狂人的な戦いに恐れたとか。

しかし、その強大な力は日本の中央に嫉妬と恐怖を抱かれて自滅していきましたがね。
狂人的な戦いは、それだけ勲章物ですから。
たくさんの手柄を立てられれば自分の地位を脅かしかねないし、中央のコントロールを受け付けなくなる。
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軍事史的に言えば



現在の軍事力の主力の一つは「空母運用」です。
アメリカが何らかの紛争があったときに最初にやる行動が空母の派遣です。
そして、世界中で過去に空母運用を実戦で行ったことがあるのは、実は日本とアメリカだけなのです。若干イギリスやイタリアなども空母を運用しましたが、機動部隊として数隻の空母を基幹に戦闘を行ったのは正真正銘日本とアメリカだけ。

この意味で軍事的には日本はすごかった。
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「純粋な軍事力」だけを取り出せば「そこそこ強かった」のは間違いないと思います. おそらく関ヶ原の合戦直後あたりでは世界屈指の軍事力と言っていいでしょう.


ただ, 戦争は軍事力だけじゃないので....
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実は「強い」というのは、けっこうあいまいな言葉なんですね。


そこには自分の主観が強く働きます。
居酒屋で、プロ野球の球団がどこが強いとか、プロレスでどの選手が強いかなんて話をしたら、それこそキリがないでしょう。

また、時代を特定するならともかく、過去と現在をごちゃまぜにしたら、それこそ出口のない議論になります。
例えば、全盛期の朝青竜と小錦がどっちが強いかなんてわからないですよね。実際、戦ってないんだから。
(なおこんなQAもあります。ご参考まで。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3219626.html
お互い、言いたい放題言い合って、疲れたところでお開きとするしかないんです。

日本が強いかどうかなんて話も、実は同じ話です。
時と場所を限定し、実際に戦った記録を調べれば、勝敗はある程度わかります。
しかし、事実以外の議論を交えると、どうにもこうにもまとまらないでしょう。

また強いか弱いかは相対的な話ですし、戦争の勝敗は軍事力の強弱以外の要素で決することもよくあります。

例えば、第二次世界大戦でも、日本は中国には戦闘では負けていませんが、アメリカに負けたので結果として中国にも負けたこととなりました。
「日本は中国には負けていなかった」と中国人に話しても、「いや、俺たちが日本軍を大陸に引きつけて話さなかったから、おまえたち負けたんだろう」と言い返されれば、ぐうの音も出ません。

他国は他国で好き勝手なことを言いますから、気にしてもあまり仕方がないです。
ただし、戦史を学問としてきちんと学べば、軍事力の強弱、また戦争の勝ち負けの原因などもある程度客観的に学ぶこともできますから、自分の中ではある程度整理しておいた方が、他人と議論するときに役立ちますので学んでおいても損はないでしょう。


余談ですが、No.4の方が面白い意見を述べていますので、私も少し真似してみます。

◎日本が戦った主な戦争

1.白村江の戦い
唐・新羅の連合軍 VS 百済と倭国(日本)の戦い。
結果が示すように、百済と倭国連合軍のボロ負けです。
当時の日本人は三国志をまだ読んでいなかったので、水軍が火攻めに弱いということを知りませんでした。orz

2.元寇
結果が示すように、日本の勝ちです。
文永の役は、元側の威力偵察みたいなものです。このときの戦いで、軍事的に負けたことが、後の弘安の役の勝利につながりました。
博多湾の防備を固めて、元軍の上陸を許さなかったため、上陸できなかった元の水軍は、台風で全部沈んでしまったのです。
古代から近代に至るまで、気象は戦争の勝敗を大きく左右しています。
水軍に暗い元が、台風の季節に日本に攻めてきたことが、そもそもの失策であり、日本の善戦がその失策を致命傷にまで広げる結果となりました。

3.朝鮮出兵
これも結果が示すように、日本の負けです。
敗因はいろいろとありますが、最高指揮官の豊臣秀吉が老人ボケになったことが、最大の敗因でしょう。
実際、
(1)補給軽視
(2)敵情を十分把握しないまま戦争を開始した
など、もっと若かった頃ならば絶対にしないような間違いを、この戦いではしています。

4.薩英戦争・下関戦争
薩英戦争は、どっちが勝ったかを判定するのは難しいです。
薩摩は城下町を焼かれて大被害を受けますが、イギリス艦隊は大破1隻・中破2隻に加え、旗艦ユーリアラスの艦長・副長が戦死し、死傷者の数も薩摩より多い結果となりました。
結果として薩摩が賠償金を払って決着しましたが、この戦いの後、薩摩の実力を知ったイギリスが薩摩に接近しますので、戦闘は痛み分けだったが外交的にはお互いにプラスとなるという、奇妙な結果となりました。
下関戦争は、長州の敗北で間違いないでしょう。

5.日清戦争
こりゃ、日本の勝ちですよ。どう見ても。
戦後に清国が日本に賠償金を払い、領土も日本に割譲してますから。

6.日露戦争
歴史家によって判断が分かれると思いますが、私は日本の辛勝だったと捉えています。
戦後に賠償金は勝ち取れませんでしたが、領土を割譲され、また満州での日本の優位が確定しましたから。

7.太平洋戦争もしくは大東亜戦争
言うまでもありませんね。日本の完敗です。

軍の強弱にはあまり触れませんでしたが、少なくとも勝った戦いにおいては、敵より弱かったことはなかったと思います。
以上、ご参考まで。
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Q第二次世界大戦の日本は世界から見たら脅威的だった?

第一次大戦では勝利国として、その後も
小さな島国のわりにはいくつもの戦いに勝利して
第二次大戦の太平洋戦争のときのアメリカは、自国に上陸される可能性を十分考えていたとか。
そして日本艦隊も強かったようなことを聞いてます。
最終的にはアメリカ、イギリス、ソ連の超大国を相手に
最後まで戦って負けてしまいましたよね。

そこで質問です。
第二次世界大戦の頃の日本というのは
世界から見たら大変な脅威、軍事力を持った国家だったのでしょうか?

Aベストアンサー

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強でした。
その日本陸軍と二次大戦前に唯一対決した列強があります。ソ連です。いわゆる「ノモンハン事件」です。
この時は日本側の連絡が東京と現地で錯綜したり、ソ連側が兵力(特に航空機と砲兵)を集中して結果は事実上日本の負け、となったわけですが、やったソ連にしてみてもとんでもない大損害をだし、よく言われるソ連の戦車無敵、でもなかった事実が浮き彫りになりました。当時までの帝国陸軍は時代に即した近代兵器をそろえた軍隊だったのです。
この事件、を指揮したのはのちにナチスを倒すジューコフですが、彼が戦後西側のインタビューで「一番苦労した戦いは?」との問いに間髪いれず「ハルハン・ゴル(ノモンハン)」と言ったのは有名なハナシです。

ただ、英米欧は「よくわからないけど……よくわからないていい」という、対日情報の不備、というか、あえて無視したという感じがあります。日本なんて関係ない、と。
英国情報部が東京駐在武官とともに、日本は海軍強いのは知られているが、陸軍も戦車、航空機の充実した恐ろしい組織である、とシンガポールで報告したものの、パーシバルが「では、パーティに」といったエピソードがあります。
また、陸軍の二式(鍾馗)戦闘機に乗ったバトル・オブ・ブリテン経験したドイツ空軍パイロットは、世界最強の戦闘機は極東にある、と報告しています。
戦後、台湾にのがれた蒋介石は、日本軍関係者を極秘裏に台湾に呼んで、実践学舎という軍学校をつくりました。アメリカの将校教育を受けた中華民国の軍人は、それをはるかに上回る日本人教官の精密な指導に驚いたそうで、蒋介石も授業をよく聞きに来たそうです。この日本人顧問団を「白団」といいます。最盛期には60人以上が台湾にいたそうです。

雪原から砂漠、そしてトウキョウにまで展開している、極東の謎の巨大組織、というのが他国がみた帝国陸軍の実態ではないでしょうか。

異論として聞いてください。
陸軍についてです。

陸軍力は、
1)ソ連
2)日本
3)ドイツ(ただし、新戦術を勉強中)
4)イギリス
5)フランス
6)イタリア
7)アメリカ

だと思います。あくまでも開戦時です。アメリカは陸軍を開戦時にはあまり持っていない軍隊でした。ただ、陸軍を作る産業の力はすべてにわたって文句なく1位です。

で、日本対中国は前述の方の言われるようになったわけで、ゼークト・ラインをデザインした中華民国のドイツ人顧問が拳銃自殺するほど、日本陸軍は精強で...続きを読む

Q日本が戦争をした国を教えてください

日本が今までに戦争をした国を教えてください。
中国、アメリカ、ロシア、はわかるのですが、第一次世界大戦、第二次世界大戦の相手国ともすべて直接戦争していますか?ドイツとも戦っていますか?

第二次世界大戦終結は日本の降伏が最後となり、他の国はすでに降伏していたのですよね?最後は日本とアメリカのみが戦っていたのですか?
降伏日がちがっても世界的に第二次世界大戦終戦記念日は1945年8月15日と統一されているのですか?

また、世界大戦中は味方同士の国が一緒になって戦う事はあったのですか?別々に戦っていたのですか?
教えてください。

Aベストアンサー

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。

(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937-45):中華民国(国民政府)
(11)ノモンハン事件(1939):ソ連
(12)大東亜戦争(1941-45):アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、ソ連

第一次世界大戦について:
日本は、日英同盟の関係で、ドイツとオーストリアの敵国となったが、戦闘した相手はドイツだけだった。

大東亜戦争について:
・インドなどアジアの諸地域は欧米の植民地であって独立国ではなかったため”戦闘相手国”としなかった。例えば、イギリスの植民地だったインドの人は宗主国イギリスの兵隊として日本兵と戦ったのでインドを”戦闘相手国”としなかった。同様にインドシアはオランダの植民地だった。フィリピンはアメリカの植民地だった。
・前記の5カ国のほかにも大東亜戦争で日本に宣戦布告した国は多数に上るが、日本側は宣戦布告しておらず、また、戦闘も行わなかったため”戦闘相手国”としなかった。

支那事変について:
支那事変は、1937年に日本と中華民国国民政府との間で行われた戦闘だが、初め、両国共に宣戦布告しなかった。1941年に至って相手は日本に宣戦布告したが日本は最後まで相手に宣戦しなかった。

大東亜戦争の名称について:
日本政府の正式名称である「大東亜戦争」には、1937年に始まった支那事変も含まれる。「支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」(1941年12月12日、日本政府閣議決定)

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。

(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

私はこの春から中学生になりますが、本当に本当に心配です。
心配で死にそうです。
戦争が本当に怖くて、戦争を体験するくらいなら、先に死んでおきたいです。

母にも何度も大丈夫?と聞いていますが、皆したくないと思っているから大丈夫。と
あまり安心できない答えが返ってきます。
何度母に大丈夫といわれても、心配で心配で繰り返し同じことを聞いたので、精神科に行く?
とも言われてしまいました。学校も心配で楽しくありません。
もう怖くて死にたいです。
ごはんもおいしく感じないし、なかなか眠れないし、ずっと不安に追われています
1、日本は100年以内に戦争をする可能性はどのくらいあるんでしょうか?
2、もしも戦争が起きてしまった場合、核は使われるのでしょうか?
3、今第九条改正の声が高まっていますが、それって戦争に近づくということなんでしょうか?
4、皆さんは戦争についてどう思いますか?
教えてください。
私は、今頃戦争をしても何にも利益はないと思っています。
そう思いたいです。
そういう風に自分に言い聞かせていますが安心できません。 

未来が怖いです。もう死んでしまいたいです。助けてください。安心させてください。

日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

私はこの春から中学生になりますが、本当に本当に心配です。
心配で死にそうです。
戦争が本当に怖くて、戦争を体験するくらいなら、先に死んでおきたいです。

母にも何度も大丈夫?と聞いていますが、皆したくないと思っているから大丈夫。と
あまり安心できない答えが返ってきます。
何度母に大丈夫といわれても、心配で心配で繰り返し同じことを聞いたので、精神科に行く?
とも言われてしまいました。学校も心配で楽しくありません。
もう怖く...続きを読む

Aベストアンサー

戦争は、一般的な常識を持った人なら、だれしもがしたくもないと思っているものです。日本は今平和ですが、日本以外では紛争や戦争が起き、憎しみの連鎖が起こっています。それは日本から遠く離れた国々だけでなく、日本に近い国々も同様です。
質問者様は、この春から中学生になるということですので、12歳ぐらいでしょうか? 僕が12歳で小学校を卒業する時は、ちょうどイラク戦争が始まったときでした。なんと、卒業式の日にちょうどアメリカがイラクに進行したのです。そのニュースをテレビで見たときは、とても怖かったことをおぼえています。

質問に答えさせていただきますね
1、100年先のことは誰にもわかりません。1年先のことも、10年先のことだってわかりません。可能性はゼロではありません

2、万が一戦争が起きたとしても、核兵器は使われることはおそらくないでしょう。もちろん、可能性はゼロではありません。

3、今も昔も憲法改正が時代によって表に浮き上がってくることがありますが、これは何も戦争を日本からしかけてやるとか、他国を侵略するために改憲するというわけではありません。今日本を守っているのは自衛隊という組織ですが、これは政府の見解では軍隊ではありません。非常に微妙な立場にあるのです。
憲法では軍隊や武器を持つことを禁じられ、専守防衛という決まりでこの国を戦争が起こっても、こっちからは最初に手は出さない。相手が(例えば核兵器などを撃ってくるなど)しかけてこない限りは、手を出さないということになっているのです。(もちろん、相手が攻撃してくるのにただ見ているというのはあり得ません。ですので、敵のミサイル基地などを先に攻撃して、最低限の自衛行為を相手の攻撃がなくても行えるなどという議論もあります。重要なのは、先に攻撃できるという結論がでていないことです。あくまで、できるだろうという議論をしているだけなのです)つまり、今の憲法はややっこしいのです。憲法改正の目的は、自衛隊の存在を認めさせ、その他日本の防衛に関してよりきちんと、戦争から国を遠ざけ守るために改憲しようとしています。ですので、なにも戦争をするために改憲するわけではありません。

4、戦争はもちろん嫌です。そして、怖い。しないにこしたことがありません。ただ僕は、予備自衛官という予備役というものですので、戦争があれば行かなければならないかもしれません。なので、非常に怖いです^^;

質問者様がおっしゃる通り、今日本が戦争をしても利益はありません。それは、中国や、韓国、北朝鮮などすべての国について言えることです。現代社会、戦争はそう簡単に起こるものではありません。さまざまな要因が絡み合って、初めて起こるものです。
未来が怖い。よくわかります。誰しもが、怖いのです。そして、質問者様の年齢ぐらいなら、その怖さはきっとお母様や僕といった人たちより、何倍も強いものだと思います。
でも、怖がっているだけではだめです。たくさん勉強してください。中学に入って、公民や現代社会や日本史や世界史を勉強することになると思います。そうすれば、知識が増えます。日々のニュースや新聞を読んでください。そうすれば、世界が広がります。そして、世界のことを知ってください。

戦争は、誰もが怖いです、あなただけではありません。だから、安心してください。悩みすぎないでください。何かあれば、自衛隊が必ずこの国とあなたを守ります。だから、心配しないでください。怖がらないでください。あなたが悲しめば、お母さんも悲しみます。
あなたのような人がたくさんいれば、きっと戦争はおきなくなります。その気持ちと考えを大事にしてください。

戦争は、一般的な常識を持った人なら、だれしもがしたくもないと思っているものです。日本は今平和ですが、日本以外では紛争や戦争が起き、憎しみの連鎖が起こっています。それは日本から遠く離れた国々だけでなく、日本に近い国々も同様です。
質問者様は、この春から中学生になるということですので、12歳ぐらいでしょうか? 僕が12歳で小学校を卒業する時は、ちょうどイラク戦争が始まったときでした。なんと、卒業式の日にちょうどアメリカがイラクに進行したのです。そのニュースをテレビで見たときは、と...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q昭和10年時の軍事力ランキング

第二次世界大戦直前の1935年頃の軍事力を国別に順位付けしたらどのようになるのでしょうか?

自分の予想は下の通りです

陸軍力
1ドイツ2ソ連3アメリカ4日本5フランス6イタリア7イギリス

海軍力
1アメリカ2日本3イギリス4ドイツ5ソ連6フランス7イタリア

できれば根拠もいただければうれしいです

Aベストアンサー

付け足しです。1941年6月に関してはこうなるかと思います。
   陸軍
1・ドイツ(保有師団数・車両・航空機・経験で圧倒)
2・ソ連(保有師団数・車両・航空機はダントツ)
3・日本(動員中兵力と航空力が優れる。車両面では遅れ気味)
4・米国(保有兵力は少ないが、航空力は優れる)
5・英国(植民地大国の強み、兵力と車両保有数が優れる)
6・イタリア(兵力こそ多いが士気及び弾薬が枯渇)
番外・フランス(降伏したため植民地軍しかない)・中国(組織だっていない)
   海軍(カッコ内は建造中の数)
1・米国…戦艦17(10)・空母6(5)・巡洋艦及び補助艦が多い
2・英国…戦艦13(2)・空母7(3)・巡洋艦及び補助艦が多い
3・日本…戦艦10(3)・空母8(10)
4・イタリア…戦艦6(2)・空母(2)
5・ドイツ…戦艦2(1)・装甲艦2・旧式戦艦2・空母(1)・潜水艦多数
6・ソ連…戦艦3(4)・潜水艦多数
番外・フランス…戦艦5(1)・空母1(降伏したため評価不能)

44年7月になると
   陸軍
1・米国…工業力で車両・航空機がダントツ
2・ソ連…兵員の数と車両は多い
3・ドイツ…総動員体制に突入したため生産力が急上昇
4・英国…米国の援助で戦力が回復
5・日本…歩兵と航空機は多いが、車両が不足
番外…フランス(亡命政府)・イタリア(停戦後の再編成中)
   海軍
1・米国…戦力がダントツ
2・英国…ドイツ軍の潜水艦攻撃は収まり制海権を回復
3・日本…なんとか戦力を維持している状態
4・ドイツ…風前の灯
5・トルコ・アルゼンチン・ブラジル・チリ…戦争していない
番外…フランス(亡命政府)・イタリア(停戦)・ソ連(壊滅)

付け足しです。1941年6月に関してはこうなるかと思います。
   陸軍
1・ドイツ(保有師団数・車両・航空機・経験で圧倒)
2・ソ連(保有師団数・車両・航空機はダントツ)
3・日本(動員中兵力と航空力が優れる。車両面では遅れ気味)
4・米国(保有兵力は少ないが、航空力は優れる)
5・英国(植民地大国の強み、兵力と車両保有数が優れる)
6・イタリア(兵力こそ多いが士気及び弾薬が枯渇)
番外・フランス(降伏したため植民地軍しかない)・中国(組織だっていない)
   海軍(カ...続きを読む

Q何で日本は戦国時代に植民地にされなかったんですか?

大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

すいません、もう一つ。

幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

私はまるで歴史ド素人なので恥ずかしい質問ですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地支配が容易になる、という目論見でした。この方法は成功しました。ザヴィエルらは、日本においても布教を行うべく1549年に来日し、布教を始めました。

ザヴィエルらが日本へ来て知ったのは、ほかのアジア諸国の人民に比べて日本の人民は教養が高く、さらに戦が強いことでした。

1467年に始まった応仁の乱以後、日本国内は乱れに乱れ、内乱時代(戦国時代)でした。戦国の時代は、武器の発達が進みます。さらに武士たちの武闘能力も向上し、剣術や砲術の力が向上します。戦国時代の日本は、世界で最強の軍事大国だったという学者もいます。

そうした事情を知ったザヴィエルらキリスト教関係者が、本国の王へ「日本を植民地にするのは非常に困難です」といった報告をしたものと思われます。

織田信長はキリスト教を公認しましたが、豊臣秀吉はキリスト教を禁止し、キリスト教関係者を国外追放しました。イスパニア王フェリペ二世の日本征服の野望を知ったからです。

徳川政権もキリスト教を禁止しました。その上、鎖国しました。西洋人は日本を征服するチャンスを失ったのです。


>幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

日本も植民地にされ、列強によって分割される危険がありました。それを避けられたのは、

(1)人民の教養が高かったから。西洋の外交官は、江戸の町の本屋の店頭で、女や子供が立ち読みするのを見て、日本は植民地にすることはできないとあきらめました。多くの人が文章を読めたのです。(日本よりも西洋の方が文盲率が高かった。)

(1)武士階級が支配していたからです。清(中国)は科挙に合格した文官が支配する国でした。西洋列強の手が隣国に及んできても危険を感じませんでした。しかし日本の支配層は武官(武士)ですから、清が英国との戦争で負けて香港を割譲したことを知り、さっそく日本もやばいぞと危機感を抱きました。武士の仕事は戦争ですから、国の危機には敏感なのです。

(2)徳川幕府の外交が巧みだったからです。大政奉還と王政復古の直後の慶応3年12月16日(1868年1月10日)、15代将軍徳川慶喜が大坂城に6カ国の公使を招いて接見し、「朝廷は王政復古を宣言したが、朝廷側に内部事情があり、依然として徳川幕府が主権者である」と説明し、政権承認の確認を求め、さらに内政不干渉を約束させました。欧米諸国の目にも、この段階では、三職をトップとする新政府の実力は甚だ脆弱であり、国際社会の承認に値する政権とは見えなかったはずです。しかし徳川慶喜が各国に内政不干渉の約束を取り付けた結果、その後の内戦(戊辰戦争)では外国の介入を招きませんでした。慶喜の側近に国際法を理解していた人材が豊富だったからこその成果と言えます。徳川幕府の大手柄と思います。

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地...続きを読む

Qなぜ中国は北朝鮮をかばうのですか

中国は北朝鮮にあまり厳しい態度をしないみたいですが、なぜ中国は北朝鮮をかばうのですか?
仲良しな国なんですか?

それとなぜアメリカはイラクの独裁政権をやっつけたみたいに、北朝鮮の独裁政権をやっつけないのですか?

Aベストアンサー

まず中国ですが、中国は北朝鮮と国交のある数少ない国の1つです。同じ共産主義政権という事もありますし、共産主義独特の思考で「同志」をかばうのは、これ当然の事なんです。

かつて連合赤軍や赤軍派・京浜安保共闘・反日武装戦線グループが日本の共産化を目指し、あちこちで犯罪を犯しましたが(よど号ハイジャック事件・ダッカ事件・連続企業爆破事件・あさま山荘事件・塚田銃砲店襲撃事件・M作戦・クリスマスツリー爆弾事件など)、結局彼らのした事は鎮圧・制圧されました。こいつ等も仲間を「同志」と呼び、裏切り行為があれば、リンチにかけて激しい制裁を加え、挙句殺してしまうところまでいっています。中国が死刑を強硬に行うのは、所謂、同志の「裏切り行為」に対する制裁と見せしめです。おっかないんですよ、中国って。日本でも共産党委員長になった宮本顕治元議員も同志を殺害したという事実があります。とにかく危険な主義・思考なんです。


アメリカが北朝鮮の独裁政権を潰せないのは、イラクの時みたいに大量破壊兵器を持っているのは分かってはいるんですが、問題はその兵器にあるんです。CIAが入手した情報によれば、核ミサイルは勿論、生物兵器・細菌兵器という怖っそろしい武器をゴロゴロ持っているからです。それと並行してアメリカは北朝鮮に対し「攻撃」の大義名分を持っていない。それがアメリカが北朝鮮に対し攻撃できない理由なんです。もしアメリカと北朝鮮が戦争状態に突入したら、アメリカの同盟国である日本にも甚大な被害が出ると、きちんと計算してるからなんです。それと中国にも。


北は中国の言う事なら何でも「ハイハイ」と聞きます。それでアメリカは今懸命に中国を通して北を何とかしろと影の部分で交渉しているのですが、先にも書いた通り、北と中国は「同志」。かばっているからいつまで経っても進展が無いんです。

まず中国ですが、中国は北朝鮮と国交のある数少ない国の1つです。同じ共産主義政権という事もありますし、共産主義独特の思考で「同志」をかばうのは、これ当然の事なんです。

かつて連合赤軍や赤軍派・京浜安保共闘・反日武装戦線グループが日本の共産化を目指し、あちこちで犯罪を犯しましたが(よど号ハイジャック事件・ダッカ事件・連続企業爆破事件・あさま山荘事件・塚田銃砲店襲撃事件・M作戦・クリスマスツリー爆弾事件など)、結局彼らのした事は鎮圧・制圧されました。こいつ等も仲間を「同志」と呼び...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む


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