昔、歴史の本で伊達政宗か輝宗の遺骨から粘土で顔を復元
している資料を見た記憶があるのですが。
今からだと、20年位前に発行されたの歴史解説資料だったと思います。
現在はDNA鑑定や炭素法など科学的な鑑定方法のコストも下がっていると
思いますので、かなりの分析結果や事実が解っているのでは無いかと思います。
戦国時代に関わる事でご存知の方、ここ20年間位に新たに解った事でどのような科学的な鑑定でどのような
資料をどのように分析し、推論などがなされているのか面白そうなものを教えていただけませんでしょうか?
新しい発見により、今までの説が覆っているものなどもあれば、お願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>新しい発見により、今までの説が覆っているものなどもあれば、お願いします。
2008.10.14にTV東京「日本史ミステリー」より。
「信長は明智光秀に殺されたのではない!!」
(1)光秀の居城「亀山城」からは、城下を通り、老ノ坂(おいのさか)の峠を越え、京都に入り、桂川を渡って本能寺へ着いた。
<1>このルートは、各種の史料等で、現在は「定説」となっている。
<2>しかし、このルートであると、亀山城から本能寺までは約20Kmとなる。
<3>光秀が亀山城を発進したのが、6月1日午後8:00。
<4>本能寺の変が起きたのは6月2日午前2:00。
<5>とすると、7時間で本能寺に到着しなければならない。
<6>当時の具足(鎧や兜)は、鉄砲に対する防御で、鉄板が多く使われており、約30Kgあった。
<7>城下は、ともかくとして、老ノ坂は、だらだらとした昇り坂で、馬であれば1頭ずつが縦に並んで通れるぐらい。人であれば、3~4人が横並びでも通れた。
<8>京都に入ってからは、「桂川」を馬上または徒歩で渡った。橋ははるか上流にはあるが、そこを通るとすると、時間はさらに延びる。従って、一番早く着くには桂川を馬上または徒歩で渡るしかなかった。
<9>ところが、公家の「山科言経(やましなともつね)」の書いた「言経卿記(ともつねきょうき)」によると、6月1日は「前日から雨」。
<10>当然、桂川は増水しており、馬上であっても徒歩であっても渡ることができない。はるか上流か下流の橋を「迂回」せざるを得ない。
と、なると、7時間で本能寺に着くまで、時速3~4Kmで進軍しなくてはならない。また、老ノ坂峠にしても、「ぬかるみ」だらけで、馬上の者は別として、雑兵などはとても早足で越えることはできない。
<11>従って、光秀は「本能寺の変」には間に合っていない。
(2)では、誰が信長を殺したのか。
<1>結論から先に言うと「イエズス会の宣教師たち」であった。
<2>イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの記した「日本史」によると、
「信長が厠(かわや)から出て、手と顔を清めていたところを背後から弓矢を放って背中に命中させた。(中略)。直後に、信長は小姓たちを呼び、鎌のような武器(薙刀)を振り回しながら応戦していた。しかし、鉄砲隊が放った弾が左肩に命中した。信長は直後に障子の戸を閉じて、火を放ち自害した」
と、あたかも「現場」を間近で見ていたかのような記述がされている。
<3>光秀軍が襲ったのであれば、何万もの兵がうごめく中、このような「詳細」を見ることはできなかったはず。
(3)では、なぜ、イエズス会だったのか。
<1>信長は、イエズス会の布教活動を許可し、自らも南蛮製のマントや帽子を着用していたから、イエズス会と仲は良かったはず。
<2>イエズス会の「怒り」をかったのは、やはり、ルイス・フロイスの記録によると、
「信長は、かくのごとく傲慢(ごうまん)になり、世界の創造主であるデウスのみに帰すべきものを奪わんため(中略)その霊魂は地獄に葬った」
と、ある。
<3>「かくのごとく傲慢」とは・・・。
信長の居城であった安土城跡(滋賀県安土町)に残る「廟(びょう)」のてっぺんに「盆山(ぼんさん)」と呼ばれる「岩」を乗せてあり、信長は、生前より、
「この石を神と思え」
と、いかにも天皇をも越えて、自分ただ一人が「神」である、と、命令していた、と、言われ、これがイエズス会にとっては、神はデウスであって、信長ではない、との反感をかった。
(4)本能寺の発掘調査が物語るもの。
<1>2007.3.3の「産経新聞」の掲載記事によると、本能寺は、北は六角通。東は西洞院通。南は蛸薬師通。西は油小路通。に囲まれた120m四方と言われていたが、信長が宿泊したと思われる場所は、北東の角にある40m四方の小さな建物で、寺と言うよりも「武家住宅」あるいは「小御殿風」であった。
<2>と、なると、信長をはじめ側近の者が「雑魚寝」をしても、せいぜい40人位。
<3>これまで、100人近い兵と共に宿泊をしていた。と言う考え方は、到底無理が生じる。
<3>従って、イエズス会の宣教師たちの少人数でも攻めることができた。
(5)イエズス会のバックボーン。
<1>イエズス会は、南蛮貿易で「火薬」の原料である「硝石」を貿易しており、十分な資力があった。
<2>従って、弓矢や鉄砲などの武器を調達することは、「たやすい」ことであった。
<3>また、イエズス会の「本山」である「南蛮寺」は、本能寺から、わずか、300mしか離れていない。
(6)では、なぜ、明智光秀が罪人なのか。
<1>光秀が到着した時には、すでに、イエズス会により信長は「暗殺」されていた。本能寺も焼け落ちていた。
<2>確かに、光秀は信長を殺そうと本能寺に向かった。
<3>これにより、光秀は「謀反の罪」を着せられた。
と、まあ、このような「展開」でした。
なるほど、と、うなずける部分と、本当かなぁ、と、疑問が残る部分もありますが、いずれにしても、大学の教授や歴史家などが、以上の事柄について、「もっともらしい」説明をしていました。
はたして「歴史」は塗り替えられるのか・・・。
確かに本能寺の変は戦国史の中でもミステリーな部分が多いですね。
調査や研究が進み裏付けになる資料などがもっと出てくれば面白いですね。
No.2
- 回答日時:
諏訪湖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA% …
「最終的には謎の菱形は湖底の窪地の影」だとか。
30年前に大学受験で日本史をやった頃と今と違うというと
騎馬軍団は無かったとか、三段打ちは無かったとか、実際の馬の骨とか、火縄銃を使って撃ってみたらできないとかですかね。
古文書の発掘とか研究が進んで、当時の村落のあり方と地侍、国人、大名の関係が明確になりだしたという感じでしょうか。地味だな。
http://www.shogakukan.co.jp/nrekishi/
今刊行中のこのシリーズが、地味な資料から当時の世界像を出そうとしています。11巻が10月27日ころ発売予定というので27日に本屋に行ったらまだ出ていなかった。明日も本屋に行こう。
諏訪湖の湖底のは影だったんですね残念です。
今がバブル期なら研究費など潤沢にあり有望な研究者などがこぞって最新の技術を使って研究できるでしょうね。
昨今の景気を考えると技術はあっても予算が無く地味な資料のからの地道な研究の方が今の時代に合っているのでしょうね。
No.1
- 回答日時:
伊達政宗
http://www.zuihoden.com/ ここの再建の時に骨を分析しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E9%B3%B3% …
これですね。
科学的鑑定だと、戦国史というより古代から中世にかけてのものが多いようです。
例えば、信長の毛髪からDNAを取って、、、などとやっている研究などを期待しているのですが。
諏訪湖の湖底で発見された武田菱なんかもその後の結果も報道されてなかったようですし。
おっしゃる通り戦国時代の驚きのあるものは、あまりないのでしょうかね。
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