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19代宗義智の後妻になった
倉野夫人は
どこの出身で
どの家から
来たのでしょうか

A 回答 (1件)

 実家は、宗氏の家臣の河村氏ないし倉野氏(改氏して阿比留氏)のようです。

ただし、曽祖父の代には京都にあり、譜代の家臣というわけではないようです。なお、阿比留という姓は、もともとは宗氏支配以前からの対馬の名族の姓です。どういう事情があったものやら(怪しいですな)。
 生まれは、対馬島内の下県郡仁位村で、おそらく現在の長崎県下県郡豊玉町大字仁位にあたるのでしょう。

『宗氏家譜』巻二・義智君より(原漢文)
「(慶長九年)義智夫人阿比留氏、男貞光を生む。夫人の祖、倉野掃部と曰ふ。山城州白川の人なり。義調の時来りて、対州に居す。阿比留と改め、その曾孫藤右衛門、宮原四郎左衛門(薩摩州宮里の人なり)の女を娶りて妻となし、夫人を生む」

『郷土史料對馬人物志』七四・倉野夫人より(大正六年刊・長野県教育会対馬部会,句読点引用者)
「夫人は対馬の藩臣河村氏の女。名は竹。父を倉野茂通、通称藤右衛門と云ふ。一に阿比留氏に作る。其先、山城国白川の人なり。母は宮原氏親久の女。天正十五丁亥をもって、下県郡仁位村に生る」
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