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先祖や親 墓を尊ぶ生き方 仏教の考え方もわかりますが
これから私は神の導きで自立した愛の生き方 キリスト教を
信じて家族を愛していこうと思います
お墓 葬式など問題点など経験をしたかた
教えてください
少子化で子供の墓守の負担を考えています
クリスマスが近ずき愛と自由の神の教えを
学び子供に幸せになる心を伝えようと思います
信仰の自由とはいえ我侭ですか?

A 回答 (5件)

一言でキリスト教と言っても色々あるので・・・


私の家の菩提寺には、子孫がキリスト改宗に改宗された方の墓もありますが、ちゃんと先祖の供養はされていますよ。ときどき、キリスト教の牧師さんも見ることがあります。お寺の墓地でね。・・・不思議な光景ではありますが。
 先祖の供養や墓を守り続けることは、宗教とは別の問題です。これは日本の文化であって、特定の宗教がとやかく言えるものではないです。
 確かに一部には、墓を守り続けることはおろか、先祖の供養までも否定される方がいらっしゃいますが、いずれ考えを改められるようです。
 あなたが、今ここに生きているということは、先祖がいたからこそのもので、その方たちへの感謝の気持ちを否定する宗教はこの世に存在しません。
 もし、先祖の供養やお墓を守ることも否定する一方で「愛と自由の神の教えを
学び子供に幸せになる心を伝えよう」って矛盾してませんか?
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この回答へのお礼

有難うございます
先祖あっての自分の有り難さは
子供に残したい心ですね
何を信じての愛と自由なのか
確かにそうですね
厳しさも含めた愛を知る事からですね

お礼日時:2008/12/09 08:19

はじめまして



キリスト教伝来より、
親仏教、子キリスト教なんて構図、
塵の数ほどあるはずです。
だって、キリスト教の方が、後なんですものwww

っで、どんな絵を描くかも貴方次第。
大人になった子供がそれをどう感じるか?
その時、初めて、我侭かどうかの判決が下ります。
今は考えなくてもいいんではないでしょうか?

一点、子供に幸せの心を伝えるのはいいですが、
子供さんが判別付かない年齢での洗礼は・・・
よくお考えくださいね。
私の父は、クリスチャンでしたが、私の洗礼を断りました。
でも、幸せの心は、しっかり伝わっています。
卵が先かニワトリが先か・・・よくお考えくださいね。
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この回答へのお礼

そうですね
何をもっての子供の幸せかですね
有難うございます

お礼日時:2008/12/09 19:36

先祖や墓を尊ぶのは、本来の仏教ではなく、日本の土俗信仰と習合されていった形式です。

個人的には、日本風葬式仏教を仏教とは言いたくないのですが...

キリスト教信仰も個人の自由だと思います。
その教えを自由・愛と謳いあげることには異論もありますが、個人の自由ですからね。

ただ、日本の葬式仏教にも良い点があります。
東京のあるお寺では、供養料を支払えば、無縁仏として葬ってくれるそうです。この方法ならば、お子様方にも負担はかからないと思いますが、いかがでしょうね。
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この回答へのお礼

有難うございます
そういうお寺がありますね

お礼日時:2008/12/09 19:28

祖父は浄土宗、その妻はXX学会


息子は↑浄土宗の檀家にならないと葬式が出せなかったので浄土宗
その妻(私の母)はキリスト教 ←ただしその親は神主

結局XX学会以外は 宮司も僧侶も「最終的というか原点は同じ考えなんですよ」って言っています。
祖母のお骨を浄土宗のお寺へお願いするときも、僧侶は「すべて了解済」でしたし、
私の両親に対しても問題なしだそうです

質問者さんがどの宗教をするかよりも 今までお世話になっている(お墓などの)宗派や その僧侶なりに腹を割って話をするべきだと思います。
宗派が違うから寄れない・関係ないって言うような宗派に入るのは止めてください… と思います。

私の母の宗派(キリスト教)は神社仏閣に近づくな!というようなこともいわれますけど、
すでに関係があるお寺に行くなとは言われません
供養といってもいろいろな方法がありますけど、お金を払うべきなら
お金を払うためにお寺に行くのは当然ですし、
家族全員で出るべき行事があれば行きます。ただし仏壇に祈らないだけです…

そういう風に加減しながら参加することは可能ですから
宗派云々なんて 堅い考えは止めてください。
この微妙な加減がわからないようなら 宗教なんて関わらないでほしいわ…と (世間の皆さんに)言いたい
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この回答へのお礼

有難うございます
そうですね

お礼日時:2008/12/09 19:16

他の方もおっしゃるとおりです。


キリスト教にも色々あります。
私はカトリック系の学校に通ったのでカトリックしか知りませんが。
宗教というのは組織です。
信者になれば組織の一員として守るべき規則があり果たすべき義務を課せられます。
それはキリストの教えとは全く関係なく、組織としてまとまっていくためのキマリごとです。
特にカトリックはローマ法王を頂点としたれっきとした縦社会なので上下関係が厳しく、仏教と同様に階級が決められています。
なので自由と言えるかどうか・・・理不尽に思えることも多々ありますよ。

しかも、これは余談ですが。
聖書を学ぶ授業で「信者である幼い子供が殺人犯に殺された話し」が取り上げられたことがありました。
私達は神父さまに「なぜ神は罪も犯していない幼い子供にそんな残酷な運命を与えるのですか?」と質問しました。
「神を信じる者には神のご加護があるべきなのではありませんか?」と。
神父さまはかなり返答に困ってらっしゃいましたが、やがて静かに、
「人には必ず役目があります。どんな過酷な運命であってもそれを受け入れることが信仰であり、そこに神の恵みがあります。」
とおっしゃいました。
まさにキリストの道はイバラの道だなあと実感した瞬間でした。

信仰の自由をどうこう言うつもりはありません。
ただ、理想はあくまでも理想です。
現実をよく知ってから入信なさることをおすすめします。
あなたに神のご加護がありますように。
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この回答へのお礼

有難うございます
どんな過酷な運命でも受け入れる事が信仰であり
そこに神の恵みがある事を信じると救われるんですね

お礼日時:2008/12/09 19:12

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