査読があるかどうかの違いくらいはわかりますが、あとはどういうところが
違うのでしょうか?紀要にはどういう利用価値があるのでしょうか?どなたか
教えてください。

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A 回答 (4件)

紀要は、大学・研究所などの定期刊行物のことです。

ここに主に掲載されるものは論文です。大学や研究所が、このような研究・調査をしました、という研究報告書です。それで紀要掲載の研究報告書も多くは論文です。質問者は学会誌に掲載の研究報告(論文)との相違をきいておられると推定できます。恐らく、そうでしょう。つまり、紀要掲載の論文と学会誌掲載の論文の社会的評価の相違をきいておれれる、と思います。相違は論文評価体制にあります。紀要は大学や研究所の内部評価だけですが、学会誌では、多数の大学や研究所に所属する研究者からの評価を経ています。普通、学会で報告している論文が掲載されます。論文評価は査読(referee)制と呼ばれていますが、主にこれは学会誌で行われています。論文評価は、多数の研究者から構成されている学会誌のほうが高く評価され、評価の信頼性もより高くなります。それも国際的学会の評価が格段に高く評価されます。専門領域によつては、特に理・技術系では、国際的学会誌に掲載さた論文でなければ論文とは認められない傾向があります。無論、論文は、英語、フランス語、ドイツ語でなければなりません。日本語で書かれた論文は論文ではなく、紙くずとみなされるということです。研究者は専攻領域を問わず、学会、それも国際的学会で研究報告し、その学会誌に論文が掲載される水準にまで研究を推進することが社会的に要請されています。
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punchan_jpさん、puni2さんのご回答で要点は言い尽くされていると思いますが、自分の経験を踏まえて、お二人とは違う点から回答してみます。

自分は文系なので理系はまた事情が違うのかもしれませんが…。

学会誌は論文の枚数規定が厳しいですが、紀要はそれが比較的緩く、自分のように長々と書く人間には紀要はありがたいメディアです。教員の投稿の場合は枚数規定がないところや、連続掲載も可能のところも多いです。学会誌の場合は連続掲載できないところが多いです。

内容に関しては、先に回答したお二人も仰っているように、紀要だからレベルが低いということは一概にはいえないと思います。紀要にも意欲的な面白い論文はありますし、学会誌にも他の研究者の研究を要領よくまとめただけのようなつまらない論文は載ります。結局は査読者の質やレベルの問題ですね。

それから、最近は紀要にも査読を導入するところも出てきたらしいですよ。まぁ、結局、身内で審査するので、どれくらい査読が機能するかという問題もあるでしょうが…。
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この回答へのお礼

なるほど、分かりました。ありがとうございました。
仕事に役立てたいと思います。

お礼日時:2001/03/04 00:24

えーと,紀要は基本的に発行機関に所属している人が投稿者(連名の場合でも少なくとも1人含まれる)で…という形式的なことをお聞きしたいわけではなさそうですね。


それと,おっしゃっている論文とは,学会誌(もうちょっと拡げて学術雑誌としますか)に投稿される論文,ということでしょうか。

紀要でも査読制を取っているところもあります。そういうところは,雑誌名が「○○大学(○○学部)紀要」ではなく,学会誌風に「○○学研究」のような感じのことが多いようです。
(タイトルだけで一概に判断はできませんが。)ただ,一般的に学会誌よりは甘めといってよさそうです(うちは違うぞというところもあるでしょうが)。

よく紀要への投稿を,単なる論文の本数を水増しするだけだなどといって馬鹿にする人がいますが,(でそういう投稿者もいるんでしょうけれど),
自分の研究テーマにぴったりあう学会がない,学術雑誌もない,というような場合,むしろ積極的に紀要を利用してもいいと私は思っています。
また,初めて論文を活字にする時にいきなり学会誌だとハードルが高い,という場合に,紀要から第1歩を始める,という手もあるでしょう。
紀要に載った論文の中にも,このテーマを研究しようとする人にとっては必読文献!のようなものもあります。
要は,紀要に載っているから下らないなどと決め付けず(別に質問者のことを指しているわけではありません,そういう人がいるというだけです。念のため),内容をしっかり見極めるのが大事,ということではないでしょうか。

ちょっと質問の趣旨とずれてしまったでしょうか。紀要と論文はどう違うかでしたね。
研究者を大学が採用する時に,学術誌に投稿されている論文のほうが実績点のポイントが高い,なんてことはあるかもしれません。
でもそれはあくまで形式的な話で,本当は実際の内容を見て判断すべきものでしょう。
punchan_jpさんもおっしゃっている,入手可能性の違いは大きいかもしれません。
紀要は国会図書館や県立図書館にはあまりなく,大学図書館にはあるけれど同じ学科のしかない,という感じですので。
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この回答へのお礼

早速回答いただきましてありがとうございました。
とてもよくわかりました!

お礼日時:2001/03/01 12:04

私も紀要の存在価値はほとんどないと思っていますが、査読を通す


ほどでもない軽微な改良をしたとか、研究をはじめて間もないため
査読に通せるほどの成果も出てないという場合には、紀要に載せて
もいいんじゃないでしょうか。紀要に載せておくと、いちおうパブ
リッシュされたという扱いですから、他の論文を書いたときに参照
だけは堂々とできますから。
# でも、紀要を参照されると、入手するのが面倒くさくていや ^^
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
初めて質問してみたのですが、これはとても
すばらしいシステムですね!
わかりやすい回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/01 12:06

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Q特別支援教育系の卒業論文について

普通学校での特別支援支援についての卒業論文を書こうと思ったのですが、
具体的には何をしようか決まっておらず、とても困っています。

始めは、通常学級で行われている特別支援教育についてや、交流学級について調べようかと考えていたのですが、
今からどこかの小学校に入って事例研究をしようにも、
コネも時間もないので無理だと教授言われました。

だからやるなら文献研究かアンケートをとるかなのですが・・・
アンケートをとるのにも個人情報などで中々難しいとのこと。

そこで質問なのですが、
普通学校での特別支援支援教育について書くなら具体的にどのようなことを調べていくのが、やりやすいと思いますか??

何か面白いテーマなどないでしょうか??

なんでもいいので参考までに教えて欲しいです。

Aベストアンサー

こんにちは

卒論のテーマ決めの質問は、たまにありますので
まずは過去の質問を検索してみてください

卒論の書き方
http://www.mycon10ts.com/top.htm

ここのテーマの決め方を読んでください

どの分野でも共通なのは

とにかくテーマを小さく小さくです
これでもか!というぐらい小さいテーマを選んでください

言葉は悪いですが、質問者さんがいかにがんばろうと
世の中の「特別支援支援」については何の影響も与えません
イメージとしては、「特別支援支援」という万里の長城に
砂粒一つのせて、ちょっとだけ長くする ぐらいの作業です
卒論、つまりあと半年ぐらいで、結論まで出す必要があります
壮大なテーマはアウト!です

例えば
特別支援支援 wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%AF%E6%8F%B4%E6%95%99%E8%82%B2
ここに載っている定義でも用語でも興味ある項目はありますか?

障害でも全部の障害を扱うなんて、到底無理です。特定の障害に限定しましょう
学校も全部を扱うのは無理。

これを絞るだけでも、
「知的障害者の小学校教育における歴史的経緯の考察」
とグッとイメージ沸いてくる
またはエリアで絞ってもいい
「○○県△△市□□駅前における聴覚障害者対策の実態調査および考察」
言いたいこと伝わりますかね?

どんどん絞っていいんです。グイグイ絞り込んでください
学校での事例研究は相手がいることなので、大変ですが
地元の駅前の調査なら、質問者さんが調べてみれば済むことです

例えば聴覚障害者にとって、横断歩道が渡りやすいのか?
視覚障害者にとって、切符は買いやすいのか?
道路の黄色いプレートは使いやすいのか?
こんな対象をいくつかあげて調べていけば、まあなんとなく
フィールド調査型の卒論としてまとめることが可能だと思います

がんばってください

こんにちは

卒論のテーマ決めの質問は、たまにありますので
まずは過去の質問を検索してみてください

卒論の書き方
http://www.mycon10ts.com/top.htm

ここのテーマの決め方を読んでください

どの分野でも共通なのは

とにかくテーマを小さく小さくです
これでもか!というぐらい小さいテーマを選んでください

言葉は悪いですが、質問者さんがいかにがんばろうと
世の中の「特別支援支援」については何の影響も与えません
イメージとしては、「特別支援支援」という万里の長城に
砂粒一つ...続きを読む

Q大型トラックは中型トラックの2倍くらいの大きさなのに最大積載量は10倍近いのはなぜですか? 何が違

大型トラックは中型トラックの2倍くらいの大きさなのに最大積載量は10倍近いのはなぜですか?

何が違うんですか?

トラックが10倍くらいの大きさがあって積載量が10倍なら分かりますが、2倍の大きさの差で積載量は10倍違うのを不思議に思います。

ということは、中型トラックの何を変えたら、現実の中型トラックの最大積載量を5倍に出来ますか?

大型トラックの最大積載量が22tでした。
重量は32tくらいでした。

一方の中型トラックの最大積載量は1.5tで重量は2tくらいでした。

中型トラックと大型トラックの何が違って大きさの差が2倍なのに最大積載量が10倍の差になるのか教えてください。

Aベストアンサー

>大型トラックの最大積載量が22tでした。
重量は32tくらいでした。

一方の中型トラックの最大積載量は1.5tで重量は2tくらいでした。

と書かれています。単純に計算すると

最大積載量は14.6倍
重量が16倍

1.5トンのトラックの最大の大きさが4.7m×1.7m以下(4ナンバー)
大型トラック12m×2.5m

いわゆる大きさ(投影面積)は3.75倍
ここに高さを掛ければ体積がでますが、キャビネット自体の高さも倍ほど違います。3.75×2

7倍の大きさ(体積)で16倍もの重さの強度を使ってとしてもたった14.6倍の積載量・・・安全に走行するためにはこれが限界なんだろうと納得するほうがいいかもしれませんね。

Q特別支援教育になったら・・・

はじめまして。よろしくお願いします。
特別支援教育がはじまりましたが
イマイチわからないので教えて下さい。
養護学校、盲ろう学校は特別支援学校となり
地域のセンター的役割を担うようになると聞いてますが
最終的には
これらの学校が一括
知的障害・肢体不自由・盲・ろうのお子さんを
教育していくことになるのでしょうか?
それとも
名前は特別支援学校だけど
子どもの所属はある程度わけられる
(今までの通り知的障害・肢体不自由・盲・ろう)のでしょうか?
盲・ろうだけでも
ひとつになることが難しいように感じるのですが・・・

Aベストアンサー

 こんばんは。

 結論から申し上げると、質問者さんのおっしゃる通りです。
 平成18年度までの「特殊教育」の制度化では、質問者さんもご案内の通り、盲学校・聾学校・養護学校と対象児童生徒の障害種によって学校が分かれていました。
 平成19年度より実施の特別支援教育の制度化では、これらの特殊教育諸学校が特別支援学校に一本化されます。

 したがいまして、例えばそれまで肢体不自由児を対象としていた旧養護学校だった特別支援学校も、知的障害を持った子や、視覚障害を持った子も受け入れることとなります。

 一方で、文部科学省は、各学校に対し、もともとあった専門分野を確保することも求めています。つまり、もともと肢体不自由児対象の養護学校だったところでは、引き続き肢体不自由児教育の専門性も持たせていく、というのです。文科省では「肢体不自由部門」「知的障害部門」という「~部門」を設けて教育を行うことを想定しています。教員免許についても同様です。「特別支援学校教諭免許状」に一本化されました。ただし、これについても「視覚障害」「聴覚障害」「知的障害・肢体不自由・病弱」の各部門に分けて授与することになっています。
 
 私個人は、以上のような制度が現実的かどうか、もう少し様子を見る必要があるとは思いますが、質問者さんのおっしゃる通り、課題は多いような気がします。また、文科省の理念の実現にはもう少し時間がかかりそうな気もします。

 以上です。ほかに何かあれば補足してください。

 こんばんは。

 結論から申し上げると、質問者さんのおっしゃる通りです。
 平成18年度までの「特殊教育」の制度化では、質問者さんもご案内の通り、盲学校・聾学校・養護学校と対象児童生徒の障害種によって学校が分かれていました。
 平成19年度より実施の特別支援教育の制度化では、これらの特殊教育諸学校が特別支援学校に一本化されます。

 したがいまして、例えばそれまで肢体不自由児を対象としていた旧養護学校だった特別支援学校も、知的障害を持った子や、視覚障害を持った子も受け入れる...続きを読む

Q一人当たりの15%の割引 というのが 一人当たり料金が0.85人分 で済む というのはどういう

一人当たりの15%の割引 というのが
一人当たり料金が0.85人分 で済む
というのはどういうことですか?
料金の話が人数にかわってるのが
よく理解できません。
教えてください(>_<)

Aベストアンサー

通常の一人分=100円とした場合85円は何人分に相当するのか
つまりそう言う事なのだが、了解か?

Q障がい者 差別 特別支援教育

障がい者 差別 特別支援教育

皆さんは障がい者について
どう考えますか?

私は今
特別支援教育者になるため
勉強中です。

世間では障がい者に対しての
差別が絶えないようです。

授業でもこの問題が
取りあげられました。

「障害者」この漢字も
差別用語になりつつあるみたいですね。

常に健康な者(健常者)と
書きますが

では、障がい者は常に健康ではないのか?
という考えもあります。

差別は大きな問題ですが
答えを出すには
とても難しいと考えます。

皆さんは差別に対して
どうお考えでしょうか?

教育者ではなくても
結構です。

いろいろな観点からの
意見をお聞きしたいです。

回答、お願いします。

Aベストアンサー

1、教育の果たす役割りは大きい。
2、社会のあり方が及ぼす影響も看過できない。

と、考えています。

 1は、個々の人格と人間性に果たす教育の役割りからいって当然のこと。だが、社会のあり方も看過できないと考えています。
 若い女性の二人に一人が非正規雇用。男子も3人に二人しか正社員はいない。その正社員も、能力主義の名の下に過度の競争を強いられているのが昨今の特徴。「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、やはり、人間誰しも聖人君子ではありませんので生活に余裕がなければ弱者を思いやる心のユトリも消えうせようというものです。また、健常者がかように非正規雇用で使い捨てられる時、弱者へのサポートもまた切り捨てられるのは物の道理。
 かように考えれば、弱者の問題は、実は、健常者自身の問題と同質なんだと思いますよ。となれば、私は、「差別」に光を当てるのみならず、その根源が同一のものであることにスポットライトを当てることを忘れてはならないと思います。障害者への同情云々ではなく、同一の根源に向かって改善を求める者同士っていう意識の醸成。これも必要なことだと思います。
 観点ということであれば、障害者も健常者も同じ地点から社会を俯瞰するということが肝心と思っています。

1、教育の果たす役割りは大きい。
2、社会のあり方が及ぼす影響も看過できない。

と、考えています。

 1は、個々の人格と人間性に果たす教育の役割りからいって当然のこと。だが、社会のあり方も看過できないと考えています。
 若い女性の二人に一人が非正規雇用。男子も3人に二人しか正社員はいない。その正社員も、能力主義の名の下に過度の競争を強いられているのが昨今の特徴。「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、やはり、人間誰しも聖人君子ではありませんので生活に余裕がなければ弱者を思いや...続きを読む

Q査読付き

 査読付きと査読なしの論文がありますが,一人以上と二人以上のレフェリーのパターンがあるのですが,どちらとも査読付き論文と言うのでしょうか?それとも二人以上でないと査読付き論文とは言えないのか教えて下さい。

Aベストアンサー

レフェリーがついてれば査読でしょう。
一人って私は当たったことないですが。3人か4人のばっか。
きつい場合だと、レフェリーに回る前にエディターに落とされることもあります。NatureとかScienceが有名ですね。最近のJACSもそうです。これも一人査読って言うのかな?

Q特別支援教育についての質問です。

最近、「特別支援教育は教育の根である」
と言うようなことを目にしたのですが、
これはどういう事なのでしょうか?

子ども達一人一人のニーズに
あった教育を目指すことに繋がる、
と言うこと以外で
意味合いがありましたら
教えて頂けると助かります。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>子ども達一人一人のニーズにあった教育を目指すことに繋がる

以外は、特にないかと…

Q査読論文について

今D1で査読を書く段階にまで来てるんですけど。内容のキーワードは同じでアプローチが違う論文で別の学会に論文を投稿することってできるんですか?

Aベストアンサー

投稿済みの論文を撤回して別の学会に投稿するということ?

それとも,投稿済みの論文と同じ内容のものを違う視点で書き,別の学会に出すということ?

前者なら何も問題ないと思います.厳しい査読意見が来たときには,投稿先を変えるのもひとつの手ですね.

後者の場合,内容次第だと思います.指導教官の教授とよく相談するべきだと思いますよ.ただ,キーワードは意図的に変えた方がいいでしょうね.図も,同じものを流用するのはよくないと思います.本文のコピー&ペーストもやめた方がいいですね.とにかく,先生と相談することです.

あと,余計なことですけど,「査読」というのは「論文審査」のことですよね.「査読を書く」のは審査員です.投稿者が書くのは「査読に対する回答」だと思いますよ.

Q特別支援教育を受けられず困っています

特別支援教育の法整備と学校現場の運用のずれが起きています。
ADHDの為、学業の成績が下落してきている、それに連動して不登校のリスクが高まってきているにもかかわらず、学校が当事者(中学生)及びその保護者の要望を聞こうとしません。
九州の某県立中高一貫校に対する行政指導は、どこの誰が責任を負うのでしょうか?

Aベストアンサー

はじめまして。
養護学校で教員をしています。


なんだか大変な状況に陥っているようですね。
気があせることでしょう。心中お察しいたします。
確かに、学校の体制整備は遅れており、また地域格差や学校間格差も大きいと思います。非常に憤りを感じていらっしゃることが伝わってきますが…個人的にはお書きになっていることに若干の違和感も感じます。


教員の立場では、なかなか言えないこともあります。ただ…これも何かの縁かと思うので、あえて今回だけは家庭の立場に立って、思うところをなるべく率直に述べたいと思います。

あなたのおっしゃるような「正論をぶつける」行為が、どういうことになるか、感じていただきたいし、この回答をどう思われるのか私も知りたいのです。

ただ、とても嫌なことを言うことになりますから、心の準備をお願いします。





まず。
保護者の思いが重い…というのが、学校側の本音といったところでしょうか。最近思うのですが、親御さんがパワフルになりすぎて失敗するケースも少なからずあるかもしれません。もちろん、学校がきちんと対応しなくてはならないことが基本的な前提なのですが、それを後押しするタイプと停滞させてしまうタイプの働きかけがある、ということです。

今まで学校に駆け込んでくる親御さんがどういうタイプだったかを考えると、イメージしやすいかもしれません。一昔前のドラマに出てくる母親に例えれば、バリバリの教育ママとか暴力団に近いようなヤンママとか、駆け込んできてはおいおい泣いて家庭内の問題までどうしましょう?なんて聞いてくる母親とか…。
仮に、上記のような親御さんと同様に思われていたとしたら、どうでしょう(実際にはそういう状況ではないことと思いますが、分かりやすくするため、あえてひどい例を挙げています)?

言葉の端々に不信感が噴出しています。そういうのが、電話で話したり会っていたりしていると、そういった思いが言外に表れてしまうと思いませんか?
学校側が直接受け取れば、自分たちが非難されていると感じるかも知れません(この場合、実際に非難されるようなことをしている/いないは関係ありません)。人は非難されると、やがて心を閉ざしてしまうものです。そういう意味で、No.1の方の書かれた「先生方も同じ人間」という表現は、ここに通じるのではないかと。


正しいことを主張することは大切です。ただし、その方法を工夫しないと、クレーマーのような扱いをされてしまいますよ。クレーマーに対して、話をきちんと聞いて受け入れ、学校運営を見直そうという動きにはつながりにくいと思うのです。目的は、正しいことを伝えることではないでしょう?ケンカすることでもないでしょう?
お子さんにとって最適な学習の場をつくるために必要なのは、事実の共有、目標の共有、支援の手立ての共有かと思いますが…何より必要なのは、協調姿勢を作ることではないでしょうか?


と、ここまでお読みになって、上記の考え方について、たとえ理屈では分かったとしても、非常に不愉快に感じられるのではないでしょうか?それは、質問者の方の思いに、あえて真正面から反対するような書き方をしているからです。そして、ある意味「現実ベースに語られた正論」と見ることもできるので、なおさら腹が立つことでしょう。これはつまり、質問者の方と私が戦ってしまっているのです。さらに、質問者の方の動き方では動けない、それでは学校は変わらない、なんて全否定してしまったとしたら(私はそうは思っていませんからね、念のため)、もう聞く耳なんて持たなくなるのではないかと思います。

失礼な物言いをして大変申し訳なく思っています。
ただおそらく、質問文に書いていらっしゃるような雰囲気の伝え方が、どういう風に見られてしまうかは、ご理解いただけたのではないでしょうか?


学校側としては、冷静さを失った方への対応として、ひとまず伺っておいて、落ち着くのを待ってから話をしよう、という対応になりやすいと思います。感情的な状態では話し合いにはならないからです。
たとえ正しいことであっても、学校が親御さんの「感情」で動くことは、ないといって良いかも知れません。本当に様々な親御さんがいますので…と言えば、分かっていただけますでしょうか?

要するに、質問者の方が熱心に語ることがクレームだと思われてしまったら、その時点で目標であるお子さんの教育ニーズを満たすための働きかけから一歩遠のくと思うのです。それは望む状態ではないでしょう?


余談ですが…
今の学校は、少しのミスでも叩かれやすく、少々の不手際も許されない環境に置かれているため、かえって組織としては融通が利かないところがあるのです。新しいことを始めるよりも、今やっていることを確実にやろうよ、みたいなこともありますし、もちろん怠惰が原因でもあります。私も含め多くの教員は怠惰と言えるでしょう。
また、要望=対応するべきもの、という風に考えているわけではありません。学校には学校としての考えもありますし、大勢のお子さんを抱えていく中で、全体を見てバランスの良い体制を整えることも大事なことだからです(ただし、この意見は教員向けのものではありません。教員としては、現状がどうあれ、その時点でできるベストを尽くすべきだと思いますし、そういう対応を心がけています。多少の労働条件の悪化も厭わないで子供のために身を粉にしている同僚も多いです。ただ、そうすべきだ、という風に外部から言われることでもないのかな、という微妙な話です)。


特別支援教育の体制が整っている/いない、ということは、その学校に専門的な知識や技能を持つ教員がいるかどうかによって異なります。その意味で、確かに学校間格差、地域間格差が生じていることは事実でしょう。

私は特別支援教育に関わる立場にいるので、発達障害をもつお子さんの指導について、いくつかのケースを経験し、同僚とも具体的に話し合うことができます。ADHDの障害像を漠然とですがイメージできますし、課題の発見も教育目標の設定も手立てや配慮事項の工夫も、少しは考えることができます。ただ一般の学校の先生方の多くは、そういったお子さんの事例を見ていない(正確には見えていない)ので、比較的にスムーズには行かないでしょう。私が突然月曜から職場を交換しても40人をまとめきり授業を成立させることができないように。

「~するべき」という言い方は、正しくも不幸な意見の出し方だと思います。
簡単にできるならすでにやっているはずですし、必要性を感じていればすでにやっているはずです。どうしたらいいか分かっていればすでにやっているはずですし、余裕があれば手をつけはじめているはずです。
…できない理由を怠惰にもってくると、相手の人を責めてしまうし、お互いに不幸になります。怠惰と責められ喜ぶ人はいませんから。逆に、どういう条件が整えば組織が動き出すかを考えると、必要な手立てが生まれてくるかもしれません。ダメ社員が多く足を引っ張り合っているような会社でも、現状を的確に把握し、今の状態でできることは何か、といった視点で改善を続けていくと、成果が上がってくるそうです。



もう一つ、指摘しなければならないことがあります。

担任をこえて管理職と話し合いたいとのこと。
どういったいきさつがあるかは分かりませんが、直接指導にあたっている教員ではなく、その上司に話をしようとしている状態を、担任の方はどのように感じていらっしゃるのでしょうかね。
自分に指導能力がないと、保護者に責められているように感じているかもしれませんね。そう感じてもなお、お子さんのために全力を尽くしてサポートしようと思うのかどうか、少々疑問があります。…もしかして、担任の方と戦ってしまっていませんでしょうか?

正論を語ることも大切ですが、直接お子さんを指導している方が、本当に特別な教育的支援の必要性があることに気づいて、どうしたらいいかな、と思えるようにならなければ、何も変わらないと思うのですが…。どのような支援が必要だとお考えかは分かりませんが、普通中学では教科担任制で授業が進むので、それぞれの担当教員が一人一人変わっていくような、働きかけが必要だと思います。

管理職、県の窓口、文科省、どこに話をしていってもよいのですが、結局のところ、お子さんの担当教員が変わらないと、意味がないばかりか、学校との関係が悪くなるばかりで、かえって害があると思います。また、いわゆる上の組織に話したとしても、クレーマーだという判断をされてしまっていたら、何ら効果がありません。たとえ多少なりとも効果があったとしても、やればいいんでしょ、といったような対応になってしまって、理解もないまま形だけ整えて見せて、本当に必要な支援を得られないことを、私は心配しています。


否定的な話ばかりしてしまってすみません。
お子さんの苦しみが分かるからこそ、強く要望されているのだと思います。学校の対応が変わっていないからこそ、言わねばならないと立ち上がったことも理解できます。であればこそ、なお私は作戦を考えていただきたいと思ってしまうのです。


>しかし、カミングアウトしていないので教室内で徐々に
>セルフエスティームが下がってきており、学業成績も
>連動して下がっています。

カミングアウトしていればセルフエスティームは保てる…?
ちょっと分かりませんでしたが、何か省略があるのでしょう。それはともかく、成績やセルフエスティームの低下が、ちょっと対応を工夫することで防げることを、うまく伝えていかなくてはなりませんね。

私は、第3者である医師や臨床心理士といった方(普段お子さんを診ている方のことです)を交えて、担任と十分に懇談をされることをおすすめします。今までに出された情報をもとにすると、私には担任の理解が不足していると言わざるを得ないと思うのです。まずはその辺りを、親御さんからではなく専門家から解説してもらうようにするのです。できれば授業も一緒に見たり、教室のレイアウトや活動の組み立て、基本的な対応など具体的なアドバイスを頂くようにします。
それを行うことでお子さんが変われば、きっと担任の方も親御さんが何を言わんとしているか、漠然としながらも分かるようになるのではないかと思うのです。

このステップは、親御さんだけでは出来ないのです。
親御さんの色眼鏡があることが否定できないからです。
(ここも、本来なら学校サイドで実態を的確に把握しなくてはならないことが大前提です。ただ、こういったことが必要であることすら気づかない状況は確かにありますし、それをどうにかするために多少の権威ある存在は有効だと思います)


>特別支援教育に係る法の精神に対して、不遵守もしくは
>不適格な状態だと考えます。
>先生の限界とはだれがジャッジするのでしょう?

教員をジャッジするのは、生徒であり親であり、地域の皆さんでしょう。そのために学校評価制度というものもありますし。存分に評価されてください。

ただ、評価をつけることが目的ではなく、「改善する」ことが目的なのです。そこは大事にされてほしいと思います。思ったことを散々書かれて良いのですが、改善案も具体的に挙げられるとか、ここは良い/ここは要改善、とメリハリをつけて具体性をもたせることなどをおすすめします。
予算がかかるような改善案よりも、工夫することでできる改善案のほうが適しているかもしれませんね。

同じく改善するなら、明るく前向きに行いたいものです。人に言われるよりも、仲間内から挙がってきた声の方が、変わりやすいものです。そういう形につなげられることを、心から願っています。



色々と失礼なことを申しまして…お怒りは重々承知していますが、どうしようもない状況をどうにかしようとしていらっしゃる様子を感じ、少しでもお役に立てればと思い回答しました。

どうか、よい方向に向かいますように。
失礼します。

はじめまして。
養護学校で教員をしています。


なんだか大変な状況に陥っているようですね。
気があせることでしょう。心中お察しいたします。
確かに、学校の体制整備は遅れており、また地域格差や学校間格差も大きいと思います。非常に憤りを感じていらっしゃることが伝わってきますが…個人的にはお書きになっていることに若干の違和感も感じます。


教員の立場では、なかなか言えないこともあります。ただ…これも何かの縁かと思うので、あえて今回だけは家庭の立場に立って、思うところをなるべく...続きを読む

Q価値と価格と貨幣 価値2

「価値」と言う名詞について何でも教えてください。

1.あそこのラーメンは食べてみる価値がある。
2.このラーメンは価値がある。
1の使い方は一般的ですが、2の使い方はあまり見かけません、上記の例から、「価値」と言う名詞が何らかの犠牲を伴う対象に向けられるような気がしますが、上記以外の使用例もあり「価値」と言う名詞の定義で迷っています。

Aベストアンサー

参考になるかどうか分かりませんが、社会学的な視点からは、見田宗介「価値意識の理論 -欲望と道徳の社会学」 (弘文堂ルネッサンス)という書物があります。
経済学的な回答になると、経済学が、その理論を成立させるためにおいている前提が、非常に単純であるため「客観的な価値」があるかどうかと言うことは問題にしないのが多いと思われます。「価値と価格と貨幣」というタイトルなので、経済現象としての「ラーメンの食べ方」を説明したくなるのですが、哲学的な検討を加えているのは、なんといってもマルクスだろうと思われます。有名なのが「価値形態論」とよんでいるもので、たとえて言えば、古くは数え切れないほど多くの様々なラーメンがあったのに、現在のラーメンに集約されたかという問題の解明につながるものです。あるおいしい店のラーメンをカバンにいっぱい詰めていて、うどんが食べたくなったとき、このラーメンと必ずうどんと交換ができるなら、「このラーメンは価値がある」ということができるかもしれません。しかし、なぜ、このうまいラーメンなのに、一杯のうどんと交換できないのかという疑問に突き当たります。そういう不便を解消するかのように「貨幣」というものができてくるのです。
さて、ここで「価値」という言葉を辞書でひくと、複数の意味がでてくるのですが、「値打ち」と同義語だと分かります。「このラーメンは値打ちがある」という言い方をします。抽象性が高いときに、「価値」という言葉を用い、日常性の高いものには、「値打ち」という言葉が使われることが多いようです。ラーメンそのものより、ラーメンを食べるというのは、より抽象的な内容になっています。

参考URL:http://www.koubundou.co.jp/books/pages/kbn8236.html

参考になるかどうか分かりませんが、社会学的な視点からは、見田宗介「価値意識の理論 -欲望と道徳の社会学」 (弘文堂ルネッサンス)という書物があります。
経済学的な回答になると、経済学が、その理論を成立させるためにおいている前提が、非常に単純であるため「客観的な価値」があるかどうかと言うことは問題にしないのが多いと思われます。「価値と価格と貨幣」というタイトルなので、経済現象としての「ラーメンの食べ方」を説明したくなるのですが、哲学的な検討を加えているのは、なんといってもマル...続きを読む


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