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 例えばスパゲッティのことを「西洋うどん」と翻訳してしまうと、「この料理はスープの中に入っているのだろう」とか、「麺はうどんで、具が西洋風なのだろう」というように、「うどん」を知っている人にとっては誤解が生じる結果となります。

 このように、大まかな要素が共通している(どちらも麺料理という要素が共通している)からといって手持ちの言葉で翻訳してしまうことで生じる誤解のことを、田中克彦氏は「翻訳のゆがみ」と述べていますが(「日本語の国際化と外来語」)、実際にわが国で翻訳された際に、もともとの意味とは少々「ゆがんだ」形で取り入れられた外国語の例を探しています。

 僕が思いついた例としては野球用語の「一死」、「二死」という「OUT」の訳語です。実際に選手が死んだわけではないので「ゆがんだ」訳語かな……、と思うのですが自信が持てません。

 高校一年生に「翻訳のゆがみ」のうまい例を示したいのですが、なかなか思いつかなくて困っています。

 何か思いついたら教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

 


これはたくさん例があって、挙げきれないでしょう。

重要なものだと、英語の God または、ラテン語の Deus(これらは、キリスト教の主なる神としての God, Deus のことです)を、「神」と訳したことがあるでしょう。カトリックは、絶対創造神を、「天主」という独特の言葉で表現します。これだと、勘違いは起こらないのです。

勘違いというのは、日本には古来から「八百万の神々」がおり、菅原道真も「天神」という神様であり、狐や蛇も神様なので、絶対唯一神で、創造神、人格神のキリスト教の「神」を、この言葉に訳したのは、適切な言葉がなかったとはいえ、意味の「ゆがみ」が出てきているでしょう。現代では、「神」というと、キリスト教の神を念頭し、それから日本にも神々がいる、ギリシアやインドにもいた、などと考える状態です。

また、アメリカ合衆国という訳語は、福沢諭吉か誰かが、アメリカの政治形態が、「衆議、合して」行うので、こう訳したと言われていますが、United States は、「合州国」ではないのかという疑問が起こります。

より的確には、「アメリカ連邦」と訳すのが良かったと思います。連邦であるので、国家が集まってできているのであり、state は「州」と訳されますが、これは「国」でもあるのです。合衆国という一つの国家があり、そのなかに、日本の県のような、州があって、県知事がいるように、州知事がいるというのは、イメージ的に間違いです。

「州知事」の訳語も、歪んでいるでしょう。アメリカの州知事は、governor で、これは、「統治者」という意味があり、イギリス帝国の植民地総督がこう呼ばれていました。明治時代の「県令」は、中国の官制役職名から取ったもので、中央から派遣される行政官僚のことです。戦後の「県知事」は、地元で選挙で選ばれますが、地方自治は、日本では、アメリカのように発達していません。

というより、アメリカでは、州が、国に当たるのであり、アメリカ連邦の「中央政府」つまり連邦政府がある他方、州には、「州政府」があります。日本の県には、「県政府」はありません。アメリカの州は、行政に独立性があるだけではなく、立法、司法でもある程度の独立性を持ちます。州ごとで、日本でいう刑法などの規定が違っています。日本の県などの地方自治体は、県条例等を制定できるだけで、司法、立法は、あくまで日本という国家に一つのシステムしかありません。

アメリカが連邦国家だというのは、こういうところから分かるのです。

またアメリカ連邦は、「共和制ローマ」に自国をなぞらえているところがあります。例えば、「上院」というのは、ローマの「元老院」に相当します。英語で、上院議員と、元老院議員は、同じ、senator という言葉を使います。英語で、上院は、senate, 元老院も senate で、子供の頃からアメリカで教育を受けると、アメリカ連邦が、ローマ共和国またはローマ帝国と重なって感じられます。

先の州知事も、「州」は、ローマ帝国の「属州」に相当し、知事は、「属州総督」だと考えると、アメリカ連邦が、ローマ帝国または共和制ローマの現代版だということが、その用語から感じ取られます。アメリカ人は、実際、重ね合わせることを子供の頃から自然に行っている訳で、こういうアメリカの元老院や州を、ローマ帝国の制度と重ね合わせて訳語を造らなかったのは、英語の本来の意味・ニュアンスから、かけ離れた意味になっているとなります。

イギリスの king, そして貴族の五つの階級、つまり、duke, marquis, earl, viscount, baron を、王、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と訳したのは、五等爵については、実に偶然にうまい訳語があったので、これを使ったのですが、そこでゆがみが出てきます。

「王」というと、現代人は、イギリスなどの王国の「王」を、もはや自然に念頭します。しかし、「王」というのは、自立して、王権を確立し、王国を築いた者の称号で、日本語には、本来、この言葉に当たる概念がないのです。「きみ(君)」がそれに近いと言えます。

しかし、中国の歴史で見ると、西周、つまり、当初の周王朝と、春秋時代の周王朝の頃には、中国には唯一の「王」がおり、王が、地方の豪族や、自己の臣下で、功績のあったものを、封じて、周に臣従を誓う独立国の「君主」として認め、これに位を与えたという歴史があることが分かります。

この独立国の君主に与えた位が、五等爵なのです。「公侯伯子男」という五段階の爵位を与えて封じましたが、丁度、これが、イギリスや西欧の貴族の五つの階級に、段階だけは似ています(実質は違っているのです)。

そこで、西欧の貴族の五段階を、この周の諸侯の位に当てて訳語を造り、同時に、明治維新で、「華族」を新しく造り、この華族制度は、イギリスなどの貴族制度を真似、その名称は、周の制度を援用するという、二重に歪んだことをします。

西周、春秋時代には、中国には「王」は一人で、それは周の王室の王ですが、戦国時代になると、諸侯が、勝手に王を自称しはじめます。中国には、多数の王が地方勢力として割拠します。これを力で押さえ勝利した秦が統一し、諸王の上に立つ位として、「皇帝」という称号を造ります。

これ以降、中国では、皇帝、王(おおむね、皇帝の一族の有力者がなった)、諸侯というような支配者の階級ができます。西欧の歴史で、神聖ローマ帝国皇帝というと、同じ「皇帝」ですが、中国の皇帝とは、実質が、非常に違います。神聖ローマ帝国の時代にも、帝国内にも王がいて、帝国外にも王がいましたが、これらの王は、帝国内の王でも、皇帝に、中国の王が皇帝に対するように臣従しているのではないのです。

従って、西欧の emperor や king や duke, earl などを、皇帝・王・公爵・伯爵などと訳したことは、中国の歴史などと比較すると、混乱してくるというか、意味のゆがみが出てくるのです。

日本も古代史を見ると、「王」が出てきます。例えば、古代の有名な女流歌人に、「額田王(ぬかたのおおきみ)」という人がいますが、この人は、そんなに高い身分の人ではありません。イギリスやフランスの王などとは比較になりません。これは、王の上に、大王、または「すめらみこと(天皇)」がいたからで、中国の皇帝と王の関係に似ています。

rebublic の訳語は、「共和国」で定着しています。しかし、共和国とは何のことかという疑問がでないでしょうか。これは確か、周の初期だとおもいますが、王が暴政を行った結果、人々が王を追放し、政治を衆議に基づいて行った時代があり、これを「共和」と中国古代史で呼ぶので、ここから取ったのだとおもいますが、rebublic とは、「公衆のもの(国)」というような意味で、「合衆国」とは、rebublic の訳に相応しいのではないかとも思います。

その他、幾らでもあるとおもいますが。このあたりで。
 
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長年鎖国政策をとってきた日本が明治になって門戸を開いて、一気に西洋文明が入って来た時からそれは始まったのではないでしょうか。


明治の先人達は、それまで日本になかった概念を日本語に置きなおす、という作業をやってくれてます。
その時、bankから「銀行」という日本語を作り出したりもしましたが、多くの場合、以前からある言葉を訳語として借用した例も多く、この場合「ゆがみ」がどうしても出てしまうようですね。

例えば「自由」。英語ではlibertyとfreedomという言葉で表わされますが、日本語の「自由」は仏教でいう「自由自在」の自由で、英語とは発想が違うんですよね。
「政治」「経済」にしても、同様。
特に仏典から借用した言葉はどうしても二重の意味を持つことになってしまいます。

時間があればもっと例を挙げられるんですが、今日のところはこのへんで失礼します。
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Dragonを龍と訳す、というのはどうでしょう。


西洋のDragonと日本や中国の龍は、姿形が似ているようで違います。
日本の龍のイメージしか持たずに、西洋のDragonを龍と訳したお話を読んだら「龍には翼なんかないのに、変だなあ」と思うかも知れません。
これってゆがんでません?
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そういう例はたくさんあると思います。



1.mathematics を「数学」と訳すこと。
日本の昔の数学を「和算」ということからも分かるように、日本では数学は「計算の技術」とだという意識が強かったようです。しかし mathematics という言葉には、「数や計算についての学問」という意味は全然なくて、もともとは「知識を学ぶための技術」というような意味でした。実際、本格的な数学の始まりは、古代ギリシアの幾何学、つまり図形を扱う学問だったのです。

2.nation を「国家」と訳すこと
nation は普通「国家」と訳しますが、「国家」と「国」とはどう違うのかよくわかりません。
country が、地域、領土の面から見た「国」を表すのに対して、nation は、人の集団として見た「国」を表します。ちょうど「野球のチーム」が野球をするために集まった人の集まりであるように、nation は一つの政府のもとに集まった人々の集まりで、その集団(チーム)のメンバーに当たるものが「国民」なのです。

3.dinner を「夕食」と訳すこと。
dinnerは「一日で一番正式の食事」という意味で、お昼にdinnerを食べることも
あります。

4.player を「選手」と訳すこと。
player はただ 「 play する人」という意味で、スポーツだけでなく、音楽などでも使いますし、play には「遊ぶ」という意味もあります。
ところが、日本語に訳すとスポーツの試合は「競技」つまり技を競うことで、試合に出る人は「選手」つまり特に選ばれた代表者ということです。
この訳語には、スポーツに対する日本人の態度が反映していると思います。
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こんばんわ。

2)4)のajisioDXです。

「野球」からの連想で、
「rotation」いわゆる「ローテーション」です。
「回転」「交代」と言う意味ですので、プロ野球で使われる、
「ピッチャーのローテーションは・・・」と言う使い方は間違ってません。

しかし「競馬」の世界では、「レースのスケジュール」と言った意味で使われています。
「秋のローテーションは天皇賞から有馬記念で・・・」と言った具合。
”回る””交代する”と言うことからは「計画」とか「スケジュール」的な意味はでてこないですね。
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こんばんわ。

2)のajisioDXです。
ひとつ思い出しました。

「deregulation」と言う言葉は、「規制緩和」と訳されています。
でも本来「否定形の」”de”が付いているから、「規制”撤廃”あるいは”廃止”」
とすべきだと思います。

この翻訳には、何やら「圧力」のような物を感じますね。
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何でだかは覚えていないのですが、



某辞書の「パン」の項には、【餡無し饅頭】とある。
然らば「餡パン」は【餡入り餡無し饅頭】か。

という小話を読んだ記憶があります。

・・・・・・ちょっと質問の趣旨からは違うかも。
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こんばんわ。


お花の「シクラメン」は”豚のパン”とか言う元の名前だったのが、
当時日本では「パン」になじみが無く、「ぶたまんじゅう」と訳されたそうです。

また、昔読んだ小説で”colored man from africa"(アフリカから来た有色人)、
と言うのが、”アフリカから来た色男(笑)”と訳されてましたね。

翻訳でお馴染みの「菊○光」さんの、「珍訳」もミステリファンでは有名ですね。

字幕で有名な「T田N子」さんの訳にも「をいをい・・」とツッコミ入れたくなるときが多々あります。
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確か昔読んだトルストイだかドストエフスキーだかの本で「ピロシキ」が「肉まん」と訳されていました、、。

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