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バビロニアの「目には目を」が有名ですが、古代は応報刑の方が主流だったのではないかと想像しています。
しかし、現代応報刑が残っている文明国は無いのではないかと思います。どのようなデメリットがあって応報刑が無くなってしまった、少なくとも主流では無くなってしまったのでしょうか。

A 回答 (5件)

応報刑が無くなった、主流ではなくなった、は誤りだと思います。


前田刑法にも「戦後の日本では・・・、応報刑論を基調としつつも、予防効果が発生することを積極的に承認する相対的応報刑論が多数説」との記載があります。
つまり、現代刑法理論は、応報刑と目的刑(刑罰を、犯罪防止と犯罪者の再社会化の道具と考える)とが融合したものといえます。

では、なぜそれまで主流であった応報刑論に目的刑論が加えられたのか。
まず、応報刑論が前提とする人間像は、完全なる自由意志を持っています。
ここでの人間は、一切の外的要因に拘束されず、自らの意思を決定することができます。当然に、犯罪を犯すか犯さないか、犯すとしてどのような犯罪を犯すかについて、完全なる自由意思を有しています。
とすれば、自由な意思に基づいて犯罪を犯した者にはそれなりの(それに応じた)応報が必要でしょう。

しかし、人間社会は複雑に絡み合ってあり、人間が犯罪を犯すか犯さないか、犯すとしてどのような手段・方法を選択するかにつき、全くの自由意思ということはできません。
一見、動機なき犯罪のように報じられる犯罪であっても、社会全体に対する恨みや妬みなどが根底にあることが考えられます。

目的刑論は、このように、犯罪の発生を外的要因に求めるものであり、犯罪原因が外的要因にある以上、それを取り除くことによって犯罪を予防しとようと考えています。
そして、これを発展させ、犯罪者を拘束することにより社会全体から犯罪を予防する、拘束下教育により犯罪者を更生させると考えます。

このように書くと、人間は、必ず外的要因に影響される以上、目的刑論だけに依拠すればいいのではないかと思われます。
しかし、刑罰が正当化されうるのは、それが課されうる人間(国民一般)にとって妥当と思えるものだからです(全治1週間の傷を負わせて死刑というのはあまりに不合理でしょう。もしそのような法律が成立すれば、法律、引いてはそれを作った国会そのものの信用性が失われる。)。
とすると、ここで応報という考えをある程度は取り入れる必要があります。

なぜなら、目的刑によれば、犯罪を予防するためには、あるいは犯罪者を更生させるためには、いかに長い期間であっても拘束を許可することになりかねません。
しかし、応報という考えを取り入れることにより、犯罪者を拘束する期間をある程度は限定できるからです(全治1ヶ月の傷を負わせた程度の犯罪者を死刑にするのは人権に反するとの考えが根底にある)。

このように応報刑論には、犯罪者に対する拘束を一定期間に制限するという効果及び、(ご存じのように)被害者の感情に配慮するという効果があり、それは現在の刑法理論においても維持されています。
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この回答へのお礼

わかりやすかったです。
ありがとうございました!!

これをきっかけにこういう分野の勉強も少ししてみようという気持ちになりました。感謝します。

お礼日時:2009/04/04 18:38

応報刑の歴史的意義については、まさにNo.1の方がおっしゃている意義を有していたようです。


つまり、現在のように、犯した罪に相応する「大きな」刑を与えるべきだという考えではなく、犯したの「限度で」刑を与えるべきだという考えです。
永遠に続く復讐の連鎖を遮断するために、国家が仲介して、当事者の代わりに罪の限度で復讐するものだったんですね。

しかし、国家による復讐代行システムにも綻びが出ます。
中央集権的国家体制が構築されるにつれて、強力な権限を持つ国王が権力を濫用して、自分の意思に沿わない人間を恣意的に罰する危険性が生じるようになったのです。

これをきっかけに、国家権力を法律によって縛ろうとする立憲主義体制が構築され、憲法やら罪刑法定主義という近代国家体制が出来上がりました。
それらの根底にある考えは、権力は危険であるという考えです。
その強力で危険な国家機関から人民を守り、人権を保障するという精神が近代憲法の根底であって、それに基づいて、様々な被疑者・被告人の権利が用意されています。
それらは全て国家機関から国民を守るという考えです。

しかし、どんな制度も必ず綻びが出てきます。
つまり、過度に加害者を保護する結果となり、被害者を保護できなくなったのです。
これが、今現在、我々が直面している問題です。
近い将来、必ず揺り戻しが起きると思います。
そうやって歴史は繰り返されるのだと思います。

弁護士になった人間は、近代憲法の歴史(人権重視)を必ず学んでいますから、一般的に「左翼的」思想になることは間違いのないところです。
現実問題として、国家機関は極めて危険ですし、弁護士が人権を守らずに誰が守るんだという話ですから、世の中で一人くらい加害者の立場に立った人間も現実問題としては必要なわけです。

しかし、当初の憲法が想定した程、左翼的思想家の人達が叫ぶ程、人間は美しくなかったのです。
国家機関は危険であるが、同時に、一般国民もまた容易に「悪」へと変移し、制度を悪用するものなのです。

もはや、人間を、人権を絶対的に保障しなければならないという根底は破綻しています。
かといって、国家機関が危険である点は変わりません。
結局のところ、人間は堕落する存在であって、国を統治する最善の方法など存在しないのでしょう。
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この回答へのお礼

厳罰化がよく叫ばれている現代は、揺り戻しの兆候といったところでしょうか。

>結局のところ、人間は堕落する存在であって、国を統治する最善の方法など存在しないのでしょう。
という結論になってしまうのは残念ですが、そうなのでしょう。ただ、歴史は繰り返されるとはいえ、歴史から学んで少しでも前回より改善できるよう、努力しなければならないのですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/06 19:01

>少なくとも主流では無くなってしまったのでしょうか。



その通りです。
特に、日本の法曹界では常識です。
この根底には「加害者の人権は、被害者の人権の」数十倍重い」という常識があります。
殺人犯でも、最低2名以上殺さないと「極刑に値しない」のです。

裁判員制度でも「ど素人の参加は、加害者の人権が守れない」と、法曹界では多くの人権派弁護士が反対しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

「加害者の人権は、被害者の人権の」数十倍重い」というのは、No3の回答者様に教えていただいた目的刑の考え方が発展してこうなったのでしょうか。「加害者の人権は、被害者の人権の」数十倍重い」というのが法曹界での常識だとすれば、納得しかねます。

死刑の問題を論じられる際に、加害者の人権を考慮する意見があることは理解できますが、詐欺や傷害といった罪を裁くときにも加害者の人権は意識されているのでしょうか。

お礼日時:2009/04/04 19:02

刑罰に応報の意味が全くなくなったというのは、少し極端な理解ではないでしょうか。

むしろ、犯罪予防的要素や教育的要素をある程度取り込みつつも、刑罰の意味はやはり応報に意味があるとする応報刑論が主流なのではないでしょうか。わが国の通説も相対的応報刑論のようですよ。

「目には目を」的な応報刑は、かえって刑罰の柔軟性を失うことになりますね。それも厳密に考えれば考えるほど大変なことになります。

例えば、窃盗の刑罰は相当額の財産の没収しかなくなりますし、人を殺せばどのような事情があろうとも死刑以外の刑罰はない、うっかり人を殺せば(過失致死)うっかりとした誰かに事故によって殺されるまで待っているという刑罰になるのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
どうやら「応報」という言葉を正確に使っていなかったようです。現代でも応報の考え方は生きているということですね。

私が疑問に思っていたのは、バビロニアでは(程度が)5の罪には5の罰を、10の罪には10の罰を与えていた。でも、現代では、幅はありますが5の罪には4程度、10の罪には9程度の罰を与える仕組みになっているように思えるのです(相対的応報刑論とは、大まかにいえばこういうことではないかと理解してます)。

この認識が間違いなのか、それとも認識が正しいのなら被害者側が不利になるような仕組みになっている根拠は何か、ということが疑問でした。

回答者様のおかげで、バビロニアの方式では社会がうまく回らないことは納得できました。ただ、何となく釈然としない部分が残っているので、もうしばらく締め切らずに待たせていただきたいと思います。

お礼日時:2009/04/04 18:14

現代の応報刑についてはよくわかりませんが、「目には目を」の時代の応報刑は当時としては画期的なものだったんです


それ以前は「目には死刑」「歯には死刑」といったように被害者と加害者が不公平なものでしたが、それよりは減刑し公平で合理的な応報刑が生まれたのです
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この回答へのお礼

古代においては被害者の方が加害者に比べ有利だったということですね。
それをできるだけ公平にしたという点で「目には目を」というのは画期的だったのですね。そういう視点で考えていませんでした。勉強になりました。ありがとうございます

お礼日時:2009/04/04 17:28

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