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坂本龍馬が高杉晋作から貰ったとされるS&Wモデル2アーミー 32口径を調べていてふと気になったのですが、この銃を貰うに至った小話などはあるのでしょうか?
さっと検索をかけてみても”貰った”と一言あるばかりで具体的なストーリーは見つけられず。
wiki以下にしか坂本龍馬の知識がない私にご存知の方いらっしゃったら是非教えて下さい。

A 回答 (2件)

回答します。



小説などにもないと思います。

坂本龍馬は、長崎にて亀山社中という日本で最初の商社を作った人物であるということは、ご存知かと思います。

さて、長崎にて三菱の創業者「岩崎弥太郎」と組んで、海外へ製品を輸出するという業務を始めようとしていました。軍事を増強して、攘夷を唱えており、軍事力を増強中であり、最初の軍資金を得ようとしていた、長州藩へ売り込みを行います。

長州藩では、生糸などの産品を輸出する代わりに、軍事的な物資の輸入を亀山社中に頼みます。そのときの契約のお礼に貰ったとされるのが、その銃だということです。

前に、確か2ch辺りで議論があったような気がします。

では。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなってしまいすみません。素早い回答ありがとうございました!とても参考になりました。

お礼日時:2009/05/07 22:11

 高杉晋作が幕府遣欧使節団に同行してヨーロッパへ行くはずが、急遽清への視察へと変更され上海へ渡ったのが文久2年6月(1862)ですが、その2ヶ月の滞在中にオランダ商館で1挺、南京のアメリカ商店で佐賀藩の中牟田倉之助とともに1挺のピストルを買い求めています。


 
 銃はどちらもSWの32口径6連発と22口径の7連発で、坂本龍馬が所持していたピストルはそのうちの32口径6連発という事ですが、これは例の「池田屋事件」の13日後、そのピストルで危機を脱した顛末を盟友桂小五郎への書簡の中に、「幕吏の手をかの高杉より送られ候ピストルをもって打ち払い、これを撃ち…」などと書かれていることからも分かるかと思います。

 龍馬は高杉から贈られたこの銃をいたく気に入っていたようで、周りの者たちに「これは高杉の上海みやげだ」といって自慢していたようです。このピストルは「池田屋事件」の際紛失しています。切り合いの最中に全弾を撃ちつくした龍馬は、シリンダー(龍馬はこれをレンコンと呼んで、自身の書状の中にも絵入りで描いています)を外し、再装填しようとしたのですが、きりつけられた左指の血によって手元が滑り、シリンダーを取り落としたまま、本体も捨ててその場を逃げていますので現存していないのが残念です。

 また22口径ではなく32口径だったことも不幸中の幸いで、22口径のほうだったらその威力から考えても、幕府の捕り手から逃げられたかどうか怪しかったかもしれませんね。さらに龍馬は当時の不完全な銃の危うさをよく知っていたようで、安全のために常にシリンダーには撃鉄が当たるチャンバー内には実弾を装填しておらず、これは西部開拓時代のカウボーイ達とまったく同じ思考法を持っていたということになります。もっとも日本の警察も同じ事をやっていましたが、現代の銃に関しては無意味なことであるということは言うまでもないですよね。

 とはいえ、高杉と坂本の両名はそれほど親密な関係を持っていたとは言えず、今で言うビジネスライクな関係に終始していたような印象もありますので、それほどのエピソードが残っていないというのが個人的な感想です。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。しかも補足までして頂き、大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/07 22:12

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