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本の中の不完全性定理の説明文で、

>「この命題は証明不能である」
 という命題が証明可能であるならば、
 この命題の中で主張している「証明不能である」ということと、
 それが「証明可能」であるということとは、
 「矛盾」していることになる。

とあるのですが、
どうして矛盾しているのでしょうか?
(何となくはわかるのですが)

私は、小学生くらいの数学知識しかないので、
命題、証明の意味がよくわかってないのかもしれませんが、

たとえば
未確認物体(宇宙人みたいな)が、草原などにあったと仮定して、

解剖しても今の科学では、この物体は「なにか」わからない。
「この物体は証明不能である」

今の科学では証明不能であるということは、
証明可能なのではないのでしょうか
(科学がまだ未発達ということで)
ということとは意味が違うのですかね?

自分で書いていても、頭が混乱してきました・・・笑

数学の知識がある人には笑われる質問かも知れませんが、
「小学生(私)には、証明不可能」な問題を、
証明可能な方、教えて頂きたい。・・・笑
お願いします。

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A 回答 (3件)

こんにちは。



失礼ながら、
たいぶ解釈を違えておられるようです・・・

こう書けばわかっていただけると思うのですが、
-------------
A:「この命題Aは証明不能である」
という命題Aが証明可能であるならば、
・命題Aにおける「証明不能である」

・B:「命題Aは証明可能」である
ということとは、
矛盾していることになる。
-------------

つまり、文章中に出てくる「命題」というのは、全部同じ命題(Aのこと)なのです。

いわば、
-------------
「わかりません」が正しいということが証明できるならば、
・「わかりません」ということと、
・「‘わかりません’ということが正しい」ということとは、
矛盾していることになる。
-------------
ということです。


>>>
たとえば
未確認物体(宇宙人みたいな)が、草原などにあったと仮定して、
・・・
ということとは意味が違うのですかね?

違いますね。
むしろ、こう考えたほうがよいです。

・数学や算数の教科書に書かれていることは、すべて、ある前提を元に書かれているが、その前提は証明できない。
(この前提のことを「公理」と言います。)

あるいは、(例として適切かどうかわかりませんが)

・法律に書かれていることが正しいかどうかは証明できない。

というのも、イメージをつかむためには良いかもしれません。


以上、ご参考になりましたら幸いです。
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この回答へのお礼

教えて頂き、ありがとうございました。
助かりました。

sanoriさんと、NO1,2さんの回答を拝見して、疑問が解けました。
>A:「この命題Aは証明不能である」
 という命題Aが証明可能であるならば、
 ・命題Aにおける「証明不能である」
 と
 ・B:「命題Aは証明可能」である
 ということとは、
 矛盾していることになる

というところが非常にわかりやすかったです。

私は、「この命題Aは証明不能である」=「命題B」
だと思っていたんですね。

一切勉強してこなかったおかげで、基本的なことも、
わからないなんて、情けないですね。

一応、たった2年間で卒業できる、というありがたい大学を、
卒業したんですけどね・・・。

物事は単純に考えれば、簡単なのに、
わざわざ難しく考えていました。
常に単純に考えようとはしているのですが・・・。
難しく考えてしまうんですよね~。

それにしても、ありがとうございました。
また、縁がありましたら、
教えてください。
お願いします。

お礼日時:2009/05/09 17:33

 まず、「不能(不可能)」という言葉の意味をはっきりさせとかないと、どうにもなりません。



> 今の科学では証明不能であるということは、
> 証明可能なのではないのでしょうか
> (科学がまだ未発達ということで)
> ということとは意味が違うのですかね?

 「意味が違う」はまさしく仰る通り。「不可能」とは「今まで誰もできないし、多分誰がやったって無理だろう」ということではなくて、「未来永劫誰がどうやったって絶対できない」という、はっきりした意味を持っています。

> 命題、証明の意味がよくわかってないのかもしれませんが、

 ご明察の通りです。「証明が不可能かどうか」という問いが(比喩や誇張じゃなく)きちんと意味を持つためには、「証明」とは一体何のことなのかがはっきりしていなくちゃなりません。しかし、その説明を理解するのはなかなかに難しい。その難しさは、「証明」とは一体何のことなのかがはっきりしたのはようやく20世紀になってからのことである、という歴史的事実からも推察できるでしょう。

 ところで、科学でも「証明」という言葉が使われることがありますけれども、数学で言う証明とは全然違います。
 科学では「××という現象(や物体)が現実に存在するのではないかと予想されていたが、まさしくその現象を観察し、客観的に記録することに成功した。この証拠を見ればまず誰も反論できないだろう」というほどの意味で言われます。なので、

> 解剖しても今の科学では、この物体は「なにか」わからない。
> 「この物体は証明不能である」

という言い方はできません。「物体を証明する」は(数学においてはもちろん、科学においても)何の意味も持たないデタラメな言葉です。また、

> 証明可能な方、教えて頂きたい。・・・笑

 これらの文章で仰っている「証明」は、正しくは「説明」あるいは「解説」とすべきです。

 このように、ご質問を拝見すると、ごく普通の意味での「数学の証明」ですら、それがどういうものであるかまだお分かりでないことが伺われます。まして、「証明が不可能かどうか」を論じる際に必要となる、「証明とは何のことか」を厳密に定めるための理論がお分かりになるとは思えない。この段階で不完全性定理を論じることは無謀でしょう。
 いや、理解できないという心配をしてるんではなくて、理解したと誤解しておかしな方向に行っちゃうということが心配なんです。実際、人によっては、無意味な思索に時間を費やすだけならともかく、へんてこな結論を出してそれを(お門違いにも)ジンセイに活用しようとなさったりもする。ことに思想・哲学では、著者が「理解したと誤解しておかしな方向に行っちゃった」トンデモな著作が散見されます。さらに、一般向けの啓蒙書の中にもトンデモな誤解を招きかねないものがまぎれているようなので、要注意です。

 かくて、ご質問への回答は控えますが、興味をお持ちなのは大変結構なことですから、最近出た、まずはコレを読め(読まずば語るな)ってぐらいの有り難い本をご紹介しましょう。

 岩波文庫(青944-1)「不完全性定理」

 この本の最初の2割がゲーデルの論文とその注釈。全然分からないだろうと思います。最初の段落から分からないでしょう。この話を理解するのに必要な背景知識をお持ちでないからで、逆に言えば、何をどれほど学べば分かるようになるかが想像できるのではないか。
 後の8割は数学史から見た不完全性定理の位置付けの解説です。こちらは言ってみれば人間のドラマですから、少しはお分かりになると思う。ご覧になって「「証明」とは一体何なのか、そして「数学」とは一体何なのか」はそう簡単には決着しない話である、ってことを感じられたら良いと思います。
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この回答へのお礼

教えていただきありがとうございました。

stomachmanさん、NO1さん、NO3さん、
の回答を拝見しても、理解できなかったので、
今まで考えていました。

そして、ようやく理解できました。

それにしても、stomachmanさんの回答は、
勉強になりました。
とくに、
>このように、ご質問を拝見すると、ごく普通の意味での
 「数学の証明」ですら~
から下の文は勉強になりました。

私も、トンデモな、思想の本や、啓蒙書に傾倒したことがあり、
時間とお金をかけ、勉強させていただきました。笑

stomachmanさんのような、真理をわかっている人に、
そういう本を書いていただきたいですね!。
でも、その真理を私が正しいか、正しくないか、
判断できない、という矛盾(使い方間違い?)がありますが・・・笑

また、私が、言葉の意味、単語の意味を全然わかってない、
ということを知りました。(毎日使ってるクセに!)
これからもっと勉強しようと思います。

考えるヒント、勉強するヒントを教えていただき、
ありがとうございました。

まとまりませんが、

お世話になりました。
また、縁がありましたら、
教えてください。
お願いします。

お礼日時:2009/05/09 17:07

命題については不能と可能のどちらか片方しか成立しないものであるという前提に立っているからだと思います。


「今は不能だけど将来は可能」とか「私には不能だが彼には可能」などという考え方はしないという立場で考えているということです。

ご質問にある
> 今の科学では証明不能であるということは、証明可能なのではないのでしょうか
> (科学がまだ未発達ということで)ということとは意味が違うのですかね?
この場合は、将来は可能かもしれないという可能性が残されている時点で、証明不能だと証明されていないということになり、
> 「この物体は証明不能である」
というのが誤りということです。
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この回答へのお礼

教えて頂き、ありがとうございまいた。

昨日、Quattro99さんはじめ、
NO2さん、NO3さんの回答を拝見しても、
あまり理解ができなく、今まで考えていました。

そして、考えた末にようやく今、理解できました。

Quattro99さんの
>命題については不能と可能のどちらか片方しか成立しない
 ものである という前提に立っているからだと思います

という言葉の、
「前提」ということを理解していなかったのです。

私の質問分の
~という命題が証明可能であるならば、
の「であるならば」ということは、
前提(仮定)の意味だったのですね。
(わかっているはずなのに見ていなかったのですね)

自分の質問文で、「仮定して」と使っているのに、
頭悪いですよね!

書いてあることを、書いてある通りに、
読んでも理解できなかっただけ、ですね・・・笑

本当にお世話になりました。
また何かの縁がありましたら、
教えてください。
お願いします。

お礼日時:2009/05/09 16:20

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その中に、パトリックグリムという人が「神は存在しない」と証明
したと書いてありました。その概要は、(ゲーデルの不完全性定理などから)
完全な系は存在しないので、神という完全な系は存在し得ない、ということらしいです。
しかし、考えてみたのですが、「完全な系は存在しない」というのは、あくまでも
人間の言語から構築する系についての限界のことであり、人間の思考を超えた
完全な系が存在することは否定できないのではないでしょうか?
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ゲーデルは、不完全性定理の前に、完全性定理も証明しています。
限定された“正しさ”が与えられれば、その展開において完全な
論理的世界像は成立する、というものである。

不確定性原理は、そうした構成の元となる“正しさ(ある言明が
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においては証明不能である、という証明をしたものです。

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つまりある意味、神という公理系外の外挿要因によって、有限な
世界は誕生した、という話につなごうとすればできます。
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Q形而上学とは

現在、国語の授業で
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どうも、しっくりこないでいます。

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中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
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QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
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ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
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Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q民事再生法を、めちゃくちゃわかりやすくご説明ください。

いま勤めてる会社が危ないです。

今月か来月にも、民事再生法の適用を受けるとのもっぱらの噂です。

そこで質問です。

民事再生法とはどのようなものなのでしょうか。

また、それによって、さらなる人べらしは当たり前のように行われるのでしょうか。

いずれは倒産する可能性も大きいのでしょうか。

恥ずかしながらそのあたりの知識がまったくなく、社内でも人によって解釈がちがうので戸惑っています。

わかりやすく説明していただけると幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします<m(__)m>

Aベストアンサー

民事再生法。
簡単に言うと、借りた金を約束通り返せなくなったので
いくらかはチャラにしてください。という法律です。

従来の会社更生法と違うのは、経営者はそのまま事業を
継続できる、辞めなくてもいいというのが、一番の違いです。

もっとも、誰も貸した金を返さなくてもいいとはいいませんので、
いくらが条件があります。

一番大きな点は、借金返済のために資金繰りが悪化して潰れそうには
なっているが、事業自体は順調で黒字が出ている。
借金さえなければいい会社なのに。そういう感じです。

今、潰して資産を債権者で切り分けするよりは、
活かしておいて、働かせて借金返済をさせたほうが得だ。
そういう客観的な判断ができるようならば、債権者の同意のもとで
会社、事業の存続と借金の減免が行われます。

当然、債権者はよりたくさん金を返してほしいですから、
従業員の削減、給与のカット、経費削減案、売上アップのためのさらなる具体策など
を求めてきます。もっとも、違法で最低賃金を切るようなことはさせられませんし、
いきなり給料7割カットとか言ってしまうと、優秀な従業員から逃げられて
しまうので、それらには自ずと限度はあります。

民事再生の成功の可否は、事業の健全性(合法で世情にあっていてきっちり儲けられること)と
経営者のやる気と体力、従業員などの同意とやる気をいかに出せるかに
かかってきます。事業が健全でも、経営者の怠惰で失敗するところもあれば、
従業員がやる気をだしてそれなりに成功しているところもあるようです。

簡単な本はでていますので、本屋で一冊読んでみることをお勧めします。

民事再生法。
簡単に言うと、借りた金を約束通り返せなくなったので
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もっとも、誰も貸した金を返さなくてもいいとはいいませんので、
いくらが条件があります。

一番大きな点は、借金返済のために資金繰りが悪化して潰れそうには
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Q量子力学の応用

量子力学はどのように応用されますか。
量子力学を使うとどんなことがいいことがありますか。
できるだけ一般の人がわかる範囲のこと、
身近なことがいいですが。

Aベストアンサー

>具体的にどういうふうに生かされるのか知りたいですが。

あまり詳しいことは分からないのですが、ミクロの領域での電子や電磁波のふるまいを計算していると思いますよ。

例えば、電子部品の場合でしたら、微小な回路に電子を通すと、その電子は、不確定性が働いてその回路から「にじみ出て」しまうかもしれません。あまりに多くの電子がにじみ出てしまうと、その回路自体が壊れてしまい、用を足さなくなってしまいます。
こういった設計上の問題を解決する為には量子力学を応用した電子と回路のシミュレーションが不可欠です。

それから、現在のCPUなどの高性能化には、製造技術の微細化が大きな役割を担っていますよね。
より細かい回路に、より微弱な電流を流さないと、電子素子の小型化/高性能化/低消費電流/低発熱化は成し遂げられないのです。
この、より細かい素子を作る為の研究にも、量子力学に基づくシミュレーションが使われています。

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ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Qラテン系ってどこの国の人のことですか?

よく、明るくて陽気なタイプの人のことをラテン系とかラテン気質とか言いますよね。
私は「ラテン系」ってずっと何となく中南米(ブラジルとか?)とイタリア人のことだと思っていたのですが、
先日ここでフランス人もラテン系に入ることを知り、
ラテン系っていったいどこの国の人を指すのだろうと不思議になりました。
(フランス人はステレオタイプのラテン系というイメージではないので……)

はてなのキーワードでは
『イタリア・スペイン・フランスなどの南欧州の文化や人種を指す。
昔、スペインやポルトガルの植民地だった地域も含めて、ラテン系と称されることが多い。』
とあったのですが、具体的な国名はどこになりますか?

ご存知の方、どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

正確ではないかもしれませんが、ラテン系言語を主に使用している国かな、と個人的に思いました。

ヨーロッパは基本的にゲルマン系、スラブ系、ラテン系の3つの言語で大雑把に分けることができます。(いずれにせよ、もともとはラテン語からの派生だと思いますけど。)
で、その内ラテン系に入るのが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニアetc・・・になります。

これらの国、特にスペイン、ポルトガルは新大陸(アメリカ)への植民も盛んだったので、言語も含めた文化が、今でも中南米でしっかりと根付いてることから、これらの地域も「ラテン系」と言われているのでしょうね。
(ブラジルはポルトガル語が公用語、またその他の中南米のほとんどの国ではスペイン語が公用語です。)

Q現代の哲学者にはどういう人がいますか?

哲学関連の本を最近読んでいますが、紹介されている人の多くがすでに無くなった人です。
いま、活躍している哲学者はたとえばどのような人がいますか?
宗教家ではなく、純粋に哲学者ということで知りたいので、よろしくお願いします。
また、どのようにして生計をたてているのかも知りたいのですが。やはり大学の先生だとか、副業をもっているのでしょうか。

Aベストアンサー

こんばんは。

存命の哲学者ですぐに思い浮かぶのは・・・

“戦う哲学者”と呼ばれてる? 中島 義道さんですかね・・・

『怒る技術』(PHP研究所)『私の嫌いな10の言葉』(新潮社)『孤独について』(文春新書)『哲学の道場』(ちくま新書)『<対話>のない社会』(PHP新書)『うるさい日本の私』(新潮文庫)『ウィーン愛憎』(中公新書)などの著書があります。
来歴は、手元に本が無いので失念しましたが、確かどこかの大学教授だったと思います。

ご参考まで・・・


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