戦前の日本は陸軍と海軍の仲が悪く、非難合戦がすごかったそうですが、
具体的に陸軍・海軍のどういうところが非難されていたのですか?

私が知っているのは、陸軍は餓死者を出しすぎだとか、クーデター、
など陸軍側の問題点ばかりで偏っているので、
できれば海軍側の問題点を多めに教えてくれると助かります。
もちろん海軍だけでなく、陸軍の問題や擁護でもかまいません。

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A 回答 (3件)

>陸軍は餓死者を出しすぎだとか


 餓死者が大量に出た理由が海軍がシーレーン(海上輸送路)の保持に失敗したからです。
 しかも、全力で戦った結果としてシーレーンが保持できなかったのであれば仕方有りませんが、西内海方面警護のために第7艦隊が編成されたのが1945年(終戦の年)で、もう守る対象の船が殆ど有りません…。

 ついでに言うと、陸軍は真珠湾攻撃やその後のフィリピンやインドネシア等の攻勢が成功裏に終わった後に、それ以上の攻勢は帝国陸海軍の能力(物資の補給が続かない←最終的に物資が尽きて餓死者が出る)に余るので反対しましたが、海軍の強固な反対(真珠湾の戦果は陸軍を黙らすのに十分すぎた…。)で歴史道理の結果になります。

 なお、戦争が始まる以前に海軍に対して良く言われた非難に「海軍は金だけ貰って後は知らんぷりする」とその無責任振りを非難されました。

 たとえばアメリカ海軍を仮想敵国とした八八艦隊の構築(維持費だけで当時の大日本帝国の歳出の4割を消費)を要求しながらも、その予算消費に見合った政治的責任を持った発言を一切しない事です。
 分りやすい例が、山本五十六大将の「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。」←アメリカに勝てないのなら勝てないと断言すべきで(勝てないのならまた別の政治的判断画有り得たかも知れない)、中途半端に責任から逃れるから…。

 陸軍のクーデターは論外ですが、政治家から専門家として意見を求められた時に面子が邪魔して当たり障りの無い発言で場を濁すのも、国民から見たら極めて不幸です…。

 今の日本で考えると、自衛隊の費用(今の自衛隊は4兆円強ですから消費税に換算して2~3%程度)を賄う為に消費税を30~40%に上げて置きながらあとは国政の事なんて知らない何て態度取られたらどうでしょうか?(怒りませんか?)
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この回答へのお礼

>たとえばアメリカ海軍を仮想敵国とした八八艦隊の構築(維持費だけで当時の大日本帝国の歳出の4割を消費)を要求しながらも、その予算消費に見合った政治的責任を持った発言を一切しない事です。
>分りやすい例が、山本五十六大将の「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。」←アメリカに勝てないのなら勝てないと断言すべきで(勝てないのならまた別の政治的判断画有り得たかも知れない)、中途半端に責任から逃れるから…。

軍隊は金食い虫といいますが、歳出の4割って凄まじいですね…
確かにこれだけ金を食うだけ食って、国政をおざなりにされたら
たまったものではありませんね…

回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2009/05/21 20:41

1,2番さんの答えは、すばらしいですね。

それでは、私は、細かい海軍の問題点を、書きます。陸軍は、体力的には、きつかったのですが、海軍のほうは、精神的にきつかったという説が、あります。
つまり一般兵士に対するいじめは、海軍のほうがひどかったようです。陸軍でも、要領の悪い人に対していじめは、ありましたが、あまりむちゃくちゃなことをすると戦場でいじめた相手に復讐されると言われてました、それに対して海軍は、船の中では、密室でありかなりひどいことを、されたそうです。
ちなみに現代の海自でも格闘訓練で死んでる人や目視による監視が、怪しかったりしています。
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この回答へのお礼

>つまり一般兵士に対するいじめは、海軍のほうがひどかったようです。陸軍でも、要領の悪い人に対していじめは、ありましたが、あまりむちゃくちゃなことをすると戦場でいじめた相手に復讐されると言われてました、それに対して海軍は、船の中では、密室でありかなりひどいことを、されたそうです。
>ちなみに現代の海自でも格闘訓練で死んでる人や目視による監視が、怪しかったりしています。

親戚に海上自衛隊の教官がいるのですが、海自は自殺が結構あるそうですね。
ただでさえ軍隊の訓練中は過度のストレスに晒されるのに、
その上船という狭い空間で24時間一緒で、しかも戦争中なのですから、
精神的なストレスは想像を絶するものがあるのでしょうね…

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/24 12:28

1番の方がすばらしい答えをされているので、漫談です。



まず、予算をとりあいします。当然、多い少ないと毎年ケンカです。

陸軍は中国大陸で、歩きながらまともな台所が珍しいという暮らししながら戦争しています。海軍は軍艦に乗っていたら、負け戦でも(自分の艦に損傷が無ければ)、三食加えて夜食プラスアルファ、寝床ありです。陸軍にしてみれば、おもしろいわけありません。

陸軍が中国大陸でズルズルベッタリの戦争して、アメリカ怒らせる。それをなんとかするのは海軍なんだぞ。だいたい対ソ戦に特化した関東軍がノモンハンでなにしてるんだい。それにおれたちより大所帯で、しょっちゅう派閥争いしてやがって。海軍にしてみればこんなところです。

戦艦長門の艦長が火野葦平の「麦と兵隊」を読んで、艦内放送で「陸軍はこんな苦労しているんだ。三食ついて、寝床があるのだから、我々の訓練なんかこれにくらべればなんてことはない」と語ったことがあります。陸軍は死に場所に行くのだから、せめて軍艦に乗っているあいだには歓待してあげよう、という気っ風も、海軍にはありました。

陸軍も、特にガダルカナルのときは「海軍が命懸けでメシ持ってきてくれるんだ」という気持ちがあったといいます。

帝国陸海軍は、日本人に教養教育をしました。たとえば洋服を着る、靴を履く、電話をかける。これは昭和初期の農村では、考えられないことです。あと、衛生概念、食事の作法、集団生活のコツ、なども陸海軍で知った人が多いです。また、カレーライス、肉じゃが、ともに兵食です。おぼえた人が店開く、なんてこともありました。他にも技能が身について、娑婆にもどったらそれを生かした就職をする人も大勢いました。軍隊に就職することもできました(韓国ではいまでも最終就職手段で、徴兵の期間中に軍への就職を決めることを「釘を打った」という言いかたします)。

徴兵でも給料はでます。仕送りしていた人もいました。あと、どんなゴロツキでも軍隊に3年入っていれば、問答無用、鉄拳で矯正されました(それでもダメなひとは、宇都宮に陸軍刑務所がある)。

この辺は、岩波新書の「日本の軍隊」によくかかれています。
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この回答へのお礼

陸軍・海軍の悪いところだけでなく、いいところまで挙げてくれてありがとうございます。

>帝国陸海軍は、日本人に教養教育をしました。たとえば洋服を着る、靴を履く、電話をかける。これは昭和初期の農村では、考えられないことです。あと、衛生概念、食事の作法、集団生活のコツ、なども陸海軍で知った人が多いです。また、カレーライス、肉じゃが、ともに兵食です。おぼえた人が店開く、なんてこともありました。他にも技能が身について、娑婆にもどったらそれを生かした就職をする人も大勢いました。軍隊に就職することもできました(韓国ではいまでも最終就職手段で、徴兵の期間中に軍への就職を決めることを「釘を打った」という言いかたします)。

自衛隊でも職業訓練のようなことはやっているらしいですが、
当時の軍隊でもここまで教育が施されていたとは知りませんでした。
洋服を着たり、靴を履いたりするのまで教えていたのですね。

>陸軍は中国大陸で、歩きながらまともな台所が珍しいという暮らししながら戦争しています。海軍は軍艦に乗っていたら、負け戦でも(自分の艦に損傷が無ければ)、三食加えて夜食プラスアルファ、寝床ありです。陸軍にしてみれば、おもしろいわけありません。

言われてみて初めて気がつきました。
まともな台所も食糧もなく、餓死するものさえいるのに、
予算はこちらの方が少ないとなればそりゃ不満は溜まりますよね。

とても参考になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/05/21 20:51

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Q日本陸軍はなぜ海軍より悪役にされるのですか?

海軍は真珠湾攻撃、ミッドウェー、カダルカナルなど攻勢終末点を越えた無謀な作戦ばかりして戦火を広げ、陸軍はそれに引きずられたそうですが。
また戦闘機の開発、思想では陸軍のほうが進んでいた。
(海軍格闘戦にこだわる。陸軍一撃離脱を取り入れる)

Aベストアンサー

前に
「帝国海軍について」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4902336.html
と言う質問があり、No.4で私が回答しています。
その中から今回のご質問「日本陸軍はなぜ海軍より悪役にされるのですか?」の答になる部分を引用しますと

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦後、陸軍が悪玉、海軍が善玉ということでイメージが定着しています。この理由は、

1) 海軍は「短期現役士官制度」「予備学生制度」で、現在で言えば「大学在学以上の青年」を短期間の教育後に士官とするしくみを作りました。
昭和15年以降は、大学を卒業したら何もしないと陸軍に二等兵として入営しなければならない状況でした。それから逃れる唯一の道である「短期現役士官制度」「予備学生制度」に応募・採用された学生は多数に上りました。
こうした「学徒士官」は「最初から士官に準じる待遇」で海軍に入り、戦争を生き残った人は中尉か大尉で一般社会に戻ったわけですが、海軍のことを悪く思うわけがありません。
そうした人の中で、著名な作家になったり(例:阿川弘之)、官界・実業界・言論界・学界で有力者となる人が多数出ました。こうした、社会に影響力を持つ人が海軍びいきであったことが現在にかなり影響しているようです。
特に、海軍予備学生出身の高名な作家である阿川弘之が
「山本五十六」「米内光政」「井上成美」
の「海軍三部作」をはじめとする多くの海軍関係の著作をものしたことは、「海軍の良いイメージ」を世の中に広げるのに役立ちました。
一方、陸軍の場合「大学在学以上」の人であれば、二等兵として入営しても約1年後には少尉になっているのが普通でした。「甲種幹部候補生」になった人です。「大学在学以上」の人は、特に問題がなければ「甲種幹部候補生」になりましたので、「大学在学以上」で陸軍に入り、戦争を生き残って兵卒や下士官で復員した人はそれほど多くはありません。この点で、海軍と大差なかったようにも見えます。
しかし、陸軍の場合は「甲種幹部候補生」になる前に必ず何ヶ月か二等兵として兵営生活を送らねばなりませんでした。これが「軍隊より監獄の方がよほど楽だ」というとんでもない苦しい生活でしたので、陸軍に入って戦争を生き残って中尉や大尉で復員した人も、「陸軍びいき」になる人は通常いなかったようです。

2) 昭和20年の時点で、健康な20歳以上の男子はほぼ全て陸軍か海軍に属していると言う状態でしたが、人数で言えば陸軍の方が圧倒的に多いです。そして、その多くは学歴がないため「幹部候補生」にはなれず、二等兵として入営して地獄の責め苦を最後まで受け、死なずに復員できたと言う人たちです。こういう人たちが「陸軍大嫌い」になるのは当然のことでした。

3) エリートの「大学在学以上」の人が「海軍びいき」か「沈黙」、一般庶民は「陸軍大嫌い」であれば、陸軍の味方をする人は
「元・陸軍の職業軍人」
程度です。
ただし、一般にこうした人たちは戦後は沈黙を守りましたので、世の中に聞こえるのは「海軍びいき」の声が圧倒的となります。

4) 陸軍にも宮崎繁三郎中将、山下奉文大将、今村均大将のように名将・智将として評価されている人はおりました。
また、開戦責任・敗戦責任が陸軍にだけあるわけではありません。
開戦時の東條英機首相(陸軍大将)は、自分の意思で首相になったわけでもなく、自分の意思で戦争を始めたわけでもありませんが、彼が首相になった時には既に「アメリカを相手に戦争する以外はない」状況でした。「東條首相と陸軍が積極的に戦争を始めた事実」はありません。
しかし、現在は
「太平洋戦争は陸軍が始めたもの。陸軍にはとんでもない連中ばかりいた」
という「常識」が成立してしまっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「大東亜戦争の敗北についての海軍の責任」について良く分かる本として、

「太平洋戦争はなぜ負けたか」 別宮暖朗
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632409/

「なぜ敗れたか日本海軍 (光人社NF文庫)」 是本信義
http://www.amazon.co.jp/dp/4769825250/

「大本営参謀の情報戦記(文春文庫)」 堀栄三
http://www.amazon.co.jp/dp/4167274027/

の3つを挙げます。

また、帝国海軍が、それなりに充実していた潜水艦部隊を有効に使用せず、まるで「鉄の壁にタマゴをぶつける」ようにして無駄に消耗させていったことが分かる本として

「本当の潜水艦の戦い方」 中村秀樹
http://www.amazon.co.jp/dp/4769824939/
をお勧めします。

4冊買ってもそれほど高くありませんので、ぜひお読みください。
いかに「海軍善玉・陸軍悪玉説」が事実と乖離しているのかが良く分かります。

前に
「帝国海軍について」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4902336.html
と言う質問があり、No.4で私が回答しています。
その中から今回のご質問「日本陸軍はなぜ海軍より悪役にされるのですか?」の答になる部分を引用しますと

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
戦後、陸軍が悪玉、海軍が善玉ということでイメージが定着しています。この理由は、

1) 海軍は「短期現役士官制度」「予備学生制度」で、現在で言えば「大学在学以上の青年」を短期間の教育後に士官とする...続きを読む

Q旧日本軍のしごき・いじめ、江戸時代の武士にもあった?

旧日本軍はしごきやいじめ、体罰などが横行する陰湿な体質だったと
よく見かけるのですが、これは江戸時代の武士の間でも
似たような気風だったのでしょうか?
それとも明治になって陸軍を作ってから出てきたのでしょうか?

Aベストアンサー

No1さんが指摘される「江戸時代の武家社会でのイジメ」は、現代の日本の「学校でのイジメ」に近いものです。今ですと、ネットを使って特定の人をイジメることがあるそうですが、そうした陰湿なものです。

一方、質問者さんが指摘する「旧日本軍のしごき、体罰」というのは、「イジメ」と表現するのは適当ではありません。「新兵に軍隊の伝統を叩き込む」と称して、「初年兵」に対して先輩の兵隊への徹底した奉仕をさせ、理由を問わない無制限の体罰を行うことを、
「先輩の兵隊の、新入りの兵隊への指導」として黙認することです。

これについては
「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫 伊藤桂一/著
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32083946
などに詳しく書いてありますが、耐えかねた新兵が自殺したり脱走したりすることが耐えないほど陰惨なものでした。「新兵への暴力」は、古参兵と新兵が一緒に生活する「内務班」という単位で行われましたが、下士官が兵に体罰を与えることは少なく、将校が兵を殴るなどということは常識ではあり得ませんでした。

No1さんが文献を示して指摘された「江戸時代の武士社会のイジメ」や質問者さんも実際に知っているであろう「現代の学校でのイジメ」などとは全くケタが違うと考えて下さい。

現代の日本社会で「旧日本軍のしごき、体罰」を継承しているものは「大学の体育会**部での上級生と下級生の関係」が挙げられるでしょう。あれをもっと厳しくし「新兵が古参兵に反抗したり殴り返すと軍法会議にかけられる」法的な縛りがかけられているのが「旧日本軍のしごき、体罰」です。

一方、陸軍将校を養成する陸軍士官学校は明治時代には生徒の多くが士族であり「武士の伝統を継承していた」と言えるでしょうが、「上級生の下級生へのしごき、体罰」などは特に存在せず、ずっとカラリとしていたようです。

なお「旧日本軍の新兵へのしごき、体罰」は、現在の日本の陸上自衛隊には全く受け継がれていませんが、韓国軍にその影響が強く残っているようです。
韓国軍が日本の軍隊で下士官だった者をメインにして創設されたため、日本軍の習慣がそっくりコピーされたようで、現代の韓国男性にとって「徴兵検査による軍隊への入隊」は非常な恐怖であるようです。

No1さんが指摘される「江戸時代の武家社会でのイジメ」は、現代の日本の「学校でのイジメ」に近いものです。今ですと、ネットを使って特定の人をイジメることがあるそうですが、そうした陰湿なものです。

一方、質問者さんが指摘する「旧日本軍のしごき、体罰」というのは、「イジメ」と表現するのは適当ではありません。「新兵に軍隊の伝統を叩き込む」と称して、「初年兵」に対して先輩の兵隊への徹底した奉仕をさせ、理由を問わない無制限の体罰を行うことを、
「先輩の兵隊の、新入りの兵隊への指導」とし...続きを読む

Q第二次世界大戦、軍部の対立、海軍より陸軍優位だった?

いま、アメリカと戦争してた頃の、歴史の本を読んでまして。その本には、山本五十六の事が度々でてくるのですが。

山本は軍部の中で、アメリカの怖さを客観的に知り抜いた数少ない戦略家だった。陸軍の連中は、軍事オタクのバカばっかりだった。陸軍には、予算や経済観念、常識が無い。視野が狭すぎる。

という様な事が書かれてまして。ホントにそうだったのかなあ。陸軍の中にも、冷静な戦略家はいなかったのか?東條を初め、陸軍が権力を握って独走したのでしょうか?

Aベストアンサー

この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・

陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。

当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。
また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。

陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったのですが、その後に海軍が黄海海戦での戦果や日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返したのです)。
しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が、ある程度の成功を収めていた上、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかったことなどもあり、やや国内政権は陸軍に主導権がありました。

なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎるような気はしますね。
私も(土地柄)海軍贔屓であると思いますが、陸軍を、軍事オタクの馬鹿とするのは、少々過小評価しすぎかと。

そもそも、当時の陸軍大学、海軍大学といえば、帝国大学(現東大)と同等以上のエリート大学ですから、基本的に馬鹿はあんまりいないのですけどね・・・
東條も、決して馬鹿ではありません。馬鹿では陸軍大将で総理大臣にまではなれませんから。

ただし、アメリカに対する認識がしっかりしたものであったかと言うと、そうとも言えません(この点が、陸軍批判の最大の原因)。
これは、当時の陸軍海軍の教育方針に違いがあります。
当時まだ日本は、後進国ですから、陸軍大学や海軍大学をでた、いわゆるエリートはほとんどが海外留学をします(もちろん、駐英次官だったりという肩書きで、ですが)。
で、陸軍の留学先ではドイツ、フランス(どちらもいわゆる陸軍国)が主だったのですが、海軍の留学先は米英が多かったです。
結局はこの違いです。米英に留学している人が多い海軍のほうが、アメリカのことを多く、そして良く見ていたのは、ある意味当然でしょう。
しかし、これをもって「視野が狭い、常識がない」とするのは、少々性急でしょうね。

この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・

陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。

当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。
また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。

陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維...続きを読む

Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
それから、敗戦時にも玉音放送を中止させようと陸軍のクーデターが起こるなど、なぜ戦前の日本では、軍事がコントロール不能になってしまったのですか?

当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

QA級戦犯に海軍軍人がいないのわなぜですか?

陸軍大将等は沢山処刑されましたが海軍軍人で東京裁判で起訴された人はいないと思いますが、事後法でも起訴する方法がただたんにみつからなかっただけなのですか?適当な解釈があれば教えてください。

Aベストアンサー

あえて、皆さんと別意見。
添付書籍は、元陸軍の方が書かれた、海軍主犯説です。
この本を読んで、私の意見を書くならば。

海軍は戦前からアメリカと交渉チャネルがあったが、陸軍は仮想敵がソ連であり、中国であったため、アメリカとのチャネルが少なかった。実際には陸軍は自分のチャネル(中国やソ連)と和平交渉をしておりました。
また、陸軍には、検察側に都合のいい証人がいたこと
http://taiwanx.exblog.jp/i5

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334933076/ref=ase_mixi02-22/250-1440357-0875447

Q旧日本軍、下級兵士による反乱

旧日本軍の下級兵などの戦記物を読んでいると、陸軍の場合も海軍の場合も、人間以下の酷い扱いを受けていたということが分かります。
このような酷い扱いを受け、下級兵による反乱などは起きなかったのでしょうか。事例があれば教えてください。

Aベストアンサー

>下級兵による反乱などは起きなかったのでしょうか。事例があれば教えてください。

 先の大戦での下級兵犯罪については、不二出版の十五年戦争極秘資料集の『17 在満軍法会議處刑特殊犯罪集』、『27 陸軍省法務局長巡察報告』などを参照されてはいかがでしょうか。前者は旧満州(現中国東北部)での、後者は主に南方での部隊内の喧嘩や上官暴行などの事例が頻発していたことがわかります。

 また、伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史・兵営と戦場生活』(番町書房)のなかで「戦場の裏面」と題してさまざまな下級兵士たちの暴動や反乱事件について記されています。

 同書中の事例のうち、1941年(昭16)12月、中国北部山東省館陶県に駐屯していた独立歩兵第42大隊第5中隊で発生したいわゆる「館陶事件」は、防衛庁公刊戦史叢書にも載っているほどに有名な反乱事件でした。

 転々とたらいまわしのように転属の憂き目にあっていた兵7名が、また新たな転属命令を受け、自棄酒を飲んだ挙句、出発当日に中隊事務室、衛兵所など次々銃で襲撃し、中隊長はじめ幹部将校を追い回し、幹部たちは抵抗もできず分遣所へ逃げた、というものです。このとき発した救援電が軍の監督無線に傍受されたため「皇軍未曾有の不祥事」として大問題となったのでした。

 その後、軍法会議により首謀者2名は死刑、ほかは禁錮刑、となり当時の中隊長は事件後拳銃自殺を遂げました。
 
実際にはこれに類した事件は、数多く発生したと著者の伊藤氏は書いていますが、こういう反乱は、公にすることは軍の恥を晒す事につながるため、闇から闇へ葬られたと考えられます。

 もうひとつ、山本茂実『松本連隊の最後』角川文庫版のなかには、中部太平洋の環礁エンダービーに派遣された部隊が飢餓で消耗したため、トラック島の友軍が救出したとき、不思議なことに連隊長以下将校が一人もいなかったその訳が、兵が飢死にするなか隊長はじめ幹部たちは飽食にふけっていたのを殺気立った下士官達に刺殺されてしまったのだ、と軍医の語る秘話が載っています。

 これらに類する話は、戦記を数多く読むと真偽はともかく数多く見いだことが出来ます。また、兵の反乱は日本に限らずどこの軍隊でも起こったことでした。

 

>下級兵による反乱などは起きなかったのでしょうか。事例があれば教えてください。

 先の大戦での下級兵犯罪については、不二出版の十五年戦争極秘資料集の『17 在満軍法会議處刑特殊犯罪集』、『27 陸軍省法務局長巡察報告』などを参照されてはいかがでしょうか。前者は旧満州(現中国東北部)での、後者は主に南方での部隊内の喧嘩や上官暴行などの事例が頻発していたことがわかります。

 また、伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史・兵営と戦場生活』(番町書房)のなかで「戦場の裏面」と題してさまざまな下...続きを読む

Q兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたの

兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦まで、その考えに固執したのには、よほど強烈な思想があったのではと、愚考しています。
日清戦争で、早くも「因糧於敵」の方針が示されています。
穿った見方をすれば、陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。

 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。

 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。

 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。

 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。

 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。

 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。
 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。

 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。

 閑話休題 

 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。

 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。

 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。

 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。

 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。

 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。

 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げら...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q日本の金、銀は枯れたの?

黄金の国ジパングとか言われた時代もあったくらいに昔は採掘されたてのですか?

それらは今はほぼ枯れたのですか?

今からはイメージ出来ません

Aベストアンサー

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。
当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされて
しまいました。あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。

現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索
技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。
一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、
大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が
発見されています。
下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。
http://www.iforum.jp/okuchika/t5713.html

菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らない
と言われています。

さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのか
は次の理由からです。
掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には
投資に合うメリットは無いのだそうです。それで現在の菱刈が枯れたら
次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。
金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうも
ありません。

例外的に、日本政府が金本位制への復帰を宣言し住友金属鉱山から
増産分の金を定額で買う、住友金属鉱山が経営不振に陥り金の増産を
行わざるを得なくなる、等が起れば日本は再び「黄金の国ジパング」
に成るかもしれません。
現在は「赤金(借金)の国ジパング」です。

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代...続きを読む

Q旧日本軍はどうして潜水艦を強化しなかったのでしょうか?

第二次世界大戦もののDVDを観て思ったのですが、
潜水艦の役割は重要です。
攻撃にしろ、防御にしろ威力絶大と感じました。
とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。
日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

一方、米軍の潜水艦は日本軍のそれよりはるかに劣ります。
酸素魚雷の開発もまだでした。

米軍は、
潜水艦を3隻一組とする狼狽戦法で弱い輸送船団を襲う事に専念します。
彼らは、日本軍の海防艦が、殆ど使い物にならない木造船である事を知っていました。

日本軍は
駆逐艦を重雷装する事により重巡洋艦と匹敵する戦力としようとします。
重巡洋艦は、重雷装させ、戦艦と互角で戦える事を目標としました。

その結果、被弾に対しては極めて脆く火災、誘爆が多かったのです。

米軍は、無理な雷装や、無理な作戦より、
より効果的な運用方法を目指しました。

追い詰められ、
潜水艦に戦艦が沈められるようになると、
日本海軍も、もう終わりだな。
こう言う空気が流れます。

潜水艦に対する防御、発見方法、攻撃方法などが確定していないと言う、根本的な問題でした。

>とくに太平洋に飛び飛びにある島の防衛などは、潜水艦を配備していれば強化できたと思います。

潜水艦は、常に最前線に投入され、後方は無視されました。

>日本の潜水艦のことはあまり聞きませんが、
海軍は、どうして潜水艦の開発に力を注がなかったのでしょうか?
海を制したかったら潜水艦が不可欠ではないでしょうか?

上層部は、敵艦隊を攻撃する事しか頭にありませんでした。後方、補給よりも、最前線でした。
援護の無い、単独攻撃は、犠牲も大きかったようです。

日本海軍は、甲標的艦を完成。実戦に投入しました。
2人乗りの水中高速型の潜水艦の開発に成功していたのです。

この事実に米軍は驚愕しました。

時の水上機母艦は、甲標的艦母艦として即座に改装可能なように設計、建造されていました。

潜水艦に対し相当力を注ぎ込んでいたようです。

日本軍では潜水艦とは、
隠密行動を取り、単独で侵入し、敵艦船を攻撃する為の兵器でした。(特攻に近い思想)

艦隊戦では、艦隊の前で哨戒に当たらせ、
平時は、敵の基地付近の哨戒任務に付かせました。

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