No.15ベストアンサー
- 回答日時:
相変わらずご質問のなさり方が“卑怯”ですね(笑)。
「もの」と「こと」に関してお聞きになりたいのであれば、そういうものとして質問を出してくだされば、そんな厄介な質問に答えるほど勇敢ではありませんので三舎を避けたでしょうが。ご質問にうっかり乗ったわたしがバカでした。しょうがないので回答します。
> 「もの」ではなくて「こと」であれば同じ事件や状態を指示していると思うのですが。
そうですね。ヘーゲルによれば「あらゆるもの(Ding)は判断である」ということになるのだそうですが、
> 「太平洋戦争および日中戦争」と「大東亜戦争」は同じものを指示するでしょうか?
と聞かれると、やはり考え込んでしまいます。
単純に「ちがうものである」と言ってしまえないものがあるように思うのです。
ある出来事を指示する言葉には標準的な指示語と、非標準的な指示語がありますよね。
「太平洋戦争および日中戦争」がいわば標準的な指示語であるのに対し、「大東亜戦争」、あるいは少し指示する対象は異なりますが、「十五年戦争」といった非標準的な呼称に対しては、わたしたちはそれを言う人に意識が向かうのではないでしょうか。その人はそういう言葉を使うことによって、自分の解釈を主張していると言って良い。
E.H.カーは『歴史とは何か』のなかでこのように言っています。
「歴史上の事実は純粋な形式で存在するものではなく、また、存在し得ないものでありますから、決して「純粋」に私たちへ現われて来るものではないということ、つまり記録者の心を通して屈折して来るものだということです。したがって、私たちが歴史の書物を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります。……実際、事実というのは決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。むしろ、事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕えるかは、偶然にもよりますけれども、多くは彼が海のどの辺で釣りをするか、どんな釣道具を使うか――もちろん、この二つの要素は彼が捕えようとする魚の種類によって決定されますが――によるのです。全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。歴史とは解釈のことです。」(p.29 清水幾太郎訳 岩波新書)
歴史記述は年表に配置される出来事と出来事のあいだを、テクストによって関係づけていくものです。その因果関係が一義的に特定でき、あるいはまた過去のテクストを構成する言葉が、その外部にきちんとした指示対象を持っていれば、さらにそれがすでに確定された「事実」に言及していてくれれば、「ひとつの歴史」、あるいは「真実の歴史」も措定可能かもしれません。けれども相互に関連し合うさまざまな出来事の因果系列を、現実に一義的に特定することは不可能でしょう。
かといって、歴史がどのような解釈でもありうるということにはならない。たとえばホロコーストを否定しようとすることは、圧倒的多数の証言や証拠を踏みにじろうとするものです。
解釈というのはたったひとりによってなされるものではなく、つねに協同的なものとしてしか存在しない。ひとりの歴史家の解釈は、その他の歴史家によって評価され検証されることになります。何種類かの解釈は、その優劣が議論されることでしょう。多種多様な歴史の解釈が、まったく同じ資格で林立することは実際にはありえません。
「太平洋戦争および日中戦争」と「大東亜戦争」、あるいは「十五年戦争」という言葉の用法としての標準・非標準は、歴史家共同体の評価を規準としているはずです。そう考えていけば、「ちがうものを指している」ということにはならないのではないかと思うのです。
こういうふうに考えられないでしょうか。
ひとりの人物に対して何種類もの評伝があることはめずらしいことではありません。
たとえばヴィクトリア女王の評伝であれば、邦訳されていて有名なものだけでも、リットン・スレイチーのそれと、スタンリー・ワイントラウブのそれがあります。
なにぶんにも読んだのは中学生のころだったので、どこがどうとは言えないのですが、この両方の評伝から受けるヴィクトリア女王の印象はかなりちがっていて、不思議な気がしました。
さらに、アントニア・フレイザー『スコットランド女王メアリ』に登場するエリザベス一世とデイヴィッド・スターキーの『エリザベス』となると、たとえ同じ出来事であっても、その説明がまるでちがっているのでした。
さまざまに記述されるヴィクトリア女王やエリザベス女王に対して、わたしたちは「同じものを指示するでしょうか?」という疑問を抱くことはありません。「ヴィクトリア女王」「エリザベス女王」という固有名詞が指し示す対象は、たったひとりの人物で、しかもさまざまな評価と解釈があるということを受け入れている。さらに、そのさまざまな解釈を自分のなかで、統合したり、つなぎ合わせたりして、自分なりのヴィクトリア女王像、エリザベス一世像を作りあげている。
そのように、「同じもの」をさまざまに呼ぶことは、そこにさまざまな解釈があることを指し示している。そうしてその解釈のどれを受け入れるかは、わたしたちに委ねられている、と。
この回答への補足
ghostbusterさん、ありがとうございます。
作用と反作用というのでしょうか、派生的に次から次へと質問が湧いてくるんですよ。
決して貶めてやろうとかいった悪意はありません(笑)。
しかし戦没者追悼式の度に思うんです。
天皇の「先の大戦」という常套語は、
いったい何を指し示しているのか、と。
間違っても大東亜戦争のことだよとはいえない。
まさに、わたしたちに委ねられている、ということでしょうか。
No.17
- 回答日時:
> 天皇の「先の大戦」という常套語は、いったい何を指し示しているのか、と。
たとえばね、『オセロ』のハンカチを考えてみたらどうでしょう。
『オセロ』にはハンカチが重要な小道具として出てきます。
オセロにとっては母の形見であり、妻に向けた結婚の贈り物であり、やがて不倫の証拠として。
デズデモーナにとっては夫の愛を示すものとして。
イアーゴーにとってはオセロを罠にはめる道具として。
エミリアにとっては夫の陰謀に気付かずに自分が荷担させられたものとして。
キャシオーにとっては知らない間に部屋に置かれた見たこともないハンカチとして。
「ハンカチ」はいずれも同じ「もの」です。
けれど、「ハンカチ」の意味はそれぞれに異なっている。その「ずれ」が悲劇を引き起こしている。
デズデモーナがたかが一枚のハンカチを、オセロの愛の証と受けとることができたのも、それが夫の母親の形見であるということを知っていたからです。
もしオセロがイアーゴーのねたみを知っていれば、イアーゴーの「ハンカチの策略」にまんまとはまることはなかったでしょう。イアーゴーの「ハンカチ」の意味を理解することは、イアーゴーその人を知ることにほかならない。
> 間違っても大東亜戦争のことだよとはいえない。
わたしもそう思いますが、その判断は、わたしたちがいまの天皇の理解に裏付けられているはずです。
「太平洋戦争および日中戦争」「大東亜戦争」「十五年戦争」と、その人がどの言葉を使うかは、その人がいかなる歴史観を持っているかを浮き彫りにするものであるし、逆にその人を知ることは、その人の使う用語をより正確に具体的に(というか、範囲を限定して)知るということにもつながっていく。
自分が書いておいて何なんですが、「わたしたちにゆだねられている」というのは、いい加減な文章の結論として、一種の決まり文句と化している観があって、実に気持ちが悪いのですが(笑)、でも解釈は閉じられたものではなく、未来に向かってその口は開かれていると考えると、やっぱりそういうしかない(笑)。
この回答への補足
ghostbusterさん、おいそがしいところまことにありがとうございます。
8月15日に追悼式を映すテレビに向かって一人の男が呟いた。
>天皇の「先の大戦」という常套語は、いったい何を指し示しているのか、と。
>間違っても大東亜戦争のことだよとはいえない。
その言葉は実質上は日本国政府に向けられていたわけなんですが。
No.16
- 回答日時:
回答番号:No.11、12,14 です。
何かマニアみたいに発言が多すぎますが。間にセメントや漆喰を入れながら繋げ、紡ぎ、編集して、構成して描き出しますね。
そういう画き出し像が、共同の中での作業、或いは共同への投げかけ、或いは又、共有化ということにならないといことは、人間という存在にとっては現実にはありえないということでしょうね。
そういう画き出し像を歴史といい、そこから捨象されたものは、これを歴史とは言わない、という観点であれば、叙述されたものを歴史というのは、当たり前ですね。
でも、所謂る歩み、歴史というのは捨象されたものも、また生活と社会、文化と、権力、組織の事実であることは当然で、偶々、一定の歴史像の画き出しには、組み入れられなかったことですね。
認識したもの、表層的wakeful意識の内容が、存在だというのと同じですね。サブ意識のことは次元の異なる事柄であるという。
でもそういう歴史事実も、サブ意識からの浮上ということもありうる事実である事は否めませんし、何分かの影響や構成性をゆうしているのではないでしょうか。
だから、そういものを歴史ではないということは狭隘かもしれませんね。
私はだから、叙述したものだけを歴史ということはできませんということです。
構成、叙述されている事実は大海の中の浮遊物に注意を差し向けた結果集積であり、それらは大海の一内容でしかない、と存じます。
人間が知覚し、経験すること、科学の認識可能なもの、それだけが世界ではない。
それらは全存在の一部、浮遊物であるにすぎない、という考えです。
定義や観点の問題かもしれませんが。
人間の知覚や経験、意識の内容になりえない、五感のそとの事柄があるのだという、考えです。
人間の知覚意識世界とその外の世界との狭間に人間の願いや思想、思いなどの世界があるのでしょうね。
それは人間だけがしているのか、どうかも問題ですが。
そういう世界からの、事実の歪曲ではなく、何かへんな力があって、事実を作り上げてしまったり、変改していることもありそうな気がしています。
これは感想です。
No.14
- 回答日時:
回答番号:No.12
一般とは異なるかも知れませんが、「叙述されぬ歴史」は、とても大事な部分であり、多くの事は出されないのではないでしょうか?
些細な暴露や、滑った、転倒んだというようなことではない、大事な歴史の要素、ファクターがほとんど出ていないと存じます。
現代の政治、経済もそうではないでしょうか。報道のルートや系統も、あからさまにはなっていないと存じます。
そして、実はことが大きければ大きいほど、影のことがあらざるを得ません。
権力、勢力、金。古来、好事魔多し(こうず ま おおし)。
群がるのです。これが人間の宿命です。生きること、全うすることのためには、所詮、必要であらざるを得ない。
悲しいけれども。清冽な流れに人は住んでいない。
でも私は人類は清冽な流れ、自体になれると存じております。
krya1998さん、ありがとうございます。
出来事の叙述という行為自体が歴史的出来事として叙述されるといったことがありますが、それ以上に大きな意味を持つ出来事として叙述を抹消するという行為がございますね。
わが国でいえば戦後の強制的な教科書の塗りつぶしです。
あの映像を見ると涙が滲んでくるのですが、果たして実際に経験されたかたがはどのように感じられたのでしょうか。
もしご存知であればお教えいただければ幸いです。
No.13
- 回答日時:
ご質問と回答に対する補足を拝見していてよくわからなくなってきたのですが、ご質問は
〈言葉がその外に客体的な指示対象をもつのか、それとももつとは限らないのか〉
ということを問うておられるのでしょうか。
それとも、〈共同体の集合的記憶〉ということに関して聞いておられるのでしょうか。
あるいは〈叙述〉ということに焦点を当てた回答を求めていらっしゃるのか。
問題の主旨をもう少しご説明願えませんか。
この回答への補足
ghostbusterさん、どうもありがとうございます。
当初の質問とは少しずれますが、
例えば「太平洋戦争および日中戦争」と「大東亜戦争」は同じものを指示するでしょうか?
もし不愉快でなければ何かコメントをいただければありがたいのですが。
No.12
- 回答日時:
miko-desiの回答番号:No.3に関連して。
私たちは“墓場にもっていく”というのです。
現役では、チンピラでしたが、担当実務多方面に重大な影響があるものですから、自分の中でのことにしています。
歴史なんでしょうが、歴史の日の目は見ません、絶対に。
なんか福祉団体の許認可の係長が逮捕されています。どうなるか。
みだりに憶測はできませんが、あぁいうポスト(全体ではポストとはいえない、重要な、そして日常の実務の遂行者です)の人は決して、道を外しての仕事はしません。
もし事実、報道のことがあったとしたら、それは業務でしたはずです。多分。自分の決定ではないと存じます。
取材や工作、その他のことを考慮しての、保護と確保からの逮捕であろうかしら、と思います。
捜査機関がどのくらいまで肉薄できるか。墓場に入るものをどこまで確保できるか、大きな問題だと存じます。
仮にそうだとすれば、これは歴史(多くの人が歴史とするはず)なんだが、歴史にならないことの一例かも知れません。
三億円事件もCIAの機関が動いたとか、下山、松川、そして三鷹事件でしたか、これも工作機関が関与している。という説明は、私には説得力があります。
多分ここにも、歴史にならない、歴史が山ほどあるはずです。
二二六や五一五、これは判ります。
大化の改新や馬子だったかの暗殺などは隠れていることがあると思います。
山宣の退職警察官は後ろにはないだろうが、それほど単独でもないと存じます。
ケネデディのこともそうです。見た目以上のことは有りますね、多分。
リンカーンやガンディーのこと、これは以外に単純かなと存じます。
そういうことはたくさんあると存じます。
人が歴史にしなくても、できなくても、歴史は山ほど、いえ山よりもあります。
後世に出るのもあれば、絶対に出ないのもある。そういう見かたで歴史は読むべきです。
そしてあくまでも、一定の意識と知見、動機と立場、思想と哲学の人間性での編集の認識結果にすぎないのだという前提で。
krya1998さん、どうもありがとうございます。
>後世に出るのもあれば、絶対に出ないのもある。
日本の黒い霧ですか。
そういえば故松本清張氏自身にもゴーストライター云々の黒い霧がありましたね。
もう>絶対に出ないのもある。でしょうが。
下山事件、ケネディ暗殺事件、における謀殺といった黒い霧の部分が映画になったり、小説になったりして観客や読者を楽しませてくれたりしますね。
自由な想像を楽しむといった裏には、絶対に真相が出ないといった確信があるのかもしれませんね。
そういった真相が、>絶対に出ないものなどは「叙述されぬ歴史」ということなのでしょうか。
No.11
- 回答日時:
類似の質問と回答があります。
http://okwave.jp/qa4998518.html
叙述されなくても、或いは、意識範囲に入らなくても、当然歴史のじじつであれば、歴史でしょう。
歴史になんら影響のないことであれば、歴史ではないでしょう。
影響が有り、または影響しているのに、意識も、叙述もされていなければ、叙述と意識の対象であるべきだが、そうなっていないというだけのことでしょう。
ただ歴史とは構成、紡ぎ、編集であるという面が有りますから、それが歴史かどうかは、選択と決定という次元のことではないですか。
No.10
- 回答日時:
MO.8 です。
>「南京大虐殺」という出来事の信憑性を考えた場合、具体的な経過は叙述されているのでしょうか。
それが真実であるかどうかは誰にも証明できなくても、その事実についての叙述が残されている以上、それは歴史として後世に残っていくだろうということを言ったまでです。
「南京大虐殺」はそんなもののひとつだと私は思います。
変なことをいいますが、この事実があった、というポジチブな叙述は当然それを補強しますし、更に、この事実はなかった、というネガチブな叙述であっても、それが思想の偏光レンズを剥がされたあとで逆に事実の存在を証明する資料になることもありうるということです。
「南京大虐殺」はそんな意味も含めて歴史的資料が非常に多い事例です。
No.9
- 回答日時:
NO.8 です。
>「南京大虐殺」という出来事の信憑性を考えた場合、具体的な経過は叙述されているのでしょうか。
>つまり正確な史料として妥当するものは存在しているのだろうかということです。
「南京大虐殺」は現代史のひとこまとして既に存在しているのではないでしょうか。ただ立場を持たない叙述はありえないので、完全に無性格な歴史というものも存在しないのではないかと考えます。写真ですら信憑性を疑わねばならない時代です。
時間と量的な資料の数が歴史を色抜きしてくれることは確かでしょう。近現代史はまだまだ確立してはいないと思います。
この回答への補足
>「南京大虐殺」は現代史のひとこまとして既に存在しているのではないでしょうか。
しつこくてすみませんが、そう信じる根拠は何でしょうか?
(お答えにならなくてもかまいません。)
むかし「東アジア反日武装戦線」という極左グループが爆弾テロを引き起こし多数の犠牲者を出しましたが、彼らの実践的確信の根拠と同様かな。
No.8
- 回答日時:
歴史には「書かれたもの」という意味があるのは確かです。
しかし、それがいつかかれたのか、それは果たして事実に基づいたものなのか、これから書かれるものは歴史にはならないのか、ならないとすればそれはいつの時点からなのか?ということを考えていけばきりがありません。
私の独断ですが、
今叙述されていない出来事は歴史ではない。出来事ですらもない。何でもない。空白である。
書かれたものは歴史になりうる。
それは過去現在未来を問わない。
ご参考まで。
この回答への補足
例えば、「川中島の戦い」よりもっと近いところで「南京大虐殺」という出来事の信憑性を考えた場合、具体的な経過は叙述されているのでしょうか。
つまり正確な史料として妥当するものは存在しているのだろうかということです。
もし存在していなければ、>出来事ですらもない。何でもない。空白である。ということでしょうか。
>書かれたものは歴史になりうる。
例えば「川中島の戦い」の例で言えば「甲陽軍鑑」の信憑性という問題からすると史料の学的選択が重要になってくると言えるのではないでしょうか。
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