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仏教を独学で勉強しています。まだ、初心者ですので判り易くご説明いただければと思います。
私の疑問は、輪廻転生を釈尊はどのように考えていたのかということです。
1.否定しないで悟りへの方便として利用したのか。
2.縁起の考えにより、生前の行いの結果転生すると考えたのか。
3.物質からできている肉体は滅びても分子レベルで分解され、再び他  の生物を構成する物質の一部として生まれ変わると考えたのか。
1-3とは全然違う考えなのか。
 そもそも、疑問に思ったのは、「業(カルマ)によって、人は転生する事を仏教では、苦であるとする。解脱することによって輪廻転生から開放される。」と解説書に書いてあったからです。
 解脱は精神作用だと思うので、輪廻転生が物理的現象であるとするならば、開放されるなんてありえないと思ったのです。

A 回答 (12件中11~12件)

1-3とは全然違う考えなのか。


○違いますね。
すでに回答にもありますようにバラモンの転生輪廻の思想。バラモンの子はバラモンという思想ではありませんね。釈迦弟子にはバラモンもクシャトリアもシュードラあるいはそれ以下の出身の者もおりましたから過去世のカルマで現世があるという思想ではありませんね。
とは言え転生輪廻を否定していたわけではありません。むしろ転生輪廻を積極的〔前向き〕に肯定していたからこそ細かく説かなかったのですね。
釈尊がこの世は苦であると説いたのは、本来のあなたは肉体のあなたではないといいたかったからですね。つまり、本来のあなたは心(霊魂や魂)であり肉体をまとって修行しているだけなのだ。その修行システムが転生輪廻システムですよといいたかったのですね。
本当のあなたを鍛えるためだけに肉体を持って生まれて老いて死ぬ転生輪廻システムであるとすれば、この世の数十年の苦難など学校で勉強している程度のものでしょう。地位や名誉や階層など舞台劇のシナリオと役柄程度のものでしょう。
むしろ鍛えるために艱難辛苦を我に与えよといってもいいぐらいですね。
こういうことに気づかれたから肉体の「生老病死」の苦から精神的に抜けられたのですね。
釈尊は心の真実に気がつき、心の世界を説いたのですね。精神世界が本当の世界でこの世は仮の修行の世界でしかないと教え、本来住している精神世界の摩訶不思議観やその精神世界のトップが釈迦大如来であると説いたのが仏教ということですね。
わりと哲学的にも難しい教えですね。2500年前にこのような形而上学的教えを理解できた弟子がいたということが不思議ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。質問したいのですが、霊魂や魂が転生するということは、釈尊が説いている「諸法無我」という考えと矛盾はないのでしょうか。

お礼日時:2009/06/01 19:17

>業(カルマ)によって、人は転生する事


これはゴータマ仏陀が生きていた頃の「バラモン教」の「常識」でした。
私が知る範囲においては、ゴータマ仏陀はこの様なカルマもサンサーラも「無意味である」と述べられたように思います。
ゴータマ仏陀は生死と涅槃は同一不可分、五蘊は「無価値」、個々人は「カルマにもサンサーラにも」責任はない、だから「カルマもサンサーラも存在する意味がない」つまりは「存在しないのと等価」である、と述べられていると思います。
日常において五蘊に「とらわれるな」というのが教えだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私も貴殿の考えに大筋で賛同いたします。でも、疑問が残ります。経典で釈尊は、過去仏であった記憶をかたっていますし、未来においても仏陀として転生すると言っています。これは、輪廻転生を肯定しているのか。もしくは、後世の比丘が釈尊の教えを勝手に解釈して、創作したのか。よく分からないです。

お礼日時:2009/06/01 19:07

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