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今小論文の勉強をしています。

そこである小論文対策の本を読んでいるのですが、どうしても理解できない部分があります。

本の中で、ある文章を添削しているのですが、その中の解説の内容です。

>「生きがい」とは「自分で作り出していくもの」か?「作り出していく“性質の”もの」ではないのか?

生きがいという言葉について色々な辞書で調べましたが、私には「自分で作り出していくもの」が誤っている理由がわかりませんでした。

このままでは心のもやがとれずに気持ちが悪いので、どなたかこの理由を教えていただけないでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

>「生きがい」とは「自分で作り出していくもの」か?「作り出していく“性質の”もの」ではないのか?



ご提示の文章は、小論文の添削事例ですよね。
つまり、その小論文対策の本の著者は、「生きがい」について論じているわけではなく、「生きがいとは自分で作り出していくもの」という表現が適切でない、それではいい点がとれないぞと言っているのではないですか。

その文章の前後がどうなっていて、そのような添削が入ったのか、想像の域をでませんが、わたしなりに推測してみます。

「生きがいとは自分で作り出していくもの」という表現が間違っているとは思いません。たとえば、口頭で友人にこう説教する場合――「おまえなあ、生きがいってひとに決めてもらうものではないだろ。自分で作り出していくものだろ」これは、どこもおかしなところはありません。
ですが、小論文で「生きがい」について論じる場合は、「生きがい」=「自分で作り出していくもの」と定義してしまっていいでしょうか。上記のように口頭で叙述的に言う場合は何の問題もありませんが、論じる場合にはこれでは表現が曖昧で、あとの論旨に説得力が出ません。もっと厳密さが必要です。
「自分で作り出していくと決まっているもの」
「自分で作り出していくしかないもの」
「自分で作り出していくべきもの」
「自分で作り出していくたぐいのもの」
「自分で作り出していく性質のもの」
それによってあとの展開が変わってきます。
最後の「自分で作り出していく性質のもの」とは、「あらかじめ決まっているもの」でもなく「何かのなかから選択するもの」でもなくて、「(生きがい自体がそもそも)当人によって作り出されるという“性質の”もの」であると定義しているわけです。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答どうもありがとうございます。

>その小論文対策の本の著者は、「生きがい」について論じているわけではなく、「生きがいとは自分で作り出していくもの」という表現が適切でない、それではいい点がとれないぞと言っているのではないですか。
なるほどその通りですね。

「作り出していくもの」では表現が曖昧というのは考えませんでした。私の勉強量不足ですね。「性質の」という言葉がつくことによって主体が人から生きがいに移っていくような印象を受けました。この違いを完全に咀嚼するにはまだまだ自分の実力が足りないようです。今後もっと国語力をつけたいです。

お礼日時:2009/08/17 10:27

 つまり、何が言いたいか説明します。

私の勝手な文章解釈です。
 (「生き甲斐」とは「自分で作り出すもの」)とは、自分が好きなことして勉強していく(仕事していく)のが生き甲斐をつくっているものであり、自分という人間が作っていることなんだという事です。
 (「作り出している性質のもの」)とは、生きがいが自分の中で作られる物質なのだなどと言っています。
 つまり、人間の行動が生きがいになり得るものを作り出しているか、生き甲斐という物質が生き甲斐をつくっているかです。
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この回答へのお礼

「作り出すもの」と「作り出していく性質のもの」のどこが違うのかという問いに対して自分の中で明確な答えが得られなかったのですが、emenyさんのおっしゃるように、生きがいが受身か能動かという違いで区別すれば違いがはっきりとしますね。どうもありがとうございます。

お礼日時:2009/08/17 10:21

生き甲斐は心の捉え方であって、同質のものに生き甲斐を感じない人と感じる人がいる。


だから「良いとされる」成功論のマニュアルどおりに作り出しても生き甲斐を感じるとは限らず、生き甲斐を感じるように自分を持って行く性質が必要。
生き甲斐を感じる性質を持てば、木石に対しても生き甲斐は感じられる訳で、「生き甲斐」自体を試行錯誤して作り出すものではなく、作り出す過程に生き甲斐を見いださなければならない。

と言っていると思われますが。
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この回答へのお礼

なるほどdogdayさんは「性質」の主体を人に置いたのですね。

>だから「良いとされる」成功論のマニュアルどおりに作り出しても生き甲斐を感じるとは限らず、生き甲斐を感じるように自分を持って行く性質が必要。
生き甲斐を感じる性質を持てば、木石に対しても生き甲斐は感じられる訳で、「生き甲斐」自体を試行錯誤して作り出すものではなく、作り出す過程に生き甲斐を見いださなければならない。

自身への教訓にもなりました。ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/17 10:31

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