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古代や中世では支配者の権威づけのために、神から王権を授かったまた王家の先祖が神であるというような神話が語られます。
また神託や占いの結果をもって政を行ったりもしました。
むろん前近代の民衆はそれを信じていたのでしょうが、支配者側はどうだったのでしょうか?
彼らも自ら作り出した神話や迷信じみた儀式を自ら信じ込んでいたのでしょうか?
それとも民衆を支配する(騙す?)方便として利用していただけで、自身は信じていなかったのでしょうか?
もし後者だとすれば、大多数の人間が神や迷信を実在のものと思っている時代にあって、
なぜ権力者だけはある意味合理主義者でいられたのでしょうか?
あるいは話は逆でそういう時代にあって迷信にとらわれず、迷信を利用する事のできるような資質の
人間が権力を握ったということなのでしょうか?

A 回答 (4件)

 これは意外に難しい問題です。


 人間というものや歴史の難しい問題に関連しています。
 いまはもう古代や中世の状況も人も、そしてその気持ちなども、渡したたちには理解出来ない側面もあります。
 
 一般には信じたり、儀礼や祭儀を行ったり、或いは日常の生活と異なった思想や観念を構想、構成、そして紡出す事は生活にゆとりがある階級のことです。

 【大多数の人間が神や迷信を実在のものと思っている時代にあって、
なぜ権力者だけはある意味合理主義者でいられたのでしょうか?】
投稿者:王権とその側のものは、正史の創作を含め、そういうジャスティファイ構想に最初は乗っかったが、だんだん本当とする思いになっていったのでしょう。そして更に精錬し、加工し、粉飾して言ったのでしょう。
 一つの政治理念、統治と政治の原理、規範にしていったと同時に、創作し、創作に乗ったものが、いつの間にかそれを本当だと思うようになったのです。
 明治維新の方々が天皇制とその憲法、国体を構想した事に、後世でものをみる事のできる私は、その非・不合理性を批判し、過ちと、影響を批判ができています。
 で、最初は利用したのみすぎない天皇制度、国体観も真実性と根拠性を持つようになり、創作した人も規制することになりました。
 根拠のあるものになったのです。これが古来、“嘘から出た真”という故事や諺の一側面だと存じます。
 中国などの天命思想はそこし不自然でも、思想としての、哲理としての観念を関連させていたりして、惑わしも巧くできており、真実性を持たしています。
 民衆は生活や服従で精一杯でして、あまり深い事は関係ないのですが、民衆支配の用具にも為りえたのです。
 用具を使う側もだんだん本当のことだと思うように為りました。
 私たちの天皇陛下、この制度は古今東西の人間の歴史の中でとても巧くできていて、統治や政治の安定性に賢明な機能を果たしてきております。江戸から明治への40までの若者たちの活躍は素晴らしいことでした。
 そういう虚構でありながら、一つの国家の正規の制度となると、もう神聖ですから、真実です。
 創り、利用したものもこれは大事です。真実のものとなります。
 今天皇陛下にそんなの・・・・ですよ、といっても相手にしてもらえないでしょう。神話は真実となっているのです。
 陛下が科学の常識や考えがないのではなく、そういうあり方となり、意識と日々になっています。

 【あるいは話は逆でそういう時代にあって迷信にとらわれず、迷信を利用する事のできるような資質の人間が権力を握ったということなのでしょうか?】
 投稿者:どういう資質の人が支配の側になったかは、仰せのことだけでは言い尽くせないでしょう。
 正史と神話はあくまでも、後付、いろんなものの利用と不都合なものの抹殺でしょう。
 どういう人が支配になるかは何かの資質も在りましょうが、いろんな歴史要素があります。
 あくまでも、神話も正史も後後世、紡ぎ出しです。
 利用できるものは何でも利用しています。高邁な思想も思索も、信仰も。そして俗悪な迷信も。
 歴史と人間は多様で多次元です。
 当時の信仰や思潮にも合致しているのでしょうし、それを強制する実力もあったのでしょう。だから信じられたのでしょう。
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歴史的にみれば


経済が経世済民という意味から乖離し金儲けの学問と勘違いしている人間がいるように
ピラミッド型に人を支配することを志向する政治が唯一神教系の宗教を利用したことによって本来の祀り事のもつ意味からから乖離してしまっているのです。
擬人化された表現によって唯一神系宗教は結果的に本来の意味から乖離した解釈が闊歩することになり地球を覆い尽くすかに見えましたが
一国主義による金融破綻が起こったようにそれら宗教系の誤った解釈は地球住環境の崩壊傾向から根本的な考え方の修正を要求されることになりました。
とさ。
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 中国では、皇帝のことを「天子」とも呼びます。


 皇帝は天の代理人であるという思想ですが、どうも権威付けの方便として使われていたきらいがあります。

 権威の盛衰はあれど、形式上天皇家という一つの家系が帝として君臨していた日本と違い、中国は目まぐるしく王朝が交代しています。
 王朝の開祖と呼ばれた人間の中には、農民や下級官吏、異民族など、身分の低かった人間も珍しくありませんでした。
 古今東西、天下を取るだけならば実力のみで突き進んでゆけますが、その後の統治になると、民衆を納得させる権威が必要となります。

 時には非漢民族の王朝が成立してもなお、秦朝に始まり清朝に終わるまで「皇帝」及び「天子」の称号が使われ続けたのは、そういった理由があったのではないでしょうか。

 本来天命思想とは異なる神を崇めている異民族が、
「天命が尽きた故に古い王朝を滅ぼして自らが帝位についた」
などと言っても、建前以外の何者でもないでしょう。
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古来、神を敬い祀ることは政治と不可分のこととされ、支配者、被支配者の区別なく神を信じていました。

ですから日本では政治のことを『まつりこと』と呼ぶのです。大和朝廷は出雲朝廷を同盟を結び、神事は出雲が、政治は大和がという分担を決めたことでも、神事をいかに重要視していたかが分ります。神の存在を信じないということは人間社会ではつい最近まではあり得ないことであり、今でも多くの社会が神の存在を固く信じています。
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