一回も披露したことのない豆知識

現在、アンカテで同趣旨の質問をしているのですが、質問の仕方が悪いかったのか、質問にすら答えていただけない状況です。

ですので、質問趣旨を明確にした上で、再度質問させてください。

体罰肯定論者は、「言ってもわからないやつは殴るしかない」と言います。
それは、殴れば分からせることができる、という前提に立っているからでしょう。
しかし、どうでしょう。
実際、体罰によって心変わりする生徒がどれほどいるのでしょうか?
多くの場合、誰かに殴られれば、反省心よりも怒りの感情が先行すると思うのですが。
もちろん、中には「ああ、先生は自分のことを想って手をあげてくださったんだ、お優しい」と改心する人もいるでしょう。
しかし、義家弘介氏のように、体罰ではちっとも更生しなかったが、偉大な教育者の言葉によって教師になろうとまで思うようになったケースもあるわけですね。
また、原口一博議員のように「殴られたら殴り返す」主義の人もいるでしょう。
かくいう私も、小中は札付きでして、イジメや万引きは日常茶飯事。
しかし、大学受験を控え、勉強し始め、様々な書籍を読んでいるうちに、自分の行いがいかに間違っていたかを痛感することに。
まあ、体罰肯定論に突っ込みを入れようと思えばキリがないのですが、今回はもっとも根本的な突っ込みを提示したいのです。
つまり、体罰によって反発心しか生まれない人間も少なからずいるが、その事実を肯定論はどう乗り越えるのか?ということです。
まさか、「そんな分からず屋はしーらない」と逃げるわけじゃあるまい。
私も、その矛盾を乗り越えられる理論が、肯定論者にあるのなら是非聞きたいと思っております。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

全ての人に、体罰が有効であるとも、無効であるともいえないと思います。


もちろん、体罰によって反発心しか生まれない人間も少なからずいるわけです。しかし、体罰により更正した人もいるわけです。

体罰否定論では、体罰で救える人も救えなくなってしまいます。
体罰肯定論者は、「言ってもわからないやつ」を体罰の対象にしているわけですから、なんでもかんでも体罰が正しいと言っているわけでは無いと思います。

体罰によって反発心しか生まれない人間には、体罰を行わなければ良いのでは?体罰肯定論者が、誰でもかまわず、どんな場合も体罰を行うと言っているのではないと思います。

体罰を相手やケースかまわず行うのは、明らかな間違いだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やっと質問趣旨を把握してしていただけて嬉しい限りです。

おっしゃる通りなんですよ。

しかし、肯定論者のなかには「言っても分からないやつは殴れば良い」と定言的に言う人もいるのです。

あげくが、ちょっと校則に違反した程度で体罰を容認するようなことになってしまっているのです。

>体罰によって反発心しか生まれない人間には、体罰を行わなければ良いのでは?

問題は、それをどうやって事前に把握するのか、ということですよね。

体罰によって人を救えるケースもあるでしょう。
しかし、体罰によらずとも人は改心できると思うのです。
人の言葉の力は一般に思われている以上に大きいと思うのです。

また、体罰は、つまるところ権利侵害ではないか。
というのが、私の持論でもあるわけです。
まあ、「子どもの権利」ってやつですわ。
もっとも、権利を語るうえで子供も大人もないんですがね。
近代になり「子ども」概念が生まれ、子どもは保護の対象として扱われるようになりました。
しかし、その「保護」が行き過ぎて、体罰をも容認するようになってしまった。
だから、その極端を是正しよう、と私は言いたいのですね。

まあ、難しいところではありますが、結局この突っ込みを肯定論者が乗り越えることはないのでしょうか。

お礼日時:2009/11/07 16:53

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