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「死ぬ気になれば何でもできる」とか言うけど、
ほんとに行き詰った時は死ぬ方が楽だと思います。

最近「仕事を辞めて、再就職の当てもないけど、ダメなら、生活のレベル下がっても、住みたい町に住んで、お金がなくなったら死ねばいいんだ」と決心したら随分気が楽になりました。

でも、今はなんとか普通に暮らしてるから、そんなことが言えるのでしょうか?
ホームレスになってる老人などをTVニュースで見て、飢えて、寒くて、そんな生活しながらも、
どうして生き続けるのだろうって思いました。

お金がなくなって、ホームレスで惨めな辛い生活になっても、やっぱり生きていたいと思うものでしょうか?
私は路上生活するくらいなら、死ぬ方が楽だと思うのですが、おかしいでしょうか?
おじが事業に失敗して自殺してるで、その気持ちを肯定したくて、そういう解決もありだという気がするのでしょうか?

A 回答 (25件中1~10件)

 確かに今の世の中って生きるのが大変ですよね。


 仕事や人間関係のストレス、失業、リストラ、家庭不和など・・・。毎朝通勤電車には会社に向かう人達であふれますが、「みんな良く生きているな、頑張っているな、すごいな」と思うことがしばしばあります。
 ですから、それらを考えると、案外ホームレスの方が気が楽かもしれませんね。彼らは税金を払う必要はなしし、家賃を払う必要もないし、起きたい時に起きて寝たい時に寝る生活ですから・・・。中にはお金はあるけど、世の中のしがらみが嫌だからホームレスになっている人もいるそうです。そういう人は支出は食だけですから、しばらくは困らないでしょうね。

 私も仕事が辛かったり、周りの人と接するのが苦痛になったり、とにかく全てから逃げ出したくなることがあります。ずっと前ですが、富士の樹海に行こうかと本当に考えたこともありました(遺体の処理などで他人に迷惑がかからない)。

 最終的に人は何故生きているの?という疑問に帰一すると思いますが、難しいことはゆっくり考えて、とにかく今は生きている以上楽しく生きましょうよ。cqcqさんのことを必要としている人、異性、家族、たくさんいるはずですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

私は自分勝手なんだな、と思いました。
結局のところ、弱い人間は優しさを持てない、のですね。自分の辛さが一番で、他者のことは結局思いやれない。そう思います。

お礼日時:2003/06/04 09:04

生きるのと死ぬの。

。どっちも辛いと思います。
死んだからといって楽になるのでしょうか?
私は、無神論者であり、輪廻転生も信じているわけではないですが、「死んで楽になった。」と思いたいのは、残された家族の慰めでは?と思っています。

人それぞれに、「ここまでなら!」というボーダーラインがあるのでしょうから、cqcqさんが「ホームレスになるくらいなら・・・」と思っていたとしても、ある人は「自然に息絶えるまで」と思っているかもしれませんよ。また、ある人は「生きていたい!」というよりも、「呼吸をしているだけ」なのかもしれませんよね。それを咎める権利は誰にもないでしょうね。

ただ、その中の一人でも「なんとかこの状況から逃れたい!」と感じ始めたのであれば、その人は、生きたい!と願い始めたんじゃないかな?
死ねば終われる!とは、思って欲しくないです。
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この回答へのお礼

私も無心論者、輪廻転生も信じないけど、死んだ人は安らかであって欲しいと願ってしまいます。
でも、自分の死後の意識については、そこまで考える気力もありません。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/04 08:56

客観的に意見しますと・・・・



それは、人によって感じ方はそれぞれだと思いますが・・・。 こんな書き方をすれば非難を受けるかもしれないけれど、私は「自殺する事は逃げる事」だと考えます。 よくことわざ(?)で若い時の苦労は買ってでもしろといいますよね? 私は若いながら最近感じる事は周りに苦労を知らない人間が多いという事です。 追い詰められたり、どん底まで落ちると確かに死にたくなるのは確か・・・かもしれません。 しかし、それが人を強くするのは確かです。 運だかラッキーだかしらないがとんとん拍子で大した苦労も知らずに大人になった人間ははっきりいって精神的に弱いやつばかりです。 思春期や子供の頃に何らかの挫折を味わった事の無い奴ほど、たやすく自殺して逃避しがちだと思います。 非常にナンセンスです。自殺した人には悪いけれど死を選ぶと言う決断自体が無駄なんじゃないでしょうか? せっかく一度しかない生命を捨てるのは忌むべき行為ですね。

  それからこの質問をしている貴方にもついでに一言言わせていただきます。 論旨からは外れるけれど、貴方はホームレス=惨め と決め付けている。 非常に腹立たしく思います。彼らを見下す資格は貴方にも、もちろん誰にもない。死を語る以前の問題ではないですか。 別にホームレスの味方ではないけれどね・・・。 もしかしたら貴方が見下しているホームレスの方こそ様々な修羅場を潜り抜けてきた強者かもしれないですよ。 

この回答への補足

私の表現に不快を感じられたのなら謝ります。

けれども
>ホームレス=惨め と決め付けている
のではありません。
私が言いたかったのは、「私自身はホームレスになったら耐え難く惨めに感じる」という意味です。ホームレスであっても生き続ける人たちは考え方、感じ方、強さなどが、私とどう違うのだろうか、と思ったのです。
皆さんの回答から、人との交流や、その他いろんなことから生きている喜びとか希望を見つけていく力があるからなのだろう、と理解できてきました。

>ホームレスの方こそ様々な修羅場を潜り抜けてきた強者かもしれないですよ
と、あなたが書かれている通りだと思います。

私はさほど幸運に恵まれた人生でもないのに、行き詰ってしまった時、それを打開する能力も耐える根性もありません。つくづくひ弱だと思います。

補足日時:2003/06/02 09:00
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>>身内を自殺でなくすのって、なんともいえなくないですか?



>その死について他人からは、責めるのも弁護するのも何も言って欲しくない気持ちですね。自分の気持ちさえ矛盾に満ちていて、何も受け止める余裕は無いですね。なかなか直視できなくて。

うーん、このへんは個人で受け止め方が違うのでしょうか。私は、すごく嫌だったし、文句が言いたい相手もこの世にいないので、自分は自殺しないと誓ったわけなんですが。

>>今では父に命を貰ったのだと思っています。
>と言われるあなたはほんとに偉いです。

偉いといわれるようなことではなく、本当にそうなんです。
だって、父が自殺してなかったら多分私はしてたでしょうから・・・。自分が自殺したら、周りがどんな嫌な気持ちになるかがわからないまま。

自分が自殺したら、周りがどんな気持ちになるかシミュレートできたから、「自殺はダメ!」という意思を保てたのだと思っています(死んだら、自分にとっては世界がなくなるわけだからどうでもいい、という人もいますが)。

でも、自分が好きな人たちを嫌な気持ちにさせたくありません。たとえ死んだ後でも。文字通り「死んでも」嫌なんです。
その気持ちをくれたのは父です。だから、父の命は無駄じゃなかった、と思いたいのです。
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この回答へのお礼

また、答えてくださってありがとうございます。
お礼が遅くなってごめんなさい。

>自分が自殺したら、周りがどんな嫌な気持ちになるか

心に突き刺さりました。ほんとにそうですね。
自分勝手だと、どれほどなじられても仕方ないですね。

お礼日時:2003/06/01 22:14

私も父を自殺で無くしました。


身内を自殺でなくすのって、なんともいえなくないですか?
死んだ人を責めたい気持ち。でも死人に口なし。
はっきりいって、私はすごく腹が立ちました。そして、誓いました。「どんなことがあっても自殺はすまい」と。

そして、その数年後、私はうつ病を発症しました。
何度か、希死念慮(死にたい気持ち)にもとらわれました。
そのとき、父が自殺したときの悔しさ、やりきれなさがよみがえりました。「死にたい。死んだほうが楽だ」「でも、死んではいけない」。激しい葛藤。つらかったです。
私は、今では父に命を貰ったのだと思っています。

死んではいけない理由はありません。
しかし、死んでいいという理由も、またないのです。
その答えを見つけるのが、人生ではないでしょうか。
答えを見つけずに死んでしまうのは、無念ではないでしょうか?
「死ぬまでにそんな答えなんか見つかるはずはない」
そうかもしれません。
でも、それでも生き抜いた人には、最後の死の間際に、その答えの片鱗に触れることくらいは許されるのではないでしょうか。
私にも、生きる理由はわかりません。
生きる理由がいつかわかる日がくるかもしれないから、いきつづけているのだと思います。
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この回答へのお礼

今朝は死ぬことがとても怖いです。

>身内を自殺でなくすのって、なんともいえなくないですか?

その死について他人からは、責めるのも弁護するのも何も言って欲しくない気持ちですね。自分の気持ちさえ矛盾に満ちていて、何も受け止める余裕は無いですね。なかなか直視できなくて。

親に自殺された子供の苦しみは、何をもってしても償われるものではないです。
それなのに、
>今では父に命を貰ったのだと思っています。
と言われるあなたはほんとに偉いです。

私は子供を残して死んだ後、どのように恨まれても仕方ないと思っています。子供を不幸に突き落とす罪は
どこまでも消えないと思います。

お礼日時:2003/05/23 09:13

cqcqさんに、逆に質問ですが、生きていて楽しいこと、


良かったって思うこと、挙げられるだけ、挙げてみてください。周囲の、例えば、ご両親や友人に聞いてみてもいいと思います。(何気なく)

 でも、死んで得することってないと思います。
ですが、私自身、過去に自殺未遂を図ったことがありますけどね。どん底状態から、這い上がるまで6,7年かかりました。精神科医の助けや、両親の支えがあって今では薬も飲まなくても良くなっています。現在家庭もあり、そのときに死ななくて良かったと心から思っています。

 cqcqさんのおじ様のことは、おじ様本人の決断です。その決意を肯定してあげてもいいと思います、心の中で。ですが、cqcqさんは、それに習う事は別問題ですよね。今実際生きているのだから、一緒に生きていきましょうよ(^-^)いずれは、必ず死が訪れるわけですし。限られた時間の中で、どれだけ自分を大切に生きられるか、それが、生きているものに与えられた課題なのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

生きていて良かったということは、人並みにありました。楽しかったことも。

>限られた時間の中で、どれだけ自分を大切に生きられるか、

その期限を自分で限ってはいけないのか、ということです。いつか来る死を待って、ゆるやかに死んだように生きるより、自分で限った短い期間を自分なりに生きていく。その方が生きている気がするのです。
逆転したり、這い上がるのに周囲の支えって大きいですよね。たった一人では、長く立っていることもきついです。それより短距離を走り抜けた方が、「生きてる」気がするのです。

>一緒に生きていきましょうよ(^-^)

ありがとうございます。嬉しいです。

お礼日時:2003/05/22 09:10

死んだほうが楽だと自殺するのは、人生は1回で無になる、消滅すると考えているからですけど、これは大間違いです。



肉体は滅んでも、霊魂の生命は、永遠です。

自殺したら、この世では同情されることはあっても、あの世では、修行を勝手に辞めてしまったという理由で、同情のカケラもなく地獄に叩き落とされてしまいますから、自殺だけは絶対にしてはいけないことです。

人生が1回なら、この世では嫌なこと、苦しいことに溢れているから、早く自殺したほうが、永遠に楽になれます。自殺はいいことだと肯定され、自殺は素晴らしいことと賛美されて、人口の半分か3分の2は自殺しているはずですが、ほとんどの人間が、嫌なことがあっても、苦しくても自殺しないのは、あの世を無意識に感じているからでしょう。

こういうと宗教だと思う方がいるかもしれませんけど、宗教は人間のつくったもので、あの世に宗教はありません。この世が厳然と存在するように、あの世も厳然と存在します。科学の進歩とともに近い将来、解明されて、大革命が起こることでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

死後の世界についていろんな考え方があると思いますが、生まれる前の世界の記憶も無いのだから、別人格も同然だと思っています。だから、死後の世界にも興味ありません。たとえ地獄に落ちるとしても、それが当然の報いなら、仕方ないことです。

死後の世界、意識があるとしても、
苦しんで生き、そして死んだ命が、死んだ後にもなお苦しむというのは私には耐え難い考え方です。
すべて無に帰すると思いたいのです。

お礼日時:2003/05/20 20:55

同感です。



自分の投稿かと思うくらい、同じ気持ちです。

私は、生きるべきか死ぬべきか・・・のようなことを悩みました。それは将来に対する不安からくるものが大きかったと思います。仕事も好きじゃないし、食べていけなくなったらどうしよう、誰も頼れないしって考えました。
でも、食べていけなくなったら食べなきゃいいし、自分の死を悲しむ人もいなくなったら、死ねばいっかって思えたら、気が楽になりました。

たぶん私もあなたも、今すぐ死ぬ理由ってないのだと思います。先の先まで考えるからそうなるんです。
今だけ楽しんで生きてる人にはわからない苦悩だと思います。

同じ考え、同じ気持ちの人間がここにいることも忘れないで下さい。
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この回答へのお礼

悲しむ人がいなかったら、どんなにか楽でしょう。

でもそれでも、仕方ないかと思うのです。

ありがとう。

お礼日時:2003/05/20 20:47

前の回答で「自殺は甘え」だって回答したものです。

他の方の回答やお礼を読んで、再び来ました、謝りに。

私の考えは変わらないんですけども、本当に死ぬしかないと思っている人にそんなことを言うのは残酷だって思いましたので。

そして、もう一度質問内容を読んで、「いつでも死ねる」ってことが救いになっているということが印象に残りました。

不老不死は、太古の昔から人間にとって究極の望みでありますが、はたして「死なない」っていいことでしょうか。

どんなに辛いことがあっても死ねば、そこから解放されるのです。死とは誰にでも平等に与えられたいわば「最後の切り札」ともいえるでしょう。

たった一度しか使えないものですから、本当に「これが最後」っていう時まで取っておいて下さい。
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この回答へのお礼

読んでいて涙が出ました。ありがとうございます。

「最後」という時を自分で早めてもいいんだと思ったら、「今」を抜け出す決心が出来たのです。

お礼日時:2003/05/20 08:50

生きるほうが圧倒的に辛いと思います。


かといって、死ぬことが楽とは思えませんが、単純に甘えや逃げという言葉で否定してはいけないものだと思います。
強すぎて死ぬしかなくなる人間もいるのですから。

「死ぬ気になれば何でもできる」
決まり文句のように言われる言葉ですが、必ずしもそうであるとは限りません。

世の中には、死ぬ気になって何かをしようとしてもできない人、死ぬ気になって何かをすることで、本当に死んでしまうかもしれない極限状態の人がいます。

そういう人たちは、いずれ訪れるかもしれない幸せや明日の生活なんて考えられない。
今現在味わっている苦しみから逃れることに必死なのです。

ホームレスの方に関しては、私も以前同じような疑問を持っていました。

しかし、「極限状態の人」とくらべれば、彼等にはまだ多少なりとも生活能力が残っている。
何かきっかけがあれば、生活が一変する可能性が残っている。

だから、そういう人間は苦楽に関わらず生きようとする、逆に一切の可能性を感じられなくなってしまった時、人は死を選ぼうとするのだと思います。

言いたいことがうまくまとまらず、あまり質問にそった回答ができていないかもしれませんが、私自身としては生きることは辛いこと。
死は生きる辛さから逃れるための同じく辛い行為。

だから、自分の周りに自ら死を選ぶ人がいたら、悲しい気持ちを持ちながらも、どちらにしても辛い決断をくだしたその人を肯定できるようできる限り努力したい。

だけど、万に一つの可能性がある限り、人は絶対に生きなければならない。

きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、私はそういうスタンスにたっています。
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この回答へのお礼

>世の中には、死ぬ気になって何かをしようとしてもできない人、死ぬ気になって何かをすることで、本当に死んでしまうかもしれない極限状態の人がいます。

そうですよね、私もほんとはそんなふうに思って来ました。
ほんとに死にもしない人が、「死のうと思ったけど」などと言うのを聞くと、「死にもしなかったくせに、そういうこと言わないで」と思いました。
でもそう思う自分の方が弱さの言い訳してるだけだと
思い直していました。

でも、ほんとに苦しくて「死んだ方がましだ」と思うから死ぬのですよね。死ぬことがどんなに辛くて悲しくても、これ以上生きることが自分としては耐え難いから。

お礼日時:2003/05/20 09:18

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