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なぜ、日本各地で卑弥呼の鏡が次々と発見されているのか?これは、卑弥呼の従属国の証なのか?私は、卑弥呼の時代に、日本はいくつかの従属国を持っていたが一つのまとまった国だったのではないかと考える。島根県の神原神社古墳から出土した三角縁神獣鏡は、卑弥呼の国産鏡として有名だ。そして奈良県黒塚古墳から三角縁神獣鏡が、30枚発見されたのはどうしてなのか?を考えた時に、私は中国の神仙思想の神像(東父王と西王母)と獣(龍と虎)から、古代では、東は神殿を祭り、西は古墳などを祭るという形がとられていたのではないか?と考えた。東には、天照大神と呼ばれる卑弥呼の神殿、西には卑弥呼の墓説とされる箸墓古墳があるので、中国の神仙思想に基づく関係にあると、考えていいのかどうかを、教えて下さい。お願いします。

A 回答 (6件)

 黒塚古墳では、三角縁神獣鏡は棺外におかれていた。

その一方、棺内から画文帯神獣鏡が1面出土。
 以上から、画文帯神獣鏡が大切な鏡であって、三角縁神獣鏡は葬式用の大量生産品。という解釈がシロウトには納得できる解釈です。
 クロウトがどんなヘ理屈を並べても『三角縁神獣鏡は葬式用の大量生産品』という平明な解釈を覆すのは困難と思いますが...。
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直接の回答にはなりませんが、参考に。



三角縁神獣鏡は主に近畿圏を中心として、全国各地の古墳から出土していますね。

「魏志倭人伝」には魏の皇帝が倭の女王卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えたことが記されています。
それがこの三角縁神獣鏡ではないか、という説もあります。

しかし卑弥呼がもらった鏡ではない、とする説もあります。
(1)三角縁神獣鏡は中国からは出土していない。
(2)倭人伝には100枚もらったとあるが、500枚近く出土している。
(3)出土が全て4世紀の古墳からで、3世紀の邪馬台国・卑弥呼の時代と100年もズレている
(4)「景初(魏の年号)四年」と記した鏡が出土しているが、景初は三年までしかない。従って日本で作られた偽者である。

(3)については近年年輪年代法が確立したことによって
古墳の築造時期が遡るという調査結果が出ています。
卑弥呼の墓とされる奈良県の箸墓もほぼ卑弥呼の時代と重なるとする研究者もいます。

(1)について、興味深いサイトを発見しました。
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html

これによれば、
2004年、中国の「上海博物館展」が開催された。
そこで展示されていた「張氏車騎神獣画像鏡」が「三角縁神獣鏡」に大変似ていた。 
博物館の学芸員によれば、この鏡は「三角縁神獣鏡」ではないという。
その理由は
●後漢の鏡で時代が違う。
 魏の時代のものでなければ三角縁神獣鏡とは言えない。
●縁は三角のように見えるが、少し丸みを帯びているようにも見える。この鏡の断面図は無いので、三角縁と言えるかどうかはわからない。

そして、学芸員さんは
「中国で魏時代の墳墓はまだ1基しか発掘されていないので、今後出る可能性はある。」と言ったということです。

魏時代の墳墓はまだ1基しか発掘されていないのであれば中国から出土しないのは当然でしょうね。
後漢の時代に「三角縁神獣鏡」と似た鏡が出土されている
ということは、魏時代の墳墓を掘れば出土する可能性はあると思います。
従って、(1)は断言できない、ということになります。

ただ、卑弥呼の鏡かどうかは(2)(4)の疑問が解明されていないので
断定はできないと思います。
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質問者の仮説は大変面白いです。




三角縁神獣鏡かァ。
私的には、古代の列島における「国家形成を進めるための重要なアイテム」だったと思っています。

ただし、古代の列島の支配階層の人々が、古代の大陸の「神仙思想」をどこまで理解していたのか、あやしいですが、、、
東王父・西王母・神獣が、神殿や墓の位置関係に関連があり、それが卑弥呼の神殿と箸中山古墳…と関係があるのかどうかも、私的には解を得ません。


卑弥呼が魏から下賜された鏡=三角縁神獣鏡?は、どうでしょうかね?


また、黒塚古墳でも指摘されていますが、棺外におかれた大量の三角縁神獣鏡と一緒に、棺内から画文帯神獣鏡が1面出土しています。
惰性に流され不勉強なので近年の研究動向を把握していませんが、庄内期~古墳時代前期の墳墓から出土する画文帯神獣鏡が、卑弥呼が下賜った初期100枚では?という説も結構有力みたいです。

石野博信先生は、黒塚古墳でも三角縁神獣鏡が大量に出土したことをみて、「三角縁神獣鏡は卑弥呼が下賜された鏡ではないなァ、と思った。」という「ニュアンス」のコメントをされていました。


また、魏書の倭人伝で鏡のことを「好物」と記していますが、一般人がこれを読むと、「卑弥呼(古代列島の支配者層)が好きなもの=鏡」、という感じですが、森浩一先生は「よき物」と読むんだとおっしゃっています。
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お礼がありましたので、宇佐神宮についての疑問点について述べます。

あくまで議論するつもりは無いので、気になっていることだけです。

http://www.usajinguu.com/Frame.html
宇佐神宮はご存知だとは思いますが、応神天皇・神功皇后を祭っています。そして、なぞの多い比売大神。読みが卑弥呼にちかい「ひめ」であるということからも邪馬台国と連想される可能性があるでしょう。
しかも二の御殿といいながら三座の中央に位置しているのが天皇でも皇后でもなく、比売大神です。その神宮が朝廷に重用されていたのにはやはり理由があるのでしょう。

神武東征と言われる日本書記物語の始まりがが高千穂であったことは知っていると思いますが、その九州地方の延喜式神名帳での式座数が非常に少ない(西海道全体で107座・しかもその半数が壱岐・対馬)のには何か理由があると思います。

とまあ疑問だけ提示して去ります。
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私は三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡ではないと思います。

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質問者様は邪馬台国畿内説支持者なんですよね?


いままで散々議論されているでしょうが、黒塚古墳から見つかった三角縁神獣鏡は国産ではないのかという点でしょうね。国内で100枚以上
三角縁神獣鏡が見つかっている点と、中国で出土例が無いので一般人としては推測の仕様がないというのが正直なところです。

僕はヤマト王朝と邪馬台国は敵対する国家だったと思っています。
ヤマト王朝の前方後円墳と出雲の方墳(神原神社古墳)は明らかに違う
訳ですし、アマテラス=卑弥呼にしても卑弥呼唯一の肉親とされる男子を出雲のスサノオと考えるのは無理があるのではないかと思います。

あくまでこういう学術的でこの場で解決しない話は質問しない方がいいと思います。確実に議論になるでしょうから。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2280494.html
参考までに3年前の質問張っておきます。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2280494.html
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この回答へのお礼

私は、正直なところ、畿内説よりかは、九州説の方が有力だと思っています。そういう雑誌も多く見かけるからです。大和国というのが、九州にあったから、宇佐神宮が大分県にあるからです。卑弥呼が祭られている神社があるということはその周辺が邪馬台国だったと考えられるからです。大和朝廷とは別の国家であったことも、後から、知りました。いろいろ教えてくれてありがとうございました。

お礼日時:2009/12/17 12:22

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