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四や九が死、苦につながるから避けられる、というのはなんとなくわかります。でも、末広がりだから八が尊ばれるっていうのは、なんだか納得できません。
聖数「八」について、くわしく教えてください。

A 回答 (6件)

少しご質問の内容とは違うかもしれませんが、おもしろい記事をみつけました。

試しに、ご覧ください。

マジックナンバー「八」
http://www.kitombo.com/mikami/0505.html

参考URL:http://www.kitombo.com/mikami/0505.html
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日本で八(ヤ)が尊ばれるのは、もともとこれが「極大」という意味につながる極数だったからでしょう。

八雲、八千代、八種、弥栄、弥増す…などなど、「ヤ」という音はもともと、「いよいよ」とか「たくさん」というニュアンスを持たされた縁起の良い数だったのです。

古来、日本人は「対」の感覚を重視していました。つまり、倍数を意識していたわけです。
万葉集では片手(カタテ)に対して両手のことをマテといったり、夫でも妻でも同じく「ツマ」と呼ばれたりすることからもわかるように、一対というペアをもって完全という感覚から「マ」とし、一対とならないものを「カタ」として半端なものと受け止めていたことが伺えます。
(国学の音義言霊観なら、例えば誠“マコト”とはマの言葉、つまり「完全・真実の言葉」であるが如しで、マは完全性に通じます)

このような感覚は、数字をあらわす言葉の音にも表れています。
一(ヒ、フィ)に対してニ(フ)、三(ミ)に対して六(ム)、四(ヨ)に対して八(ヤ)
(つまり 1:2  fi:fu、 3:6  mi:mu、 4:8 yo:ya、という対応関係)
といった具合で、ちょうど彼方(カナタ)と此方(コナタ)の関係のように、それぞれ基数とその倍数が子音を共有して母音を変えただけ、という相互の関連があることがはっきりわかるでしょう。これらは明らかに対として意識されていて、カタ:マのペアとなっているわけです。

その元になる世界観は現代の我々のものとは少し違います。つまり、3が単に2より1大きい数ではなく、また4は2の倍数ではなく、それぞれ単独で基本的な数として受け止められたことが伺えるからです。つまり古代日本人は1、2、3…という自然数の感覚で世界を理解していたのではなくて、1、3、4とその倍数である2、6、8という対でもって認識していたということになります。

この感覚で言えば、八(ヤ)はその基本的な数のグループのうち、完全性の高い「マ」の数のうちで最大のものということになり、上に書いたような意味を担わされることになったのでしょう。ですから必ずしも2の3乗であるといった感覚がもとにあるのではないと思えます。

こういった感覚は恐らく漢字渡来の以前からあったでしょう。マなる極数として8が重視されていた感覚がベースにあり、そこに末広がりの形象を持つ漢字の「八」がもたらされ、一層その重要性を増したのだということです。
そもそも漢字の「八」は「左右に別れる」の謂いで、末が広がるとか吉につながるという感覚がないことからもそれは明らかです。

2乗ということを意識する感覚があるとすれば、それはむしろ中国の方でしょう。中国では九品、九献などのように九が「究」に通じる極数と扱われ、「いよいよ」とか「多い」といったニュアンスを持たされます。
これは、「度々」「幾つも」といった意味を持つ「三」の2乗であることとも多いに関係しているのではないでしょうか。

以上ご参考まで
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No.2 補足します。



八が末広がりでめでたい(聖数?)はこじつけ、後世の人が考え出したことでしょう。私がいいたかったのは聖数感覚は古代の人間ほどもっていた筈で、同じモンゴロイド系の新大陸の先住民が4を聖数として現代まで伝えており、日本にもその痕跡があるということです。大陸文化の到来、漢字の導入で縄文以来の日本の原文化は混乱してしまったと考えています。

人間が定住して暮らすとき、四つの方角に意味が与えられたと思われます。東は太陽の昇る聖なる方角と見る民族、北こそ聖なる方角とする民族(ナバホ、プエブロ族など)日本でも(或いは仏教と共に伝わった大陸の考え方)でも
北は聖なる方角で、君主は南座す、つまり聖なる北側に着席する(土俵でも北がメインの方角)お釈迦様は北を枕にして亡くなった(それ以来北枕は死者のものと信じられ、日本では北枕はするなという)

このようにして先ず方角の4が聖なる数字になり後に大陸文化到来で奇数が聖数扱いされるようになったものと考えられます。8そのものが聖数ではなく(奇数聖数論に支配された日本になじまない)やっつという大和言葉に意味があり、後に文字の八と関連づけられたと考えられます。

この回答への補足

再々、すみません・・・汗
出雲大社の4拍手というのも、死ではなくて、四方向なのかもしれませんね。
なんとなく見えてきたような気がします。

補足日時:2003/06/05 02:58
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中国の方から陰陽説や五行説と同じように八卦(八象)が伝わったのが元ではないでしょうか。


八卦は風水の重要な考え方のようで、世界や過去未来も表すようですし。
たぶんその概念から八卦掌や八極拳など有名な拳法の名前のもとになっているのではないでしょうか。
似たもので、十支や十二支なんかもありますが。
こういった事から、これらの数字が他の数字よりちょっとひいきされているのではないでしょうか。
詳しくは、検索サイトなどで、"八卦"をキーワードにすれば、かなり専門サイトが引っかかると思います。
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この回答へのお礼

八卦というのも、八方向(四方向の倍)と考えれば、
martinbuhoさんのアドバイスに通じるものがあるように思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/05 09:02

このような習慣は文字や漢字を知る前に生まれたと思います。

4は「死」というイメージは漢字を知らなくてもあったかどうか。古代大和言葉の「死」を研究する必要があるでしょう。

私見ですが、基本的な方位「東西南北」即ち4つの方角は古代人にとって聖数だった筈です。その倍数8も基本聖数に準じて大事な数字となったのではないでしょうか。これも古代大和言葉の研究分野になりますが、末広がりや多数を意味する八は、漢字の導入により、大和言葉で同じような意味を持つ言葉と結び付けられた可能性があります。やおよろずのかみ(八百万の神)という言葉は中国からもたらされた神ではないと考えられますので八百万は当て字でしょう。同じように八百八橋、八百屋(やおや)なども漢字とやまと言葉を結合したものだと思います。

アメリカのスー族やプエブロ族、南米の先住民などの間に
4を聖数とし、同じ踊りを4回繰り返したり、同じことを表現を変えながら4回繰り返す、四方に向かって礼拝するなど等の習慣が残っています。日本でも漢字や中国文化が導入されなければ4は依然として聖数だったのではないでしょうか。聖数四の身近な使用例は大相撲の土俵の四本の柱があります(現在は柱は廃止され代わりに大きな布の房が、赤、白、青、黒で方角を表しています)同じ思想がキトラ古墳や高松塚の壁画で発見されています。

私の結論は聖数八は古代の聖数四の身代わりとして生き延びたです。

この回答への補足

まだ、うまく理解できないでいます。
ご回答を読ませて頂いて思ったのですが・・・。
八や四という表記やハチ、ヤ、シ、ヨンなどといった読みには、あまりこだわってはいけないということでしょうか?
また
八が四の倍数と考えるなら、
2の倍数(2乗)=4、2の3乗(4の倍数)=8
とも考えられるのではないでしょうか・・・。
とすると
ニがもともとの聖数・・・?

何かアドバイスお願いします・・・汗

補足日時:2003/06/02 08:48
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漢数字だと「末広がり」


アラビア数字だと「無限大」
どちらも大きな広がりを感じさせるから。
ではないでしょうか。

この回答への補足

んー・・・
八百万の神々の時代から
「アラビア数字8」「無限大∞」の存在を知っていた?
ということでしょうか・・・( ̄_ ̄ ?)

補足日時:2003/06/02 08:55
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