dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

1937年から翌38年までに吹き荒れた赤軍大粛清ですが、スターリンは自分の人脈でない軍高官を次々に殺していきました。
この悲劇は単に赤軍の弱体化を招いただけなのでしょうか?それとも何か結果的に独ソ戦の勝利に貢献した一面もあるのでしょうか?

A 回答 (4件)

戦争の勝敗に限定せず、ソ連の国家体制の維持という点での貢献は大きいと思われます。


4年間にわたる熾烈な独ソ戦において、アンドレイ・ウラソフなど前線指揮官が反旗を翻した例はありますが、ソ連軍の中枢部が反スターリンで行動した例は見受けられません。
もし大粛正が無ければ広大な国土を占領された時点で、ヒトラー暗殺未遂事件と同様の事件がソ連で起きた可能性も決して否定出来ません。
まあそれがソ連の国民にとって良かったか悪かったかは議論の余地があるでしょうね。
    • good
    • 0

まず、弱体化を招いた事実は変わらないでしょう。


現場監督である佐官クラスも大量に粛清されたので(殺されはしなかった人も多い)、戦闘機構以外の部門もガタガタになります。兵站、工兵、築城関連のスペシャリストがいなくなったので、生産された兵器が戦力にならないという異常事態がおきます。いじって壊したら「人民の財産を損傷した」としてエラい目にあい、もちろん、練習のために動かして、不具合が見つかったりしても、ウッカリ報告したら「人民の作った兵器の欠陥を暴きたて生産工程を混乱させるサボタージュ行為」とでもいわれて、粛清がオチです。うけとったらいじらない、は、阻止陣地のはずのスターリン線向け装備が、キチンと配備されず、野ざらしになってダメになる結果もうみました。
つまり、軍隊が組織的壊死をおこし、特に機械化されるべき部隊と、空軍が大打撃を受けました。これは動かしようが無い事実です。労農赤軍は共産党に対してのみ責任を負う組織なので、逆に言うと党のごきげんさえ損なわなければよいわけです。みな、保身に走りますよね。

この状況を見て取ったヒトラーは、対ソ連戦を本気でやると決意しました。ある意味、粛清がドイツ軍を呼び込んだようなものです(トハチェフスキーは、ナチス親衛隊保安部の謀略で粛清されたという話は、割と聞きます)。赤軍は独ソ不可侵条約にのって、ポーランドを東から刺したわけですが、その時に動いた戦車、トラックの整備も事欠いたのが実情です。ついでにいうと6月22日前の段階で、ドイツ軍からの脱走者がバルバロッサ計画の正確な時刻などを教えたのに、情報が上に上がらなかったのも、組織的壊死の証拠でしょう。初期の壊滅的大敗北は、やはり粛清に原因があると思います。

粛清されなかった大物は、基本的に騎兵と歩兵の人が多かったのですが(ジューコフは騎兵)、独ソ戦初期の敗北の結果、一人に権力が集り軍隊を指揮しやすくなったという結果を招きもしました。また、能力を発揮した若手中堅幹部がどんどん昇進することも増えました(カツコフなどはその典型)。勝てば官軍的な所もありますが、粛清とドイツ軍で組織をリフレッシュした側面も、たしかにあるでしょう。
    • good
    • 0

 結果的には弱体化だけだと思います。


 経験豊かな将校を失ったことによる作戦・戦術のミス、なにより「勝手なことをすれば粛清される」という恐怖が心の底に染み付いたため、何があっても中央の命令がないと動けない傾向が蔓延し、臨機応変の行動がとれなくなったといいます。
 規則どおりにしか動けない野戦指揮官なんて、的になるだけですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答頂き有難う御座います。
確かに、スターリンは大粛清を自身の権力闘争のために大いに利用しました。それは政治を純軍事的メリットよりも優先させたが為に外なりません。
しかしハード面においては、党による革命とスターリンの強引なまでのリーダーシップ無くして、第2次五ヵ年計画の成功による急速なソ連の工業化も独ソ戦による勝利も疑わしかったと思います。
赤軍にとって、縦深戦術や近代的な機械化部隊を確立したトハチェフスキー元帥を始めとする将星を失ったことは間違いなく大きな打撃であったことでしょう。が、それの確立を可能成らしめた下地となっているのはやはりスターリンの指導力の賜物の様に思います。
その証拠にソ・フィン戦争や独ソ戦初期の大敗はソフトウェアの問題であり、それ故に短期間のうちに修正できたのだと思います。
そう言った意味では赤軍大粛清は、ジューコフやヴァシレフスキーらトハチェフスキーの薫陶を受けた若き将校に辣腕を振るわせる素地を提供した独ソ戦勝利の為の試練であったような気がします。

お礼日時:2010/02/25 23:47

弱体化を招いたといえばどうみてもYESです。



念のため言えば、根本的な問題としてソ連の大規模な軍拡によりソ連の将官数が足りてないという事情があります。
元々のソ連将官の不足数から言えば粛清で人生さようならした人は大した数じゃありません。(逮捕→のちに復帰の人も相当数います)


>何か結果的に独ソ戦の勝利に貢献した一面もあるのでしょうか?
貢献は間違いなくしてませんが、だからといって粛清しなかったら何か戦局や戦闘で大きな違いが出たかといえばぶっちゃけNOでしょうね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!