プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

こんにちは。いつもお世話になっております、17歳の男です。ここ数年(中学生の頃から)、あることが原因で希望が見出だせず、もう生きているのが嫌になっております。一応このページでも似たような状態の方々のご質問には目を通しておきました。

きっかけはたぶん小さなことだったのだと思いますが、自分の容姿(顔、体型などすべて含め)が大変醜いことに気が付き、それ以来人と正面から顔を合わせて会話したりすることがとても恐いのです。鏡なんてとてもじゃないですが見られませんし、写真を撮られるときになると、呼吸が乱れたり激しい頭痛を催したりします(狭い空間に監禁されている心境に少し似ています)。
また、自分の服を自分で買うように母親に言われて出かけたことがあったのですが、皆スタイルのいい人ばかりで、自分がいてはならない空間に思えたため逃げ帰ってしまいました。その日以来、外に出るときは帽子とマスクを外せなくなってしまいました。この状態は数カ月続いており、今も治っていません。

私は、長身美女の母親(今40半ば・小学校教師)とチビ・デブ・ハゲの父親(50くらい・銀行員)のもとに生まれた一人目の子供でした。母親の美しさは自他共に認めるもので、彼女以上に美しい人を、私は未だ見たことがないくらいです。性格はややきついですが交友関係も広く、「どうして女優を目指さなかったのか?」と私は本気で思っております。入浴後に母の艶めかしい裸体を見ると、一人の女性として抱きたい衝動に駆られることもあるほど。
一方父親は現在家族との関わりを断っており、祖母と共に親戚・近隣からも絶縁されています。容姿・性格共に最悪で、幼い頃から母は、常に彼を反面教師として私を育ててきました。

母は自分似の子供(女の子が欲しかったかもしれない?)に育つのを期待していたようですが、不幸なことに私は約170cm-60kg前半の、決して理想的とはいえない身体をしております。顔に関しては「ちっとも卑下するようなレベルじゃない」と母は言うのですが、自分の感覚では前述のとおりなのです。ちなみに両親のどちらにも似ていません。

以前母(その頃勤めていた会社を不当解雇され精神的に不安定だった)に
「せっかくいい遺伝子残したのに、あなたみたいな子供に育つんなら、いっそ産まなきゃよかった。」
といわれたことがあり、今もできることなら爆弾で顔も身体も粉々になって死にたいくらいです。(そんな勇気ないですが)

おそらく今後は父親のように、腹に脂肪が溜まり、頭髪は抜け落ち、太らされて喰われるのを待つ家畜のような醜態になるのだと思います。そう考えると、少しでも醜さの薄い若いうちに潔く夭折した方が醜い姿を晒さず私の一生を可能な限り美しく飾れるのではないかと思ってしまいます。


……でも、本心では「もっと希望を持って生きたい」という気持ちがあるのです。自分の醜さという呪縛から解き放たれたいというのが本音なのです。

毎夜毎夜涙を流しながら苦しんでいます。どうすれば私の人生に希望は見えてくるのでしょうか?

A 回答 (4件)

あなたは「醜いアヒルの子」という童話を読んだことがありますか?



この本が何を言っているかは高校生であるあなたは理解できるでしょう。 外形ではなく内面のことをたとえているのです。
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心療内科へ行ってください


自己判断ほど当てにならないものはありません
顔で人間お終いなら、吉本は存在しません
芸人がテレビに出ること自体あり得ない事になります

>「せっかくいい遺伝子残したのに、あなたみたいな子供に育つんなら、いっそ産まなきゃよかった。」

顔で無く
その性格だと思います
卑屈な人間ってことを嘆いているんですよ

>どうすれば私の人生に希望は見えてくるのでしょうか?

心療内科への受診とカウンセリングです
思ったより簡単に立ち直れます

ソープやヘルスに行くのも良い
いい意味であなたを励ましてくれます
あなたが、卑屈にならず自分を偽らなければ、親身に話を聞いてアドバイスをくれると思います
あなたより、もっと大変な人生を送って、もっと大変な人をたくさん知っているから、あなたより大きい心を持っています
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口が悪いのは容赦してくれ。



やたら芝居がかった表現が釣りのように思えるんだが、自分にその意識がないなら、ちょっと考えたほうがいいぞ。

本題だが、人間、ほとんどが暗示にかかって生きてる。マスコミ、国家、言語、思想、トレンド、何にも影響されずに生きていられるわけはない。自分ではそうじゃないと思うかもしれんが、肉体生理的なこと以外のほぼすべては、そうしよう・そうすべきだという暗示によって動いてる。

たとえば朝起きて、顔を洗う、歯を磨くといったことですら、何らかの影響を受けて、暗示にかけられた行動と考えることができる。

それを踏まえて、なんだが、アンタの場合は、自分が醜いと思い込む自己暗示に掛かってるわけだ。そしてこれは当たり前のことだが、醜いというのは絶対的なものじゃない。世界にアンタがひとりだけだったとしたら、醜いかどうかなんて分からんだろ。

「誰かと比べて醜い」わけだ。つまり、アンタの近くに、醜くない誰かがいるはずだ。それも、自分がコンプレックスを抱くほどの容姿を持った、誰かがな。

さて、じゃあアンタが苦しむのは、なぜか。

それは、「もしかしたら醜くないのかもしれない」と思ってるのに、圧倒的な力で自分を醜いと信じ込んでいる力に屈服しているからだ。

アンタは「醜さという呪縛」とたとえたが、醜いだけなら呪縛なんかにゃならんのだ。最初から醜けりゃ、それなりの生き方をする。最初からカエルなら、カエルらしく生きるだろ。王子様がカエルになるから呪縛だと思うんだ。つまり、呪縛が解けるかもしれない一縷の望みがそこにあるからアンタは必要以上に苦しんでいる。

突っ込んでいえば、アンタの自我そのものは、自分がことさら醜いわけではないことを知っている。なのに、何らかの「強烈な暗示」を外部から掛けられる、あるいは自分から背負い込むことで、アンタは正常に自己評価することができなくなった。

原因としては、自分の母親に対する強いコンプレックスが、自分を必要以上に卑下するようになった。家庭環境が自分へのプレッシャーとなった。色んな可能性が考えられるだろうが、原因を探っても意味はない。過去は変えられんからな。

解決策はひとつしかないんだ。

それは、アンタの心にちょっぴり残ってる、「自分は醜くない」と思ってる自分によって、「醜い」という自己暗示を解いてもらうことだ。

時間は掛かるかもしれんが、時間を掛ければどうにかなるだろう。ただし、自分のことを信じられるようになりたいと願う強い気持ちと、そのためにできることから行動していくことが必要だがな。

お節介かもしれんが、間違っても、クスリや外的要因なんて理由で片付けるんじゃねえぞ。これくらいのことは、自分の内面から解決できることだ。
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私は164Cmで67Kgあります。

貴方がうらやましいですが、貴方は「醜態恐怖症」と言うものを知っていますか?本屋にでも言って買って読んでみて、学ぶ方が良いと思います。

不安恐怖症から開放された経験から、貴方に書いて見ます。昔は神経症という枠で、一くくりにして有りました、今はやたらに病名が多くなったような気がしますが、昔の名前の神経症と言うことで話を進めたいと思います。神経症の中には様々な症状が有ります。ですがその症状は全てが「意識した事」が症状名になっています。

そうしてその原因は皆同じです。「症状がそれぞれ違っていても原因となっている事は同じです」同じ原因で発症しています。その原因と対策を書いて見ますので、貴方は自分でも学んで下さい。

その原因とは、「意識をしたこと」が原因で「意識をした事を、悪いものと言う勘違いをしてしまった事です」意識にに上った事に違和感を抱いてしまった事が原因と言えます。今の貴方には分からないかも知れませんので、本屋さんで神経症関連の本から学んで下さい。

人間には意識が在ります。この意識は「自我意識」と呼ばれているものです。処が人間には自我意識の他に、もう一つ意識が在ります。この意識は貴方が「自分を忘れている時に」登場しています。大変分かり難いです。ですが確かに存在しています。貴方が夢中になって何かをやっているときに「ハット、我に返ったことはありませんか?」夢中で何かの作業をしていて、夏の暑い中で汗、ダクダクニなっていた時に、吹いてきた風に気ずいて「涼風を感じたとき」等です。

或いは自転車などに乗っている時なども、です。自転車の練習などの時は、絶えず転ばないように意識を自転車に集中させています。慣れてきた場合には「次点者に乗っている事も忘れていると思います。自分の意識が自転車に乗っているのも忘れているにもかかわらず、自転車は転んだりはしないで、しっかり運転出来ています。誰が自転車の運転をしていますか?

気ずかずにいますが、このような場面は一日には大変多いのです。人間が一日起きていて、眠るまでに「意識している時間」と無意識に任せている時間を統計を取ったものがあります。細かい数字は忘れましたが、二割くらいが「意識をしている時間だそうです」

と言う事は残りの8割近くは、自我意識が自分の生活には関与していない事になります。この事が神経症と関係してきます。つまり神経症になったと言う事は「自我意識」の出る幕が多すぎて、逆に言うならば「無意識の出る幕が少なくなっていいる現象」と言う事になります。

そうなった場合は「無意識」が、自我意識に自分の出番を催促をするということになります。この催促している状態が「自我意識が受けている圧迫」と言う事になります。「何処から来るのか分からない、得体の知れない、或いは、漠然とした不安、或いは罪悪感」などの、心に掛かってくる圧迫の事です。

この圧迫が自我意識の生き難いと感じる「心の苦しさという事です」或いは、是が「心の矛盾や対立の正体」とも言えます。貴方の心には肯定する心と、否定する心が「同居」していると思います。この二つの心が人間に存在している二つの心の「心の矛盾」の正体と言えます。

神経症を治すという事、或いは、恐怖症を解決させると言う事は、その症状に悩ませられている人の思惑とは違うかたちで治ってゆきます。この事に触れてみます。

症状に苦しんでいる人は「その症状が無くなったらどんなに良かろう」と思っています。本当の言い方をするなら、症状は何も在りません。何もない事に、気が付かないで、頭の中で症状を作り出しています。その事に気が付く事が完治です。症状は誰にでもある感覚、或いは感じであって、症状は治す必要が無かったと分かる事が、完治です。

他の言い方をするなら、先に二つの意識、或いは二人の人格が一人の人間には同居している、と述べましたが。この、もう一つの意識が自我意識に流している情報が、症状と分かります。症状は自我意識を助けるための情報だった事が分かります。この事が分かる事は、自分自身を知ると言う事になります。

この事を「見性」と言います。自分自身が分かったという事になります。ソクラテスが言った言葉「汝自身を知れ」と言う事が分かったということになります。もう一つの意識とは、お釈迦様が言った「仏性」と言う事になります。自分自身を働かせている、自分自身の命の働き」と言う事です。キリスト教で言うところの、「神に会って神と和解した」という事になります。

神経症とは自我意識が「識られざる自分自身の神と」争っている事になります。それが心の矛盾の正体と分かります。自分の心が強い圧迫を受けてしまいと言う現象の事です。生き難い想いをしていて、絶えず心に圧迫を感じている事です。この事をお釈迦様は「一切皆苦」と言う表現をしています。正に当たっています。

さて、その解消方法ですが、自分が学ぶ事が大事となります。他人任せでは自分の神経症、恐怖症は解決しません。人間の心の専門家になって自分の神経症を、自分で治すと言う心がけが必要となります。それは難しい事ではありません、症状を嫌って追い出そうとしていますが、その心がけが症状を作って固定させています。

従って、症状はもう治らないと言う諦めが必要となります。治らないと諦める事が、治る、始めの1歩になります。症状を治そう、症状を無くそう、と言う試みが症状を作り出して、更に固定させています。神経症の治りとは症状を相手にしなくなる事です。症状が在ろうが、無かろうが一喜一憂しない人間性に成長する事が大事となります。

それともう一つ在ります。人間は如何して苦しむように出来ているのか?と言う事です。この事が分かった時に、自分の苦しみは解消できます。何故ならば、心の矛盾が解消できるからです。その解消した姿を神と和解した、或いは涅槃と言う言葉で表しています。

心が争わなくなる、限り無く心が静かで平和になると言う意味になります。今風に言うならば「絶対の安心」と言う事です。不安を起こしていたものと和解して、もう心には争いがなくなるという意味になります。
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この回答へのお礼

醜形恐怖は聞いたことがありますが、自分とは何の関係もない分野の話だと思っておりました。もし本当にそれだとすると、恐いですが。

意識している時間って、そんなに少ないんですね。2割ですか。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/17 23:30

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