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主婦です。最近パートを始めました。
理系の大学を出たこともあり、分析関係の手伝いをしています。
なれてないせいもあると思うのですが、以前からの「癖」である
何度も繰り返し確認する行動が多いです。
「間違わないように、間違わないように」
と自分を追い詰めて、3度4度と(手順や番号など)を確認しないと怖いのです。
午後からのパートなのですが、
午前中は間違わないように今日も出来るだろうか、以前のデータがおかしいとか指摘されないだろうか・・・
なんて考えて過ぎて、家事が余り出来ません。ほとんど布団に逃げてしまいます。
バイトから帰ってきた後、安心したせいか元気が出て、夫が帰ってくるまでに朝出来なかった掃除やご飯の準備をしています。
夜は、今日も頑張れた、出来た、と思ってとても調子がいいんです。

自分でも、そういう傾向は以前からとても強いとわかっていたため、あまり追い込み過ぎないように気をつけているつもりです。
でも、最近とても苦しくて・・・(怖くて、と言うのが気持ちに近いかもしれません)
主人に話そうとも思うのですが、
夜はとても元気な姿を主人に見せられるし、普通の社会人ならこれくらい責任を感じて仕事するのがあたりまえなのかな?とも考えると、
言わないでもまだ大丈夫、言わなくても良いかな、なんて考えてしまって、なかなかいえません。

思えば、中学生のころからテストの答案を何度も見直さないと安心できなかったし、家を出た後、コンロや鍵が気になって確認しにいくことが多いし、進学した大学院も(半分は)それが原因で辞めました。

それで、私はやっぱりちょっと変だと思うのですが、変なんでしょうか?
これって、病気なのでしょうか?病気なら、治せるのでしょうか?
それともただの癖?なのでしょうか。
一般的に、皆さんはこれくらい気にするのでしょうか?
主人には話したほうがいいのかな?

自分の気持ちの不安や恐怖に耐えられなくなり、アドバイスやご指摘がいただきたくて投稿いたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

こんにちは^^


一度、心療内科に行ってみることをお勧めします。
私も不安が強くて布団からでれなかったことがあり、必死の思いで
ここに質問をしたら心療内科に行くことを勧められました。
現在は薬を服用し、快方に向かっています。

大学院を辞める一因になったということは、生活に支障がでてる
ということですよね。
質問者様の場合、強迫神経症(またはそれに近い状態)かもしれませ
ん。でも医者に診てもらえば絶対に治りますよ。

あと、ご主人に話した方がいいと思いますよ。人に話すだけで楽に
なります。私自身、家族に話してみて安心しました。
出来るだけ早く行ってみて下さい。質問者様の気持ちが楽になります
よう願っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
sharaku14様がおっしゃった「強迫神経症」をネットで調べてみました。
驚くほど、自分の行動や心の不安や恐怖と同じことが書かれていてびっくりしました。
一度、心療内科を受診してみようかな、と考えています。
経験のある方からのアドバイス、大変参考になりました。
本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2008/02/25 12:08

僕と同じ、強迫性障害による、強迫観念から、強迫行動です。


これは、理由はいまだはっきりわかってませんが、何とか社会生活をおくれ、それくらいなら辛抱できるなら、強迫性障害ではありません。
几帳面、不安、心配、完ぺき主義、特に不安が自信を喪失してなんども繰り返すことによって、不安感を取り除こうと強迫行為をするのです。
一種の演技担ぎです。強迫行為に疲れると、もう、自分で自分を許すと言うことになり、終わると、安心感開放感で、ほっとするのです。あまり無理をせず、止めよう、と言う意識をなくし、やらずに入られなければ確認行為などしてもいいと思います。止めようと言う意識が強いと返って、それにこだわり、深みに入って抜け出るのは大変です。一生続くかもしれません。でも、仲良く付き合って、しんどいけどこれが自分だと思うような考えで、いれば、いずれ、治るようになります。
こういうことは、人から見れば(自分でも)おかしいと思うのですが簡単に止めれないです。
一度心療内科で相談してみてください。今は昔と違っていい薬もあります。(SSRI)と言う、強迫神経症に効くくすりです。それでだめなら、認知療法があり,二つを併用して直していっている人も多くいます。しかし、認知療法は、相当、信頼の置ける、高度なスキルを持つ医師で無いと、効果どころか返って悪くなることがまれにあります。僕は今良くなりました、完治ではないですが相当良くなり安定しています。その症状を、除去することばかり考えず、仲良しになると言う気持ちになってくれれば、なんとな句、収まってきました。焦りだけは禁物です。人は間違いがあってもいいじゃないかとか、もし火災になったとしても、不可抗力で仕方ないと言う気になれといいますが、この病になった人しかわかりません。そう簡単なものでは、ないのです。専門医も、この神経症になってないので、本当の辛さが、わかるわけないです。
自分と、同じ症状に、苦しんだ人しかわかりません。ご主人に話して相談相手になってもらうのはいいと思います。ひとりで、悩んでいては、だめです。がんばってください。早く良くなることを、祈ってます。
決して、僕のように、30年以上、人生を棒に振るようなことだけは無いように!!、今の医学の進歩では、うまくいけばはやくよくなるはずです。現に数週間で治った人もいます。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
ご回答ありがとうございます。
同じような気持ちで苦しんだり、悩んだりした経験のある方の気持ちを聞くと、私だけじゃない、分かってくれる人がこんなにいるんだ・・・と涙が出そうになりました。
thirdforce様のおっしゃるように、心療内科を受診しようと思います。
本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2008/03/01 16:55

ご質問者さんが本気で苦痛を感じ、しんどいのなら、病気を疑い、心療内科や精神科を頼ってみるのが良いと思います。


もしも今のこの状況を、自分の精神的な弱さのせいだとか、周りの人だってきっと自分と同じような状況にくらいなるし、そして人はみんなはそれを耐えて乗り越えているんだ(=乗り越えられずにつまづく自分はオカシイ)、などと思って自分を責めてしまっているようなら尚更。

確かに一見「単なる性格の問題」と区別がつきにくいことだし、不安も恐怖も仕事の重圧も神経質な面も、人間なら誰でもあることだけど、だけれども普通ならば、そんなに異常なまでの、日常生活に支障が出るくらいの強い不安感や恐怖感は、出るものではないです。
この心理状態は、「不安」「恐怖」という言葉だけではなかなか伝わらないくらい、なってみないと分からないものですよね。

私も質問者さんと似たような感じで、強迫性障害(強迫神経症)という診断が下ったのですが、変な言い方ですが病気だと分かってすごく気が楽になったし(それまでは自分が悪いんだと自己嫌悪ばかりで辛かった)、そこから初めて、治そう、何とかしよう、という前向きな発想にすんなり切り替えられるようになったと思います。

ご主人にも、一人で抱え込まずに、打ち明けてみるといいと思います。
家族に受け入れてもらえれば、それだけでもかなり楽になれますから。

少しでも今の辛い状況から抜け出せることを願っています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
ご回答ありがとうございます。
quartettoさんのおっしゃるように、私も自己嫌悪に陥ることが多いのですが、病気かもしれないというご意見をいくつか頂いただけで、へんな言い方ですが、少し安心しました。
ネットで、強迫神経症を診察できる心療内科が近くにあることが分かったので、今度受診しようと思います。
大変貴重なご意見どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/03/01 16:52

貴方には、元々、人生とか、自分とは、といった疑問が、他の人より少し強いかと思います。

その下地が有る人が、何かを「意識」した時は、その「意識」したことに、心が集中しすぎる事が有ります。人は「何かに、心を、集中させて、意識的に解決をはかろうとする時」に不安が襲ってきます。心が健康か、どうかという事は、心が流れているか、停滞しているかによります。

不安は、心が停滞している事の顕れの一つです。そして、その不安を「心」から追い出そうとする時に「妄想が出てきます、恐怖という姿になっているかも知れません。」早い話がその不安が湧いて来るという事を、「意識」上に挙げて、ことさら、不安を排除しようと「意識」している事が問題を大きくしています。心を集中して、事を成し遂げるという事は、心は、四方八方に気を配る事です。心が流れている事です。

不安に心を集中させているという事は、自意識(無意識に対する意識)過剰という事になります。心が停滞している事です。心の停滞が「精神疾患」の元です。不安を自分の意思、或いは、意識で何とかしよう、そうする事が、心の停滞につながります。不安だからといって、その不安をますます強く、追い出そうとすると、ますます意識的になります。

その強く意識し続けている時が「一切皆苦」の世界です。つねに何かを意識している事が「不安」なのです。心が流れていないからです。心が常に流れている事を、「平常心」と言います。それは、東洋の智慧「道」です。それは、心を何処にも、置かないという事です。「平常心是道」というのは、心の健康のためなのです。禅の師匠達が、一生掛けて、伝えようとしている事は、心の健康なのです。安心して人生を生きてゆくためには、平常心で生きてゆくこととおしえています。

そのためには、不安を、心に浮かんだ雑念として、諦めて、それ以上何とか、しようとしない事です。言い方を替えれば、ただ、受け入れることです。貴方が不安を、恐怖にしています。それは、心に浮かんだ不安を、意識して、悪いものとして、排除しようと、する事から起きているからです。特別に意識して、問題としなければ、不安はただの、不安で終わってしまいます。心に浮かんだ雑念にいちいち取り合って、いることが、貴方の不安です。不安を受け入れる事が出来た時は、貴方に、不安の心が湧き上がっても、多分、意識する事が出来ないでしょう。

貴方は、安心したいために、かえって不安を呼び込んでいます。「平常心是道」と云う事が分かるようになれば、貴方には分かるでしょう「安心しなくても良い、と分かったた時が本当の安心できる時」と言う事を。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございます。
tumaritouo様がおっしゃる、「平常心」で生きること、その心をしっかりと自分の中に持つこと、とても大事なんだなと、強く感じました。
確認を繰り返したり、不安で日常が押しつぶされるほど怖がっている自分が、少し気持ち悪いとも思ったりしていたのですが、受け入れることの大事さが少し分かったような気がいたしました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/02/25 12:13

わたしも中学生の頃、同じ症状になったことがあります。


先日、西船橋駅で40歳くらいの男性が何度も同じ場所に戻って確認していました。
(この人はかなり重症だな)と感じました。ひどくなるとこの男性のように心配で同じ場所を何度も行き来するようになります。もうほとんど精神病の部類です。
わたしの場合どのようにしてこの症状が治ったかというと、ある朝、起きた途端
(ああ今日もぼくは確認病に悩まされないといけないのか)
と落ち込みました。これが良かったです。この落ち込みでもう「確認なんかどうでもいいや」という気になり治りました。つまり秘訣は「どうでもいいや」です。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、大変申し訳ありません。
ご回答どうもありがとうございます。
アドバイスを拝見していて、この不安や怖さが自分だけではない、ということがわかりました。
それだけで、なんか心が少し軽くなった気がしました。
「どうでもいいや」と、私も力を抜いていけたらいいなぁ。。。
参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/25 12:04

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