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 かなりの長文になります。(半分愚痴のような感じになっています)

 福祉・医療関係に携わっています。働いた当初から、根本的に「本人のために~」という部分を常に考え走り続けています。

 色々な方や色々な職種の方のご意見などを参考にしながら、または吸収しながら、自分の中でも色々視点が変化しながら(根本的な概念は変わっていませんが)

 ただ…、最近、「これで本当に良いのだろうか?」と思うことが増えてきています。

 例えば、病院・施設への入院。急性期病院を経て、回復期・療養型病院・または施設への入所の選択を本人・または家族が迫られる時、本人が重度の状態(例えば要介護5)または医療行為が継続して必要な場合、家族としては「家ではとてもじゃないが介護は難しいので」という理由で他病院または施設への入所をします。

「本人のために」ということを考えると、自宅に帰る、という方法や介護力がない家族と同居、などの選択は「必要不可欠な介護や看護が受けることが難しい」などの理由により望ましくなく、病院・施設への入院・入所が適切、という考えはできると思います。

 実際に本当に上記のような形で、家族も必死に本人のことを考えて、自分達の生活を見直し、何らかの方法で、入院中・入所中、何度も見舞いに来て、状態を把握するといった家族もいらっしゃいますが、現実、割合としては1,2割に満たないかな、という経験です。

残りの8割、9割が入院前・入所前の時だけ「もうどこにも行く所がないんです…。家族も協力しますし、ずっと入院・入所できないシステムは分かっていますから、他のところも探しますのでお願いします」と切羽詰まった感で訴え、入院・入所。

その後は…面会にくる訳でもなく、電話しても「今忙しい…」久しぶりに面会に来たと思ったら「○○をきちんとやってください」「何でこうなんですか?」と沢山のご意見…。

結局、次の施設・病院は申し込みはせず、出てくる言葉は「忙しい…」「家族では無理」さらには、「90歳にもなるのに、病院・施設から出ていけっていうんすか?何かあったらどうしてくれるんですか?」と…。(8割9割に方の全員がこういう方ではないです例といたしまして)

余は、関らない家族ほど、苦情は多く、逆に全く動かない。という状況の方は多い印象なのです。さらに、金銭的に十分な余裕があるにも関らず、「施設は高くて難しい」「息子の大学のお金が…」などと、本人の遺族年金や厚生年金などを生活費にしたり、世帯分離して安くしたり、「もう一切面倒みません」と勝手に生活保護にしたり…。お金がない、と言って面会にくる格好はブランドで着飾った洋服…。車は高級車…。
 逆に一生懸命動いている家族は、自分達の生活削り、ギリギリのところで生活しています。何で、一生懸命動いている家族だけがそういう形になってしまうんだろう、と正直思います。

「本人の病気やADL改善」などの目的で入所・入院しているのに、このような家族を見ていると、「邪魔な本人は自分達以外の場所で見てもらって、自分達は自分達の生活」と「家族だけのため」の入所・入院ではないだろうか?と思ってしまいます。(最初も断っていますが、皆が皆そうではありませんが)

そうすると、自分は何のために、誰のために、を思って働いているんだろう…、やっていることは間違いだろうか、などと現在、沢山思う部分があります。
今は、タイトルにもあるように ひねくれた考えしか持ててない状況です。

皆さんは、自分の仕事をする際に、こういう壁にぶち当たった時はどのようにされていますか?またはこのような仕事をしている方で、このように思った方はいらっしゃいませんか?

長々とまとまらない文章を読んでくださってありがとうございます。

A 回答 (2件)

貴女、すごくいい人。

そしてよく見てる、その通りだと思いますね。
私は60代で90代(要介護1)の実母をみてますがまさにその通り・・・
入れて押し付け御免で迎えに来ない人がいてびっくりするんですよね。
その割りに苦情も多く・・・
私は週に2度のデイサービスと特養に年1.2回、2泊のお泊りしてもらう程度ですが、ふと長生きって辛い現状なんだなと私でもそう思うようになります。
できるものは最大限に福祉を利用し個人は楽をする。
家族ってこんなもの?
福祉ってそんなものの為にあるの?と考えずにはいられません。

働く貴女達がやる気を削がれたり、気持ちが落ち込むのは現場の姿として当たり前だと思う。

私は幸いに60過ぎても健康で、更に夫もいないので快く母を見ることができますが、この世はしがらみだらけ。
自分も歳をとると自分も精神的にも肉体的にも楽をしたい、そんな気持ちが芽生えるのでしょうね。

誰の為にと書いてますがそれでもやはりその方のためなんだと思うのです。
確かに家族の為に見えるのですが、患者本人は面倒をみてやってる、介護してやっているという人間の中にいるより幸せに思うのです。
だからといって家族が丸投げすることには反対ですが。

貴女たちのお気持ちも当然のこと。
個人的には規約や行政の強制執行など厳しくすれば良いのにと思う。
どうしたら家族が家族を当然のように見る、自分の生活を押して見るという昔の基本に帰れるのか、家族も行政も考えないといけないのではないではと思うばかりです。

私は職種としてまるで社会貢献にはならない職業を選びました。
金銭だけではない貴女達のお仕事を尊敬します。
そのお仕事を選んだご自分を誇りに思ってほしいのです。
わかっているのは何度も何度もそう自問自答し、悩み、考えることに意義があると思うのです。

確かに全員が全員入所を望まない方もいると思います。
家に帰りたい方もいると思います。
患者の希望と現状が合わないのが歯がゆいのも事実でしょう。

身寄りがあっても簡単に捨てられてしまうご老人もいます。
その方たちの為に、必要ならそういう家族協力の制度を取り入れる動きや、そんな心無い家族に対してもなお、心を打ち続ける必要を感じてほしいのです。
そのためにこうして悩んで、苦しんでくださる貴女を本当に素敵な人だと思います。
貴女のように考えてくれる人が少しでも増えるよう、私も福祉とは何か、と考えていきたいと思います。
この投稿を感謝致します。
頑張っている貴女に、頑張ってというのは酷ですのでいえませんが貴女自身も押しつぶされないようにご自愛なさってください。

私も実母しかみれませんが最後まで家族としてみます。
そしてその大事さを自分自身の行動としてみせ、子供たちにも理解してほしいと思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答・ご感想ありがとうございます。

私は人間的にも、医療・福祉で働く上での知識・技術的にもまだまだ未熟なことは承知しております。その中で、日々精進しようと模索中のなかで、このような捻くれた葛藤を抱いてしまった次第です。

>誰の為にと書いてますがそれでもやはりその方のためなんだと思うのです。確かに家族の為に見えるのですが、患者本人は面倒をみてやってる、介護してやっているという人間の中にいるより幸せに思うのです。

まさに、この通りだと思います。こういう考えで、私も働いていた部分もあります。この想いも私の中に残っているのですが、「こう想うことで、現実から自分が逃れたいだけではないだろうか?」「ただの自己満足ではないだろうか」などと思ってしまう自分がいるのが現状です。

自分の未熟さを棚にあげて、他人の悪口を書くような感じになってしまいましたが、自分の想いをこの場で少しでも吐き出したいという思いで投稿させていただきました。そして、読んで頂いてありがとうございます。優しい言葉・気遣いに感謝致します。

お礼日時:2010/03/19 11:29

ご家族にはご家族の生活があります。


昔の言葉でしょうが、「子供は親の背中を見て育つ…」

年老いた親に対して理不尽な事をされる方もあります。
しかし、遠い将来では自分がその立場になることを忘れています

「因果応報」

これも自分に全ては帰ってくることでしょうね。

私達は全てを受容して、高齢者の皆様の福祉・介護の努めています。

このお話は少しオーバーな部分もあれば、もっと凄い方も実態には…
ま、全て人生の縮図なので認める以外にないでしょうね。

出来ることには限りがあるけど、可能な限り安心できる生活の支援に務めるのが私達の仕事だと考えています。


>皆さんは、自分の仕事をする際に、こういう壁にぶち当たった時はどのようにされていますか?またはこのような仕事をしている方で、このように思った方はいらっしゃいませんか?

常識とは自分の価値観だと思っています。
価値観は人それぞれでしょう
事情だって様々だからと受け入れれば、壁を取り除くことができると思います。
当たり前じゃないと思うことが多くなっていれば…
もしかすると私達の考えている当たり前が間違っているのかと思いますよ。
だから受け入れると言うことですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>常識とは自分の価値観だと思っています。
価値観は人それぞれでしょう

価値観は人それぞれだと私も思いますが、常識とは自分の価値観なのでしょうか?私には難しくてよくわかりません。

>事情だって様々だからと受け入れれば、壁を取り除くことができると思います。
当たり前じゃないと思うことが多くなっていれば…

事情だって様々だからと受け入れれば、私も壁を取り除くことが出来ると思います。様々な事情が正当な理由(”正当な理由”と位置づける時点で私だけの価値観かもしれませんが)であればわかりますが、そうではない場合…。これも割り切って受け入れることは出来ると思います。(私の場合は”しょうがいない”と受け入れる、というよりも”割り切る”といった感覚になると思いますが)ただ、その対応だと、私としては、何のための医療?福祉?と疑問を抱かずにはいられません。そして、仕事的にもますます「割り切るのは自分的には楽だけど、これで良いのだろうか?」と仕事の質を疑ってしまうと思います。

悩むことも勉強!ということですかね…。

<もしかすると私達の考えている当たり前が間違っているのかと思いますよ。

この可能性は十分にあると私も考えています。

貴重な時間を私の愚痴のような投稿に割いて頂き感謝致します。

お礼日時:2010/03/19 12:04

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