No.10ベストアンサー
- 回答日時:
松永久秀自身は、自分が天下に号令を掛けることを夢見ていたのでしょうが、その器でないこともしっかり把握していたのでしょう。
だから、信長政権の中で、宰相的な地位を狙って信長に下ったのでしょう。でも、実際は一武将の地位も危ぶまれる(信長の信頼を得ることはできていない)ことを敏感に感じ取っていたのではないでしょうか。
信長包囲網の一角として信長を倒せたならば、足利義昭政権の宰相として寓されるはずと思ったのかと思われます。
だから、二度目の裏切りに走ったのでしょう。
もちろん、一度裏切って許されているが、二度目はないことは信長の性格から十分伺えるわけですから、こと破れたならば、松永弾正の男の心意気を見せて、死のうと思っても可笑しくないはず、ただ、腹を切るより爆死する方が派手で、あり信長に一死報いるには平蜘蛛の茶釜を道連れにすれば、良いと思ったのでしょう。
派手で、あり他人のしてないことをしてこそ、主殺し、将軍殺し、大仏殿焼却の弾正にふさわしい死に様かも。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.11
- 回答日時:
その大裏切りの前についてのエピソードです。
映画会社の横槍で回収になった小学館の「信長」ってコミックでは、越前攻めで退路を絶たれての大退却の際、さきがけして、湖西側の地侍たちに殺されるかもしれないのに、城に乗り込んで、信長の退路を確保させる説得という大役を果たしておられました。
ちょっと、見せ場でした。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.9
- 回答日時:
なんだか、非常に興味があるので答えておきます。
私の見解では、強い物には巻かれるなって気づいたからではないでしょうか。
一度は、信長に尻尾を振りましたが、久秀はしたたかですからね、また、自分の信念があったのではないでしょうか。
また、信長の本質を知ってしまったとか、荒木村重じゃないですが、明日はわが身で容赦しない信長の考えに、弱者は滅びよという考えに。
それか、浄土真宗のファンだとか?
(多分、これは、違うな・・・・、奴が神とかは信じないと思うから、信じるものは己のみだと思うから)
平蜘蛛は信長が凄く欲しがっていた名器です。
また、信長に平蜘蛛よこせば、命だけは助けてやるといわれてたそうです。
それを持って爆死したらしいですが。
僕は、かっこよさすら感じます。
天下の信長に、歯がゆさを与えることができたんですよ、久秀も天国でほくそえんでいるとおもいますよ。
ざまーみろってね。
凄い価値ある死だと思いますが。
負けるが勝ちって思います。
確かに、後の歴史家から見たら、久秀は、悪い奴って見方が一般になっていますが、(なんせ、その時の将軍、義輝を殺しちゃってるんだもんね)一番の悪党は信長でしょ~って私は思いますが、信長の場合は、いい所だけが前面に出ていますからねーまた、下克上の世の中で一番有名で、後世の人が、もっとも感心を寄せる英雄伝みたいなもんですから。そりゃそういう見方になるわなって思うんですが。
ちなみに、久秀は私の5本の指に入るくらいのファンです。
奴は、かっこいい!
では、超個人的意見ですが参考になれば幸いです。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.8
- 回答日時:
No.7
- 回答日時:
下記ウエブ「松永久秀の滅亡」によれば、信長包囲網を過大評価したこと、加齢による焦り、近隣のライバル(筒井家)への復讐策などが背景にあり、滅亡のリスクを承知でバクチに出たと。
後知恵ですが、信長は、本能寺の変を除いて、運が強い男で、信玄や謙信の死亡など恵まれています。また、松永も一時は将軍職を狙った男なので、強烈な自負があり、それが自爆に至るのでは。参考URL:http://www.lionroyal.com/travel/train8psub.htm
この回答への補足
お答えありがとう御座います。
前後の関係からすると、やはり血迷ったのかな~、と思う様に成りました。
何度も言うようですが、松永の過去の行いから、篭城して爆死すると言うのは、まだ一寸首を傾げます。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.6
- 回答日時:
松永久秀が大和一国の切取次第を許されたのは信長上洛当時だけの話で、しかも実質上大和一国を掌握したことは一度たりともありませんでした。
筒井順慶や国人たちとの抗争や、寺社からの不信任などによります。元亀二年頃から信長から距離を置くようになり、元亀四年には足利義昭と歩調を合わせ反信長色を鮮明にします。この結果、同年七月、義昭が追放されると久秀も信貴山城のみ安堵され、多聞山城などは没収されます。(損をした裏切りです)
以後、塙(原田)直政~佐久間信盛麾下の一部将となり、主に本願寺攻めを担当します。この間、大和は筒井順慶の権力が徐々に増していきます。
ここまでが信長に対する二度目の謀反を起こす前までの状況です。一度裏切ったのでしょうがありませんが、佐久間麾下として決して厚遇されていた訳ではありませんでした(裏切りの動機付けになります)。信長を取り巻く(誤った)状況判断や、佐久間のふがいなさなどを考えると、謎というほど久秀の心情を斟酌できないと私は思えません。
この回答への補足
お答えありがとう御座います。
確かにその通りだと思います。
だとすると篭城したのは半分世を儚んで自殺したと言う事なのでしょうか。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.5
- 回答日時:
→得になる裏切り・・・
歴史を現代から見る事のできるわれわれにとっては、「なーんで あんな馬鹿な事」と思えても、当時の人間としては、いつでも、合理的に行動しています。結果としてうまくいったかどうかは、行動の選択とは別問題。
最後に身を滅ぼすような(ばかなこと)をやった!
というのではなく、身を滅ぼす事をやったから、最後になったので、後世の人間からは「ばかなこと」に見えちゃうって事です。
松永久秀の行動を理解するうえで、重要なのは、松永が信長の前の天下人三好長慶のごくそばにいたことです。松永の目からは、信長=長慶 あるいは 信長<長慶 に見えたのではないでしょうか?
実際に領国では
信長=畿内+濃尾+α
長慶=畿内+東四国+α
で、どっこいに見えたのではないでしょうか?
※ 長慶の天下人説に関しては
新書y 053
天下人史観を疑う 英雄神話と日本人
鈴木眞哉
をご参照ください
この回答への補足
お答えありがとう御座います。
松永にとって信長は、三好より格下に見えた、とのご指摘と思いますが。
時代が少しずれているのでは無いでしょうか。
松永は三好を乗っ取った後、将軍さえ暗殺したのに、あっさり信長の臣下に成ったのは信長の勢いと強さを良く理解していたからだと思います。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.4
- 回答日時:
>本願寺攻めと言う大役
大役ではなかったようです。
信長が軍団制を敷いていたのは御存知かと思いますが、本願寺攻めの任にあったのは佐久間信盛軍団です。
松永久秀は細川藤孝、筒井順慶などと同じく明智光秀軍団の与力でしたが、遊撃を任務とする明智軍団の一武将として佐久間軍団の後詰めとして駆り出されていたわけです。
当時後詰めというのはかなり軽視されていたらしく、明智光秀が秀吉軍団の後詰めを任じられて憤慨したように、しばしば武将の自尊心を傷つけたようです。久秀にとっては信長や光秀に頭を下げる事には何とか慣れたけれども、何故佐久間を大将と仰がねばならぬのか、といったところでしょうか。
この頃の光秀にはかつてのように三好三人衆と結んで機内を席巻した時ような勢いは無かった。それ故に、一世一代の大博打にでたと考えるのです。
この回答への補足
度々ありがとう御座います。
確かに大役は言いすぎだったと思います。
でも力点はそこではなく、謀反をして篭城したと言うのが信じ難いのです。
松永ならば古今東西、篭城をして、勝ったためしは無いと判っているはずでしょう。
他に何か守りたい者が在ったのか?
死んだと見せて、生き残ったのか?
その点に付いて知りたいのです。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.3
- 回答日時:
「裏切り」と仰っていますが、当時にあってはそれほど非難されるようなものでは無かったでしょう。
忠誠とか忠義という考え方は、江戸時代になってから支配体制強化のために覚え込まされたものでしかありません。当時にあってはお家第一であり、条件の有利な勢力に鞍替えすることは日常茶飯事だったわけです。しかし松永久秀の謀反はこれで二回目です。前回の謀反でともに包囲網を築いた浅井氏、朝倉氏、足利氏、三好三人衆は既に亡く、武田氏も弱体化しています。それに対して信長側では安土への移転もほぼ終わり、正面切って敵対しているのは本願寺と波多野氏だけで着々と地盤固めが進んでいます。
そうすると前回圧倒的に優勢と言われながら謀反に失敗した久秀に、今回の謀反成功の見込みが無いことは少しの計算で容易に解ったはずだと推察できるのです。
以上を考えると、秀吉や大友宗麟のように加齢による判断力低下があったか、突発的に一世一代の大勝負にでたと考えるのが合理的だと思います。実際、この二回目の謀反では籠城の準備などがほとんど為されていなかったようです。
ただこの点は、歴史の謎とされている部分でもありますから、実際の所どうなのかわかりません。伊沢元彦氏はこのテーマについて何かお書きになっていないのでしょうかね?
この回答への補足
早速のお答えありがとう御座います。
僕は別に裏切りを悪いと言っている分けでは有りません。
道徳観は時代によって変化するし、松永も生前に言っている様に、弱いから裏切られるのだ、裏切られたく無ければ強くなれと。
だから、信長も最初の謀反を翻意したのでは無いでしょうか。
故に、最後の裏切りが解せないのです。
信長は弱くは無いでしょうし、判断力が落ちた奴を信長とも在ろう者が、本願寺攻めと言う大役に着けるでしょうか?
しかも、謀反をするのに、篭城とは笑っちゃいます。
あの策士の松永が・・・
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
それを信長の逆鱗に触れてしまったのが真実では無いかと思いました。
No.2
- 回答日時:
一言で言えば、信長が負けると思ったからだと思います。
あの松永久秀がそう思ったくらいですから極端な話、当時のほとんどの人が信長が負ける、と見ていたと考えることが出来ます。
後で本願寺とは和睦していますが、信長をもってしても本願寺は滅ぼすことは出来なかった。
当時の信長軍はヨレヨレのアップアップ状態だったのかも知れませんね。
松永久秀が確実な信長包囲体制も敷かずに兵を引いたのは信長敗退の確信がどこかにあったからだと考えます。
この回答への補足
早速のお答えありがとう御座います。
そうでしょうか、信長は本願寺を滅ぼせなかったのではなく、滅ぼさなかったのでは無いでしょうか。
当時の本願寺は、日本のバックボーンであり、本願寺を滅ぼすと日本全体が百鬼夜行と言うか、兎に角、無茶苦茶に成ると思ったのでは無いでしょうか。
それが証拠に、本願寺と和睦する時には既に殆どの僧兵は殺されていた様です。
皆さん大変貴重なご意見ありがとう御座いました。
結論としては、やはり良く判らないと言う事が判りました。
しかし、考えているうちに、僕なりの結論として、多分、松永は信長にイヤミをする心算だったのではないかとお思いました。
つまり、信長に抗議の意味で篭城をしたのでは無いかと思います。
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