一回も披露したことのない豆知識

兵站軽視、食糧を現地で調達するという帝国陸軍の考えはどこから出てきたのでしょうか。
太平洋戦争敗戦まで、その考えに固執したのには、よほど強烈な思想があったのではと、愚考しています。
日清戦争で、早くも「因糧於敵」の方針が示されています。
穿った見方をすれば、陸軍創設を指導した西欧のどこかの国が、わざと軽視するべしと教えたのではないかと、つまらぬ妄想をしています。
よろしくお願いします。

A 回答 (15件中11~15件)

特に軽視していません。



ただし、帝国陸軍は大陸で戦争するために建設されていたので、海を隔てた南方で戦争するときは、

海軍さんよろしく

だったのです。

で、海軍さんが兵站を維持することができた初期段階の攻勢は、うまくいっています。後半で孤立・玉砕になるのは、海軍が兵站を維持できなくなったからです。

大陸では、インパール作戦の後半で撤退のタイミングを逸して惨事になったほかは、打通作戦(一号作戦)まで、どの戦線でも兵站は維持され、作戦自体は失敗していません。
もっとも、理想に反した場面は多々みられます。(トラックが足りない、弾丸がたりないなど)。が、これは国力の問題で、多かれ少なかれ各国も抱えている問題でした。欧州でも米軍以外は敵からの分捕り品を有効活用していました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「海軍さんよろしく」がうまくいかなくなったと言うことですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/19 21:12

孫子の兵法に、


「敵の貨を取る者は利なり」
「智将は務めて敵に食む」
とあるように、食料を敵から奪うというのは洋の東西を問わず
ポピュラーな戦略で、古代・中世どころか近世・近代の戦争でも
割りと見られる光景でした。(後の時代では略奪だけでなく、
宣撫の意味もあって、買取というスマートな手段を取るように
なりましたが。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。
私も「孫子の兵法」の考えが底流にあると思っています。

お礼日時:2010/08/19 21:10

単に「兵站に人を割くなら、その分前線に人を送って敵を倒そう。


食糧など現地でまかなえばいい」と言う程度の考えだったかと思います。
これは欧米から、というよりも、
日本が古来から持っていた戦術思想だったのではないでしょうか?
但し、日清戦争時には、一応金銭によるやり取りがありましたし、
それでも徴用した現地人に逃げられて、腹を切った指揮官もいたようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も、同感です。
しかし、異なる見方も大いにあると思いますので、その回答も参考にしたいと思います。

お礼日時:2010/08/19 21:07

第二次大戦時でも食料を現地調達する必要が無かったのは米軍だけです。


電撃戦で名高いナチス・ドイツ軍ですら最後まで馬匹による輸送を脱する事が出来なかった事から分かるように、第二次大戦以前の軍隊の輸送力は武器・弾薬・医療品等を前線に運ぶのですら不十分だったのです。
だから食料を現地調達するのは当時としては普通の考えで、それ自体は別に不自然ではありません。
更に日本陸軍の場合、太平洋の遙か彼方まで出兵する事は想定しておらず、また乏しい国力からも。そのような準備を整える事が出来なかった事、更に制空・制海権の喪失によりそもそも前線に物資が送れなくなった、つまり根本的な見込み違いが問題なのであって、食料の調達方針など枝葉末節の問題に過ぎません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「根本的な見込み違いが問題」と言われると、なるほどと思います。

お礼日時:2010/08/19 21:05

根拠はないのですが、戦国時代からじゃないでしょうか。


あの時代は、食い物はそこら辺の農家から徴発するのが当然で、戦自体も収穫後を狙って行っていたようです。
農閑期なら農民兵士の調達もできますしね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
同感です。
私も戦国時代から、戦いとはそんなものだと思っています。

お礼日時:2010/08/19 21:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!