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これからの教育というものについて意見が聞きたいです。

今世界ではインターネットが普及し、欲しい情報は何でも得ることができ、これからは知識社会になっていくと言われています。

私は、そのような中でただ知識を伝達するような教育はこれからは(というかすでに?)意味をなさないと思っています。
歴史などでは、例えば年号を答えさせるような問題は、歴史の問題の本質とは言えないでしょう。それよりもなぜ戦争が起きたかというのを理解させ、そしてそこから現在を見て、何か教訓を得たりすることが歴史という授業の本質だと思います。

知識というのはあるのが前提で、そこからいかにその知識を使って
なぜか考えさせたり、問題点を探らせたり、また問題を解決する力を養う教育が必要であると考えています。

日本の場合、記号式のテストだけでもいい点が取れてしまうことがよくあるので、学生はさらに考えるということの必要性を失っていってしまうのでは、と思います。
勿論、教師にとっては学生達の論述式やエッセイなどを全て読み通すことは大変でしょうが、学生達に”考えさせること”なくしては、これからの知識があふれかえる時代に日本の教育はだめになっていく気がします。
※もちろん、全ての先生たちが知識偏重の授業やテストを行っているとは思っていません。ただ傾向としてそのように感じます。

質問というか自分の意見を述べさせてもらいました。
これからの教育について、ご自身の意見、また私の意見に対する反論など何でも構いません。回答お願いします。

A 回答 (2件)

確かに特にインターネットの進化で、知識は簡単に得られるようになりました。


ただそれと同時に不確かな知識も氾濫しています。
必要に応じて情報を取捨選択する、これに必要なのも知識です。

実際にあった例を…
大学ではとある電子百科事典を中心としたネットからの丸写しレポートが増えすぎ、それに対するソフトまで登場しました。
これだけでも困りものですが、情報の真偽を確かめるための知識が欠如しており、個人研究や本流とされていない学説を、さも当然のように書いたレポートが提出されるとのことです。
つまり知識が乏しくてレポートが書けず、さらに知識が乏しいので拾ってきた情報の真偽がわからない人がいるということです。

また知識は連鎖しています。
つまりある事項の知識は他の知識と結びついているのです。
これは“ある事項”を取り巻く複数の知識を持っていれば、“ある事項”を知らなくとも、その知識を創出する可能性も秘めているということです。

知識を利用するにも知識が必要。
知識は新しい知識を創出し、また既存の知識と反することを見つけることで、さらなる深みが出てきます。

年号は正直、無駄だと思っていました。
(僕は歴史は好きですが、年号を覚えるのが苦手でした)
しかし正確でなくても年の検討をつける程度の知識でも、各出来事の年代の違いで“歴史は繰り返す”や“人類は歴史から何を学んだか”を知ることができます。

考えることも大事ですが、その考えられる範囲は知識の範囲に比例します。
知識にない、あまりにぶっ飛んだことは考えられません。
ぶっ飛ぶためには知識の飛び石が必要です。

そして知識のない思考はときとして、危険であると僕は思います。
(同じ過ちを繰り返す)
僕は工学部にいましたが、知識が足りないばかりに事故になりかけているケースを見てきています。
足りない知識は財産や命を脅かすことになりかねません。
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この回答へのお礼

>確かに特にインターネットの進化で、知識は簡単に得られるようになりました。ただそれと同時に不確かな知識も氾濫しています。
誰でも情報を発信できるというのは、情報の伝達を効率的に行える一方、やはり間違った情報を発信してしまう危険性も確かにありますね。twitterも簡単につぶやける一方、その情報の真偽というのが問題になっていると聞きました。
情報が正しいか見極める力や本当にそうなのだろうかと疑う力がさらに必要になってきそうですね。

知識をつけること、そして考えさせることのバランスが重要かもしれないですね。考えると言っても考えるためのツール(知識)がなければ、考えられる範囲が狭まりますし、先行事例などを知っておかないと、危険な目にあってしまうこともありそうですね。
そういった意味では知識も考えることと同じくらい重要ということに納得がいきます。

大変参考になりました、ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/05 08:29

基本的に、知識でなく考える教育が大事と言うのはその通りだと思います。



しかし、その土台に知識が必要なのは間違いありません。
知識を調べるのが簡単であるのと、知識があるのが前提と言うのは別な話です。
そもそも知識がある前提も崩れ気味ですけどね。

なので、結論としては、そうだけど別に新しい意見でもないなぁと言う気がします。
20年前の小学生だった私もこのような意見をニュースで聞いた覚えがあります。

ちなみに、教育がどうであれ、ある程度頭がいいと覚えることより考えることの方が大事だって気付きます。
私は暗記ばかりしてる同級生を「それは意味がない」と思いながら勉強してましたからね。


なので、実際どうやってそのように変えていくかが問題だと思います。
そして、それの答が数十年出てないのです。
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この回答へのお礼

>知識を調べるのが簡単であるのと、知識があるのが前提と言うのは別な話です。
確かにその通りですね。

自分は大学的には無名の所に通っているのですが、周りの人の勉強意識の低さや、授業やテストの形式など非常に問題意識を感じました。一時期別の大学にいたこともあるのですが、その大学では、学生がもっと主体的に勉強していた気がします。
どうしたら考える教育というものができるようになるのか、さらに考えてみます。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/05 08:12

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