日本が第二次世界大戦で負けたときに、戦勝国である中国に払うべき賠償金を払わなくていいと言ったのが、時の中国主席周恩来(親日家?)だと聞きましたが、このとき賠償金を中国に払っていたら、日本の急速な復興はなく、日本は今のような経済大国になることはなかったぐらいの金額だったと、聞いたことがあります。(昔読んだ新聞か本…記憶忘)それほどの金額の賠償金とはどれぐらいだったのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

 歴史的に見て、



 日清戦争:講和条約(1985年)
 中国から得た賠償金は、3億円超。
 1894年当時の日本GDPは、15億円程度(誤差あり)で、国家予算は1億円ほどです。

 第一次世界大戦
 1919年ベルサイユ条約:賠償額1320億金マルク
 ドイツが支払う予定だった賠償金額1320億金マルク→金の値段で固定されたので、マルクのインフレによっても額が変わらない。ドイツは賠償金支払いによって経済崩壊した。
 1930年、ヤング案調印:賠償額358億金マルク、59年間分割払い。
 ドイツが経済崩壊で支払い不能に陥り、後に30億金マルクまで減額されたが、それも全額は支払われないまま、世界恐慌から第2次世界大戦へ突入。

 日中戦争の期間・規模・戦場の広さから見て、まともに賠償を支払えば、第一次世界大戦のドイツの1320億金マルクに匹敵するでしょう。額を決めても、支払えないので、決めるだけ無駄な金額となります。

<中国大陸の支配権と対中賠償> 
 1946年6月、国共内戦再発
 1949年10月、中華人民共和国成立。共産党が中国大陸の支配権確立。
 1950年、  中華民国、台湾で統治再編。中華民国存続へ。
 1950年6月、朝鮮戦争開始 
 1951年9月、サンフランシスコ講和会議。中華民国・中華人民共和国ともに招聘せず。
 1952年4月、中華民国との間に日華平和条約を調印。
 1953年7月、朝鮮線戦争休戦協定成立。


<解説>
 日華平和条約における議定書では、「中華民国は日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、日本国が提供すべき役務の利益(賠償)を自発的に放棄する。」と規定。
 
その背景:
 既に中華民国の支配地は、戦時中日本による戦争被害を全く受けていない台湾のみに限定されていた。
  ↓
1、もし、中華民国に賠償を支払うならば、日本は、大陸の中華人民共和国から台湾に支払った額と同じかそれ以上の請求がなされるのは確実。
2、賠償の二重払いになる可能性の高い条約を政府が結んだとしても、日本の国会が批准しない可能性が極めて高く、日本の内政に混乱が生じる。
3、東西冷戦が激しくなっており、アメリカの軍事力・経済力を背景に、中国本土の共産党勢力と対峙する必要から、日本と台湾の協力関係強化を急ぐ必要性があった。

 日本に賠償支払いを求めた条約を結ぼうとしても、条約成立が出来なかったと思われます。

 その後、
 1972年9月、周恩来・田中角栄の日中首脳会談で日中共同声明が発表された。これを以って日本に対する中国本土からの戦争賠償の請求は放棄され、「一つの中国」を十分理解・尊重、日華条約も同時に無効となりました。

 この時、中国側では、戦争の被害に対する記憶が大きく残っており、『戦争賠償の放棄』は相当に困難でした。
 これに対し、周恩来・田中角栄は「日本の戦争責任は、A級戦犯にあり、日本国民も中国国民もその被害者である」と言う論を双方が認めることで、日本の国民には賠償責任がないという論理を使いました。

 その結果、A級戦犯を合祀した靖国神社への、日本政府首脳の参拝を認めることは、日中国交回復の論理そのものの破綻を意味することとなり、現在に至っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

遅くなりました。。
多々解答を頂きありがとうございます。なんとなく記憶していた事だったので、歴史的前後がわかってませんでした。sudacyuさんから解答いただいた、

> ドイツの1320億金マルクに匹敵するでしょう。額を決めても、支払えないので、
> 決めるだけ無駄な金額となります。

このあたり金額が私の知りたかった答えのようです。
みなさまご解答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/13 04:10

日中は第二次大戦後のドイツが周辺国と行ったのと同じく「戦争被害は相手国が接収した財産との相殺により相互に放棄する」ということでケリをつけたのです。


だから請求権を相互に行使すれば、日本側からも中国に請求出来ることになります。
ドイツでも一部の人間がポーランドやチェコなど周辺国に接収財産の補償や返還を未だに請求していることで、外交問題になっていることを考えれば、日中が「相互放棄」で片付けたのは合理的と言えます。
    • good
    • 1

まず中国は戦勝国ではない。


 理由として
  1.戦後処理を記したサンスランスコ講和条約に中国は参加してない
  2.中国(中華人民共和国)の建国はその後
  3.日本が戦ったのは中華民国(今の台湾)

戦勝国に賠償金を支払う義務はない
  第一次世界大戦後、負けたドイツに多額の賠償金を支払ったため、ナチスドイツの台頭を許した経緯があり、日本と戦勝国である米国などと結んだ条約に賠償金の記述はない。
 実際日本は米国に賠償金を払ってない


 だから戦勝国でもなく、また戦勝国にも払う義務のない賠償金を払った場合。それは重大な条約違反。
 ましてや、戦後日本はODPという名目でお金を払っております。
    • good
    • 0

周恩来は国家主席でなく中華人民共和国国務院総理(首相)



「第二次世界大戦で負けたとき」でなく田中角栄内閣の日中国交回復のとき

五百億と試算されているが、70年代の日本では、経済成長を阻害するほどではない


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

























※もしかして中華民国蒋介石総統が、、「以徳報怨」(徳を以て怨に報いる)の精神で、
日本に寛大な姿勢をとり、
天皇の戦犯逮捕・日本の分割占領を阻止し、最終的に賠償請求権放棄した(海軍の残存艦艇の一部提供や、大陸・台湾の日本資産の接収は、している)と混同してない\(^^;).
    • good
    • 0

当時の中国の国家主席は今は台湾にある中華民国政府で蒋介石総統です。


周恩来はこの当時はただの共産ゲリラ(八路軍)に、すぎません。

なお中華民国政府の蒋介石総統は親日家で賠償も大幅な減額をされましたが、しっかり日本政府は支払っています。
余り知られていませんが、賠償の放棄はしていませんよ。
金にがめつい中国人が賠償の放棄をするわけがありません。
蒋介石の国民政府は今の金額で1兆円規模の損害賠償を要求したみたいですが、日本には支払う能力もなく減額されたと聞いた事があります。

急速な復興は朝鮮動乱(今は朝鮮戦争と呼びます)の特需があったからです。

なおいまの中華人民共和国は1949年(昭和24年)に建国されました。
したがって中華人民共和国は戦勝国では有りませんので、本来は戦争の賠償云々と言う資格はありません。
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日本が中国に賠償してきた額

日本が中国に侵略したことへの賠償として、日本が行ってきた賠償金額はどれくらいになるでしょうか?

1.直接の賠償金(毛主席が日本からの申し出を断ったって本当ですか?)

2.直接ではないがODAなどの形で日本が中国に無償で供与してきた金額と、その現代価値に換算した額

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

皆さん誤解していらっしゃるようです。
戦時賠償とは、戦争行為による被害と直接投資、公共施設の整備等与えた利益、及び残置資産をお互いの国同士で収支決算して、過不足分を補うというものです。
大韓民国成立後、対日賠償請求が放棄され、経済支援の形を取ったのも、日本の投資額と残置資産等が認定された賠償額を大きく上回ったため、韓国側の要請により決定されたものです。
中国も同様です。
当時、中華民国でしたが、南満州鉄道を始めとした満州の膨大な重工業施設、公共施設、軍事施設等々は当事としては最新式であり、特に満州のそれらが国共内戦や朝鮮戦争、中越懲罰戦争等の原動力になったことは言うまでもありません。
つまり、蒋介石にしろ、毛沢東にしろ、日本政府が公表しない第一の理由は「賠償請求額を積算すれば、持ち出しのほうが多くなるので、形の上では賠償を放棄して、恩を売り、実利を得る」ことなのです。
その上で、有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円、無償資金協力を1457億円、技術協力を1446億円、総額約3兆円以上のODAを日本は実施してきたのです。
日本の外交下手、国際常識の無さにはあきれます。
東南アジア諸国の首脳が、「謝罪外交はもういいです」というのは、中国が日本からの資金で軍備増強、国際影響力の強大化を図っている、矢面に立たされているからなのです。

皆さん誤解していらっしゃるようです。
戦時賠償とは、戦争行為による被害と直接投資、公共施設の整備等与えた利益、及び残置資産をお互いの国同士で収支決算して、過不足分を補うというものです。
大韓民国成立後、対日賠償請求が放棄され、経済支援の形を取ったのも、日本の投資額と残置資産等が認定された賠償額を大きく上回ったため、韓国側の要請により決定されたものです。
中国も同様です。
当時、中華民国でしたが、南満州鉄道を始めとした満州の膨大な重工業施設、公共施設、軍事施設等々は当事とし...続きを読む

Qよく戦後の謝罪はドイツを見習えというが本当?

よく「第二次世界大戦後のドイツの隣国への謝罪を見習え」という論調が
国内にとどまらず、中国や韓国からも出ますが(今回の韓国の竹島問題でも
少し話題に出ましたが)、

 ・本当にナチスドイツの謝罪はうまくいっているのでしょうか?
 ・もしそうでしたら、何がうまくいっていると言われているのでしょうか?
 ・また、日本以上に問題がこじれているものはないのでしょうか?

詳しくないので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 「謝罪」という行為にはそれ自体に倫理的価値がありますが、外交においては「和解」に資する道具立てとして重要です。そのため、いくら「謝罪」しても「和解」にいたらないのなら意味はありません。
 日本の場合はこれが「うまくいっていない」ので問題視されます。

 なぜそうなのか。理由はいろいろありますが、まず相手方の事情から。
 中国と韓国は日本の支配に抵抗し、独立解放を勝ち取ったことを一種の建国神話としています。実際には朝鮮半島は連合軍が日本帝国を打ち破ったからであり、中華人民共和国は戦後の国民党との内戦の結果生まれたものです。しかし、彼らは祖国をそのようなものとして認識し、誇っております。もちろん、根拠がないわけではありません。
 それに対して、ヨーロッパ諸国はナチスドイツの侵略をこうむった時点ですでに近代的な国民国家を築いておりました。ナチスからの解放によって再出発したことには違いがありませんが、「建国」の重要度はまったく異なります。
 中韓の場合は、日本の支配・侵略から脱したことがはるかに重要な意味を持っているのです。それだけに日本がそれに見合った行動をとらないと、彼らには「納得できない」となりがちです。

 次に、アメリカが戦後の東アジア戦略を構想する過程で、日本と近隣諸国が緊密な関係を築くことを望まなかったという事情があります。ソ連に対しては敵対し、韓国とはアメリカを抜きにした友好関係を望まず、中国には最初は敵視で途中から敵対はしないが友好的でもない関係にあることを期待し、そのために行動してきました。
 東アジア諸国はまんまと(とあえて言います)これに乗り、「和解」の努力を中途半端にしてきました。この事情を国内政治に利用したのです。韓国では日本の支配を非難すれば失政をごまかすことができ、日本では国内の軋轢を呼ぶしかない「謝罪」の問題を適当に処理して済ませても許されました。
 ドイツの「謝罪」に対する不充分さはほかの方も指摘しているとおりですが、いっぽうで「和解」を獲得するための努力は真剣なものでした。一例としてドイツが放棄した歴史的領土は日本の比ではありません。ドイツは全体としてアメリカの世界戦略にしたがいながらも、この一点では独自の外交路線をつらぬいたのです。EUは伊達や酔狂で成立したわけではありません。
 条件の相違はあるものの、日本にこの姿勢が足りなかったことは事実でしょう。

 また、日本の「謝罪」が不充分だったのもたしかだと思います。
 ドイツの場合はその罪を当初ヒトラーとナチスにかぶせることができたので、罪過を認めることもより容易でした。しかしそのいっぽうで、あれらはナチスを支持したドイツの罪である、という論調も世間に根づくようになりました。だから、ブラントの東方外交も支持されたし、ヴァイツゼッカーの演説も受け入れたのです。
 文言や事実だけなら中途半端という評価も正当ですが、これらの言動が生み出された土壌は日本にないものです。だから、周辺諸国も高く評価したのです。
 もっとも、近年は歴史修正主義と称して「ドイツの罪と言われるものには誤りがある」とか「言われるほどではなかった」という論調もありますが、いつもそういった主張は批判を浴びてきましたし、いまでも文学者のギュンター・グラスのようにナチスであった過去は批判の対象となります。表だって公言することがはばかられる言説なのです。

 それに対して、わが国では大日本帝国と日本国を切り分けることが終戦時の条件の相違から難しかったし、あえてあいまいにもしてきたので、戦前の罪を認めることにもあいまいさが付きまといました。
 おかげで今になって、植民地支配や侵略の過程でなされた行為の数々がなかったことにされています。あるいは、あったかなかったかわからないことになってます。しかし、その多くは学術的研究の成果として否定されるのではなく、そのほうが国内の納得を得られるから唱えられているにすぎません。
 こういうことを書くのは多くの反発を喰らうのでかなり勇気が要ります。そのこと自体がドイツと日本の差です。村山談話、河野談話の文言がどうあろうと、また過去公式にどれだけの「謝罪」が積み重ねられていようと、それを認めたくない世論が多数をしめているかぎり、説得力は生まれません。

 皆さんの賛同を得られない「回答」であることは承知しておりますが、わたしが理解しているかぎりではご質問に対する答えはこうです。
 本文でお尋ねになっていることに答えていない部分もありますが、そこは他の方に譲ります。

 長文回答失礼しました。

 「謝罪」という行為にはそれ自体に倫理的価値がありますが、外交においては「和解」に資する道具立てとして重要です。そのため、いくら「謝罪」しても「和解」にいたらないのなら意味はありません。
 日本の場合はこれが「うまくいっていない」ので問題視されます。

 なぜそうなのか。理由はいろいろありますが、まず相手方の事情から。
 中国と韓国は日本の支配に抵抗し、独立解放を勝ち取ったことを一種の建国神話としています。実際には朝鮮半島は連合軍が日本帝国を打ち破ったからであり、中華人民共和...続きを読む

Q敗戦国イタリアは,なぜ非難されないの?

第二次世界大戦の敗戦国である日本やドイツは,
戦後70年たっても,いまだに非難されています。

イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?

また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのは
あと何年くらいですか?

戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?

Aベストアンサー

1:>イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?
2:>また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのはあと何年くらいですか?
3:戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?


回答1:最初に降伏して、連合国側についた為と思われます。
(あまりの弱さに敵として認識されていなかったのかもしれません)

イタリアですが、戦争中にクーデターが起って南北に分裂し、その後南王国は連合国に加盟しています。

1:南部の南王国(国王・パドリオ政権)
2:北部のイタリア社会共和国(RSI・ムッソリーニ)


回答2:もともとそのような義務はありません。
回答3:回答2と同じ。更に戦争は国家の行為であり、元々個人としての「当事者」など存在しません。(理由は後述)

謝罪を執拗に要求するのは、日本の周囲の特定の国々だけです。
また、「敗戦国」という理由で謝罪の必要が発生するなら、勝ちさえすれば何をしても良い事になります。
それでは「国際法」の意味などありません。

質問者様は、「戦争」という行為について誤解しているように思います。
無知な人は、戦争=悪→謝罪 と思い込みますが、
戦争とは、国際法で認められている交戦権の行使であり、相手国に自国の要求を武力で承認させる行為です。
外交とは手段が異なりますが、同じ国益を追求する為の行為であり、政治の一手段に過ぎません。

これも誤解されていますが、主権の存在により、国家には自分より上位の法的権限を持つ存在はありません。
戦争が国家の行為である以上、裁判の対象にすることはできず、戦争指導者であっても、個人に責任は発生しません。(動画も参照)
(国連は、憲章に合意した加盟国間の調停機関に過ぎません)

これもよく誤解されていますが、軍事裁判は「戦時に行われた国際法違反の行為」である「戦争犯罪」を裁くものに過ぎず、「戦争そのもの」は対象にできません。
そして、戦争犯罪は戦勝国や敗戦国の区別なく裁かれます。(少なくともWW1までは)



「戦争そのもの」の処理についてですが、
まともな国家間での戦後処理は、何らかの条約(多くは講和条約)を結ぶことで戦争状態は解消され、国交締結へと続きます。

そして、「条約」とは国家間の契約や義務を定めるもので、相手の非を晒し上げたり、責任を押し付けあうものではなく、終戦時の力関係で払うものを払って手打ちにするという約束です。

国家が裁けない以上、この方法以外での終戦と戦後処理はできません。

責任や謝罪という、片方が納得しなければ永遠に認められない曖昧な抽象概念を、終戦や講和の条件に含めた場合、両国の関係や国民間で怨恨が残り、その後に悪影響が出ます。
少なくとも、日本の周囲の特定の隣国以外はそう思っています。

実際、ドイツは戦争については、国家の権利という見解から謝罪はしていません。
よく、無知か故意に誤解を広めたい一部の人達は「謝罪したドイツを見習うべきだ」という主張をしています。
しかし、ドイツが謝罪したのはユダヤ人へのホロコーストのみです。
それも「ナチス」という党の行為であり、国家としてのドイツの責任ではないという見解です。


日本の戦後処理については、各国と講和条約を結んでいるので終了しています。
実は、多くのアジア諸国は「アレは侵略ではないので賠償はいらない」と連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。
(タイなどは、更に日本が戦費として借りたものまでタダ同然にしてくれています。)
日本はそれらの国に対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています。

【日本が支払った戦争賠償金】
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


あの隣国達についですが、
韓国については、終戦まで日本の一部であり、戦場になったこともなく被害もなかった為に連合国は戦勝国とは認めていません。
そして、国交を結ぶ時の条約で、「過去の問題はすべて解決済みとする」という合意ができているので、謝罪する必要はありません。
併合時の統治も謝罪や賠償が必要なことはしていません。
北の方については、条約の締結時に、南が「自分達が半島の唯一の正統な国家である」と主張しているので、彼等の問題になります。


中国についてですが、
今の政権はサンフランシスコ平和条約の調印国ではありません。
日本との国交回復は、1972年に締結された日中平和友好条約によるものです。
中国はそのとき、【中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄する】ことを宣言しています。
これについては、以下のような事情があります。

終戦時に、日本は満州国に膨大な資産とインフラを残しており、これに対する中国への補償請求の権利は戦争と関係なく残っています。
それらを金額的に両者を比較すると、

【日本が残した資産への補償】>>【中国の戦争賠償の請求額】

となり、うっかり請求すると薮蛇になってしまうので、中国側は、請求権の放棄と言う「寛大な配慮」を装って誤魔化しているだけです。
(インフラについては韓国や台湾も同様でしたが、連合国の意向に拠って日本は請求権を放棄させられています)

謝罪については、
以前、旧社会党が訪中し「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。
これに対して、毛沢東は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで中国共産党は中国を手に入れることができた」
と応えています。

http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo

1:>イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?
2:>また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのはあと何年くらいですか?
3:戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?


回答1:最初に降伏して、連合国側についた為と思われます。
(あまりの弱さに敵として認識されていなかったのかもしれません)

イタリアですが、戦争中にクーデターが起って南北に分裂し、その後南王国は連合国に加盟しています。

1:南部の南王国(国王・パドリオ政権)
2:北...続きを読む

Q中国はなぜ戦争賠償請求を行わなかったのか?

田中角栄内閣時
1972年に日中共同声明がなされ
国交が回復されました。

どれを調べても私の知りうる限り
中国は賠償請求を行いませんでした。
開発援助として多額の金を提供してはいますが…

当時の背景としては
1972年以前に締結した日華平和条約があると思います。
この条約は日本と台湾との条約です。
台湾より優位に立つために請求しなかった

ほかに理由があるのでしょうか?
あれば教えてください。

Aベストアンサー

1,台湾の蒋介石が放棄しました。
 それで、中国の周恩来も、メンツの為に放棄せざるを
 得なかった、というのが中国国内で広くささやかれている
 理由です。
 蒋介石は、これを狙って放棄した、という話しがあります。
 つまり、中国に対する嫌がらせです。

2,人民日報などは、軍部に虐げられた日本人民に、そこまで
 請求するのは酷だ。中国は君子の態度で放棄したのだ、と
 歯が浮くような理由をあげています。

3,本当の理由は闇の中ですが、日本は賠償金の代わりに、
 ODAを払ってきました。
 これが中国の狙いだったかもしれません。
 あるいは、中国は君子の国だ、ということで中国寄りの
 政治家、日本人を増やすための戦略だったかも知れません。

Q日本のミサイル防衛にTHAADが無いのは何故?

【ワシントン共同】米陸軍当局者は26日、米領グアムに配備した高性能の地上発射型迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)が完全な稼働状態に入ったことを明らかにした。との報道です。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130427/amr13042709290001-n1.htm
一方日本の場合イージス艦から発射するミサイルとPAC3でTHAADはありません。
日本の場合THAADは無くても良いのですか?


 

Aベストアンサー

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km にある化学圏) に突入してきた最終段階での弾道弾を撃墜する Missile です。

一方、日本が Aegis 艦に搭載している SM3 (Standard Missile 3) 161B Block IA は射程 400km、射高 250km で、先端部が Kinetic 弾頭と呼ばれる高機動弾頭になっているように、空気のない大気圏外での超高速運動能力を持たせたものとなっていて、THAAD よりも高性能な Missile になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=Clny6teU5ik&feature=youtu.be

最初に海上自衛隊に配備された「こんごう」の SM3 161B Block IA は高度 160km を飛行する模擬弾道弾の直撃撃墜に成功していますし、現在は日米共同開発になる Block IIA の地上試験を終えて来年に飛行試験、2018 年には現在の Block IA を Block IIA に置き換える予定になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=A6CIu9fRk3k

地上発射型で射程が 200km しかない THAAD では幅数百km 長さ 2000km 余りの日本列島に数十基の発射機を配置しなければならず、何時 Terrorism だの過激な反対運動の前に壊されるか判ったものではないのに比べ、SM3 は部外者など近付けない Aegis 艦の中にありますし、相手国の Missle 発射機から 400km 以内の海域に派遣すれば 1 隻で事足ります。

相手国が日本に向けて発射する Missile の Course は決まっていますので、日本列島近海に配置する Aegis 艦の数も数隻あればよく、既に海上自衛隊は上記「こんごう」型 Aegis DDG (Missile 護衛艦) を 4 隻、次級の「あたご」型 Aegis DDG を 3 隻運用していますので、2~3 隻が定期整備中であっても常時 4~5 隻は緊急配備に就くことができるようになっています。

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km ...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q第2次世界大戦前後の日中関係

第2次世界大戦中、日本は米国に、国際法にのっとり、宣戦布告し(連絡ミスがあったようですが)、南方で戦ったことは知っています。

ところで、日本は、韓国・中国とは当時の国際法上、戦争していないはずだと思うのですが、中韓両国は、日本軍によって甚大な被害を被ったという話をよく聞きます。

韓国は、一時期の植民地支配(日韓併合)に対して、被害を被ったと主張していることは(善し悪しは別にして)だいたい理解できました。

ですが、中国については、日本との関係がいまひとつ理解できません。被害者と主張している側が、なぜか戦勝国になっていることも含めて。

中国に対して、日本は一方的に(100%)、侵略行為をしたのでしょうか? 中国にも若干非があったのでしょうか。
当時の、国際世論も含め、日中の客観的な、歴史を時系列で教えてください。

どうぞ宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

1904~05年の日露戦争で、日本は旅順・大連の租借権(事実上の領有権)と、後の南満州鉄道を手にしました。このとき、イギリスは同盟国でしたし、アメリカも日本に好意的でした。旅順・大連に駐留した日本軍が「関東軍」と言われます。
1914年に第1次世界大戦が始まると、日本は対独宣戦をして、ドイツの租借地青島を陥落させ、ドイツが持っていた山東半島での利権を接収し、翌1915年にいわゆる対華21か条の要求を中国に行い、この利権の継承のほか、満州、内蒙古での権益を要求して認めさせます。このときはアメリカも支持を与えていますが、第1次大戦の戦況を気にしてのことです。1919年に結ばれたベルサイユ条約では、米英仏も同意して、ドイツ利権の日本への引渡しが中国の反対を押し切って盛り込まれます。5・4運動と呼ばれる反日デモが中国全土で起こったのは、これに抗議してのことです。
1921~22年に、アメリカの主導でワシントン会議が開かれますが、中国に関しては「主権尊重・領土保全」を定めた9カ国条約を結び、米英の圧力で日本は21か条要求で手にした利権のほとんど(旧ドイツ利権を含む)を返還します。このときに日英同盟が廃棄されますが、このときから米英は日本の対中進出を警戒するようになり、特に対米関係は緊張に向かいます。1928年に、軍閥の割拠状態にあった中国は国民党によって統一されますが、これに対し日本は山東出兵、張作霖の爆殺で介入しようとしますが、米英を恐れて政府が事態拡大を抑えています。同じく1928年には不戦条約が結ばれ、日本も参加します。
そして、1931年に満州事変を関東軍が起こし、満州を占領、32年には「満州国」を成立させます。形式上は独立国ですが、政府の要職には必ず日本人の副官をつけ、日本が実権を握りました。中国の要求で、国際連盟はリットン調査団を派遣し、その報告では満州国は日本の傀儡だと認定し、日本の撤退を勧告する一方、日本に満蒙での特殊権益を認めるべきだ、とする妥協案も示します。日本はこれを拒否し、国際連盟が報告にもとづく勧告を採択すると、日本は国際連盟を脱退し、国際社会での孤立を選択します。しかし、米英が介入を避けたので、1933年に日中軍事停戦協定が結ばれ、中国は事実上、満州をあきらめることを余儀なくされます。
1935年以降、関東軍は華北分離政策を進めて、華北への介入を強めますが、これに中国はイギリスの支援で経済改革で対抗しようとします。中国で国共合作が成立し、抗日統一戦線が作られるのはこうした状況の下でのことです。
そして、1937年に日中全面戦争が始まります。盧溝橋での日中の衝突は多分に偶発的なもので、現地では停戦協定が成立していたのにもかかわらず、日本は軍を増派して戦争を開始しました。アメリカはこれを激しく非難し、国民政府への援助を強めます。太平洋戦争の前段の日米関係の悪化は、日中戦争の開始に端を発していました。首都南京を陥落させれば、国民政府は屈服する、と日本は考えていたのですが、南京陥落に際して、国民政府は武漢、その後重慶に遷って抗戦します。日本軍の支援で成立した汪兆銘政権は、日本軍占領地域の政府で、日本軍に対する拒否権は持てず、実質は日本軍の傀儡でした。日本軍は占領地域は増やしていきますが、住民の抵抗や、八路軍(中国共産党軍が国民政府軍に編入されたときの名称)などのゲリラ戦に悩まされ、戦争は泥沼化します。このとき、日本軍による住民虐殺が起こったのも、住民と区別のつかないゲリラを掃討するためということでした。このころの中国共産党は「抗日」で民衆と深く結びついて勢力を伸ばしました。中国共産党政権が、抗日戦争を教育に使うのは、中国共産党が中国民衆の味方であることを強調したいためです。
1939年、日独提携に対抗して、アメリカが軍需物資の対日禁輸策をとったため、中国戦線を維持するには物資が不足したことが、日本の南進の動機となります。また、東南アジアからインドにかけて占領する、という作戦の動機のひとつはアメリカによる「援蒋ルート」(アメリカが国民政府に対して支援の兵器や物資を輸送した道)をさえぎる、ということでした。1941年のハル・ノートを日本陸軍がどうしても飲めなかったのは、「中国からの撤退」というところです。このように、太平洋戦争は日中戦争抜きには考えられなかったので、日米が開戦すると、当然のように米中は同盟関係となったのです。
軍事的には、日本敗北の主力をなしたのはアメリカで、日本の降伏時も中国には広大な占領地域が存在しました。しかし、中国撤退を拒否したために、開戦したのですから、中国戦線の泥沼化はその日米戦争の前提条件でした。中国が抗戦し続けたのも同様に前提条件と言えます。したがって、日本の降伏にともない、中国が戦勝国になったのは自然な流れでした。
韓国・北朝鮮はこの戦争においては、植民地として日本の一部だったため、戦勝国として認められず、サンフランシスコ講和会議にも招かれませんでした。朝鮮戦争中ですから、南北いずれにもそれを打開する政治力・外交力はなかったのでしょう。

この過程では、中国が日本固有の領土に侵攻したことは1度もありませんでした。日清戦争も、朝鮮が主戦場です。その後、日本は軍事力をてこに、中国固有の領土上での支配地・占領地を増やしていきました。中国の領土に駐兵し、ついには戦争をしかけて占領地域を拡大していきました。これが侵略でなければ、どういうことを侵略と呼ぶのか、と問いたいと思います。欧米列強の植民地拡大とどこが違うのでしょうか。他の人たちが悪いことをしていることは、自分がしている悪いことを免罪するものではありません。子どものときに悪いことをして叱られたとき、「xxちゃんもやってるよ」と言ったら、「お前が悪いことをしたのには変わりがないだろ!」とさらに叱られたことを思い出します。

中国に非があるとすれば、清朝が近代化に遅れをとり、その一因としては、自由化・民主化をつぶし、民衆の生活を省みなかったこと。1911~12年の辛亥革命で、清朝が倒れ、建前としては民主共和国である中華民国が成立しても、実質的には軍事独裁が続き、その状況をドラスティックに変えることができなかったこと。三民主義を掲げて政権を握った国民党も、政権掌握後は、現在の共産党政府と同じように、独裁と腐敗に沈む状況には、変わりがなかったこと。といったことでしょうか。いずれも国内的要因で、外国の侵略を正当化するのは、「いじめられた方にも原因がある」というようなものです。いじめられた方にどんな原因があったとしても、それはいじめることが悪いことだということを変えることにはならないと思います。

書くのに熱中していたら、とんでもなく長くなってしまいました。ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

1904~05年の日露戦争で、日本は旅順・大連の租借権(事実上の領有権)と、後の南満州鉄道を手にしました。このとき、イギリスは同盟国でしたし、アメリカも日本に好意的でした。旅順・大連に駐留した日本軍が「関東軍」と言われます。
1914年に第1次世界大戦が始まると、日本は対独宣戦をして、ドイツの租借地青島を陥落させ、ドイツが持っていた山東半島での利権を接収し、翌1915年にいわゆる対華21か条の要求を中国に行い、この利権の継承のほか、満州、内蒙古での権益を要求して認めさせます。このときはアメ...続きを読む

Q何で日本のイージス艦は4隻だけ

ふとした疑問です。
 あんなに高価なF-15をいっぱい持っている自衛隊が、なんでイージスシステム搭載の護衛艦を4隻しか持っていないんでしょうか?
アメリカなんて、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦や
アーレイバーク級ミサイル駆逐艦など、60隻も持っている、というのを聞いて思ったんですが、、

Aベストアンサー

 前の方々の補足という形です。
 日本海自の戦力は国土防衛の為なので、60隻もの艦隊防空艦は要りません。
 海自の艦艇運用率は60~70%と言われ、四隻の内(現在、2艦建造中)、約半分の2隻が常時運用可能となります。また、イージス艦は各護衛隊群に1隻ずつ配備されていますが、第二護衛隊群(佐世保)・第三護衛隊群(呉)のイージス艦は佐世保に配備するという、北朝鮮・中国の二カ国を意識したものになっています。
 武器の輸入は危険な話です。確かに軍事産業が政治・経済にもたらす影響は大きいですが、もし戦争となった時、自国で武器弾薬を製造できなければ、お話になりません。そういう意味では、例え高くとも、自国での生産を出来るだけする必要があります。
 「ジパング」ですが、あの、「みらい」は素晴らしい性能ですが、あれは空想までは行かなくとも、無理があります。あくまでイージス艦は艦隊防空用の護衛艦として運用されていますが、「みらい」は、個艦防衛力及び攻撃力が一個護衛隊群並に描かれています。ただ、あの艦が4隻あれば、北朝鮮の脅威なんて、半減しますよね。
 最後に、日本の軍事力についてですが、世界第○位というのは、軍事費の観点から見たものです。日本の人件費等は高いから当然、軍事費も跳ね上がるわけです。しかし、それでも世界有数の軍事力を持っている国でもあります。日本の自衛隊を甘く見てはいけません。噂に過ぎないのかも知れませんが、韓国海軍が軍事シュミレーション(「軍事」であり信頼性は高い)を海自と戦う、という想定で行った所、わずか45分で韓国側が壊滅する結果となったそうです。(一応、自衛隊は米・中・露の三カ国以外とであれば十分に戦える戦力があるという見方が一般的です)
 何にも関係のない事を長々と書いてしまいました。参考にならないかもしれませんが、参考にして下さい(矛盾)

 前の方々の補足という形です。
 日本海自の戦力は国土防衛の為なので、60隻もの艦隊防空艦は要りません。
 海自の艦艇運用率は60~70%と言われ、四隻の内(現在、2艦建造中)、約半分の2隻が常時運用可能となります。また、イージス艦は各護衛隊群に1隻ずつ配備されていますが、第二護衛隊群(佐世保)・第三護衛隊群(呉)のイージス艦は佐世保に配備するという、北朝鮮・中国の二カ国を意識したものになっています。
 武器の輸入は危険な話です。確かに軍事産業が政治・経済にもたらす影響は大きいです...続きを読む

Q中国は社会主義。経済は資本主義?

中国は社会主義国のはずです。しかし昨今の中国経済の成長の話題から、経済は資本主義化していますか?

社会主義国にとは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?

Aベストアンサー

>社会主義国とは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?
 「社会主義」の認識に誤解があるように思うのですが、そもそもこの思想は19世紀の産業革命による経済格差を是正するために生まれた思想です。つまり、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが思想の柱になっています。ですから社会主義と資本主義は対立関係にありません。

 中国共産党は現状について正式な見解を発表していませんが、政府要人などの発言を聞く限り以下のような解釈(言い訳)で資本主義化を行っていると考えられます。

・現在の資本主義化は理想の共産主義を実現するための過程である。
・資本主義を導入しているのは国民の生活を脅かさない余剰産業の分野である。
・基幹産業は国家が共産主義思想に基づいて行っているため問題ない。

 つまり、共産主義を実現するために国家の経済を豊かにしようというのが資本主義導入の理由であり、国民の生活を支える基幹産業は国家が管理しているので問題はない。そもそも社会主義・共産主義は資本主義の発展系なので、現在の資本主義はあくまでも過渡期である、というのが中国共産党の考え方のようです。

 「時代遅れなのですか?」というご質問ですが、現在の中国は本来の「資本主義→社会主義→共産主義」ではなく、文化大革命によっていきなり社会主義となった(多くの社会主義国家が同様ですが)ため、思想的にはあり得ない「社会主義状態での資本主義導入」という現象が起こっただけです。したがって「時代遅れ」とは別の次元で判断した方がよいでしょう。

 社会主義という思想は格差の是正を目的としているため、「資本家と労働者」という階級闘争に結びつきやすく、国家や官僚による国民の支配を強めてしまう側面があります。中国が抱えるさまざまな問題は、資本主義の導入が原因というよりも、社会主義が持っている問題が抑えきれずに露呈したといえますね。

 ちなみに、日本を含む資本主義社会の多くは、市場経済でありながら平等な生活を求める「混合経済体制」に移行しつつあります。すでにEUなどではゆるやかな社会主義が導入され、資本主義といかに組み合わせるかが課題となっています。そういう意味で、これからの社会は資本主義と社会主義が融合した形がスタンダードになるかもしれません。

>社会主義国とは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?
 「社会主義」の認識に誤解があるように思うのですが、そもそもこの思想は19世紀の産業革命による経済格差を是正するために生まれた思想です。つまり、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが思想の柱になっています。ですから社会主義と資本主義は対立関係にありません。

 中国共産党は現状について正式な見解を発表していませんが、政府要人などの発言を聞く限り以下のような解釈(言い...続きを読む

Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報