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自分の祖父の兄、つまり、大叔父に関することです。
大叔父は日本陸軍の兵隊でしたが、太平洋戦争の、ガダルカナル島の戦いで戦死しました。その戦死場所についてですが、
戸籍簿には、「ガダルカナル島勇川(ゆうがわ)右岸高地で戦死」とあります。
しかし、墓石には、「ガダルカナル島タイボ岬で戦死」
とあります。

どちらが正しいのでしょうか?
家族は全く分からないようです。

ちなみに、大叔父は宮城県出身、仙台第二師団所属で、戦死日は1942年11月30日です。兵科は分かりません。

推測でも構わないので、回答宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

何処でお亡くなりになったのか不明なのだと思います。



第2師団の総攻撃が行われたのが10月20日から24日にかけてです。
その際に重傷を負った兵士は後送されています。(故・亀岡高夫農水大臣もこの時に急所を失う重傷を負い後送されています。その後、大臣になった時に訪米拒否してますし、米国も事情を察して何も言いませんでした)

そうなると軽傷だったかその後の別事情で亡くなったかです。

11月末ですと補給線が破綻していましたので、おそらくですがタイボ岬辺りで餓死されたのではないでしょうか。

お墓ないし位牌にご飯をいっぱい盛ってあげてください。
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この回答へのお礼

自分は現在高校2年生で、日本軍に興味を持ち、その繋がりで大叔父について調べていました。家族は全く無関心なので、せめて自分だけは命日には黙祷とかしたいと思います。
丁寧なご回答ありがとうございました(^O^)

お礼日時:2010/10/03 14:07

本当のところは、もう誰にも分からないというか確認のしようがないというのが真実でしょう。

ガダルカナル島の戦いにおける第二師団の攻撃は、一言でいうと失敗に終りました。つまり負け戦の混乱の中で弾に当たって即死したのか、救出されたけど運ばれる途中で息を引き取ったのか、後方に送られたけど島から出られなくて亡くなったのかはもうどうしようもありません。その場に一緒にいた戦友もいたでしょうが、同じくガダルカナル島で後に亡くなったか、その後も戦争は続いたので他の戦いで戦死したか、仮に生き残られたとしてももう鬼籍に入っているでしょう。

調べれば、所属の兵科と連隊くらいまではわかるんじゃないかと思います。自衛隊には当時の日本軍が残した公式記録が残っていますので、所属の部隊がどう動いたかがだいたい分かります(ただし、高校生にはちょいと読みづらいのが難点です)。

今の把握の仕方としては、戦争というのはこういうことも分からなくなるくらい混乱するものなのだ、と思えばいいじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

確かに回答主さんの言うとおりかも知れませんね。
丁寧なご回答ありがとうございます(^O^)

お礼日時:2010/10/03 18:54

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