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北海道と沖縄は戦国時代どうなっていたんですか?

A 回答 (3件)

北海道には政治的勢力は存在してませんでした。


沖縄には琉球王国があり中国と交易していましたが
薩摩藩の侵略を受けました。
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朝鮮の植民地であり地上の楽園でした。

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戦国時代は、1493年の明応の政変、あるいは1467年の応仁の乱に始まり、1573年に15代室町将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放されて室町幕府が倒されるまでの時代を指します。

が、安土・桃山時代も戦国時代に含まさるという説があり、それも極めて曖昧で、豊臣秀吉が死去した1598年までだ、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した1600年までだ、家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた1603年までだ、などの諸説があるのが実情です。ここではテレビ等でのイメージ等を優先し、1467年から徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年までを『戦国時代』とみなす事にします。で、その頃の北海道と沖縄ですが・・・

●北海道 = 応仁の乱から遡ること10年前の1457年に起きたコシャマインの戦いで、武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決しました。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いたのです。所謂『松前藩』です。松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にありました。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は幕府より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていったのです。つまりは蝦夷地は和人とアイヌ民族の争いの渦中にあり、勝利した和人が『松前藩』を築いた時期であったのです。


●沖縄県 =1462年、尚泰久王の重臣であった『尚円王』が、『尚徳王』の薨去後、王位を継承し、第二尚氏王統が成立しました。その後、第二尚氏王統は、尚真王の治世に地方の諸按司を首里に移住させ、中央集権化に成功します。1571年には奄美群島北部まで進軍して勢力下におさめ、最大版図を築きあげました。16世紀後半、豊臣秀吉が明とその進路にある李氏朝鮮を征服しようとし、琉球王国に助勢を命じましたが、明の属国であったため国王は一旦拒否します。しかし、実際に文禄・慶長の役で日本が朝鮮半島に攻め込んだ時には、琉球は日本軍に食料を提供しており、日本軍の兵站の一部を担っていたのです。琉球王国においても、中央集権化に成功するなど、沖縄県にとってはある意味「分岐点」の時代であったわけです。


本州が動乱の時代なら、同じく蝦夷地、琉球王国も動乱の時代だったわけです。
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