プロが教えるわが家の防犯対策術!

なぜ文章を難しく書く必要があるのか

大学生なのですが、高校時代から疑問に思っていたことがあります。
なぜ、文章をわざわざ言い回しを難しく書かなくてはならないのでしょうか。

特に評論がそうではないでしょうか。
大学受験を通じて、「ここはどのようなことをいっているのかわかりやすく答えよ。」
という問いを幾度となくこなしてきました。
なぜ始めからわかりやすく書く努力をしないのであろうかと思われたのです。
そして難解なレトリックや比喩の多い文章ほど、経験上、内容が貧困なのです。

本来、文章はコミュニケーションの一つの手段として用いられるべきであるのに、
わざわざ相手の理解を難しくしているような気がしてならないのです。

また、文章を世間に出すということ自体が、知的階級に属していることを示していますが、
知的階級の使命とは、「難しいことをわかり易く伝えること」であると思われるのです。

結局、難解な文章を書く人間は自己満足に浸っているだけなのでしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

いろいろな場合があると思うのです。


質問されている方もわかった上で言っていると思うのですが。

例えば新しい概念を発表している場合、これを今までの手垢のついた表現に言い直してしまうと意味が変わってしまうということがあります。
これは新聞でけっこう見かけるのですが、見慣れない新しい言葉をわざわざ発明しているのに、自分が知らない、わからないから読者もわからないに決まっていると思い込んで僭越にも見慣れた言葉に直してしまうケースがあります。
そうすると全く趣旨が違って来てしまうのですね。
その概念がどういうものかは原文にたいてい苦労してその前とかあととかに書いてあることが多いです。

それからある程度同じ素養の上に立った人が読むものと絞って書いている文章の場合。
例えば美術の抽象表現主義とかポップアートとか、見てきてあああれねとわかっている人を読者に想定していたらいちいちその解説から書くのでは字数が足りなくなって言いたいことの核心にたどり着けない。
例えばこの質問文の中にも「評論」「レトリック」「比喩」「コミュニケーション」「知的階級」というわかっていればなんでもない言葉が入っています。
でも場所によってはこの程度でも通じない場合は実際多々あります。

また評論と言ってもコミュニケーションの「手段」だけではなくて、それ自体が何か言葉のつながりによる発見やインスピレーションが生じるのを期待しているようなものもあると思います。文章による新たな作品と考えるなら創造の部分があるようなそういうのがあってもしかたないように思います。

その上で単にひけらかしや、ネタが無いためにわざと分かりにくく書く、やさしく書く能力が不足している、原文の意味がわからないので適当に翻訳している、などの例はおっしゃる通りたくさんあると思います。
自己満足と言うか独りよがりの場合もあるだろうし、締めきりに追われてとか、能力不足とか、まあ理由はいろいろではないでしょうか。
できの悪いのだけを例にあげて難解なのを全部ひっくるめて悪く言うことはできないと思います。

なお「知的階級の使命」と言う考え方は考え方として共感できる部分はありますが「使命」ばっかりでもないだろうという気もします。
特権という部分もあるし使われてる部分もあるのですから。
    • good
    • 0

難しい事を難しく書くことは、ばかでもできる


難しい事を誰でもわかるように書くことは、真に頭が良くなければできない。
僕の場合はそう教わりました。
難しい事を難しく書くことは、ただ単に、知識をひけらかす事でしかないけど、
そういう風に書くことで、頭が良いと思われる事に対して、酔いしれてるばかなやつだと思います。
    • good
    • 0

簡単に書くと厳密性が薄れる場合があるからです。

論文などで難しく書いてある場合は、解釈に厳密性が求められる場合が多いです。最近人気の「池上解説」って奴は、聞く人が聞けば突っ込みどころ満載なんですよ。

文学作品などでは「敢えて隠す」ためにややこしく書くこともありますけどね。厳密性も文学性も求められないエッセイや記事などでは、「難しくしか書けない」なら書く人に筆力が無いってだけの話です。

ちなみに毎日新聞の記事は「小学6年生が理解できるように書かないとデスクに没にされる」と、昔毎日新聞に見学に行った時に、編集担当者が教えてくれたと記憶しています。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!