プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

現在大学生なのですが、最近、英語の高校教員になることについて興味が出てきました。公立、私立ともに視野に入れています。

その理由としては、
・自分は英語が好きで、英語力の自信もあること
・塾講師をやっていて、生徒に物事を教えるのが楽しいと思えること
・教師は、自分のやりたい仕事(私の場合だと「英語を教えること」)が主にできるということ
・地元で生活できること
・安定していること(私立であっても、一定水準以上の学校であれば少子化でも需要はあると考えています)

といった点があります。

ただ、心配な点もすごくあるのです。それは、
・生徒は必ずしも自分の言うことを聞いてくれるとは限らず、そのような生徒にまで愛着をもてる自信が今のところはない
・気があまり強くないので、注意がしっかりできず、生徒になめられてしまうかもしれない

といったことなのです。つまり、塾で教えているときは、せいぜい10人程度の教室なので、やかましくする生徒もいないし、まとめるのも簡単なのですが、実際の学校となると、みんなが勉強するために来ているわけではないし、言うことを聞かない生徒もいるわけで、あまり気が強くはない自分が、そのような集団をしっかりまとめたり、彼らに愛着をもてるのか、という点が心配なのです。そういうことを考えると、自分は教員にはそれほど向いていないのかな、という気もします。それとも、そのような能力は、仕事をやっていく中で身についていくものなんでしょうか?

こんな私が教員になって、うまくやっていけるでしょうか?

特に、現場の高校(あるいは中学校)で教員をされている方にご回答いただけると大変幸いです。また、高校教員になるにあたり、必要とされるのはどういう能力なのかということについてもお考えをお教えいただけるとありがたいです。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

高校生です★


高校生から見て、やっぱり若い新米の先生だったら授業中さわいじゃったり、たち歩いちゃったりしますよ。成り立てだからおどおどして泣いちゃったり困っちゃったりしてますね。でも、逆になめられないようにドシってしてる先生もムカツクし。
でも1年もたてばいろんな先生見てると慣れて、生徒をちゃっと怒ったりあしらっていますよ。
だから多分最初はみんななめられたりするけど、慣れちゃえばへっちゃらだと思います。
教えるのに自信があったら生徒をひきつけちゃえばいいし、マジ教えにくい!!!って先生も優しかったり、元気だったりで人気のある先生もいるし★

世界中どこ探してもこの先生の事好きな人いんのかよ?って先生もなにかどこかで少数の人には好かれたりしてるし。
もしむいてなかったら塾の先生に戻ったらいいわけだし、がんばってくださーい♪高校生からの意見でした!♪
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この回答へのお礼

現役の高校生の人から回答がもらえるなんて、感激です。
色々と参考にさせてもらいますね。

お礼日時:2003/08/17 20:05

高校で英語の教員を20年近くしている者です。


あなたが教員にむいているかということはこの文面からだけでは回答できることではないですし、やってみなければ分からないし、新任当初はできないことがたくさんあるのは当たり前で、要はあなた自身の根性と熱意の問題かと思います。

教師になりたいというあなたの理由の中で、上の三つはとても前向きな気持ちで応援したくなります。下の二つの理由についてはもし、あなたが「教師という仕事は安定していて楽だ」と思うのなら、すこし心配になります。高校の教師になるということは、教科を教えるという要素だけではなくて、他にも要求されることがたくさんあります。

例えば、クラス担任になった場合、いろんな生徒がいます。決して英語の好きな子ばかりではないし、こちらの指導に素直な生徒ばかりでもありません。いろんな生徒がいるけれども、一人一人の生徒をかわいいと思える気持ちが必要です。生活指導もしなければいけないし、問題が在れば生徒と真っ正面から向き合って話をしたり保護者と話し合いをしたり、また、高校生であれば進路指導をしたり(中学生も)将来のことを語り合ったり、あるいは、部活動の指導をしたり、その上に学校の様々な仕事をこなしていかなければいけないのです。
企業と違って残業の手当てはつかないのですべて先生の熱意次第です。といったように教員はある意味、肉体労働でもあり、精神的にも肉体的にも大変ハードな職業です。

最近は、子供も親も変わってきていますし、世の中の風潮も学校にますます多くの努力をもとめていますから、これからは更にハードになることが予想されます。

それでも、好きな英語の良さを子供達にも伝えたいという熱意があればその気持ちは必ず子供達にも伝わります。私は、本当に大変ですが、子供達と生活できる今の仕事に生き甲斐を感じています。

そういうことを覚悟した上でそれでもやりたいと思えるかどうかなのではないでしょうか?

※生徒を指導する上で堂々とした態度でしっかり注意が出来ることはかなり大事なことです。それが出来ないと、生徒はすぐに見破ります。で、とことん調子に乗ります。授業なら授業崩壊、クラスなら学級崩壊になります。子供が悪いのではなく教師の責任です。厳しいことを言っているようですがそれが事実なのです。扶桑社から出ている向山洋一氏の「学校の失敗」と、「学級崩壊からの生還」という本を是非読んでみて下さい。気が強い弱いの問題ではなく、必要なことをきちんと注意できる、出来ないは、指導力があるか、ないかということです。きちんと注意できないことは優しいと言うこととはイコールではありません。指導力がない教員にあたった場合は被害者は生徒です。あなたが、本当に教員になりたいのなら、子供のために愛情を持って必要なことをしっかり注意=指導できる教員になれるように頑張る努力をしてください。
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答をありがとうございます。
お薦めの二冊の本は是非読ませていただきます!!明日、早速渋谷の本屋さんに行ってみますね!!

お礼日時:2003/08/21 00:30

現在、高校生です。


economicaさんの投稿を見て、私もこのようなしっかりした心構えのある方が先生ならいいな、と思いました。
自分が楽しいと思えることを職業として持てることは、とても素晴らしいと思います。

私は、英語は苦手ですが、英語の授業は大好きです。
先生の教え方がとても丁寧であったり、面白かったりするからだと思います。
それに、とても研究熱心な先生方ばかりで、自分でもわからない表現があるとAETに訊いてみたりしています。
生徒の疑問をきちんと解決してくれる、というのが好かれる理由なのかもしれません。

個人的な意見なのですが、英語の授業は簡潔な方が受け入れやすいのではないか、と思います。
例文とかも、やはり短い方が理解しやすいですし、わかりやすいです。
それから、字。
何故かはわからないのですが、私の同級生の中には筆記体が読めない人が多いのです。
ブロック体でないと読めず、よく「何て書いてあるんですか?」と先生に質問している人が多いです。
聞けば、中学で筆記体を習うところと習わないところがあるようです。

なんだか、生意気なことをつらつらと書いてしまいましたが、一高校生の意見として脳の片隅にでも留めていただけたら幸いです。
夢に向かって、がんばってくださいませ!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も高校生時代、先生の書く筆記体が読みづらくて困ったことがあります。そもそも、外国ではサインをするときなど特別な場合以外はブロック体で書くのが普通なんです。なので、私は、塾で教えるときにはブロック体で書くようにしていますよ。

お礼日時:2003/08/20 23:43

#3です。

たびたび失礼します。

社会人になってから教員になっては?と回答したのですが、社会人になってからではなりにくいというレスを見て再回答させて頂きます。

社会人には1次試験で足切りがあるか?ですが、教育委員会の者ではないのでこの手の情報というのは内部の者(教育委員会)しかわからない情報かと思います。

私は足切りはないと考えているんですが、その根拠となる断片的な情報を記しておきます。

私は県立高校と都立高校、数校の教員を知っているのですが1人だけ新卒でなった、という方にお会いできたことがあります。

教員になられた方で知ったのは30代女性2人ばかり知っております。2人と言っても東京都の採用数から考えると多い方です。

そのほか若い先生を知っておりますが、「講師」でした。

東京都の高校教員採用試験で年20人合格と仮定して、ほとんどが新卒ってことは考えにくいんですが・・・。一番いいのは新卒と社会人の合格比率がわかればいいんですが、こればかりは自治体に問い合わせる必要がありますね。

↓東京都採用試験ページ
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclien …

下記リンクは浪人して教員になったという方のHPです。なめられないには?についても意見が書かれています。

社会人になってから教員になりにくいという情報は本当なのか?実際のところ私も知りたいですが、この手の情報を信じて教員採用試験を断念するのもどうかと思います。現実的に考えて教採で一発で受かるより、浪人する確立が高いのは事実。新卒ブランドはないに等しいですね。ならば、新卒にこだわる必要はないかと思いますよ。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~qj2k-ikd/
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この回答へのお礼

たびたびのご回答ありがとうございます、
私も、社会人だろうが新卒だろうが、40歳以下などといった年齢制限に引っかからなければ採用試験では平等に扱ってもらえると思います。自治体としても、優秀な人材なら大歓迎なわけですからね。

お礼日時:2003/08/18 15:05

#1です。



>そういう英語教育を見ているからこそ、それよりも質の高い英語教育をしたいという希望があるのです。

これは、新米教師の立場では、難しいでしょう。今の英語教育も、何だかんだいってかなり時代錯誤です。私もかつて、ネイティブレベルの英語を教えられないことを悟り、辞めてしまいました。

教師と言っても所詮サラリーマンですから、周りとあわせることが大切です。受験一辺倒の教育に、いかにあわせられるかが、長く勤められるコツだと思います。

#3さんのご意見ですが、教員は新卒でなった方がはるかに有利です。公立の場合、社会人採用枠を設けている自治体は少なく、設けていたとしても、第一次は専門教科、教職教養で足切りです。試験での合格を考えるなら、新卒でなった方がはるかに有利です。
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この回答へのお礼

受験一辺倒の教育ですか・・・。これが生徒にとって本当に役に立つものでないと分かっていながらも、入試に適応するには一番の方法になるわけですね。教師としてはつらいところですよね。

お礼日時:2003/08/18 15:02

古い話になりますのでどの程度参考になるかわかりませんが、自分の体験談を書かせていただきます。



もう25年も前の話になりますが、私も英語の教師になって高校で教えていたことがあります。大学は東京だったのですが地元に帰りたかったので、当時は公務員くらいしか職がなかったのです。元々私は教師になりたかったわけではなかったのですが、教育実習をしたとき手応えを感じたし面白かったこともありましたし、そのときは教師になってもやっていく自信がありました。

ただ、ここに落とし穴がありました。教育実習をした高校は自分の出身校ですが、ここは地元では1番の進学校で生徒の質が高かった。そのため、英語の教科書を使って授業が出来たんです。

さて、採用試験に受かって私が配属されたのは小さな町にある唯一の高校でした。そこでは町に住んでいる子で優秀な子は遠くにある町の高校まで出てしまいまして、この高校に来るのは山奥に家があるため優秀でも遠くの町に通えない子か、地元の優秀ではない子でした。
ということで生徒のレベルもかなりの開きがあり、上の子は教科書をちゃんと理解できるのですが、下の子はアルファベットを読むのがようやっと。中学では完全にお客さんになっていた子です。

この学校ではよほどのことがない限り誰でも入学できたというわけです。田舎の、定員には全く達しないようなところではよくあることです。
こういうところで英語を教えるとはどういうことか、想像できますか?
当時は英語には文法とリーダーの2種類の時間がありまして、文法のクラスはまだよかったんです。生徒たちを中学の基本から教え直すことが出来るから。生徒たちも私の授業を聞いて初めて英語を理解することが出来たりして、感謝の言葉を言ってくれる子もいてうれしかったものです。

ただ、リーダーのクラスははっきり言ってどこから手をつけたらいいか困りました。レベルはまちまちですし、生徒の中には教科書は全くのちんぷんかんぷんで、座っていることが苦痛でしかない子もいたわけです。
そういう生徒のなかのツッパリが音頭をとるような形になって、あるクラスは次第に授業中の私語が多くなり、しまいには今でいう授業崩壊に。こうなれば地獄です。

ということで、結局2年間勤めただけでやめてしまいました。まあ、私の教師という職業に対する熱意も少なかったのでしょうし、年齢が生徒に近い上に小柄な女性ということで、甘く見られたこともあるでしょう。
気は弱い方ではないのですが、あのときはもう完全にノイローゼになってしまい、自殺も考えるほどでした。

英語という教科でなかったらこういうことにはならなかったかもしれませんが、カリキュラムが組まれていてそれを消化しなくてはならないという枠がはめられた中で、中学1年のレベルにも達していない生徒も少なからず混じっているクラスで英語を教えるというのは大変なことだと思います。
ただ、これは四半世紀も前の話ですし、地域によっても違うかもしれません。あくまでも私の経験談ということで、参考になればと思って書かせていただきました。
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この回答へのお礼

非常に貴重なお話をありがとうございました。
学力に大きな差のある生徒達を教えるなんて、本当に大変なご体験でしたでしょうね。
今後の参考にさせていただきます。

お礼日時:2003/08/17 21:33

公立、私立については、私学は独自体制で学校を運営してかまいません。


ある意味、民間企業のシステムと、さほど大差ないと思われるところもあります。
公立は公務員として扱われ、教頭・校長の管理職が所属教員に対しての監督者・助言者・指導者として当たります。
教頭・校長の管理職以外の教員の職務上の身分はすべて同じですので、上も下もないと考えて問題ありません。
教頭・校長以外に職務の管理をされることはありません。
本題ですが、生徒の前に立つ前に、その確かな答えなどはありえないと思われます。
専門の教科指導についてはプロでなければなりませんが、ご指摘の通りすべての生徒がその先生を慕ってくれことは絶対にありません。
生徒と考え方があわなければ、自分が良いと思う違う先生のところへ行って指導してもらいなさい。と、サポートしてあげれば良いと思います。
狭き門を突破し、志を達成しても、教壇に立ってから重圧に耐えられず、心を病んで辞めていく方も少なくありません。
ちなみにテレビドラマの金八先生は、現在の日本の学校教育システムでは実現しがたい斬新なキャラクターなのですが、生徒達はそんなドラマの主人公先生にあこがれるのかもしれませんね。
さて最後に。
良いと思う先生を選ぶのはその生徒の自由ですし、生徒達はひとりひとり皆違った考え方を持っています。
違った言い方をすると、いろいろな先生がいても良いし、いろいろな生徒がいても良い場所が、学校であると思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
生徒みんなに好かれようという考えは捨てたほうがいいのかもしれないですね。

お礼日時:2003/08/17 20:11

 私は高校生です。


私はeconomicaさんのお話を聞いていて、こんな先生だったら素晴らしいなと思いました。私の学校に来て欲しいです(笑)
 それは、生徒に教えるということに対して自信を持っているって事です。高校生のクセに・・。と思うかもしれませんが、いいなと本当にそう感じたんです。
 私の学校は若い先生が多いんですが、その先生のほとんどの授業が好きではないんです。淡々と教師1人で進めていく授業の人ばかりだからです。そういう授業を受けていると、生徒も内容の深いところまで理解できないし興味も薄れていきます。そういった点ではeconomicaさんの授業は楽しそうです。
 気が強くないとあったんですが、私はちょうどいいと思います。気が強い先生は一方的で、生徒を引きずっていってしまいますが、意見を聞いてくれる点があると最高だと思います。私の理の先生は凄く気が弱いと自分で自称していて、毎時間生徒に向かって謝ります。それでは不安を感じてしまいました。
 economicaさんは私にはいい先生だなぁと感じました。頑張ってください。
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この回答へのお礼

ほめてもらって、なんだかとても嬉しいです。
淡々と授業を進めるっていうのは、生徒の側から立つとすごくつまらないですよね。私は、塾で教えるときには、できるだけ生徒を当てて答えさせるようにしています。

お礼日時:2003/08/17 20:09

 「向いている」か、向いていないかより、あなたが「教員」になりたいか、そうでないかという事が大切な観点のように思います。


 人に「むいている」といわれて簡単に教員になれるもんでもないし、またなるものでもないように思います。逆に「むいていない」と言われても、なりたい人は「なりたい」そんな職業ではないでしょうか。
 必要とされる能力は多岐にわたると思いますが、教員免許を取得し、採用試験に合格すれば、客観的にはみんな「教員」としてスタートすることになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
教員になりたいかどうかと言われると、なりたい気持ちが強いです。

お礼日時:2003/08/17 16:47

教員の方に会う機会が多々ありましす。


学校というのは働き易い場所と言えばそうと言えると思います。私も教員を目指していればとたまに後悔することもあります(^^ゞ。

先生に会って思うのは、実社会体験の少なさです。
特に新卒で教員になった人は先生の世界に染まってしまいます。実社会を直接知らないので、会社で有益な人物がわからなかったり、どうことを進めていいか迷ったり・・・。

>・生徒は必ずしも自分の言うことを聞いてくれるとは限らず、そのような生徒にまで愛着をもてる自信が今のところはない
・気があまり強くないので、注意がしっかりできず、生徒になめられてしまうかもしれない

economicaさんの文面を見ると、まだ経験がないことから自信がない印象を抱きます。いまの状況だとそれこそなめられるでしょう。

教員になると生徒より経験を上回っていなければなりません。economicaさんのこれまで経験してきたことで生徒にアドバイスができるでしょうか?

いろんな経験(修羅場)を積んできた人の言葉は年齢問わず重みがあります。生徒に信頼してもらうにはまず先生がたくさん経験し信頼できる人にならなければなりませんね。

実社会で勤めることが教員採用試験で有利とはなりませんが、新卒で教員になるよりまず会社勤めしてある程度実績を残してから教員になってもよいのでは?と思います。

教員は30代からなる人も少なくありません。30才だからといって不利になるわけではありません。ただ、教える経験はあったほうが教員採用試験で有利になるとか・・・。

新卒で教員になった人も立派に役割を果たしておられる方もいます。が、数年働いていると会社勤めの経験が必要だな、と思うときがきっと来るでしょう。

私は、一度実社会に出てそれから教員を目指すことをお薦めします。
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この回答へのお礼

貴重なご意見をありがとうございます。
教員に実社会の経験が足りないというのは、全くもってそのとおりだと思います。実社会で活躍するにはどういう能力が必要かというのを教師は知らないから、生徒を評価するときに成績でしか見られなくなってしまうんですよね。

お礼日時:2003/08/17 16:31

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