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「犬が飼いたい」という表現にどうも違和感を感じます。
「犬を飼いたい」のほうが自然に思えます。
どちらが正しいですか?

あと今質問文をかいていて思ったのですが、
「違和感を感じる」は「頭痛が痛い」と同じようにおかしいですか?
こういう重複した表現のことを表す言葉ってありますか?

A 回答 (9件)

(a)「犬が飼いたい」は、[犬が]+[飼いたい]


(b)「犬を飼いたい」は、[犬を飼い]+[たい]
というように、二つの文は構造が違います。

(a)は「カウ」という動詞に形容詞型語尾「タイ」が付いて
派生した「カイタイ」というひとつの形容詞が
「犬」を叙述している構造です。

形容詞はその名の通り、名詞を形容するのが役割です。
モノがどんな形なのか、どんな状態なのかなどを説明する言葉です。
形容のしかたには「限定」と「叙述」の2通りがあります。
限定用法は「飼いたい犬」となるだけなので格助詞の問題はありませんが、
叙述用法の場合は一般的には形容の対象としてヲ格補語をとりません。
たとえば、「空が青い」とは言っても「空を青い」とは言いません。
同様に「○○を長い」や「○○を安い」という表現もあり得ないですよね。

つまり、(a)の「犬」は語尾「たい」につられてガ格をとっています。
「犬」に対して「飼いたいくらいの魅力を発している」と形容しているのです。
「飼いたい」なのか、それとも実は「買いたい」なのかはさほど重要ではなく
むしろ「欲しい」とか「いい!」に近いニュアンスです。

これに対し、
(b)は「カウ」という動詞がヲ格に「イヌ」をとった
「イヌヲカウ」という動詞句に対して
「タイ」という形容詞型語尾が付いた構造です。

つまり「犬」は「飼う」という動詞につられてヲ格をとっています。
「犬を飼う」という行為をしたい、と言っています。
「犬」と「飼う」のつながりが強いので、願望の方は少し弱まります。


ちなみに、
「違和感」のほうは、他の方がおっしゃる通りです。
僕は普段「違和感がある」という表現を自然に使っています。
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1.


どちらも正しい表現ですが、微妙なニュアンスの違いがあります。
「が」の主な用法は【特定】である、と覚えると非常にわかりやすくなる、と私は常々思っています。

ただ、留意すべきなのは、
「特定するには、するだけの理由が必要」
ということです。逆に言うと、
『特定すべきシチュエーションにおいて「が」を使わないと不自然な表現になる』
ということになります。
たとえば、以下に示した、(ア)と(イ)の会話をごらんになってみてください。

(ア)
A:この前、映画で見た名犬物語、感動したなあ。
B:僕も見たよ、良かったよね。
A:ああ、僕も犬が飼いたい!

(イ)
A:今度、ペットを飼いたいと思っているんだ。
B:猫?
A:いや、犬を飼いたい。

(ア)の場合、
名犬物語に触発されて、どうしても犬を買いたくなった、という心情を「が」を使って「犬」を特定することで表現しています。
「飼いたいのは、あのような感動を与えてくれる 犬!です」
というニュアンスになります。
これが「犬を飼いたい」とすると、いくぶん、テンションの下がった表現になるでしょう。
犬は、飼いたいことの単なる目的語としてより機能しなくなるからです。

(イ)の場合、
とりあえずペットを飼いたいと思った←飼いたい対象は犬である。
といったニュアンス。
(ア)と異なり、「どうしても犬が飼いたい!」というニュアンスにはなっていない、ことにお気づきになると思います。

ただ、あまり犬に強い思い入れをする機会が少ないために、
「犬が飼いたい」は、やや大げさな印象を受け、
「犬を飼いたい」のほうが自然に思える場合が多い、ということでしょう。

2.
>違和感を感じる」は「頭痛が痛い」と同じようにおかしいですか?

基本的には「違和感を覚える」でしょうね。
しかし、ここまで人口に膾炙してしまうと、今の段階では、「違和感を感じる」は間違いとまでは言い切れなくなっているように思われます。
  
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80年以上日本語をしゃべっています。


「犬が飼いたい」が伝統的な日本語です。
「犬を飼いたい」のほうは新参者ですが、もはや市民権を得たと言えるかもしれません。
私は「犬を…」を聞いて不快に思うことはありませんが、自分では使いません。
文化庁の『言葉に関する問答集』では、「水が飲みたい」「水を飲みたい」のうち、どちらか一方を採るとすれば「水が」としています。
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No.5で回答したものです。



ごめんなさい。訂正↓

【誤】この文の「犬は」は”目的語”です。
【正】この文の「犬が」は”目的語”です。

訂正ついでに、おまけ↓

sun_gさんのように、”目的語”に「~が」を使うことに違和感を覚える人は結構います。
年配の方には少なく、どちらかといえば若い方に多いのです。

現代の「学校文法」で教育された影響が大きいのですが、
実は、英語教育の影響も大きいのです。

英語の初歩段階で、人称代名詞を学習します。
 I/my/me …私「は・が」/私「の」/私「を・に」
こんな風に教わるはずですが、この影響が実はかなり大きいのです。
この英語の人称代名詞と日本語の助詞との対応を覚えると、知らず知らず、目的語は「~を・に」を使うべきだと思い込んでしまうのです。

英語の人称代名詞の目的格に「~を・に」を対応させて教えるのは、「~を・に」と和訳するとしっくりくる英文(特に学習初歩の英文)が多いからです。
けれども、あらゆる英文において「~を・に」と和訳することが最適だというわけではありません。


I love you so much! …どう和訳しますか?
 「わたし、あなたを大好き!」?
 「わたし、あなたが大好き!」?
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「重言」については、他の方の回答の通り。



>「犬が飼いたい」
>「犬を飼いたい」

どちらも正しい文です。しかし、意味が異なります。

国文法には、様々な見解がありますが、以下は、その一見解としてお読みください。

いわゆる学校文法では、日本語の”主語”について教えます。
これは、多くの外国語の平叙文において、”主語”が不可欠であることとの比較言語的な影響が多大にあります。
そして、”主語”が存在するものと教えた上で、往々にして”省略される”と教えます。
そのほうが、何かと都合がよく、教えやすいのです。

私は、日本語に”主語”が存在することに懐疑的です。
動作や様態の”主体”はあります。
でも、それは文法上の”主語”の存否とは必ずしも一致しません。

いわゆる日本語の”主語”は、実は”主体”を示す連用修飾語の一種にすぎず、必要に応じて添加する(必要がなければ添加しない)文の要素なのではないでしょうか。
英文で例を挙げるなら、
 My cup was broken.
 My cup was broken by Jack.
の'by Jack'と同類の文の要素なのではないでしょうか。

さて、学校文法では主語は存在することを前提として教えます。
その結果、「犬が」という文節は”主語”であると認識します。
すると、疑問が生じます。
……「犬」は”目的語”であるはずなのに「~が」と表現するのはおかしい。省略されている「私は」が”主語”であって、”目的語”の「犬」に対しては「~を」を使うべきだ。……

>「犬が飼いたい」
この文の「犬が」は”主語”ではありません。
助詞「が」が作る文節は”主語”であるという認識は誤りです。
この文の「犬は」は”目的語”です。
「~が」だからといって、主語だと決まるわけではありません。
また、”目的語”を作る文節を「~が」と表現しても間違いではありません。

助詞「が」は、様々な他の助詞に置換して使うことができます。
 「私は犯人です」→「私が犯人です」
 「犬を飼いたい」→「犬が飼いたい」
助詞「が」に置換すると排他性が生じます
「Aが」という表現には、「BでもなくCでもなくAが」という排他性があります。

>「犬を飼いたい」
ただ、犬を飼いたいことを表現しているだけで、排他性がありません。
主体(主語)は、犬だけでなく、猫もウサギも飼いたいと思っているかもしれません。

>「犬が飼いたい」
排他性が生じます。
主体(主語)は、猫でもなくウサギでもなく「犬が」飼いたいのです。
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> 「犬が飼いたい」という表現にどうも違和感を感じます。


> 「犬を飼いたい」のほうが自然に思えます。
どっちが正しいと言う問題ではなく、感覚の問題だと思います。
この文単独では確かに「犬を……」のほうが自然に思いますが、例えば次のような場合は「犬が……」でもさほど違和感はありません。
(例)
 「飼いたいのは犬?それとも猫?」
 「わたしは猫がいい」
 「僕は犬が飼いたい」
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「~したい」という願望の表現は、形容詞に似ているせいか、


本来は「~が~したい」という言い方をしていたようです。
でも「~を~する」という言い方に引かれて、いまは両方の言い方が使われています。
すこし古い意識の人(私もですが)にとっては「~が~したい」のほうが自然に聞こえます。
たとえば、
「映画が見たい」「何がしたいですか」
などのほうが
「映画を見たい」「何をしたいですか」
よりも自然に感じます。
でも、今は後者が(を)自然だと感じる人が増えてきているのだと思います。

「違和感」の話は、
「違和感がある」という言い方でないとおかしいと思います。
「違和感を感じる」では「感」がだぶってしまうからですね。
おっしゃるとおり「重複表現」とか、「重言(じゅうげん)」というようです。
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格助詞の「が」には「要求や願望の対象を示す」という意味もあるので, 「犬が飼いたい」「犬を飼いたい」のどちらも正しい.


厳密にいえば「違和感を感じる」は変です. 「違和感がある」「違和感を覚える」なら全く問題なし. 調べたら「重言」とあった.
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文法ではどちらも同じ意味です。



英語をはじめ、世界の多くの言語(主格優勢言語)では、上の主述関係が文の基本的な要素である。この主述関係とは別に、文の中心的な話題(主題、題目)という要素を加えた話題文(題述文)がある。日本語では主語は文の重要な要素でなく、むしろ話題が重要である。このような言語を話題優勢言語という。

1 「英語では主語が重視される。」
2 「英語では主語を重視する。」
上の2つの文は、意味的には同じである。このうち2では、主語「英語を使う人々が」を入れることができる(英語に直訳するには主語Theyを入れなければならない)が、日本語ではそんなものを入れない。つまり「主語なし文」の方が自然であり、話題「英語では」が必須である。話題は語順(文頭にもってくるなど)や、日本語の助詞「は」などで標識される。

私としては「犬を・・・」が自然に感じますがね。


腹痛が痛い
馬から落馬
線路から脱線
煮込んだ煮込みうどん
・・・・・・・・・
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