プロが教えるわが家の防犯対策術!

歴史の質問です。

徳川家康の伊賀越えのエピソードですが、このように「有力者の危機を、部下が総力を挙げて安全な所まで送る」ような歴史上の逸話があれば、教えていただきたいです。

日本でなくても、時代はいつでも構いません。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 関ヶ原の戦いの一連の流れの中で、いくつか事例があるようですね。



・大坂屋敷に残った東軍諸将の妻子の脱出
  何人か脱出したことが知られます。お分かりだと思いますが、多くの場合妻女本人より家老職等の機転が大きいです。関ヶ原ものや当該武将ものであれば、取り上げている小説もあるかもしれません。

・関ヶ原合戦後の西軍諸将
  特に有名なのは島津義弘のそれです。池宮彰一郎氏の小説「島津奔る」は、関ヶ原の戦いでの島津家のことが書かれたものですので、恐らく触れられている(というよりタイトルから考えて、クライマックス的な扱いをされている)はずです。
 参考URLに、書評が書かれたサイトのURLをリンクします。

参考URL:http://ushidon.sakura.ne.jp/bookroom2/book/book3 …
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関ヶ原の終盤、最後に残った島津義弘。


NO,1の方が答えられていた、島津義弘の話に同感です。私も島津家の戦記が好きでよく読んでいます。
島津義弘の兵は1500、鹿児島に帰りついたのは、80人。突破陣形は錐鋒陣。家康の前を帰国言上しながら突破。
甥の島津豊久戦死。(義弘の身代わり務める)島津の「捨てがまり」にて追撃速度を落とさせている。
この島津の強さに政権の固まらぬ家康は領土を削る事もできず許すしか無かったようです。
参考にされるなら、鹿大教授「原口虎雄の島津中興記」。(少し読みづらいかもしれませんが)
「島津戦国記」  それにNO,1の方が答えられた「島津奔る」ですね。
西郷隆盛の可愛岳ごえも面白いですよ。
西郷自身「まるで、夜這いのごっ、あんどな~。」と部下を笑わせた、しかし包囲されたなかを突破!鹿児島に帰り城山にて500名とともに戦死。可愛岳突破されたのは官軍の大失態とされている。
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織田信長の朽木峠越え。

織田信長はたった一人で逃げ、
配下の武将たちは総力戦で朝倉軍を抑えつつ退却しました。
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ちょっと意味合いが違いますが、


佐々成政の「さらさら越え」なんて、やや近いかも。
http://sasimichop.blog75.fc2.com/blog-entry-397. …

個人的には、部下が総力を挙げて助けたというより、
親分が部下を犠牲にしまくってなんとか命を
つないだ。。。ような気もしますが。
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