1. 天照大神は、今まで女神(女性神)だと思ってきました。
  しかし性別不詳とするご見解もあるそうです。そんなことを説明されているサイトはないでしょうか?
  この神様のご様子というか、視覚的な顕れがみられるようなサイトはないでしょうか?

 2. 天照大神と卑弥呼の異同も論議されているのでしょうが、正統とされる歴史の見解では一応区別されています。
  同一だという見解を否定する主な理由はなんなのでしょうか?
  この卑弥呼ののご様子というか、視覚的な顕れがみられるようなサイトはないでしょうか?

 3. 土偶の写真を見ました。
  土偶は古代人の女性のありようを示すものでしょうか?
  もし古代の女性を写しているとすれば、古代の人の女性の役割や立場についてどう考えられるでしょうか。古代の女性観はどうだったのでしょう。
  
 参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%81%B6
 ご回答をお待ちしています。どうかいろんなご回答をお寄せください。

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A 回答 (2件)

土偶に興味をもっています。


Wikipediaを読みましたが、最新の発掘例が抜けています。
Wikiでは
「現存する日本最古の土偶は、三重県で出土した縄文草創期のものである」
と記述されていますが、昨年5月に滋賀県東近江市の相谷熊原遺跡から出土した1体は、
約1万3千年前のものと推定されています。
三重県の例もそうですが、草創期の土偶は、乳房を強調していますね。
素人の私の想像ですが、
赤子を育てることができる「乳」を出せる「乳房」に感謝したのでしょう。
縄文中期には、腹部や臀部を強調した妊婦型に変わっていきます。
ご質問の「古代の人の女性の役割や立場について」ですが、
「命の継承」という役割を果たせるのは女性だ、と認識していたのでしょう。

長くなりますので、「国宝土偶展」での専門家の解説を引用します。
発生期の土偶は女性的特徴を強調しながら、目・鼻・口などのはっきりした顔面表現はない。手足すらも存在しない。
人間は人格をもつ存在ではなかった。性的特徴などその役割だけが注目された。
土偶の顔は、人が表情を獲得した過程、すなわち、いかにして人格が生まれたのか、という問いも投げかけている。

京都新聞「国内最古級の土偶出土」
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100 …
「国宝 土偶展」
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&p … 

次に、アマテラスと卑弥呼の対比ですが、前者は時の最高権力者・天皇が国家経営の安定を祈願して創造した神、後者は歴史上実在の人物だと私は認識しています。
ただ、溝口睦子著『アマテラスの誕生』(岩波新書)を読んだくらいの知識しかありませんが…。
アマテラスは、7世紀後半、それまで皇祖神であり、最高神の位置にあったタカミムスヒに代わって、天武天皇によって皇祖神に据えられた、という説です。
アマテラスは弥生時代にさかのぼりうる日本土着の日の神で、自然神のひとりです。
今は、三重県の伊勢に祀られていますが、もともと土着の神ですから、近畿地方の随所に「元伊勢」という所があり、あちこちで人々に愛されていた、と私は思っています。
だから、お姿は「太陽」ではないでしょうか。
そんな考えの女性のHPを見つけました。

トッコの教室「奈良・桧原神社の夕焼け」
http://ameblo.jp/tokkosan/entry-10240522360.html

ブクログ「アマテラスの誕生」
http://booklog.jp/asin/4004311713

この回答への補足

 失礼しました。
 土偶にご関心のある方がいらっしゃって、私もその方に質問を申し上げたのですが。
 今はそのサイトの掲示板では事情があってご回答が無理だというので、ここに質問を出してご回答をお待ちしておりました。
 http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/index.html
 或いはご参考になるかも知れませんので、ご紹介申し上げます。

補足日時:2011/01/04 09:34
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この回答へのお礼

 goo-par1732さん、ありがとうございます。
 定年後も一箇所に勤務して、二十歳代から計46年勤務後、この十数年でのシニアのクラスで勉強した限りの素人(専門って特にないんです。まぁ図書館の仕事が本籍なんですが)です。

【土偶】
 土偶も作成年代と変移があるのですね。Wikiにはその後に出土したものがありませんね。
 タームとしても、内容も異なりますが地母神も何か共通性を感じます。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%AF%8D% …
  http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/toruko-jiboshin.html
 やはり草創期の土偶も、女性の自然の能力という生産性に注意がいき、肉体やその働きの協調があるのですね。
 エデンを出て行くアダムとイヴのように、所謂る人為の文化がでてきて、知と区分認識での人間や個人の展開と認知が出てくるプロセスが連想されてきますね。

【天照や卑弥呼】
 あの壬申の天武天皇、大海人皇子のときに入れ替えがなされたのですか。
 日本書紀の内容なんでしょうね。天照が仮に女性であれば、女性神とする理由やそうしたことによる影響などは日本の心性の展開の要素となっているかも知れませんね。
 弥生に遡行しうるかもしれない、自然神からの置き換えなんですか。
 まぁ、何でもつなげてしまいたがるのが私たち素人なんでしょうが、ここもあまり卑弥呼や邪馬台国と繋げるのは未だ無理があるようですね。
 それに卑弥呼も邪馬台国も所詮は大昔の外国の書物の一記事からのものでしょうし。
 それもこの列島の事だというのも、高い蓋然性のことでしょうから。

有り難う御座いました。

お礼日時:2011/01/03 09:51

ん~~。

回答にはならないかも知れませんが、女性の神格化に付いて少し意見を述べたいと思います。
土偶の話からですが、古代は採取と稲作で生活をしていました。
女性の子どもを産む力と植物の実りは同じと考えられていましたですから、女性の生産(子どもを産む力)は神秘的な力が宿ると考えられ、土偶は女性がほとんどのようです。女性が男性より力を持った時代が有ったのも事実です。それで財産は女性が相続し男性は女性の家へ通う
妹問婚となるわけです。結婚しても男性は財産を持たず実権は女性に有るのですからいざとなると男性は追い出される事がたびたび有りました。
天照大御神と卑弥呼の関係は多く書かれてますので今更書くこともありませんが、この妹問婚と付き合わせると納得出来る事が有ると思います。
一つこの方面から探られれば、面白い答えが見つかるかも知れません。
今年も宜しくお願い致します。

この回答への補足

 minamatatanukiさん、すみません。場所をお借りします。
 お待ちしていたお方のご回答を当面得られないことが判りましたので、締め切らせていただきます。
 有り難う御座いました。

補足日時:2011/01/04 10:59
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この回答へのお礼

 謹んで新年を寿ぎ ご回答に感謝申し上げます
 
土偶は殆どが女性だという仰せは、つまり、土偶の中には男性やいろんな職・立場の方がいられるのですね。
 それにしても古代人は女性の具有する生産の力と神秘力に注目したのですね。
 私もかれこれ50年ほどヒンドゥのある哲理を独学的に学び、精進をしてきておりますが、その浅学でも女性が最初に作られた神話と哲理が述べられています。
 創造の(神という)意識たるブラフマが森の中で(彼の夢創造の意識の中で)最初に出会う(創成する)のが、ガンジスの精、ガンガですね。
 所謂る太初のことば、アーメン、オウム、フームという振動vibrationですね。
 古代人の意識や心性ではどのような世界の紡ぎと認識になっていたのか。現代とは相当、異なりますね。
 私は現代が進歩したとも、正しいのだとも思っていません。流れ変化しただけだと存じます。
 その古代人の意識や心性とその生活世界をしらないで歴史を論ずる事は、正に楚人の刻舟尋剣の故事そのままだと存じます。
 あぁ歴史は全く人それぞれの認識ですね。正に individualでしかない。
 歴史は学なんでしょうかね。
 古代や過去の方の紡いだ生活世界を訪ねたいのです。
 どうか更にお教え賜ると幸甚です。

お礼日時:2011/01/01 09:58

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Q天照大神について

「あまてらすおおみかみ」を漢字で書くと「天照大神」となるんですよね?

ところが「掛け軸」になると何故か全て「天照皇大神」となっています


1 何故なんでしょうか?
2 どちらが正しいのでしょうか?
3 「皇」の意味はなんでしょうか?

以上4点ですが、詳しい方おられましたらお願いします

Aベストアンサー

天照大神の表記と読み、系統については、ざっと以下のようなバリエーションに大別できます。

天照皇大神(あまてらす・すめ・おおかみ)(伊勢系)
天照坐皇大神(あまてらします・すめ・おおかみ)(伊勢系)
天照坐皇大御神 (あまてらします・すめ・おおみかみ)(伊勢系)
天照大御神(あまてらす・おおみかみ)(古事記)
天照大神(あまてらす・おおみかみ)(日本書紀)

表記と読みが微妙に変化する理由としては、例えば、皇祖神であることを強調するため、皇の字を入れる、皇や御の字を入れて、美称とする、また、古事記・日本書紀以外にも各神社等に独自に伝来する古文献も多くあり、それぞれ神名表記が微妙に違うが、それぞれの神社が自社伝来文献の表記に従っているなどなど、こうしたあたりが理由か、と推測します。

掛け軸のばあい、伊勢のお土産や、それを模して製作したものが多いので、そのため伊勢系の表記が多いのだろうと思います。

最も一般常識となっているのは、日本書紀の天照大神(あまてらす・おおみかみ)ですが、しかし、どれも同一神を指しているというのが、日本古代史上・日本神話上の通説です。

天照大神の表記と読み、系統については、ざっと以下のようなバリエーションに大別できます。

天照皇大神(あまてらす・すめ・おおかみ)(伊勢系)
天照坐皇大神(あまてらします・すめ・おおかみ)(伊勢系)
天照坐皇大御神 (あまてらします・すめ・おおみかみ)(伊勢系)
天照大御神(あまてらす・おおみかみ)(古事記)
天照大神(あまてらす・おおみかみ)(日本書紀)

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Q月読命、天照大神の神話について。

天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%A3%9F%E7%A5%9E
より引用

月は昼でも見ることができます。
なんかこの神話、矛盾していませんか?
昼間に見ることができる月は、夜見る月とは別物だと考えていたのでしょうか。

Aベストアンサー

> なんかこの神話、矛盾していませんか?

神話は古事記、日本書紀に現れて来たものです。 その神話は決して荒唐無稽なものではありません。 

天照大神神話は世界中にあります。 それも奇妙に一致する点がいくつか。 それらを照合すると、六世紀の初頭に世界的な気候大変動が起っています。 その余波の大飢饉で全世界の人口の80%が滅亡したと推定されています。 

それを歴史上の出来ごとで照合すると西暦535年のジャワ島クラカトア火山の大噴火が考えられます。 この時降った火山灰で太陽光線が18ヶ月遮られたとの記録があります。 

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神話は古事記、日本書紀に現れて来たものです。 その神話は決して荒唐無稽なものではありません。 

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Q天照大神は何歳まで生きたのでしょうか

日本神話で天照大神(アマテラスオオミカミ)以降の神は人間と同じように、子孫を設けていますが、それぞれの神には、寿命があったのでしょうか。
因みに天照大神は何歳で死んだことになっているのでしょうか。
それとも死ななかったのでしょうか。
神話のことで、どうでもよいことなのかもしれませんが、興味があります。
たとえば人間が凡そ100才として、10倍くらいか100倍くらい長生きしたのでしょうか。

Aベストアンサー

tabigarasy さん、こんにちわ。

多分、まだ生きていらっしゃると思いますよ。
去年お社を新築なさいましたからね。

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高円宮家の典子さまが、出雲大社の方と婚約されましたが、この出雲大社の方の先祖は天照大神のご子息から代々続いてるという事で、天照大神は実在したのでしょうか?

Aベストアンサー

天照は太陽そのものです。

文面の記述は日本神話での記述と取れます。伊弉諾から

出雲を収めるようにと言われて出雲を納めた。

とあります。現実に存在したわけではないです。太陽の象徴が天照ですから。

出雲大社の関係者が古い昔に作った話ですよ。

Q卑弥呼は

ドウヤッテ死んだの

Aベストアンサー

魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
“ 倭女王卑弥呼与狗奴国王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 遣塞曹椽史張政等因齎詔書黄幢 拝仮難升米為檄告諭之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人
(倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ) とは平素から不仲であった。それゆえ倭国は載斯烏越(さしあえ) らを帯方郡に派遣して狗奴国との戦闘状況を報告させた。これに対し(魏の朝廷は) 塞曹椽史の張政らを派遣した。邪馬台国に赴いた張政らは証書と黄幢を難升米(なしめ) に授け、檄文を作って諭した。して、卑弥呼は死んだ。死後は直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が殉葬された。 ) ”

この記述は、247年(正始8年)に邪馬台国からの使いが狗奴国との紛争を報告したことに発する一連の記述である。卑弥呼の死については年の記載はなく、その後も年の記載がないまま、1年に起こったとは考えにくい量の記述があるため、複数年にわたる記述である可能性が高いが、卑弥呼の死が247年か248年か(あるいはさらに後か)については説が分かれている。また247年(正始8年)の記述は、240年(正始元年)に梯儁が来てから以降の倭の出来事を伝えたものとし、卑弥呼の死も240年から246年までに起きた出来事とする考えもある。

「以死」の訓読についても諸説ある。通説では、「以」に深い意味はないとするか、「死スルヲ以テ」つまり「死んだので」墓が造られた、あるいは、「スデニ死ス」と読み、直前に書かれている「拜假難升米 爲檄告喻之」(難升米が詔書・黄幢を受け取り檄で告諭した)の時点で卑弥呼はすでに死んでいた、と解釈する。この場合、死因は不明である。一方、「ヨッテ死ス」つまり「だから死んだ」と読んだ場合、この前に書かれている、狗奴国との紛争もしくは難升米の告諭が死の原因ということになる。

魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
“ 倭女王卑弥呼与狗奴国王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 遣塞曹椽史張政等因齎詔書黄幢 拝仮難升米為檄告諭之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人
(倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ) とは平素から不仲であった。それゆえ倭国は載斯烏越(さしあえ) らを帯方郡に派遣して狗奴国との戦闘状況を報告させた。これに対し(魏の朝廷は) 塞曹椽史の張政らを派遣した。邪馬台国に赴いた張政らは証書と黄幢...続きを読む

Q卑弥呼が住んでいた邪馬台国って、今で言うとどこになりますか? 教えて下さい。

卑弥呼が住んでいた邪馬台国って、今で言うとどこになりますか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

久留米あたりです。九州ですね。
魏志倭人伝ってのに書かれています。ネットで検索すれば原文と和訳とがすぐに見つかります。読んでみれば、久留米あたりであると分かります。

魏志倭人伝を読んだこともない人が沢山いて、そういう人たちが回答しています。ぜひ、自分で読んでみられることをおすすめします。

Q卑弥呼

日本の歴史上で卑弥呼はすごく有名ですが、私の知らないだけかもしれませんが海外ではあわり知られていないんじゃないかなと思います。だって凶作とかを雨降らしてなおしたんですよ⁈なので、なぜあまり有名じゃないか知りたいですm(__)m

Aベストアンサー

当時の日本はまだcoolじゃなかったんですよ。Cool Japan は今世紀に入ってからの話だし、卑弥呼の頃はまだ日本が海外に影響を与えて
いませんでしたからね。だから、世界史の中の日本という意味では、卑弥呼は登場しませんね。
海外でも、日本のことを専門に研究する人なら卑弥呼のことを知っている人もいますよ。でも少数です。

Q天照大御神は太陽神?

1930年代日本がファシズムへのみちを進むなか、宗教弾圧も強くなってきました。
その一例として、PL教団の前身の「ひとのみち教団」の大弾圧を調べました。

「ひとのみち」は、天皇崇拝を強調し教育勅語を教典とする体制支持の新宗教ですが、天照大御神を太陽であると説いたのを天皇への不敬とみなされて弾圧されたとのことです。

取調べでは、「天照大御神は三種の神器を皇孫ニニギノミコトに渡した、天照大御神が太陽ならば太陽には手がないのにどうして神器を渡すことができるのか?」という質問で信者を問い詰めたとありました。

天照大御神が太陽神であって全能の神であることは、国家神道に反するとは思えませんし、不敬になるとも思えないのですが、なぜこれは咎められたのでしょうか。
もちろん単なる粗探しで、本当の理由は新宗教の台頭を規制したかったのでしょうが、それにしてもなぜ天照大御神を太陽神と言うことが理由になるのでしょうか。

日本書紀は少し読みましたが、そこには天照大御神が太陽神であったと書かれていた気がするのですが。

天照大御神は戦前は太陽神ではなかったのでしょうか?

御回答おねがいします

1930年代日本がファシズムへのみちを進むなか、宗教弾圧も強くなってきました。
その一例として、PL教団の前身の「ひとのみち教団」の大弾圧を調べました。

「ひとのみち」は、天皇崇拝を強調し教育勅語を教典とする体制支持の新宗教ですが、天照大御神を太陽であると説いたのを天皇への不敬とみなされて弾圧されたとのことです。

取調べでは、「天照大御神は三種の神器を皇孫ニニギノミコトに渡した、天照大御神が太陽ならば太陽には手がないのにどうして神器を渡すことができるのか?」という質問で信者を問い...続きを読む

Aベストアンサー

取調べでは、「天照大御神は・・・渡すことができるのか?」という質問で信者を問い詰めたとありました。
とありますが、これは取調官の単なる言いがかり揚げ足取りでしょう。
「ひとのみち教団」の大弾圧というのは、単に言葉遣いがどうのという問題とは異なります。
当時の歴史的、政治的な背景で生まれた弾圧です。
教義の内容がどうのこうとだけお考えになられると混乱や誤解が生じてしまいます。

当時は現在では想像できないかと思いますが、信仰も思想も国家の管理の元におくということが重要な課題で実施されていました。
宗教についてもやかましい規定があり、神道も国家神道、教派神道と厳密に区分されていました。

国家神道 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/国家神道


教派神道 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/教派神道

皇室に対しては不敬罪という法律もありました。

「ひとのみち教団」は御存知のとおり、弾圧された昭和12年に突然生まれたのではなくそれ以前からあって活動を広げていました。
弾圧も「ひとのみち教団」だけではなく、その2年前には大本教という教団も弾圧を受けています。
国家の統制を乱す集団は全て弾圧排除するということが行われていた時代だったとお考えください。
共産主義の排除も新興宗教の排除も同じレベルの事件です。

「ひとのみち教団」が天照大御神を信奉し、教育勅語を教義に掲げていたことを、国家機関以外の人間が無許可で思想を広げていると看做されただけです。
平たく言えば、勝手に国家政府の肩代わりをするなということです。
天照大御神云々も皇祖神という考え方がありましたから、民間人が勝手に皇室の皇祖についてとやかく口出しをするな、天皇を畏れぬ不敬の輩だということです。
教育勅語も天皇のお言葉とされていましたから、それを玩具にするとは何事か、という現在の感覚では不可解な論法です。
天照大御神の宗教上の性格や定義づけとは無関係な問題だとご理解ください。
現在は太陽神という言葉も簡単に使えますが、当時は相当慎重に取り扱う必要がありました。
記紀神話の神々は天皇の祖先とされる皇祖神が多数含まれていますので、余程慎重に言葉を選ぶ必要がありました。
芥川龍之介も記紀の時代の小説を書いて不敬罪に問われています。
ということで、最後のご質問「天照大御神は戦前は太陽神ではなかったのでしょうか?」につきましては、歴史的宗教的な範囲では現在と変わりません。
戦前は現在の考え方に皇祖神として天皇と結びつける考え方が加わっていました。
一般にはこの付け加えられた皇祖神としての性格が重要視されていました。

いずれにしましても、宗教や思想の弾圧の歴史を調べるには、その当時の価値観だけではなく政治的な思惑が絡んできますので非常にややこしいです。
その当時の社会情勢や政治情勢も併せて調べるようにされることをお勧めします。

取調べでは、「天照大御神は・・・渡すことができるのか?」という質問で信者を問い詰めたとありました。
とありますが、これは取調官の単なる言いがかり揚げ足取りでしょう。
「ひとのみち教団」の大弾圧というのは、単に言葉遣いがどうのという問題とは異なります。
当時の歴史的、政治的な背景で生まれた弾圧です。
教義の内容がどうのこうとだけお考えになられると混乱や誤解が生じてしまいます。

当時は現在では想像できないかと思いますが、信仰も思想も国家の管理の元におくということが重要な課題で実施...続きを読む

Q卑弥呼の頃など、大昔の事項の詳細はどうしてわかっているのでしょう?

卑弥呼など、大昔のことはどうして詳細がわかるのでしょう?
文献か何かあるのでしょうか。

Aベストアンサー

文献→魏志倭人伝(通称)
他の方も書かれていますが、三国志という史書に載っています。三国志というと後の小説として書かれた三国志演義が有名で(日本で三国志といった場合、大抵こちらを指します)、まぁその元となった本です。
中国では王朝が変わると、前の支配者が何をやってどう悪かったから新しい王朝(自分達)に変わったのか、を書物にして残していて、それらの書物たちのいくつかを正史と決めて中国の歴史としています。
日本でも似たものを作ろうとした時代があって、日本書紀や続日本紀などいくつかが残されています(日本の場合はそのうちに作られなくなった)。

そんな三国志、中国の史書なので中国のことが書かれているのですが、魏の書の巻末に周りの国々のことを書いている部分があります。日本人の感覚で言えば、韓国や台湾やフィリピンやベトナムのことを書いているようなもので、あまり関心がないところなのですが、遠いところのこともこの程度分かってるといった意味で西はペルシャ(だったかな)のこと、東は東夷伝として当時の朝鮮半島の北あたりにあった国から朝鮮半島にあった国、そして最後に倭人(条)として倭という国のことが書かれています。この倭という国が日本のことで、まぁ文字数にして2000字ほどなのですが、その中に卑弥呼やら邪馬台国やらという単語が書かれていて、それで今の私達が当時そのような人や国があったことを知ることが出来ています。

書物以外にも考古学といって、古墳や遺跡、土器などを調べて、それらがいつ頃の時代かとか、どのような生活・文化を送っていたのかなどを調べる学問もありますが、こちらの場合は「卑弥呼」や「邪馬台国」といった固有名詞が分かることは非常に稀です。しかしながら、書物に書かれていないこと、書かれる以前の事なども知ることができる、なかなか有用な学問です。

最近では言語学などもあって、たとえば卑弥呼の発音(当時)はピミオだった(だろう)などということが分かっています。呼という字はコとは発音されていなかったので、ミコと読んで巫女に関係付けているものは、全部ウソっぱちだとバレてたりします。
また邪馬台はヤマトと読まれていたものです。こちらは昔から知られていたのですが、後に出来た畿内ヤマト王権と混同するからと、わざとヤマタイと読んだのが広まってしまったものです。今ではヤマタイ国という国があったかのようにTVなどでも言われていますが、存在したのはヤマト国です。

畿内ヤマト王権も同じヤマトなので魏志倭人伝に書かれているヤマト国も畿内の国のことなのだろう、という人が多いのですが、畿内ヤマト王権を作った人たちも当然魏志倭人伝の内容を知っていたでしょうから、そこに倭の王の居る国がヤマト国だと書かれているので自分達のいる国をヤマト国と名付けて、それが後に畿内ヤマト王権と呼ばれるようになったのだと私は思っています。

文献→魏志倭人伝(通称)
他の方も書かれていますが、三国志という史書に載っています。三国志というと後の小説として書かれた三国志演義が有名で(日本で三国志といった場合、大抵こちらを指します)、まぁその元となった本です。
中国では王朝が変わると、前の支配者が何をやってどう悪かったから新しい王朝(自分達)に変わったのか、を書物にして残していて、それらの書物たちのいくつかを正史と決めて中国の歴史としています。
日本でも似たものを作ろうとした時代があって、日本書紀や続日本紀などいくつか...続きを読む

Q古代の国産の針金。

今年の正倉院展に「雑玉幡 残欠」が出陳されています。
テレビで見たのですが、小さなガラス玉に穴を開けて、その穴に銀線を通しているそうです。
そんな細い銀線を作る技術に驚いています。
日本の古代、金糸・銀糸があったことは知っていましたが、銀線は知りませんでした。
この銀線は国産ですか。
国産でなければ、「雑玉幡 残欠」と同じような銀線を国内でも作ることができるようになったのは、いつ頃でしょうか。
また、当時の品物が何か残っていますか。
また、銀線はどのようにして作ったのでしょうか。
質問ばかりですみませんがよろしくお願いします。

正倉院展
http://www.yomiuri.co.jp/shosoin/2014/news/20141029-OYT8T50073.html 

Aベストアンサー

金や銀は延伸性の良い金属として知られています。
1 gの銀は約2200 mの線に伸ばすことが可能であることが確認されています。
均一な力で徐々に引き延ばせば延ばすことは可能です

理科の実験などに使うガラス管も慣れてくればある程度の細さまでは引き延ばせるようになります。
化学系の学生は鍛えられます。
大学などの研究室に所属しているベテランの職人さんであればガラス棒でも綺麗に伸ばします。
要は力の入れ加減です。
ガラスは加熱していますが、銀のように常温でも延伸性が良い金属であれば、装身具に使うような太さで短い長さであれば、ある程度の細さの棒を徐々に伸ばしていけば作れたのではないかと思います。

糸となると相当に難しいです。
いろいろ工夫して作っていたようです。

金銀糸 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/金銀糸
抜粋
古墳などから出土している古代の金糸は、薄く延ばした金の板を裁断し、螺旋状に撚った中空のパイプ構造をしているものである。飛鳥京跡の「飛鳥池工房遺跡」からは、古代金糸の失敗作を丸めた塊や小さな破片が出土し、金糸の製作をしていたことが確認された。

この説明によれば、まぁ~紙縒りを作る要領でしょう。
失敗屑があるということは相当に難しかったのでしょう。
針金程度の太さであればこの要領でやって後で加熱して表面を叩いて整えればできるのではないかと推測しています。(糸よりは簡単だったでしょう)

金銀糸 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/金銀糸
抜粋
金箔が重なり合ったところを上質の綿で拭き、表面を平らにすると、先程まで地味だった三椏の和紙は、眩いほどの輝きを放つ黄金の紙に生まれ変わった。「これを平箔と言います。漆は湿度を吸って乾燥する特性があるので、湿度の高い室の中で一昼夜、ないし二昼夜寝かせます。そして最後に、できあがった平箔を切るんです」裁断作業では、3センチ幅につき60~100本に切っていく。1本の幅は0.3ミリと、シャープペンシルの芯よりも細い。明治25年にタバコの葉を刻む裁断機をヒントにして、手動裁断機ができたが、それまでは定規をあてて包丁で切っていたというから、想像を絶する。裁断した平箔は、帯や金襴の素材として使われる。また芯糸に撚りをかけて巻き付けていくと、金糸が誕生するのだ。

定規と包丁で0.3mmの巾に切るというのはまさに神業です。
針金程度の太さであれば古代人でもやれたのではないのでしょうか。

金や銀というのは贅沢品というよりも細工がし易いという面で使われていたと思われるケースが多々あります。
ビーズを通して外からは見えない部分に銀を使っていたのは恐らくこのためでしょう。

金や銀は延伸性の良い金属として知られています。
1 gの銀は約2200 mの線に伸ばすことが可能であることが確認されています。
均一な力で徐々に引き延ばせば延ばすことは可能です

理科の実験などに使うガラス管も慣れてくればある程度の細さまでは引き延ばせるようになります。
化学系の学生は鍛えられます。
大学などの研究室に所属しているベテランの職人さんであればガラス棒でも綺麗に伸ばします。
要は力の入れ加減です。
ガラスは加熱していますが、銀のように常温でも延伸性が良い金属であれば、装身具に使...続きを読む

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