アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 
オウム真理教信者は地下鉄でサリンを捲き多くの人を殺したが、それ故オウム真理教は悪であると言えるか。
 
 

「オウム真理教は悪か」の質問画像

A 回答 (66件中31~40件)

>オウム真理教信者は地下鉄でサリンを捲き多くの人を殺したが、それ故オウム真理教は悪であると言えるか。



子供だって言えるんじゃないですか(笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

  
ところがドッコイ、そーではないとゆー者もおる → Mokuzo 
 

お礼日時:2011/04/04 21:10

>オウム真理教本体を処罰する必要はなく彼らがオウム真理教と共に信仰を持ち続けることは許されると、こーゆー理解でよいのか。




あんた、日本国憲法20条を知らないのか?

憲法を守り、三権分立を推進するのが国民の勤めじゃ。

実行犯、教唆犯を早く処刑するべきだ。被害者の遺族の気持ちを考えてみたことあるのか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
つまりあんたは、「オウム真理教本体を処罰する必要はなく、彼ら一般信者がオウム真理教と共に信仰を持ち続けることは許される」と、こー言うた訳や。
なぜ初めからはっきりとそー言わん。
これでオウムの信者らは「我がオウム真理教は永遠に不滅です」と涙を流して喜ぶはずや。
 

お礼日時:2011/04/04 21:04

No.4、11、12です



これが本当に哲学というジャンルの物であれば、私は哲学を過大評価していたようだ。
若しくはこの問いが哲学ではないかどちらかだろう。

ストレートに言うと、アー○フとかいう名前を出したくない人物
悪だと言いたくない人物って言うと、なんか背景があると疑わざるを得ない。

>イスラム教云々
貴方は私の話を聞いていましたか?
聞いていたらこんな質問は返さないですよね・・・?

大まかな分け方として仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教という大体の括りがあって
貴方がイスラム教って括りを述べたわけですが
日本に居る人間は、一生のうち一度(というか死後)は大抵仏教に基づく葬式を行う訳ですが
そうすると大抵の日本人は仏教で、貴方の拘ってる角度だとオウムと一緒だと
そう云う話ですよね?
私は何て返しましたっけ・・・?

「読んでない」のか「読まない」のか「読めない」のか「読む気がない」のか
どれなんでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
あのなあ、
なんでもえーから、回りくどい言い方はせんで、さっさと要点を言うてみい。
全くこのコーナーの住人はどいつもこいつもこっちの訊いておる問いには答えんで中身のないゴミみたいな答えばっか返しよって、答えが見つからんのなら初めから黙っておればえーもんを、オツムが足りんのか葬式がどーのこーのとどーでもえー話を持ち出しよって、挙句の果てには読んだの、読んでないのとアホみたいなこと言いよって、えー加減にせー。
 

お礼日時:2011/04/04 20:28

なんだ、この不毛な議論は・・・

    • good
    • 0

 No.19&23&24&26&27&28&31です。



 ☆☆(回答No.31) あいまいなお答えをします。
 ☆ 《あいまい》というのは 両義性ないし多義性のことを言います。
 
 神を表わすのに ただ単なる仮りの代理表現であれば 何でもかまわない。
 ただし その言葉がはっきりした意味のある概念であれば――つまり《法則》のような用語であれば―― 代理表現だと捉えられずに その科学的な概念のことが 神をそのまま表わすと採られてしまうおそれが大きい。つまりまぎらわしい。
 この両側面の意義があるという意味です。

この回答への補足

 
あ~、漬かりたいなー、
あ~、また漬かろーとしてるなー、
あ~、漬かるのは気持ちえーなー、
あ~、ずーっと漬かっていたいなー、
あ~、いつまでもずーっと漬かっていたいなー、
あ~、いつまでもいつまでもずーっと漬かっていたいなー、
 

補足日時:2011/04/04 07:34
    • good
    • 0
この回答へのお礼

神が定義できると言うんであれば、その定義をはっきりとここに示せばよさそーなものをそーはせず、絶対?無限?分かるか分からないかが分からないナゾの何たらかんたら、仮りの代理表現?、非経験の領域がどーのこーの、何を言うておるのかさっぱりわからんちゃらんぽらんな答えに終始し、あいまいなお答えをしますと言うて、結局いつまでたっても、あいまいな事しか言えず、自分でも自覚しておるのか殆どちゃらんぽらんな答えに終始し、正直なところ自分でも何を申しておるのかおそらくは理解できてはおらんはずと判断するしかないが、神が定義できると言うんであれば、その定義をはっきりとここに示せばよさそーなものをそーはせず、絶対?無限?分かるか分からないかが分からないナゾの何たらかんたら、仮りの代理表現?、非経験の領域がどーのこーの、何を言うておるのかさっぱりわからんちゃらんぽらんな答えに終始し、あいまいなお答えをしますと言うて、結局いつまでたっても、あいまいな事しか言えず、自分でも自覚しておるのか殆どちゃらんぽらんな答えに終始し、正直なところ自分でも何を申しておるのかおそらくは理解できてはおらんはずと判断するしかないが、神が定義できると言うんであれば、その定義をはっきりとここに示せばよさそーなものをそーはせず、絶対?無限?分かるか分からないかが分からないナゾの何たらかんたら、仮りの代理表現?、非経験の領域がどーのこーの、何を言うておるのかさっぱりわからんちゃらんぽらんな答えに終始し、あいまいなお答えをしますと言うて、結局いつまでたっても、あいまいな事しか言えず、自分でも自覚しておるのか殆どちゃらんぽらんな答えに終始し、正直なところ自分でも何を申しておるのかおそらくは理解できてはおらんはずと判断するしかないが、・・・・・・・・・・・・

お礼日時:2011/04/03 22:24

 No.19&23&24&26&27&28です。



 そうですね。なるべく簡単に。

 ★(No.28お礼欄) bragelonneさん、あなたには悪いがあなたの言う非経験の領域はオカルトに登場する超常世界とか6次元の世界と全く同種類のものとしか私には思えません。
 ☆ あいまいなお答えをします。
 非経験の領域――これが 神のことですよ つまり ナゾです――は 経験事象としての四次元の世界を超えていますから もし言うとすれば第五次元だと言えるかも知れません。ただし 言えないかも知れません。
 分からないからですが それは 第五というようにすでに数で示す場合には 一から四までの経験的な有る無しと同じように その第五が有るとか無いとか分かるかのように思われ そこから人間が知り得るというかたちで規定してしまって 平気でいることが出て来てしまうからです。
 知り得るものは ナゾではなく神ではありません。

 おそらく超常世界というのは 超常現象が部分的にでも人間に知り得るコトではないですか? そうでなければ あとは名づけだけの問題ですから それでかまいません。
 六次元というのは もうすでに四次元を超えるという意味での第五次元をもし名づけたのならば 要りませんし そう言ってしまえば――すでに触れましたように――数で数えている=つまり表象し得て知り得るということになり 神ではありません。

 
 ★ また“分かるか分からないかが分からないナゾの何ものか”などの言い回しも酷くねじれており、全く不自然で到底受け入れられるものではありません。あなたは無理をしている、無理をして単純なものをねじ曲げて不可解なものに作り変えよーとしている。そんなことして一体何が生まれると言うのか。ただ疲れるだけではないのか。
 ☆ ナゾ このひとつの言葉のみでよいかも知れません。解明出来ない(もしくは厳密に言えば 解明し得るかし得ないかが分からない)ナゾのことです。これが 神です。ここまでは しっかりと言わなければちゃらんぽらんになります。
 
 ★ あなたは鰯の頭でもかまわないが、《宇宙の法則》はダメであると言うた。
 ☆ まぎらわしいと言うた。

 ★ 本当に鰯の頭が神であってもよいのか。
 ☆ 第五次元などと同じように 名づけだけの問題であれば 何でもよろしい。《法則》でもよいが 神の代理表現とは別の科学的な認識に成る事柄をも意味するから まぎらわしい。

 ★ なぜ神は科学の目で認識しうるものであってはならんのでしょうか。
 ☆ 人間が知り得るものごとであれば それは 非経験ではありません。
 八百万の神々というとき それらは 非経験の唯一の神の・経験世界に現われた分身であると 便宜的に考える手もないわけではないのですが。
 《唯一の》というのは ひとつという数ではなく《全体》を言っています。全体として一つのみに 結果としてなります。つまり ほかにもう一つや二つあるという意味でのひとつではなく それしかないひとつです。

 ★ あなたは “定義からして 神ではありません”と言うたが、神の定義とゆーもんがあるんですか、神の定義とはなんですか。
 ☆ 絶対ということですが 無限という言葉での説明も分かりやすいと思うのですが?
 この神を代理して説明する《無限》は それを二や三で割っても その商はやはり無限なのです。 
 それが 非経験の領域です。
 その神とわれとの関係 これが 非思考の庭であり それがわが心に成るのが 信仰という動態です。早く言えば ヒラメキでしょうか。

この回答への補足

  
神が定義できると言うんであれば、その定義を示してみい。

  「神は、○○○○○である」

と、こーゆーふーに定義して示してみい。
 
それをやらんと永遠に話は終わらんのや。
 

補足日時:2011/04/04 21:42
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
あいまいなお答えをしますと言うて、結局いつまでたっても、あいまいな事しか言えず、自分でも自覚しておるのか殆どちゃらんぽらんな答えに終始し、正直なところ自分でも何を申しておるのかおそらくは理解できてはおらんはずと判断するしかないが、神が定義できると言うんであれば、その定義をはっきりとここに示せばよさそーなものをそーはせず、絶対?無限?分かるか分からないかが分からないナゾの何たらかんたら、非経験の領域がどーのこーの、何を言うておるのかさっぱりわからんちゃらんぽらんな答えに終始し、あいまいなお答えをしますと言うて、結局いつまでたっても、あいまいな事しか言えず、自分でも自覚しておるのか殆どちゃらんぽらんな答えに終始し、正直なところ自分でも何を申しておるのかおそらくは理解できてはおらんはずと判断するしかないが、神が定義できると言うんであれば、その定義をはっきりとここに示せばよさそーなものをそーはせず、絶対?無限?分かるか分からないかが分からないナゾの何たらかんたら、非経験の領域がどーのこーの、何を言うておるのかさっぱりわからんちゃらんぽらんな答えに終始し、あいまいなお答えをしますと言うて、結局いつまでたっても、あいまいな事しか言えず、自分でも自覚しておるのか殆どちゃらんぽらんな答えに終始し、正直なところ自分でも何を申しておるのかおそらくは理解できてはおらんはずと判断するしかないが、神が定義できると言うんであれば、その定義をはっきりとここに示せばよさそーなものをそーはせず、絶対?無限?分かるか分からないかが分からないナゾの何たらかんたら、非経験の領域がどーのこーの、何を言うておるのかさっぱりわからんちゃらんぽらんな答えに終始し、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お礼日時:2011/04/03 22:02

zakky74です。



>あのオーム真理教も悪だと思う人には悪であるし、善だと思う人には善であると言いたいんやね。

なる程。

Hitonomitiさんの、認識方式と判断基準ではその様に受け取られたんですね?僕がお伝えしたかった事とは、違います。ですが、それだとQ&Aや交流にはならないので、Hitonomitiさんは僕がお伝えしたかった事をその様に受け取ったと僕側では理解する事にしまして、

>そんなもん誰が考えても当たり前のことであるが、で、だからどーしたの?

少なくともHitonomitiさんからは当たり前の事ではない様に見受けますが如何ですか?この事が当たり前になっている人にとっては、そもそも主題「オウム真理教は悪か」の様な質問が出てこよう筈がございません。

ですが、この質問が出てきているというのはどういう事なのでしょうか?それとも、Hitonomitiさんには、他にこの質問の意図や真意が何かあるのですか?

この回答への補足

 
あのなあ、zakkyよ、

わしが尋ねておるのは、オウム真理教は悪なのか悪でないのか、どー思うのか訊いておるんや。
何でもえーから、お主はどー思うておるんか自分の頭で考え、自分の言葉でそれを答えてみい。

このコーナーの住人に共通するのはどいつもこいつも人の尋ねておる質問には答えんで、中身のないどーでもえーことを回りくどく語るちゅー愚かさにある。
えー加減にせー。
 

補足日時:2011/04/04 22:01
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
あのなあ、
当の本人が、当たり前のことを当たり前と言うておるのであるから

>少なくともHitonomitiさんからは当たり前の事ではない様に見受けます

などとどーして言える。

お礼日時:2011/04/03 19:54

『「宇宙の公理」の最終定理』が用いられても、


其の様な「愚問」への回答が導かれませんのでしょうか?
    • good
    • 0

 No.19&23&24&26&27です。



  神(もしくは 無い神)は 表象し得ない。象(かたち)に表わし得ない。

 とだけ言っています。これが《人間の能力によっては 分かるか分からないかが分からない》そのナゾの何ものかです。むろん この経験世界を超えたところに想定するその非経験の領域です。非思考・絶対・無限・無根拠そのほかそのたぐいです。
 無限は 二や三で割っても やはり無限であるというしろものです。表象し得ません。


 この定義にかなうならば 何と呼び変えてもかまいません。
 たしかに 鰯の頭でもかまいません。仮りの代理の表現だとことわっていればよいわけです。

 ただし《宇宙の法則》と言う場合には 《法則》であるならば 科学の目で認識しうる・つまり表象しうるという意味合いが出て来て 困りませんか? というのみです。
 言いかえると 片や科学の知識としての宇宙の法則と そして片や単なる仮りの代理の表現としての《宇宙の法則》――つまり 神のこと――というふうに ふたとおりの解釈が持たれますから ややこしいと思われます。

 ようく考えてみてください。
 何らかの方程式であるとかによって知ることのできる法則であれば そのようにわれわれ人間の知識の中におさまります。つまり 思考しているそのものです。つまり 経験事象であるにほかなりません。つまり 定義からして 神ではありません。
 神が 人間の認識や想像の中におさまるとすれば その神は街の中のそこここを歩いているというようなものになります。魔女の杖であるとか 魔法のランプであるとか そのほかアニメのそういうたぐいのこの経験世界に有る魔法ということになります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
bragelonneさん、あなたには悪いがあなたの言う非経験の領域はオカルトに登場する超常世界とか6次元の世界と全く同種類のものとしか私には思えません。あなたはオカルトとか、超常世界とか、6次元の世界とかゆー表現が気に入らないのだと思う。だからそれを独自の言葉を編み出して非経験の領域と言うたのだと思う。しかしこれらとの実質的違いについては問われても触れよーとしないし、おそらくは避けているのでしょう。
いかに言葉を変えて表面をつくろおーとしても、同じものは同じであり中身は変わりよーがないんです。
 
また“分かるか分からないかが分からないナゾの何ものか”などの言い回しも酷くねじれており、全く不自然で到底受け入れられるものではありません。あなたは無理をしている、無理をして単純なものをねじ曲げて不可解なものに作り変えよーとしている。そんなことして一体何が生まれると言うのか。ただ疲れるだけではないのか。
 
あなたは鰯の頭でもかまわないが、《宇宙の法則》はダメであると言うた。
本当に鰯の頭が神であってもよいのか。
なぜ神は科学の目で認識しうるものであってはならんのでしょうか。
あなたは “定義からして 神ではありません”と言うたが、神の定義とゆーもんがあるんですか、神の定義とはなんですか。
 

お礼日時:2011/04/03 19:28

 No.19&23&24&26です。


 かんたんに済ませられたらとねがいつつ。

 ★(No.26お礼欄) そもそも非経験の領域を想定するという考え自体が主観のなす業ではありませんか。
 ☆ 人類は有史以来 《かみ》あるいは《信じる》という言葉を どの民族も持って生活の中でふつうに使っています。
 この言葉の定義をどうするのか あるいは社会生活の中にどう位置づけるのか この課題がつねにあるということです。
 
 《非経験の領域を想定する》 この結果 神やそれを信じるという言語習慣がある。この解釈が いちばん妥当であると考えます。
 つまりどの神を持って来ても 説明がつきますし 無神論に対しても同じ内容として説明出来ます。
 そういう事情です。どうですか。

 むろんわたしの主観のなすわざですが おそらく一般性あるいは普遍性さえも持つと自負しています。

 繰り返しになりますが オウム真理教は この神論が分からなかったという回答です。

この回答への補足

 
>ダライ・ラマの考えなどは 残念ながら くわしくは知りません。むしろおしえてください。

おっと、これに答えるのを忘れておりました。
以下を参考にして下さい。

-------------------------------------------------------------------
▽オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係

オウム真理教の起こした一連の凶悪事件は世界に衝撃を与えた。1995年3月、日本の地下鉄で起こった
サリン事件では12人が死亡し、5千人余りが負傷した。2004年2月27日、東京地方裁判所は13の罪名で
教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡した。2006年9月、最高裁の抗告棄却によって死刑が確定した。

地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃とオウム真理教に向
けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は
自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。

それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。ダライのこのような汚れ
た過去に対し、良心を失ったメディアは見て見ぬふりをし、二人の関係をなかったもののようにしている。

ダライはこれまで12回にわたって日本を訪れている。1984年の訪問では当時29歳の麻原と会ったという
情報もある。麻原は1986年、インドを訪れた後にオウム真理教を正式に設立。翌1987年、麻原は再びインド
を訪れ、ダライと会っている。この時、ダライは麻原に対し、「親愛なる友人よ、日本の仏教はすでに退廃して
しまった。このまま行けば、仏教は日本で消えてしまうだろう。あなたは故郷で本当の仏教を伝えなければ
ならない。仏の境地を知るあなたは最良の人選だ。あなたが日本で布教することを私はとても嬉しい。そう
することは私の仕事を助けることでもある」との内容の発言を行った。この会見時、ダライは麻原に祝福を
与え、「師弟関係」を結んだといわれる。

ダライは自らの「生徒」の働きにとても満足していた。1995年の事件が発生するまでの8年間、二人は5回に
わたって顔を合わせ、手紙のやりとりをしばしば行っていた。1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、
ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃
は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教は大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム
真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本
政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは
周知の通りだ。

麻原は日本で合法的な地位を得た後、ダライに感謝状を送り、「私たちの希望はチベットができるだけ早く
チベット人の手に帰ることです。私たちはそのためにできるだけの援助をしていきます」と述べている。麻原は
ダライの指示を受け、チベット地域に2回にわたってもぐりこみ、「布教活動」を行っている。麻原はダライが自ら
の指導者であることを正式に認めている。オウム真理教の教義や教則なども多くがダライを由来とするものだ。

ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能
だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となる
のも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど
重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したい
と考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかった
からにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。自己の信徒の生命を損なう
邪教が目立つ中で、ダライの高弟である麻原彰晃が作り出したオウム真理教は、教団外の罪のない人々をテロ
攻撃する教団として、人々に大きな衝撃を与えた。(「鳳凰週刊」よりダイジェスト、編集MA)

 「人民網日本語版」2008年12月25日

--------------------------------------------------------------------------

補足日時:2011/04/07 07:44
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 
オウムの話はしばらく横に置きます。
あなたが言う非経験の領域とは、要はオカルトで用いる超常世界とか6次元の世界のことではないんですか。非経験の領域とオカルト的超常世界はどこがどー違うのか説明できますか。
分かるか分からないかが分からないなどの言い回しも極めて受け入れがたいものを感じるが。

宇宙の法則を神とする方が遥かに自然であり、受け入れやすいと思うが。
 
 

お礼日時:2011/04/03 07:55

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!