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オウム真理教信者は地下鉄でサリンを捲き多くの人を殺したが、それ故オウム真理教は悪であると言えるか。
 
 

「オウム真理教は悪か」の質問画像

A 回答 (66件中41~50件)

 No.19&23&24です。



 ★(No.24お礼欄)~~~~
 私にとっては神は宇宙の法則である以外には有り得ないのです。
 その理由を述べましょう。
 まず宇宙の法則は存在するかと考えたとき、宇宙の法則は間違いなく存在すると知る。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ひとのみちさん これぢゃあ 理由になっていないぢゃないですか。主観をもろに言い出しているのみですよ。
 これだけなら まだ何も対話としてからむところがありません。ご自由ですが ひとに伝えられません。

 ★(同上) ~~~~
 神は存在する


 神は全知全能である。
 神は永遠不滅である。
 神に偽りはない。
 神の意志がある。
 神の情けがある。
 神に姿形はない。
 ~~~~~~~~~
 ☆ 《存在する》の場合は いわゆる有神論です。つまりそれとして自由にえらんでよいはずです。
 あとは 一般に《属性》のもんだいです。
 《神は有る》と想定したあと その神は――おおむね擬人法のごとくに――どんなであるか? と想像してその結果を神にあてはめるかたちです。
 初めの《神は有る》の想定にもとづくかぎり それは 《非経験・絶対・無限・無根拠》などの想定内容に食い違いがないかぎり 認められるはずです。言いかえると 良心・信教の自由にもとづくかぎり おのれの主観内面のこととして 認められるはずです。あるいは ちょうど今のように ひとに伝えるのも 伝えることまでは 表現の自由にもとづき自由です。
 でもそこまででしょう。多少とも論証をしていないと 主観の表明までとなります。

 《無限》ゆえ その中身は たしかに時空間の問題としては《永遠》です。
 《非経験》ゆえ たしかに表象し得ないのですから 《姿かたちはない》。
 《絶対》ということは うつろい行くものではない。またこの世の経験世界を超えているからには その経験事象をすべていわば知っている。
 それとして 真理である。
 だからもしこの真理に擬人法によって 意志を付与しようと思えば たしかにその《意志》は 全知であり全能であると推し測られる。《偽りがない》。
 というのも この経験世界を超えているということは この経験世界をおおい包み込んでいるとも推し測られる。あるいはこの世界をその意志によってつらぬいている。だからあたかもその意志で 世界の歴史に介入するというかに思われる。
 想定上 このような属性が推し測られると考えます。

 そしてこれらの想定およびその属性の付与は 神は有るという想定をいっさいおこなわないところの無神論と 互いに同等な非思考の庭をわが心に成らせている。こう捉えます。


 《なさけ》は 特に言わなくてもよいように思いました。意志ないしその意味での愛 で済むのではないかと。

 ですから この神なら 漬かろうにも漬かる気づかいはないと考えます。
 オウム真理教は この神論が分かっていなかったろうと考えます。
 いくらこの神が ポアしてもよい ポアせよと言っていると言ったとしても それは 想定を逸脱したただ人間としてのおのれの主観でしかない。なぜなら 無神論の内容と同じかたちが 表現として現われていなければ それはまちがった神になるから。ポアしてもよいかどうか 神が言ったというのは おのれの主観内面にとどまるということ。それ以上の自己表現は 相手の良心・信教の自由あるいは表現の自由にのっとってのみ 相手に通用することになります。
 ところが ポアにかんしては すでに初めにその表現内容が じつは 良心信教の自由のその意志もしくはその意志の主体たる存在じたいを抹殺することを意味するのであるからには その考えそのものが悪でありまちがっている。こう考えます。

この回答への補足

 
>ご自由ですが ひとに伝えられません。

bragelonneさん、わたしは他の誰でもなくあなたに伝えているのです。
 

補足日時:2011/04/02 23:05
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この回答へのお礼

 
>主観をもろに言い出しているのみですよ。

しかし、よく考えてみてちょーだい。

そもそも非経験の領域を想定するという考え自体が主観のなす業ではありませんか。
わたしには非経験の領域を想定する理由がまるで分らない。
仮に非経験の領域を想定したとしてそこから一体何が生まれるというのか分かりません。
 

お礼日時:2011/04/02 22:59

赤いマーカーがそこにある時、そのマーカーに赤い色が張り付いていると考えてしまうのが通常の事ではないかと思います。

ですが、それだけでは足りません。もう一つの理解方式もとても重要です。

そのマーカーに赤い色が張り付いているのではなく、自分の脳の認識が赤い色として貼り付けているんですね。つまり、赤いマーカーがそこに存在している時、実は脳の認識の結果によって、赤いマーカーがそこにそうして存在しています。

赤いマーカーは、認識の結果です。

認識の結果によって、赤いマーカーがそこに存在している様に、判断にも結果があります。人間には、誰もが皆、判断基準がありまして、この判断基準にそって判断が働きます。

赤いマーカーを認識した時に、「今は使わない色だ」とか「大好きな色だ」とかの様な判断が働きますが、これも判断基準から出た結果によって判断されているものでして、決して大好きな色のマーカーがそこに存在している訳でも、今は使わない色のマーカーがそこに存在している訳でもありません。

認識の結果であり、判断基準に沿った結果な訳です。

そうしました時、オウム真理教が悪であると言う場合は、その様な認識・判断の結果としてオウム真理教が悪である存在として、その認識・判断メカニズムによって規定されたものですね。

ですから、悪だと判断する人にとっては、その人の認識・判断によって悪であると言えますし、善だと判断する人にとっては、その人の認識・判断によって善であると言えますでしょう。

如何でございましょうか?
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この回答へのお礼

 
あのオーム真理教も悪だと思う人には悪であるし、善だと思う人には善であると言いたいんやね。
そんなもん誰が考えても当たり前のことであるが、で、だからどーしたの?
 

 

お礼日時:2011/04/02 22:36

 No.19&23です。



 ★(No.23補足欄) ~~~~~~
 >5. あとは たとえば有神論と無神論とは――神が非思考の庭にいだかれるということは 漬かろうにも表象しえないのであるからには―― 互いに同等でありいづれをもえらぶところではない。

 宇宙の法則を神と考えればよいのではないか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ こまかく行きます。

 1. 非経験の領域を想定する。

 2. これは 有るとか無いとかの経験的な事実やその認識を超えている。だから想定するのであり――なぜなら 人類は有史以来 《かみ》とか《信じる》という言葉を日常生活において一般的に使って来ているその言葉の位置づけが必要―― これはあくまで人間の能力によっては分からない(分かるか分からないかが分からない)ナゾの何ものかである。

 3. これを《神》と呼んだ人びと(つまりその民族言語)もあれば その中から 神などいないと想定して 《無い神》をこの非経験というナゾにあてる人びとも出た。

 4. 仮りにナゾを 多くの人がそう呼んでいるように《神》と呼ぶとすれば 今度は この神が 
 ★ 宇宙の法則
 ☆ であるかどうかという問題が出された。

 5.もし《法則》であるとすれば それは人間の能力によって科学の目をつうじてその《有る無い》や中身が分かるということではないのか?

 6. 分かるのであれば それは形を持つものであり 初めの非経験という想定ではなくなる。

 7. つまりもしこの推論が妥当であるなら 《宇宙の法則としての神》を信じるというのは――なぜなら それは思考によって認識する事柄なのであるから 非思考ではなくなる―― 一般にただ《漬かろうとする気持ち》を言っているにすぎない。

 ☆ どうでしょう?
 つまり オウム真理教は このあたりの《信じる》というおこないのあり方やその《神》のことが分かっていなかった。のではないだろうか。
 ポアは ただの人間の思考の問題であり それにおさまり まったく善にさからう悪としての思想である。それ以外に発展のしようのない考えだと思います。
 生命存在である人間が 同じ生命存在であるほかの人間の《罪やそのあがないや 何を信じるかなどなど》について決めてしまいそれを強要する。そしてそれだけではなく 実際にひとの生命を消してしまうことをおこなう。純粋な(?)悪だと考えます。
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この回答へのお礼

 
では少しばかりお付き合いしましょう。

私にとっては神は宇宙の法則である以外には有り得ないのです。
その理由を述べましょう。
まず宇宙の法則は存在するかと考えたとき、宇宙の法則は間違いなく存在すると知る。
次に宇宙の法則は全知全能かと考えたとき、宇宙の法則は間違いなく全知全能であると知る。
次に宇宙の法則は永遠不滅かと考えたとき、宇宙の法則は間違いなく永遠不滅であると知る。
次に宇宙の法則に偽りはあるかと考えたとき、宇宙の法則に偽りはないと知る。
次に宇宙の法則に意志はあるかと考えたとき、宇宙の法則自身が意志であると知る。
次に宇宙の法則に情けはあるかと考えたとき、宇宙の法則自身が情けであると知る。
次に宇宙の法則に姿形はあるかと考えたとき、宇宙の法則に姿形はないと知る。

ここで宇宙の法則を神とすれば次が導かれる。

神は存在する
神は全知全能である。
神は永遠不滅である。
神に偽りはない。
神の意志がある。
神の情けがある。
神に姿形はない。

どーです、宇宙の法則を神とすれば、有神論と無神論の区別など全く意味をなさなくなり同時に神についての全てが満たされるのです。非経験の領域を想定しよーと無理する必要もない。神は存在すると信じることを超え、神は存在すると確信できる。人間の能力によっては分かるか分からないかが分からないなどと面倒なことを言う必要もない。これでどんな有神論であれ満たされるはずなのです。

お礼日時:2011/04/02 21:51

 No.19です。

お応えをありがとうございます。

 ★(No.19お礼欄) ~~~~~
 つまり「オウム真理教は悪である」と言うたわけですね。
 なぜならオウム真理教はポアの思想を持っているからと。
 そのポアの思想はダライ・ラマとチベット仏教に源流があると言われるが。
 1988年7月6日、ダライ・ラマはオウム真理教に何を語ったのであろう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《悪》とは 善の損傷あるいはその欠如のことだと考えます。善とは すべてを端折って言えば こうして考えたりして生きることが出来なくなれば それは善が傷つき欠けてしまうことだと捉えます。
 つまりは 存在を傷つけさらには消すことは 善にさからう思いであり考えでありおこないであると考えます。
 つまりは この生命存在の抹殺という内容をふくむ《ポア》の思想は 悪である。こう考えます。無条件にだと言ってもよいと思いますし それは無根拠にもとづくとさえ言ってよいのではないでしょうか?
 こういう対話が出来るのは 生きていればこそだと考えられますから。

 この悪であるポアの思想を肯定する考え これもむろん悪です。
 そのように考えやおこないが 善であるか悪であるかの判断の対象となります。
 オウム真理教の信者で このポアの思想に同調した場合 その思惟と行為は 悪である。こういう表現で結論づけています。

 ダライ・ラマの考えなどは 残念ながら くわしくは知りません。むしろおしえてください。


 ★(No.19補足欄) ~~~~~~~~~
  「人の道」は説いております。

 人にとって漬かることが避けられんのなら、正しい漬かりかたとは何かとゆーこと。
 
 漬かりたい人も、漬かりたくない人も、正しい漬かりかたが何か求めよと。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この主題につきましては わたしはたとえば ちょうどあなたも参加していただいた次のような質問で問うており 試案をも提出していると考えます。
 【Q:神とは何か?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6057191.html

 1. 信仰は 非思考の庭がわが心に成ることである。(その持続をもむろん言う)。

 2. 個人の信仰と 集団としての宗教とはまるで違う。組織宗教は その権威づけによるヒエラルキア組織あるいは実務だけのとしてもその権限関係 このような人為的なあり方に《わが心》があるとあたかも言っていることになる。

 3. 要するに聖職者の権威が 信徒それぞれの《わが心》であると 公然とにせよ隠然とにせよ良心・信教の自由に明らかに違反したかたちで 見なされている。これは 個人の信仰の自殺行為であると考えます。

 4. それを《漬かること》と言っておられるのかどうか。

 5. あとは たとえば有神論と無神論とは――神が非思考の庭にいだかれるということは 漬かろうにも表象しえないのであるからには―― 互いに同等でありいづれをもえらぶところではない。

 6. 要するに もし表象しうる神(もしくは無い神)を抱こうということであれば それは 思いや考えや信念や信条のことです。経験思想です。信仰は非思考であり非経験の領域とわれとの関係を言うとはっきりさせればよいのだと考えます。
 どうでしょう?

この回答への補足

>5. あとは たとえば有神論と無神論とは――神が非思考の庭にいだかれるということは 漬かろうにも表象しえないのであるからには―― 互いに同等でありいづれをもえらぶところではない。

宇宙の法則を神と考えればよいのではないか。
 

補足日時:2011/04/02 15:00
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この回答へのお礼

 
あなたは信仰とは個人的な行いであり、集団を成して行うべき類のものではないと考えているのだと捉えます。
これについては同感であり、その点においてあなたは普通の信仰者とは大きく異なると考えます。
 

お礼日時:2011/04/02 14:41

人類史上、最も多くの人を殺したのはキリスト教で間違いない。


だからって、キリスト教を罰することはできない。

あくまで、実行犯、教唆犯を処刑するだけだ。
それが近代の法理、法的責任能力じゃろが。
死刑囚が教祖だからって執行を延ばすな、三権分立を守れ。


殺人という人の犯罪を宗教の議論にすり替えるな。
人の道を外れている。
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この回答へのお礼

 
>あくまで、実行犯、教唆犯を処刑するだけだ。

すると、実行犯、教唆犯以外のオウム真理教信者に罪はなく、オウム真理教本体を処罰する必要はなく彼らがオウム真理教と共に信仰を持ち続けることは許されると、こーゆー理解でよいのか。
 

 

 

お礼日時:2011/04/02 13:13

>漬かろーとする心は、形や権威に縛られると



人は集団の意見に自分の意見を合わせようとしますよね。
多くの人がAだと言っていると、Aだとなんの疑いも持たない。
多数者の意見に同調した方が生きやすい。

確かに人は一人で生きているわけじゃないので、多数者の意見に同調した方が楽なのですが、多数者の意見 すなわち常識を疑うことが、哲学の始まりだとなるわけで。

オウムの信者は真面目な人ばかりなのだそうです。
服従の心理の実験でも、権威ある人の無理なお願いに「了解しました」と従ってしまいやすい人は、服従しやすい真面目なタイプ。

世の中が不真面目で真剣に生きていないと思った信者は、真剣に生きること すなわち修行をすることを自分が求めていたものだと思ったふしがある。

集団の中で強いリーダーがいない状態が不安なところに、強いリーダーが出現したら、その人の言うことに従うことで、自分もより昇華できると思ったのではないかと。

殺して焼却炉で燃やして証拠を消そうとしらしいですが、切り刻み細かく人体を分解することは普通はできない。
しかし信者は淡々と切り刻み細かくした、それはまるで暗示にかかった人と同じふるまいだ と言っていたらしいです。

暗示にかかったから、嘔吐することなく人体を切断できたのか、証拠を消すことが意義があることだと思い込まされ、使命感に燃えてやり遂げたのか。

この場合、もう 常識は感覚というものが遮断され、使命を実行することしか頭に無かったと思える。

アイヒマンも「権威ある人が命令したからそれを実行したまで」と自分には殺害の責任が無いことを訴えた。

「殺人をやったのに、命令に従っただけで、私には責任はありません」

これと同じことをオウムの実行犯も思っていたのかというと、林被告だったと思いますが、途中で「おかしい」と思ったそうです。
自分は今までオウムを信じてきたが、これは、、、、と。
だけど、組織に所属し、そこを抜けたら生きていけないと思ったらしく、所属することを選び、所属する組織の命令を実行するしか無いという選択の余地が無いように思ったので、サリンをバラまいたらしいです。

「おかしい」と判断したことは正しかった。理性に問題は無かった。
だけど、組織から抜ける勇気が無かった。

そういう意味では、組織のメンバーであることの見返りとして、権威を得られるかわりに、服従も誓わないといけないわけで、自分の判断は不要で、ただの奴隷としてかしずく生き方をしなければならなくなるわけで。


組織は怖い。
抜けたくても足抜けできないまで どっぷり漬かってしまったとわかったときは、もう遅い。
人は足が抜けなくなって はじめて 漬かったと気づくのかも。
その前に気づくためには、自分の集団や意見に耳を傾けることなのかも。

自分の論を押し通すために、「あー 聞こえない 聞こえない」と自分の説だけを言っていると、道を踏み誤る危険が増す。
違う意見を持つ人から叩かれることで正気を保てるのかも。

オウムは外界との接触を絶った。
外界に出たが持論だけを言って他の人の意見に耳を傾けなかった。
他人にわかるように説明しようと努力しなかった。
自己中心的なふるまいを、外の世界に行ってもし続けた。

自分たちこそ最高の思想集団であるという驕りが、転落につながったと思います。
カリスマ性のあるリーダーがいる集団って 怖いですねぇ・・・・

そういう意味では、日本の国会はぎゃーぎゃ 闘争しているので、まだ 極端な悪は引き起こさないでいられると思います。
半分しか漬かっていられない環境。
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この回答へのお礼

 
>だけど、組織に所属し、そこを抜けたら生きていけないと思ったらしく、所属することを選び、所属する組織の命令を実行するしか無いという選択の余地が無いように思ったので、サリンをバラまいたらしいです。
 
「人の道」はずっと前から説いております。

漬かろーとする心が諸悪を生み、
人の弱さが漬かろーとする心を生むと

(これを言うとますます皆立ち去ってしまうのであるが)
 

お礼日時:2011/04/02 09:18

>地下鉄サリンの実行犯も超能力という妄想に漬かっておった。



あ、そうですね。
哲学者のエリエット・アベカシスは悪に関しての研究の第一人者ですが、絶対悪とは<狂気>のことであると述べています。

ユダヤ人がショアされたのは(ホロコーストのことですね)、狂気が原因であると述べていました。

善良なドイツ国民で、自分の家庭に同じ年頃の子がいるのに、その子を殺せた理由は、絶対悪が彼に宿ったからと言っていた。

では絶対悪とはどういうものか。
ミルグラム実験 あるいは 看守と囚人の実験で証明された。
権威ある人の言うことを人は信じやすい、 立場により善良な人が暴力を振るえるようになり、強い人が立場により暴力を受容するものにもなりえる って。

組織の怖さですが、キリスト教も組織で、組織が一方の傾くと、やることに対して人々は疑問を持たなく従ってしまうわけで、だから大量殺人となるイラク戦争をキリスト教徒はヒトラーの演説を聞いたドイツ国民のように支持したってわけですね。

狂気が宿って支持したが、本人たちは気が触れたとわかっていなかった。
支配者が見せる仮想敵がいる世界を現実だと妄想し、あんな第惨事(イラク国民を虐殺)することを喜んだわけですね。
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この回答へのお礼

 
>では絶対悪とはどういうものか。
>・・・
>権威ある人の言うことを人は信じやすい、
 

「人の道」はずっと前から説いています。

漬かろーとする心は、形や権威に縛られると

(これを言うと皆立ち去ってしまうのであるが)


 

お礼日時:2011/04/02 07:23

 こんにちは。



 要するに ポアの思想が いけないのではないですか? 
 ひとえにそれが論点であり じっさい元凶だと考えますが?

この回答への補足

  
「人の道」は説いております。

人にとって漬かることが避けられんのなら、正しい漬かりかたとは何かとゆーこと。
 
漬かりたい人も、漬かりたくない人も、正しい漬かりかたが何か求めよと。
 

補足日時:2011/04/02 09:30
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この回答へのお礼

こんにちは。
 
>要するに ポアの思想が いけないのではないですか?
>ひとえにそれが論点であり じっさい元凶だと考えますが? 

つまり「オウム真理教は悪である」と言うたわけですね。
なぜならオウム真理教はポアの思想を持っているからと。
そのポアの思想はダライ・ラマとチベット仏教に源流があると言われるが。
1988年7月6日、ダライ・ラマはオウム真理教に何を語ったのであろう。

お礼日時:2011/04/02 10:06

>9.11を始め世界中で多くのテロがイスラムの名の下に行われています。


>それ故、イスラムは悪であると言えますか。

アルカイダの仕業だとなったのはどうしてなんでしょうね?

湾岸戦争のとき、クエートの女性市民がカメラに向かって惨状を涙ながらに訴えた。
実はこの女性 アメリカかどっかの大使館職員であって、クエートの市民じゃあない。

イラクがクエートの油田を破壊し、大量の油が海に流出し、海鳥が黒い油まみれになっている映像が放映された。
北欧のタンカー座礁時の映像のものを使った。
油田を破壊してクエートがやったと工作したのはアメリカ。

国民に政府がメールや電話や郵便物を監視することを国民に了承させるため、9.11を起こしたと考えられないでしょうか。
国民は「こんなことが起こるくらいなら、どれだけでも盗み見ていい」となり、議会で法案が通ることとなった。


自爆テロを起こす人は、身代金目的。
自分が命令を受けて自爆すれば、家族に莫大なお金が入る、そのためにやっているのであって、正義のためなんかじゃーない。
家族のため。

そのような人たちを集めて、仮想敵を作り出しているのはいったいだれ?


9.11で飛行機がぶつかる前、パパブッシュはビンラディンの親族と、これから起こる惨劇をみようとビルのある一室でモニターの前で待っていたことを認めた。

普通、わかっているのなら、ビルの警備室に電話しませんか?
そうすれば、多くの人がビルから避難できたはずですよね。
多くの人が死んでもらわないと傍受法が議会を通過しない。
だから、傍受法を通過させ、国民全部を監視するための第一段階として、ビルを爆破したのではないのでしょうか。
しかも、ソロモンビルも破壊する計画で、その崩壊のシーンを国民に見せようと、テレビ局に待機してもらった。

ところが、シナリオの順番を間違えてしまい、まだ崩壊していないビルを崩壊直後として報道してしまった。
今から爆破することはスタッフみんなが知っていた。
その崩壊直後の悲惨さをトップニュースで報道するためにスタンバっていたわけですが、、、ちと報道が早すぎた。

慌てて、回線を遮断して、ライブを中止した。

あのフライング現場実況したジェーンさん どうなったんでしょうね。
その後の消息は聞かないですね。

で、誰がビルを破壊したのか。

そういえば、日本が真珠湾を攻撃することをアメリカは知っていたのですが、真珠湾にいた軍には連絡しなかったらしいです。
死んでもらわないと困る。
3000人の国民を殺すことで、日本と戦える。

ビルの爆破で多くの人が死んでくれることで、大義名分でイラクを乗っ取れる。

何故イラクが乗っ取られようとしたとき、イスラム勢力は団結して多国籍軍と戦ったと思います?
中東にアメリカが陣地を作られると、そこを拠点に、さらに他のイスラム国がやられてしまうから、ラインを死守しようとしたわけですよね。

だから、すぐに決着がつくと思ったのに、アメリカがやとったイスラムの人と、アメリカからイスラム圏の陣地を守る勢力が、イラクでぶつかりあったわけです。

フセインは国民に拷問をしたりしたとなっていますが、アメリカが金を渡して反社会活動をイラクでさせていたから。
それがわかったので、フセインは売国奴を血祭りにあげたわけです。

このように、裏がある。
金で国を売る売国奴を見つけてはアメリカは雇って社会不穏を故意に起こし、新世界秩序を形成しようとしている。

そうなると、本当の悪人とは誰なのか ということになる。

オウムはファンタジーの世界を妄想して仮想敵を作り出しましたが、我々だって仮想敵を本物と敵だと思って妄想している可能性もある。

だから、妄想しているという意味では、オウムにひけをとらない。

世界中が妄想を現実だと思った場合、現実という認識になる。
そのために情報操作して、多くの人に妄想を見せて現実だと思わせ、多数決でコントロールされた情報により映し出されたワールドを現実だと思っているふしがある。
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この回答へのお礼

 
>9.11で飛行機がぶつかる前、パパブッシュはビンラディンの親族と、これから起こる惨劇をみようとビルのある一室でモニターの前で待っていたことを認めた。

「人の道」はずっと前から言うておった。

パパブッシュとブッシュ一族が誕生してからこの世に諸悪が蔓延ったと。


>本当の悪人とは誰なのか

>そうなると、本当の悪人とは誰なのか ということになる。
>オウムはファンタジーの世界を妄想して仮想敵を作り出しましたが、我々だって仮想敵を本物と敵だと思って妄想している可能性もある。


どうやら結論は出たよーであります。
つまり本当の悪人は妄想であると。

パパブッシュとブッシュ一族もキリスト教原理主義という妄想に漬かっておった。
 
地下鉄サリンの実行犯も超能力という妄想に漬かっておった。
 

 

お礼日時:2011/04/02 05:56

1です。



あの、端的に言って、まあ釣りだと思うんですけど(w)レスもされているので一応書きます。

もしマジに質問や返答されているのだとしたら、質問者さんは知的訓練をほとんど受けておられないか、あるいは、どちらにせよ非常に論理的思考力が脆弱な印象を受けます。

この質問がなぜナンセンスなのかというと、問いの立て方が完全に失敗しているからです。

この世のあらゆる命題は、それに対し「真」「偽」どちらも立てることができます。
これは古代ギリシャのソフィストたちの時代、つまり2500年前にすでにあきらかになっています。
簡単に言うと「言葉ではなんとでも言える」のです。

この問いに対しては「悪」「悪ではない」どちらも容易に立てられます。
どちらもあっさり成り立つことは最初からわかり切っているのです。

これを回避するためには言葉を厳密に定義し、「真」と「偽」の判定が一応可能だという単純命題にまで分析し、整理しなければなりません。そういう手続きを踏まえたうえで、一応単純なレベルでの「真」と「偽」の判定を行う、それ以外の方法はありません。

もう少しおもしろい議論をしたいのであれば、まず論理上の話だけでもいいので反駁の論理を正しく立てることから始めたほうがいいと思います。
論理で負けていたらその次のレベルの話は永遠にできませんよ。

この回答への補足

 
問われていることに自分の答えが見い出せないのでただ悪あがきをしている、要するにそーゆーことではないんか?
 

補足日時:2011/04/01 21:24
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この回答へのお礼

あのなあ、 
別におもしろい議論をしたい分けではない。誤解せんよーに。
それともーひとつ、言葉の定義だけで物事の白黒がつくなどと考えるのは愚かであると言うておく。
また言葉などどー定義しても厳密に定義することなど所詮不可能であることも理解せんといかん。
 

 

 

お礼日時:2011/04/01 20:41

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