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どうして旧字体というものは廃止されないのですか?ややこしくならないですか?旧字体さえ廃止すればあらゆる人間の名前が簡易化されますし、戸籍の苗字も簡易化されます。今の世間では、旧字体や新字体がごちゃごちゃだとは思いませんか?

意見お待ちしています。

A 回答 (9件)

旧字体を廃止する必要は感じません。




すべての漢字に新字体があるのではないのです
新字体は常用漢字に限って制定されたと。

名前の簡易化のご主張ですが、自分の名前が間違って書かれたり、間違って読まれると非常に不愉快な気分になるものです。
たとえば、「國」を「国」と書かれて、その都度訂正している友人がいます。
他人にとってはそれほどとは思わないのですが、当人にとっては大問題であるようです。
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 漢字そのもののに意味が有ります。

そして、その書き方などにも意味が有る物が多いです。
 簡易化を極端に行けばひらがなだけで、むしろローマ字でという文字数を減らす形になっていきます。
しかし文字も文化の一つでここまで発展させている事もすばらしい文化です。
 名前に関しては、現在変更がされていますが、変更されたことによって文字が持つ意味が変わるからと反対されている方もいます。
 便利にすれば良いように思えますが、便利になりすぎて大切な物まで捨ててしまうように私は感じますね。漢字だけに…。

 私の名前も難しい方の字が好きですね。入っている字が良いからです。
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 最近、鴨長明の『方丈記』を読み返しました。

水面に出来ては消える泡のように、家屋敷が消えるという名文を、大震災の後、ひしひしと身に感じることが出来、先人の知恵に感謝できるのは、昔の物が旧字体を知っていれば読めるからです。

 逆に、孔子、孟子の教え、李白の詩、など数千年の文化遺産から人民を切り離し、マルクス主義しか読めないようにするには、簡易化して、旧字体が読めないようにすればよかったのです。

 日本が戦勝国の占領下にあった時、アルファベット26文字にすれば、漢字で学校教育の時間を無駄使いしなくてすむ、と言った外国人がいたそうです。
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新字は、誰か(昔の役人?国語学者?)が勝手に、「この漢字は、こっちの形で統一しよう」と“便宜的”に決めたものです。


子供に教育するについて、「いろんな字体があっては混乱するから、ふだん使う漢字はなるべく簡単な形の方にして、何文字だけ覚えたらいい」なんてことを、何人かの人で決めてしまった(教育漢字・常用漢字といわれるものを決めた)わけです。
本来の漢字の意味とかを全く無視して、です。

ですから、旧字と新字が混在した状態になっているわけです。

しかし、考えてみれば、そうやって教育漢字なり常用漢字なりが決まるより前、漢字の字体はもっとごちゃごちゃでした。
特に手書きでは、旧字と新字が混じった書き方をしていたのです。
同じ「国」を書くのでも、1行目には「國」と書き、5行目には「国」と書き、次のページではまた「國」と書き……なんて文章が、いくらでもありました。

それでも誰も困りませんでした。字を全く知らない人は困ったかもしれませんが、普通に手習いをして字に対する知識のある人は、旧字と新字が入り交じっていても全く平気でした。

ですから、今、新字一辺倒で教育しているということが、我々の字に対する知識を削いでいっているのです。
ちょっときつい言い方をすると、我々はどんどん「バカ」になっている(「バカ」になるように教育されている)のです。

小生は、新字・旧字がごちゃ混ぜでも、全く構いません。
分からない字があれば辞書を引けばいいだけのことです。
そうやって辞書を引き、その字がどういう意味を持つ字であるか、新字か旧字か、そういった知識を増やすことができますし、語彙が豊かになるというメリットがあります。


「漢字は文化である」と書かれている方がいらっしゃいますが、小生もその通りだと思います。

仮に、旧字が廃止されても、昔の文献は残りますから、旧字を世の中から抹殺することはできません。
また、どなたかがおっしゃっていますが、新字は字数が限られているため、旧字を廃止してしまえば、新字がない漢字は抹殺され、文筆活動に支障が出ます。
そういう意味でも「新字に統一」することは不可能だと思います。

ならば、旧字を積極的に学ぶ方で、「豊かになる」方がいいのではないでしょうか。
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異体字は面白い反面、非常にコストがかかるものです。


行政は異体字を管理するために年間数十億のコストを要しています。当然これらは税金で賄っています。

また、いろいろな情報をコンピュータで管理する今の時代
異体字は本人特定も難しくしています。
少し前に問題になった消えた年金問題も異体字が原因で不明になったものがあります。

こんな不利益を補うほど、人々の賛同を得られるなら残してもいいと思いますが、
私は行政等で扱う人名・地名には不要だと思いますね。
コストをかけるほどの価値があるとは思えません。
(ちなみに、正確な名前を書いてもらえなくて憤る人がいる一方、
  画数の多い字を求められ面倒を覚える人がいますよね)


そもそも異体字の生まれとして誤字である物も少なくありません。
ちなみに、日本でも異字体の多い「ワタナベ」さんですが、
アメリカでも表記は22種類あるそうです。
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旧字ではなく、本字です。


異字体はともかく、便宜上できた簡略化した字を使うようになってはお終いです。
漢字は表意文字といって字そのものに意味があります。
簡略化した字では本来の意味が分からなくなってしまいます。
人の名や地名には歴史や文化があります。
その歴史や文化を否定するものですからどうかと思います。
管理が面倒だからとそういったものを否定するのはむちゃくちゃな理論だと思います。
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廃止しようとすると、必ず人権団体などが「表現の自由」の侵害であると文句を言って来るのが目にみえるからではないでしょうか?「俺の名前の字はお上が決めることではない」と、読売巨人軍の滝鼻氏みたいなことを言ってねじ込んで来る人が続出するかも知れません(「渡邉恒雄氏」も黙っていないかも)。

自由主義というのは、そういったことまで配慮しないといけないものです。

80年ごろ、とある辛口評論家が、「團伊久磨」のことを、「宛名に『団』と書いてある郵便物はすべて捨てるとか言っておきながら、「毛沢東」や「華国鋒」などと書いている。他人のことはどうでもいいらしい」とからかっていたのを思い出しました。文筆家でもこの有様ですから、一般の人が書く文章の中で、漢字が新旧ごた混ぜであることについてとやかく言うのはどうかとも思います。が、今は戦中派の方々も随分少なくなりましたので、状況は少しは変わっているかも知れません。

とは申しましても、事はそのように簡単ではないようにも見受けられます。旧字体に関する設問が漢検の1級・準1級でも見られるのは、旧字体についての知識がなければ、昭和以前の出版物を読めず、その研究もできないから、という事情もあります。現代においても、過去の文学作品などの復刻版において、旧字体そのままで出版される例は少なからずあることに鑑みても、旧字体に関する知識は、少なくとも文学者や歴史学者にとっては必須の知識と言えます。
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確かに名前では、さいとうさんだけで、齋藤、齎藤、斎藤、齊藤、斉藤、わたなべさんでも、渡邉、渡邊、渡辺とあり、これに誤字のまま戸籍に記載された場合や隆に一畫加えたものなどあり、その度に外字を各々で作らなければならないのは大変ですね。


葛飾区の樣に行政自らこだわっていたりしますね。牛丼の吉野家もサイトでは下を長くしています。

舊字躰と新字体が混じっているととても變ですよね。

それと畫数が多いと間違い易く、畫と晝と書、圖と圓など携帯で見ていると區別が付かないですね。
(携帶で投稿しているのですが)

それに對して、本來の字も覺えるべきだとする考えもあるかと思います。

私は國文學を學ぶ必要から覺えましたが、樂しいものですよ。


舊字躰で書いてみましたが、讀めますよね。携帶でも是だけ書けますから。


平假名の異字躰である變躰假名もゐとゑを殘していますが、後はコンピュータで表記できないのは残念です。蕎麦屋さんや寿司屋さんのニーズがあると思うのですが。
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旧字体を廃止するのは無理でしょう。


【余談】私の本名は黒田 亘であって,黑田 亙ではありません(黑も亙も,楷書では昔から黒,亘と書いてきた)。
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