最初は、女性に起因すると考えました。
花を見て美を感じるのは無意識的にも女性を連想
するからだ、と。
しかしこれでは青空の美は説明できないように思います。

今のところ、カントがいう「生命感情の高揚」が美の源泉である
と考えているのですが、皆様のご意見をお聞きしたいです。

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A 回答 (5件)

花が何故美しいか。

当たり前ですが、それには色があるからですね。人間は進化の中で色合いの違いを情報として認識出来るようにDNAが進化したのでしょう。ところで女性も男性も裸のままでは色はありませんね。だから、動物として何に反応するかというレベルで色が問題になる筈はありませんね。貴方の言うのとは逆に、人間は花の色を愛でることができると言うことが始めにあり、それを女性が自分の魅力を強調する為にことさらにその色を身に纏った。その結果、色と女性が結びつくようになったのではないでしょうか。別な言い方をすると、貴方やカントの考え方は本末転倒の典型的な例ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうなんですよね。

ま、卵が先か、鶏が先か、と私も随分考えた
のですが。
スタンダールの「この世のあらゆる美は女性が源泉である」
てのに引かれましてね。
こっちの方が魅惑的だ、と感じましたので。

私はある時、すごい美女を観たことがありまして
それ以来美とは何かにとりつかれまして、そういう
トラウマが先にあったのかな、と考えています。

有り難う御座いました。

お礼日時:2011/04/12 05:44

「美」のような直感的な志向性は、経験の蓄積において生じる


先入観の一種です。
それは必ずしも悪いものではなく、たとえば美にとって主要な
要素である色彩とは、物理的には光の波長の連続的変化に
過ぎず、「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。
長い波長の可視光線に対して、「赤い」と感じるのは、遠くにある
「それ」が、接触した時に「熱い(火)、美味しい(果実、肉)」もので
あるという予測を潜在的に行うもので、生きる上の知恵なのです。

赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による
長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、
水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、
静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。

この「総和機能」において、さらに大きなカテゴリーが、人生における
快適な経験の総和である、視覚的刺激パターン、「美」です。
それゆえに、成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)
子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界の各地域によって、
美的センスは異なってくるのです。
(砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす)
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この回答へのお礼

なるほど。説得力を感じます。

あれですかね。
そういう経験が無意識領域に蓄積され、或る刺激に
より美を感じるのだ、という。

美は色の他に「形」もあると思いますが、
同じように考えることは可能でしょうね・・。

有り難う御座います。

お礼日時:2011/04/12 05:40

No.2です。



私は専門家でも何でもなく、質問者さんと同じように「美とは何か?」という、ある意味厄介な、終わりのない疑問に取り憑かれたことがあるというだけの者です。

>○「カントは美とは先験的なるモノ、超越的なるモノという
>考えから出発しているような気がします」
> ↑
>詳しく知りたいのですが、どんな本を読めば良いでしょうか?

質問者さんが、美は「女性に起因する」と考えられたのは、もしかしてカントの『美と崇高との感情性に関する観察』をお読みになったからでしょうか。
ここには「美」を女性的なるもの、「崇高」を男性的なるものとする、カント固有の倫理観を投影した、美に関するやや単純な発想が見て取れなくもないですよね。

もちろん、カントがそれまでの超越論的な美学に疑義を呈し、美を人間の感性の受け止め方の問題として捉えようとした点では画期的だったのでしょうが。
で、もし、美が人間の主観的、恣意的な感性やその受容の問題だとすれば、今度は、美がいかにして普遍性を持ちうるか?が問われてくるわけで、この難題にカントなりに取り組もうとしたのが『判断力批判』だったわけです。
ということで、まずは『判断力批判』をお読みいただければと思います。

>○既知体系の組み替えには、驚き、恐怖・・色々ありそうですが
>更にその中で美が発生するのはどういう場合だとお考えでしょうか?

私としては、「美」が実はわれわれが考えているほどには美しくはない、むしろ、不気味、恐怖、不安を感じさせることさえあり得るのではないかと思われてなりません。
そうと気づいた美学者が苦しまぎれに「グロテスクも美たり得る」などと言うよりは。

おのれが後生大事に抱えていた既知の体系が崩壊することは、確かに一面においては自分自身が否定されることでもありますが、同時にそこから新たなる自己形成が始まるとも言えるはずで、このように未知との遭遇により、不断に既知の体系が壊され、組み替えられることがわれわれの生活そのものなのではないでしょうか。
われわれの実生活と無縁な「美」なんて、何の益もありませんから。
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この回答へのお礼

再度の回答有り難う御座います。

カントの『美と崇高との感情性に関する観察』て本は
知りませんでした。今度読んでみます。
判断力批判は学生時代に読んだことがありますが
内容は忘れたし、そもそも理解できなかったように
記憶しています。

「美が人間の主観的、恣意的な感性やその受容の問題だとすれば、
 今度は、美がいかにして普遍性を持ちうるか」
  ↑
これは善悪のときと同じ論法ですね?なるほど。

「「美」が実はわれわれが考えているほどには美しくはない、
 むしろ、不気味、恐怖、不安を感じさせることさえあり得る
 のではないかと思われてなりません」
 ↑
夜桜なんて、観ているとそういう感じに囚われることがあります。

基本的には、異化説だ、と考えてよろしいでしょうか?

お礼日時:2011/04/12 05:34

>美とは?(視覚的な美)



美的認識であれ、知的認識であれ、それを生み出した源泉に遡及しようとすると、最終的には人間が生きていく上での切実な生活の必要性に逢着するのではないでしょうか。
すなわち、人間が厳しい生存環境の中で生き残っていくためには、周囲の環境世界を正確に知る必要があったことが人間の認識活動の原点ではなかったか、と。

人間の知覚機能のうち、外界(対象)に対して最も安全な距離を保ちながらこれを知る(見る)ことを可能にする視覚が最も重要な役割を果たすようになったのは当然のことでして、ここに(視覚的な美)の認識の原点があり、これを具象化したのが視覚芸術(美術)だと考えられます。

視覚以外には、外界の音声を正確に把握する聴覚機能も、やはり環境世界の中で人間が生き残るためには必要不可欠だったはずで、その延長線上に(聴覚的な美)やそれを具象化した音楽が生まれたと考えられます。

>最初は、女性に起因すると考えました。
>花を見て美を感じるのは無意識的にも女性を連想するからだ、と。

科学的認識に傾斜しがちな人なら、内部におしべ・めしべを擁する花を見て、「美を感じる」どころか、雌雄同体のグロテスクな生殖器が赤裸々に露呈されていると受け止めるかもしれませんよ。
なお、「花を見て美を感じるのは無意識的にも女性を連想する」ためには、質問者さんにとって、女性が欲望対象であることが前提となってますよね。

>今のところ、カントがいう「生命感情の高揚」が美の源泉であると考えているのですが、

カントには失礼ながら、彼の場合、美とは先験的なるモノ、超越的なるモノという考えから出発しているような気がします。
なお、カントの言う「生命感情の高揚」は、必ずしも(視覚的な美)に限定しているわけではないですよね。

思うに、人間の認識というのは、大ざっぱに知的認識と美的認識とに大別できるのではないでしょうか。
知的認識とは、未知の事象と遭遇したとき、これを自分の既知の体系の中に強引に組み込もうとする傾向をはっきり示すとすれば、美的認識というのは、未知の事象と遭遇したとき、自分の既知の体系の非力さを悟り、未知の前に呆然とたたずみ、恍惚とせざるを得ない、つまり無我の姿勢を余儀なくされることではないでしょうか。
言い換えますと、美的認識というのは、未知との遭遇によって、おのれの既知の体系の組み替え(更新)を余儀なくされる体験ではないかということです。

われわれが美的体験について、感動とか忘我とかという言葉でかろうじて言いつくろうしかないのも、やはり未知の事象との遭遇がわれわれの既知の体系に対し、その無効性、非力性を宣言するからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ワッ! 専門家が来たて感じです。緊張します。
難しかったので何度も読み返しました。
忙しい中、有り難う御座います。

○「科学的認識に傾斜しがちな人なら・・・・・
・・・女性が欲望対象であることが前提となってますよね」
 ↑
そうなんですよ。これでは男から観た美に過ぎないのでは
ないか、と疑問が出てきまして、放棄した訳なんです。

○「カントは美とは先験的なるモノ、超越的なるモノという
考えから出発しているような気がします」
 ↑
詳しく知りたいのですが、どんな本を読めば良いでしょうか?

○既知体系の組み替えには、驚き、恐怖・・色々ありそうですが
更にその中で美が発生するのはどういう場合だとお考えでしょうか?

お礼日時:2011/04/10 07:32

はじめまして。

本来ならば、とても回答できる身分には
ないのですが、あえて回答いたしますれば
あくまで個人的な意見であることをご了承ください。

美 とは これいかに。
人間の弱い心が引き起こす錯覚であると思われます。
弱い自分の心―― あくまで無意識に――補おうとする心。
それが、美を認識させるのではないかと考えます。

例えば、神を感じていたい。そう願うならば、山は美しく
海は美しく、空もまた美しいではありませんか。

例えば、言葉にしましても、柔らかい言葉というものは
柔らかさを求める―― 私には必要である―― 自己の補完
ならば、その人においては美を認識する事を禁じえません。

造形物に視点を移しますれば、例えば自分の持ち物として
完全を求める――あくまで個人的に――ミクロに至るまで
磨き上げる。その究極の光沢が美であることを否定できない。

男性―― 女性―― あくまで無意識の―― 自己の補完
これもまた、しかり。

俺は、ふつーの会社員ですから、あまり芸術的な人間では
ないのです。ですから先生方のお叱りを受ける前に
失礼させていただきます。ご多幸をお祈りしております。
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この回答へのお礼

人間の弱さですか。より一般的に広げて
不完全性、としても良いですかね?

不完全だから補完し完全を目指す。
なるほど。完全性説に繋がる考え方
かな。

私は、人間には死があるから美もあるのだ
と考えていましたが、それが補強された
ように思いました。

ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/10 07:22

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QD.ヒュームとカントの美学論について

D.ヒュームとカントの美学論について、質問です。
どっちもいまいちよくわかってないうえ、ヒュームは本が手元にないので、日本語がおかしかったらごめんなさい。

まず二人の議論に対する自分の理解を書きます。
ヒュームの美学論においては(@「趣味の標準について」)、美は感情に属するものだとされています。
そして、美とは事物に属するのではなく、観察者の頭の中で形作られる主観的なものということになります。(美の懐疑論?って感じがします)
しかしこのままだと美は相対的なものになってしまうと(私は)思います。

ヒュームの懐疑論を土台にして、カントは議論を展開しました。
美学においては、ヒュームの議論における美の相対性を克服するために、主観的普遍妥当性という考えを持ち出します。
そしてカントは趣味判断は悟性には基づかないが普遍性を持つ、と言いました。(@「判断力批判」)

質問は
(1)このヒュームとカントの美学論の理解は妥当ですか?
(2)ヒュームの美学論が持つ、相対主義の可能性を克服するような議論はありますか?あるとしたらどのような考え方でしょうか?
(3)ヒュームは道徳論の方で、感情は他者と共感することによって普遍的妥当性を持つと言っていたと思うのですが、これを美学の方に適用して、共感によって美は普遍性を持つという捉え方をヒュームはしていたのでしょうか?
(4)もし(3)がYESならば、共感されない美のセンス(感情)を持つ人は、はみ出し者ということになってしまいますよね?ということはやっぱりヒュームの美学論は相対主義の枠から抜け出すことはできないのでしょうか?

D.ヒュームとカントの美学論について、質問です。
どっちもいまいちよくわかってないうえ、ヒュームは本が手元にないので、日本語がおかしかったらごめんなさい。

まず二人の議論に対する自分の理解を書きます。
ヒュームの美学論においては(@「趣味の標準について」)、美は感情に属するものだとされています。
そして、美とは事物に属するのではなく、観察者の頭の中で形作られる主観的なものということになります。(美の懐疑論?って感じがします)
しかしこのままだと美は相対的なものになってしまうと(...続きを読む

Aベストアンサー

(承前)

「私」という〈形式〉が同じだから、趣味やものに対する判断も同じだろう、全員が「私」と同じ判断力を有しているにちがいない、と(これが共通感覚)。

> 2. カントの議論は、趣味判断は快不快に依るものであるから主観的なものである、しかし美に関する趣味判断においては(主観的個人的なものである快不快に対する)判断を、誰もが共通してアプリオリに与えられている共通感覚に照らし合わせることで、それが他の人にとっても当て嵌まる(美である)ことを確認できる

と考えてしまうんです。

でも、>よって美の判断は主観的であるが普遍的な妥当性をもつ

わけではない、とも。これはつぎのこととも関連してきます。

> 3. 第22節の最後の方でカントは、趣味はa.「根源的な自然的能力」なのか、そ
> れとも趣味はb.「人為的能力の単なる理念」にすぎず、趣味判断は普遍的な同意
> を要求するが実は理性の要求に過ぎないのか、という疑問を立てています。そし
> て第41・42節を読むと、なんとなくですがカントはbだと考えているように思わ
> れます。

そういうことです。ここらへんはもうかなり話があっちやこっちや行って頭が痛いのですが、美に「一定の概念」が伴うかどうか、ということの結論は、つぎの第二篇、57に至ってようやく出てきます。美に関して、趣味判断は「一定の概念」に基づくのか。
そうではない、「一定」ではないけれど、「不定の概念」に基づくのだ、客観的に認識もされないし、証明もできないけれど、「自然の主観的合目性」に基づく、と。
結局、美の普遍性というのは、主観的なものなのだ、ということです(まとめすぎか)。

> 共通感覚と、悟性、理性との関係性がいまいちつかめません。第5節を読むと、
> 美に関する趣味判断は、理性とは別の枠組み(?)に属しているように思われる
> のですが…。

人間の感性、悟性、理性というのは、上述した「私」という〈形式〉のことです。
そうして、共通感覚というのは、美的判断を表明する側が参照するものであって、認知に関する普遍的な価値はありません。

認識一般において、わたしたちがあるものを認識しようとするとき、その外見は感性をとおしてもたらされ、悟性によって分類していき、理性(カントにおける理性というのは、推論の能力です)のはたらきによって外見の背後にあるものを見つけ出そうとします。

けれどもたとえば音楽を聴くとき、拍数を数えたりコードの進行を見極めたりすることなく、外見の背後にあるものを、直接とらえてしまいます。ほぼ感性のみのときもあるし、悟性のはたらきが必要な場合もあるけれど、わたしたちは音楽の側から働きかけられ、直接、美を知覚すると同時に理解することができます。

だから「自由に働く構想力が悟性を喚びさまし、こうして悟性が概念を用いずに構想力と規則に適った遊びを始める」(第40節)ということになる。

> 美に関する趣味判断は、理性とは別の枠組み(?)に属しているように思われる
> のですが…。

というのは、そういうことです。

何かもう長くて、自分で読み返すのもいやになってきたんですが、まあだいたいそんなところで。

文学とか美学とかからカントに入る人は、わたしもそうだったんですが、たいてい『判断力批判』から入るしかなくて、出てくるおびただしい用語に涙を流すことになります。私の場合は結局どうにもわからなくて、『純粋理性批判』の講読ゼミに入ったりしてずっぽりはまったんですが、どこまでやるかはその人の判断です(環境にもよるしね)。でも、カントをしっかり勉強しておくと、たいていの本を読んでいく基礎体力はつくので、筋トレでもするつもりで、しっかり食いついていってください。
あと、ヒュームはおもしろいよね。わたしは最初やったころ、助けを求めると、余計、泥沼にはまるという議論の進め方にうんざりしていたのですが、最近になってやっとおもしろさがわかるようになってきた。
時間はかかるし、不良債権への道を進むことになるかもしれませんが(笑)、かならず新しい世界が開けていきます。だからがんばって。

(承前)

「私」という〈形式〉が同じだから、趣味やものに対する判断も同じだろう、全員が「私」と同じ判断力を有しているにちがいない、と(これが共通感覚)。

> 2. カントの議論は、趣味判断は快不快に依るものであるから主観的なものである、しかし美に関する趣味判断においては(主観的個人的なものである快不快に対する)判断を、誰もが共通してアプリオリに与えられている共通感覚に照らし合わせることで、それが他の人にとっても当て嵌まる(美である)ことを確認できる

と考えてしまうんです。

で...続きを読む

Q美について(美意識の探究)

あなたの記憶の中で、今までに最も印象に残っている「美しい」と感じたもの、ことを教えてください。そして、その理由も分析してみて下さい。

たとえば、いつも競馬場に行くけれども、競走馬は芸術作品とも言えるもので、○○○○号は特にそうだった。なぜならば、・・・・・。という感じでお願いします。

最終的には、実例に基づく美意識を展望してみたいと考えています。様々な視点を知りたいので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

通勤時間帯とは異なる時間に乗った山手線の向かいの席に座っている
若い女性。
その容貌が、私にはこの上なく美しいものに思えた。いちどちらりと盗み見したら
もう一度見たくてたまらなくなった。ただ眺めているだけで、この上なく幸せな
気分に浸れるようなそういう美しさだった。
くっきりと見開いた双眸、細くたおやかな曲線を描く眉。小さく形のよい唇
それらのものを私は幾度かの盗み見で、シャッターを切るように瞼に焼き付けた。
綺麗だ。
こんな綺麗な女性が、昼間の平凡な電車の中に存在していいのだろうか。
私は、目の前の美しい存在が消えてしまわないように視覚の記憶を包み込むように
目を閉じ、しかしもう一度視たいという欲求に耐え切れず、幾度も目を開いて
彼女を見た。
相手も気付き、ときどき怪訝そうな顔つきで私を見た。気付かれたことが恥ずかしく
私は、また目を閉じた。眠ったふりをしたつもりが目をあけるとまた彼女を見て
しまう。
美しい。すばらしく美しい女性。非の打ちどころのない整った容姿。
そういうものが間近に存在すること自体、一幅の名画を鑑賞するような
心が洗われるような気持ちだった。
ここまで美しい女性には、日常のバックグラウンドなど想像する必要も無い。
女神が突然山手線の電車に舞い降りることなどないにしろ、そういう錯覚に
おそわれてもおかしくないほど綺麗だった。
美しい、綺麗だと脳裏でつぶやく意外に、なにもなすべきこともなく私は
自分の降りるべき駅につき。
電車の窓越しにもう一度女神の黒く潤んだ双眸を眺め、天国のような電車の
ひと時に別れを告げた。
なんで、あれほどの美人が世の中に存在するのだろう。

通勤時間帯とは異なる時間に乗った山手線の向かいの席に座っている
若い女性。
その容貌が、私にはこの上なく美しいものに思えた。いちどちらりと盗み見したら
もう一度見たくてたまらなくなった。ただ眺めているだけで、この上なく幸せな
気分に浸れるようなそういう美しさだった。
くっきりと見開いた双眸、細くたおやかな曲線を描く眉。小さく形のよい唇
それらのものを私は幾度かの盗み見で、シャッターを切るように瞼に焼き付けた。
綺麗だ。
こんな綺麗な女性が、昼間の平凡な電車の中に存在してい...続きを読む

Qあなたの美学教えてください

私は 美学=個性 と思っています。
同じ制服に身を包んでいても自分なりの
美学を持っている人はとても美しく思います。

いろいろな美学があると思いますが
男の美学、女の美学、職業の美学 などなど・・
お聞かせください。

Aベストアンサー

おはようごさいます~
美しいもの大好きです!!

美学=個性 うん、分かるような気がします。
センスの良さ、こだわり、ですね。
まぁ、あまり美しくない個性も多々ありますけど・・・

美学というと奥深くもあり、私なんぞが簡単に語られるものではないと承知しています。なので・・・
くだらな~いことでも良かったら、笑って聞いてくださいね。
実は私には洗濯の美学というものがありまして・・・
洗濯物を干す時の美学、です。
下着は下着、靴下は靴下、トップ系(セ-タ-、トレ-ナ-、Tシャツetc)はトップ系、パンツ系はパンツ系と、綺麗に並んでいないとイヤなんです。しかも色も黒系は黒系、赤系は赤系と言う具合に。
そして、ピンとしわが伸びていないとイヤです。時々家族の誰かが手伝って干してくれて、めちゃめちゃに並んでいると、う~気持ち悪い!見たくな~い!って思ってしまいます。
そんな訳で我が家では誰も手伝おうとしなくなりました。(当たり前です)
バカみたいでしょう?

あと、ティッシュの箱なんですが、家ではまとめ買いをするので、棚にバァ-と並べて置くんですね。
その時も色別に並べますね。そのほうが綺麗!
洋服も常に色の組み合わせを考えます。この色とこの色は合うかな~ と、
子供が上と下まったく合わない色の洋服を着た時は、うわ~やめてよ~!と具合悪くなりますね。

高いものには興味ないですけど、安いものでも上手に組み合わせて上手に着るのは得意かな? いつも、お友だちに褒められます。センスがいいんだよね~。って
冗談でもウレシイ・・です。

長々とくだらないこと言ってしまいましたね。
洗濯の美学ではなく、色の美学、だったのかな~
その方が聞こえがいいかしら?
ホントに品がなくて、美学に申し訳ないようなお話ですいません。

私には今、言葉の美学 が欲しいです(*^.^*)

おはようごさいます~
美しいもの大好きです!!

美学=個性 うん、分かるような気がします。
センスの良さ、こだわり、ですね。
まぁ、あまり美しくない個性も多々ありますけど・・・

美学というと奥深くもあり、私なんぞが簡単に語られるものではないと承知しています。なので・・・
くだらな~いことでも良かったら、笑って聞いてくださいね。
実は私には洗濯の美学というものがありまして・・・
洗濯物を干す時の美学、です。
下着は下着、靴下は靴下、トップ系(セ-タ-、トレ-ナ-、Tシャ...続きを読む

Q現象的意識と反省的意識

デイヴィッド・チャーマーズは、意識について「機能的意識」と「現象的意識」の2つの側面があると指摘したそうですが、私の読んだ、「心の哲学入門(金杉武司 著)」では、「反省的意識」と「現象的意識」の2つに分けて説明されています。

反省的意識とは、機能的意識に含むものと考えればよいのでしょうか?
また、もしそうだとすると、心が反省的な意識状態にあるとき、一切の現象的な意識は付随しないのでしょうか?付随しないとすると、自分が反省的な意識状態にあるということ自体、気づかないのでは…?

そもそも、現象的意識という言葉の説明にある「質感」の意味を把握しきれてないのですが、要するに「主観的体験」そのものですよね?
「質感を持たない主観的体験」というのはあるのでしょうか?
もし、「現象的意識」の言葉が指す内容が一定していないのであるなら、そのあたりも少し教えて頂けないでしょうか?

あともう一つ、現象的意識が「現れる」という表現がよく見受けられますが、
現象的意識を「感じる」「受け取る」という言い方は不適切なのでしょうか?

質問ばかりで申し訳ありません。
宜しくお願い致します。

デイヴィッド・チャーマーズは、意識について「機能的意識」と「現象的意識」の2つの側面があると指摘したそうですが、私の読んだ、「心の哲学入門(金杉武司 著)」では、「反省的意識」と「現象的意識」の2つに分けて説明されています。

反省的意識とは、機能的意識に含むものと考えればよいのでしょうか?
また、もしそうだとすると、心が反省的な意識状態にあるとき、一切の現象的な意識は付随しないのでしょうか?付随しないとすると、自分が反省的な意識状態にあるということ自体、気づかないのでは…?
...続きを読む

Aベストアンサー

思い付きなので参考までに。
「現象的意識」は感覚的なものについての意識、「反省的意識」は言語的意識ではないでしょうか。
(雑過ぎる分類な気もしますが。)


例えば、あるものがある形をした赤いもので、手触りはさらさらしていて、味は酸っぱくて甘い、といったことは感覚的意識と思われます。しかし、これは「りんご」であるという判断は少なからず反省的意識によるものでしょう。「りんご」という概念=言葉で括られた感覚的意識の記憶を想起する必要があり、その「言葉の括り」の認識は反省的意識によるからです。ですから、物事の意味理解は全て反省的意識によると見てよいのではないかと思われます。私には、反省的意識と機能的意識は同一としか考えられません。


例えば生まれたての赤ん坊の意識はほとんど純粋に現象的意識でしょうし、
5+7=12などの単純な計算はほとんど純粋に反省的意識によるのではないでしょうか。


>「質感を持たない主観的体験」
難しいですが、無いように思います。


感覚ではなく現象、感じるではなく現れる、と表現するのは現象学や純粋経験論的立場をとっているためではないでしょうか。
感じる「私」の存在は実は前提ではなく、ただ経験(現象)あるのみとしか言えないというアレです。


参考になる所があれば、ぜひしばらくお付き合いください。

思い付きなので参考までに。
「現象的意識」は感覚的なものについての意識、「反省的意識」は言語的意識ではないでしょうか。
(雑過ぎる分類な気もしますが。)


例えば、あるものがある形をした赤いもので、手触りはさらさらしていて、味は酸っぱくて甘い、といったことは感覚的意識と思われます。しかし、これは「りんご」であるという判断は少なからず反省的意識によるものでしょう。「りんご」という概念=言葉で括られた感覚的意識の記憶を想起する必要があり、その「言葉の括り」の認識は反省的意識による...続きを読む

Qカントについて

現在レポートを書くためにカントについて調べています。
今混乱していてはっきり言って自分でもどこがわからないのかよくわからないのですが、倫理学を中心に書きたいと思っています。

そこでなにかカントの倫理学についてお勧めの本などあったら是非教えてください。

また、現代におけるカント哲学という点で、カント哲学がどのような影響を現代に与えているか教えてください。先日カリーニングラードで18カ国が参加した国際学会が行われたというのを目にし、現代におけるカント哲学について何か知っていることがあったら教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんばんは
回答は、「カント哲学と倫理―現代カント研究の視点から」
とまとめてみました。

まずカントの倫理学について書くという場合には、定言命法(der kategorische Imperativ)を知っておく必要があるでしょうから、『実践理性批判』についての解説などを、西洋哲学史や思想史と呼ばれるものや、カントについての著作によって読んでおく必要があるでしょう。
しかし、この点はもう大丈夫ということですね、きっと。

そこで
>お勧めの本など
ですが、雑誌「現代思想」の、1994年3月臨時増刊「カント」にある、「普遍化の論理と相互承認の倫理」(342~358頁)がお勧めです。

この論文においては、序の見出しが「カント理解の現代的状況」というように、まず、カント解釈の中でも主に倫理を巡る研究史を示し、それから「定言命法」と「倫理」の問題を現代のカント研究の立場から論じていきます(注も57個付されていて、役に立ちます)。
また、この「カント」特別号には、アドルノ研究者の細見氏による「アドルノのカント論」(286~294頁)も見られます。

さて、今年、2004年度は、世界の各地でカント・シンポジウムや国際会議やゼミナールなどが非常に多く開催されています。カントの生誕地カリーニングラードにおけるものは、その一例に過ぎません。
2月12日の記念祝典の後、4月22日から24日に開催されたカリーニングラート大学による国際会議では、だいたい以下のようなテーマに分けられたようです。
1)異文化におけるカント受容
2) カントの理論哲学における先験性と先天性の問題
3) カント哲学における形式および超越論的論理学
4) カントの実践哲学における普遍主義
5) カントにおける人間と文化
6) カントによる生の構想

先述の「普遍化の論理と相互承認の倫理」という問題は、まさに四番のテーマですね。

しかし、
>カント哲学がどのような影響を現代に与えているか
を本当に考えるならば、やはりニーチェの存在を忘れてはならないでしょう。

今月の26日~29日にナウムブルク(Naumburg)では、「理性、生、存在 ― 衝突するカントとニーチェ」というテーマのもと国際会議が開かれます。カント協会とニーチェ協会の相互協力のもと(ニーチェは怒るでしょうね、、、笑)。

ニーチェが『善悪の彼岸』などでカント批判をしているのは有名ですね。しかし、その批判の背後にはどのような倫理的問題があったのか、ニーチェ自身が使う手段を逆に使って、なぜそこまでカントを批判したのか?、など考えてみるのも面白いかも知れません。

それでは

こんばんは
回答は、「カント哲学と倫理―現代カント研究の視点から」
とまとめてみました。

まずカントの倫理学について書くという場合には、定言命法(der kategorische Imperativ)を知っておく必要があるでしょうから、『実践理性批判』についての解説などを、西洋哲学史や思想史と呼ばれるものや、カントについての著作によって読んでおく必要があるでしょう。
しかし、この点はもう大丈夫ということですね、きっと。

そこで
>お勧めの本など
ですが、雑誌「現代思想」の、1994年3月臨時増刊「カン...続きを読む

Q意識のハードプロブレムとは脳という物質から 主観的現象 意識 心がどうして生まれるのかといった問題で

意識のハードプロブレムとは脳という物質から 主観的現象 意識 心がどうして生まれるのかといった問題ですが
その脳からの意識 心が生まれるメカニズムが解明されれば 魂や霊魂といった存在は 存在しないということになりませんか?

Aベストアンサー

なりません。
例えば、"人間"というものは存在していません。各々の存在者の特質を抜き出して"人間"という名に纏めてあるもので、これが人間だといった元型は存在していません。
凡そ名のあるものはこの通りで、主体がそう捉えたから。あるいは大多数がそれと冠するから、一塊の物体として名を有し、存在させられる。
存在とは主観的で曖昧なものです。

Qみなさんの美学を教えてください

好きな人に突然
○○さんの「美学」って何?と聞かれて困ってしまいました。
私にはそんな自慢できるような美学(生き方)なんてなかったからです。
ところでいったい美学って何なんでしょう。
(1)生き方の美学
(2)恋の美学

みなさん美学を教えてください。

Aベストアンサー

こんにちわ

なんだか素敵な質問ですね。
お悩みであるにも関わらず、すいません。

(1)自分以外の人は、皆先生
これは大人になるにつれて実感します。5歳の姪っ子や小学生の友達から学ぶこともたくさんあります。

(2)自分中心
以前は逆でしたが、結局自分が幸せじゃないと自分の愛する人は幸せになれないとおもいました。
自分の幸せは、相手が幸せなことですから、尽くすことも自分のためとおもえます。

美学というか心がけですね。
一本、そういうものを持っていると、何事を選択するのにも使えますから、迷いが少なくなるような気がします。

Q自分の美意識の形成の仕方

世の中にはいろんな美意識が存在します。

情報社会あるいは都会でいろんな美を見て、頭がごっちゃになります。

それぞれ美を表現したものって、その個人なり集団なりが善いと思ったものは良い作品とされるものって誰が見てもやはり善いのだと思います。

理性ではなく感性で、テイストで整理されることはあっても美醜はあっても正解不正解ってないですね。

でもそれはほかの人が持っている美であって、ただあれもいいこれもいいとかいっていると、自分の美意識ってなんなんだろうと思います。

いろんなものを見るのも大切だと思いますが、観賞しているとおそらくどれも善いものなので、だんだん何がなんだかわからなくなってくると思うのです。
自分の美意識を把握して、それを表現あるいは創作していくのには、受動的なものではなくて、自分発のものをしっかりとらえて流されずにすむのでしょうか?

それにはやはり自分の個をしっかり把握してわかるものなんでしょうか?

Aベストアンサー

自分の美意識の形成の仕方

○個人の感性に美意識を委ねると芸術の世界にも厳然と存在する「善・悪」の概念が失われて混沌が生まれてしまいます。これは芸術の堕落を加速するものですね。芸術の「善・悪」は「美・醜」として表現されるもので表現は違えど同じものです。芸術家が思いのまま表現した仕事が芸術品ですが、そこに込められた思いが大切なのです。思いいかんで作品は「美・醜」として現れるのです。ここでの「美・醜」は見た目で判断されるものではありません。ただ観ればわかるものでもあるのです。
あなたの心が不安と猜疑心に満たされ、その思いで作品が出来ていたとすると、そうでないものから観ればそれは「醜い作品」になるでしょう。逆に同じ気持ちを持つ者から観ればそれは「美しい作品」に見えるでしょう。これは宗教画であれ自然画であれ同じことです。
そこで、芸術家に問われることは、あなたはこの世界を心優しい善なる世界にしたいのか、猜疑心の充満する悪なる世界にしたいのかなのです。これは宗教家と同じことなのです。付け加えれば作家も宗教家と同じですね。多くの人に影響を与えるという意味で同じなのです。逆に言えばそれだけの責任を負うということなのです。
さて、本題に戻って「自分の美意識の形成の仕方」は教育的なものです。単に自由にして良いものではないですね。この世を善なる世界にしてゆく、美なる世界にしていこうという日々の思いの上で芸術的才能や技術を鍛えるのが芸術家としての本道ですね。善なる者から評価されることが良いといえますね。

自分の美意識の形成の仕方

○個人の感性に美意識を委ねると芸術の世界にも厳然と存在する「善・悪」の概念が失われて混沌が生まれてしまいます。これは芸術の堕落を加速するものですね。芸術の「善・悪」は「美・醜」として表現されるもので表現は違えど同じものです。芸術家が思いのまま表現した仕事が芸術品ですが、そこに込められた思いが大切なのです。思いいかんで作品は「美・醜」として現れるのです。ここでの「美・醜」は見た目で判断されるものではありません。ただ観ればわかるものでもあるのです。
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Qカントの入門書ってどれが良いのでしょうか……?

カントの入門書ってどれが良いのでしょうか……?

最近、エマニュエル・カントの三批判書を読み通そうと思い立ち、
まずは『純粋理性批判』を読んでいるのですが、
噂通りというかなんというか、難しくて苦戦しています。

そこで、サブテキスト的に使えそうな、三批判書を中心としたカントの思想全般についての解説書を探しています。

しかしカントの解説書って結構いっぱい出ていて、どれを読むべきか悩んでいます。
なので、この解説書が分かりやすかった、などご存知でしたら、教えていただけると助かります。

とりわけ、
黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』(講談社選書メチエ)
石川文康『カント入門』(ちくま新書)
中島義道『カントの読み方』(ちくま新書)
中島義道『『純粋理性批判』を噛み砕く』(講談社)
といったあたりの書籍について、
解説の正確さと分かりやすさという二つのポイントからみてどうか、ということを
ご教示いただければありがたいです。

ちなみに先般、手始めに池田雄一『カントの哲学』(河出書房新社)を読んでみたら、カントの思想云々以前にこの著者の語り口になじめなかったのか、まったく頭に入ってきませんでした……。
この本はカント哲学をシニシズム批判に引きつけて読む、ということに主眼が置かれていたようですが、私が求めているのはそういう本ではなく、カントの思想の要点を簡潔にパラフレーズすることを重視している本です。
また、カントの自伝的な要素には触れられていなくても構いません。

以上、いろいろと面倒な注文を書き並べてしまい恐縮ですが、
要するに分かりやすくて正確なカント解説書を教えていただきたいのです。

ご存じの方いらしたら、どうかよろしくお願いします。

カントの入門書ってどれが良いのでしょうか……?

最近、エマニュエル・カントの三批判書を読み通そうと思い立ち、
まずは『純粋理性批判』を読んでいるのですが、
噂通りというかなんというか、難しくて苦戦しています。

そこで、サブテキスト的に使えそうな、三批判書を中心としたカントの思想全般についての解説書を探しています。

しかしカントの解説書って結構いっぱい出ていて、どれを読むべきか悩んでいます。
なので、この解説書が分かりやすかった、などご存知でしたら、教えていただけると助かります。...続きを読む

Aベストアンサー

二次的な書籍類は、身にならないと思います。お勧めは、道徳形而上学原論を一文ずつ理解することです。参照の為には、アリストテレスの形而上学中「哲学用語大辞典」の章の訳出を参考にしながら、広辞苑等辞書を引き引き読み進んでください。そうしながらこちらで質問なさるとよろしいかと思われます。具体的な質問ならカントに詳しい人は、たくさんいますから。ご検討ください。

Q日韓 美意識の比較研究 日本の粋(いき)について教えて下さい

私の親しい韓国人の友人がしている研究で

「日韓 美意識の比較研究
~粋(いき)とモっ(韓国語)を中心として~

というものがあるのですが、

日本の「粋」に関する論文や書籍を
ご存知の方はいらっしゃいませんか。
もし知っていたら教えてください。

それに関連して、
九鬼週造の"粋の構造"という本について、
何か知っていることのある方は
いらっしゃいませんか?

また、九鬼週造さんについて何か
わかることがあれば教えてください
お願いします

Aベストアンサー

九鬼周造(週造にあらず)の『「いき」の構造』は
岩波文庫の1冊として刊行されていますが,
下記URLで読むこともできます。

青空文庫/「いき」の構造
http://www.aozora.gr.jp/cards/000065/files/393_1765.html

九鬼周造はこんな人。

ウィキペディア日本語版/九鬼周造
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E5%91%A8%E9%80%A0


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