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高校ぐらいからですが、テスト中に先生が自分の近くをみまわりをする時によく緊張して鉛筆がとまります。よく思考も止まってしまう事もあります。大学の論文試験は特に苦手で速記はよく字がみみずの様になっちゃいます。あがりの克服などあれば教えてください。

A 回答 (2件)

損な性格ですね。


私は緊張すると「ハイ」になり「乗る」のですが…。
ちょっと禁じ手なんですが、内科へ行って「試験前によく眠れません」と言い軽い抗不安剤を出してもらって下さい。
試験の十五分前に飲むと、気分が落ち着き人によっては少しハイになります。
なお、多くても朝の試験前に一度、昼食後の試験直前に一度以上飲んではいけません。
薬に敏感な人は寝てしまいます。
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自分で自分を学ぶ事です、もっと言うなら『自分が自分を忘れる事です』奇妙な書き方になっていますが、説明します。



緊張すると誰もが貴方と同じ状況になります。只直ぐに普通になる場合と、貴方の言う状況になる場合の違いを書いてみますので、後は自分で学んで下さい。

この原因は人間には『意識が二つ在るためです』緊張する時、心はもう一つの意識から、『緊張するぞ』と言う情報を貰っています。この緊張したままに次の行動に入っています。即ち『緊張そのものになっています』この場合、緊張したまま緊張した事さえ、忘れています。是が緊張していなそうに見える場合です。

是に反して貴方の場合、もう一つの意識から『緊張するぞ』と言う情報を貰った場合、緊張している自分と、緊張していない理想の自分と二つの事が頭の中を駆け巡っています。つまり『緊張するぞ』と言う情報の受け取りを拒否しています。

この結果、緊張したく無い計らいが勝っています。この場合『緊張するぞ』と言う情報と、その情報を送る者を受入れられない状態が続くことになります。貴方の中の二つの意識が『緊張する事』に付いて喧嘩が始まります。

つまり『心が二つになって争いを始めています』心が二つになった状態をもう少し詳しく書いて見ます。

人間の行動や心が自由になる状態を『無心』と言います。例えば誰もいない野原の中を歩いているとします、心は自由になっています。この場合『鳥の声や、咲き誇る花』等を自由に楽しんで見ています、『自由に歩いていながら、歩く事には意識を使っていません』

言い方を替えると、自我意識は歩く事には使われていません、『では体を使って歩く事は(自我意識ではない)誰が操縦していますか?』

自転車に乗っている場合です。傘を持ったり、或は携帯電話で話をしているかもしれませんが、意識は『傘や携帯電話』に使われています。ですが自転車は転ぶ事無く、自在に進んでいます。自転車は自我意識が運転していません。では誰が自転車の運転をしていますか?

答えは自分ではない『もう一つの意識たる、もう一人の自分』です。

人間の心が二つ在ると言う例を書きました。

もう一つの例を書いてみます。是も歩く事を例に挙げます。畳の幅は約90センチメートルです。地面に引いてあります。この場合始めは『気』を使いながら歩くと思いますが、歩くうちに、慣れて来て、歩く事を忘れ始めます。終いには、周りの景色を鑑賞したり、考えながら歩くうちに、歩く事さえ忘れています。この歩き方が一番疲れない歩き方です。この場合『心も身体も』余り疲れません。

もう一つの例です、高い所に畳がセットされています。落ちたら助からない高さです。同じ幅の畳の幅90センチメートルです。今度は『自我意識』が出たままになって、歩く事が困難になっています。この場合『無意識』が出てこれなくなった状態の事です。

もう一つの例です、大勢の人が見ています、この場合『見ている自分と見られている自分』と言う風に『心が二つになっています』この状況が、緊張する事を意味します。心が二つになって争いを始める場合です。

人間には意識が二つ在るという意味は、見ている自分と見られている自分と二つ在ると言う意味ですが、もっと深く掘り下げた場合、感情が湧き上がる自分の心と『感情を湧きあがらせている自分の心』と二つあるという意味になります。

緊張しないように感じられる場合は、感情を湧きあがらせる者とその者が送る情報を受入れて、その者の指示に従った事を意味します。緊張したままでいながら緊張した事を忘れた状態です。自分の身体と心までもその者に預けた状態です。

緊張する場合、その情報を送る者とその情報の受け取りを拒否した事を意味します。何時までもその情報『緊張すると言う情報』をめぐって『二つの心は、言い争いをしている事』を意味します。

この場合『心は内部抗争に使われているために』何時までも何も出来ない状態を意味します。頭が真っ白になったりする原因は『自我意識のみが』心と身体を支配している事を意味します。

眠る場合を例にすると分かる易いかも知れません。眠る場合、普通は『自我意識』が眠っていると思っていますが、大いなる誤りです。自我意識は眠る事は在りません。自我意識は只なくなっています。この意味は『無意識の自分』と交替しているという意味です。

自我意識はすっかり無くなって、『心と身体は』自分自身の無意識に安心して預けられています。そうして『自分自身の無意識』が預けられた『体と心を』深い眠りに誘います。深い眠りが保障された事を意味します。この場合を安眠すると言います。いわゆる健常者と云う事です。

この反対の例もあります。『自我意識が眠る事を信じている場合です』自我意識は意識を凝らせて眠る事を待ち構えています、人間の意識の力で、或は意志によって、或は計らいによって眠る事を『身体と心に』命令する場合です。眠れないはずです。自我意識のみでは人間は眠る事は出来ません。この間違いが『睡眠障害です』

眠れるはずが無い事を、眠れるはずと言う勘違いをする事です。眠る場合にも『二つの意識』が共同作業しないと出来ない事を意味します。

人間の行動がスムーズに行く場合『必ず二つの意識が交替制と言う基本』があります。この基本から外れた場合『心や身体に』違和感と言うシグナルが発信されています。このシグナルが強く出た場合自我意識には『生き難い想い』や『辛い』と言う感情が湧き上がります。

この場合の事を『心の矛盾』と言っています。意識する自分と『無意識でする自分』の二つの自分が同調出来た時、全ての障害思われていた『心や身体の苦しみは』消滅します。

自分の心は自分で学ぶ他ありません。
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