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普通に考えて妹子という名前で男性とは思えないですよね
でも男性と特定されている以上
なにかしら明確な根拠があるのだろうなと想像できますが

・具体的にはどのような作業を経て男性と特定されたのでしょうか?
・また妹が名前に含まれている男性の偉人・歴史上の人物は他にいますか?

A 回答 (10件)

昔々は女性はまともな名前さえなかったそうですよ。

○○の母、とか○○(住んでる場所)の君とか。職業女性は役職名とか。
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 ANo.7です。

1つ思い出したことがあります。「伊勢物語」の「筒井筒」(原文では「つつゐづつ」)の段に「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」との和歌が収められています。
 ここに登場する二人の男女は兄姉や兄妹のような血縁関係ではなく幼い頃からの親しい間柄、との意味を表します。この意味から言えば、万葉集に見られる「我妹子に恋ひてすべなみ白栲の袖返ししは夢に見えきや」の実例と伊勢物語が書かれた平安時代でもさほどの違いはないものと思われます。
 またもう一つ、奈良時代の実例ですが、聖武天皇の皇后として知られる「光明皇后」の名前は文献上では「藤三娘(とうさんじょう)」もしくは「光明子」と記されています。百人一首の89番式子内親王をはじめ枕草子の作者が仕えていた主も「中宮定子」の様に何れも「子」の文字が附されていますが、これは古人を敬って行う呼び名です。
 今また思い出しました。「論語」は「子曰く………」で始まりますが、これも「孔子先生は………と言っています」との意味ですね。これも同様の意味です。年下の人間との意味ではありません。
 小野妹子の話で言えば、小野氏は他の有力豪族である蘇我氏や物部氏、大伴氏、土師氏などとは異なり小豪族の家柄です。厩戸聡耳が隋との外交関係を築くにあたり国家としての体裁を整える必要から職階制を設け(冠位十二階)その出自である彼も朝廷に奉仕する役職に任ぜられ相当の官位に叙せられたことから「子」の文字を附せられたものと考えられます。
 
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>普通に考えて妹子という名前で男性とは思えないですよね



それは平成の時代に生きる現在の我々の感覚。

女の子の名前に「子」が付くようになったの明治時代以降。
それより昔は「子」は高貴な家の『男性』に付ける名前。

あの時代、名前に「子」が付くのは男性のみ、名前に「子」が付く女性はあの時代存在しない。
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 他にも蘇我馬子という人物も歴史上にはいました。


妹=年下の女兄弟、子=女性の名前に附される文字、といった先入観を捨てて史実にあたることが肝要かと存じます。
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「妹」という字が入っているからとか、「子」で終わっているから男性の名前としておかしいというのは、現代の理屈です。

小野妹子が生きていたのは今から1400年ほど前のことです。今とはあらゆるものが違う時代で、名前の付け方も今とは全然違います。
現代の視点でしか見ずにいたら、歴史は見えなくなりますよ。
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こんにちは、はじめまして。



小野妹子は遣隋使ですから、日本の天皇家の正式な使者なので、この時代にそれを女性がやったという方がむしろ信じがたいです。
少し後の時代に、中臣鎌子(後に中臣鎌足→藤原鎌足に改名)がいるので、「この時代は男性で『子』がつく名前は珍しくないらしいぞ」と思っていました。
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系譜からも、冠位を持ち唐に送られたことからも男性しか考えられないと思います。



何より女性はそういった仕事には付かない時代ですし
○○の妻とか、女房名は残っていても実名であまり残ってないですよね。
清少納言だって紫式部だって本名は定かじゃありません。

子が付く名前が女性名になったのは明治以降ですし。

子がつくから女性っぽい、というのは現代の感覚です。
静香、とかも今は若い人には女性にしか見ないですけど亀井静香さんとかいますよね。

妹、については実際なぜその文字をつけたかわかっていないようですが
個人的には当時は大和言葉に当て字で漢字を持ってきたりしているから
いもこ、という名前に使われただけじゃないかなと思います。
最近の子だって、つけられた名前の漢字の意味だけ見ると「??」っとなる名前ありますしね。
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日本史は詳しくないです。

おまけに理系だしそれでもまあ”子は高貴な人につける”みたいに育っていますが。。。
”子”はいいけれど”いも”
確かに悩ましいですね。
話題発展を望んでいます。
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「○子」という末尾に子が付く名前が女性名として一般化したのは明治以降のことのようで、小野妹子が活躍した飛鳥時代には男性名として珍しくない、どころか一般的だそうです。



ちなみにに「妹」の字義も現代とは異なっていたようです。

閑話さておき、この当時の文献では女性が固有名で表されるのは余程高貴な生まれであるか特筆に価する功績を残した場合の例外といってよく、殆んどの場合ただ「女」と書かれたり「○○の妻」といった表記で表されたので、文献に固有名で記されている時点で男性である可能性は高いのいです。

更にコレは決定打といって良いと思うのですが小野氏の系図によると小野妹子は妻を娶り子を残しています。
特定うんぬん以前に、彼を女性と疑わなければならない理由が他に見付からない以上は男性と考えて妥当、疑うのは不適当だといえるかと。
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特定も何も男ですからそれを証明する必要はありません。


肖像画も残っていますし

聖徳太子 も最後は「子」ですし


妹がつく人は居ないです
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