プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 シーンとした自習室で、
ペチャ ぺチャ と音を立てながら
飴をなめる人がいます。
 もう、気になって勉強どころでなく、
次なる音をイーッてなりながら、
鳴るっ、鳴るっ、って
待ち構えてる自分が居ます。

 食事でも音を立てて食べる人がいますが
どうして、こんなに嫌悪感すら感じるくらい
嫌気がさすんでしょうか?
 何か心理学的に理由ってあるんでしょうか?

 何でも良いので、
何でこんなに不愉快にさすものなのか
理由が知りたい、のですが、
納得できるような理由って
あるでしょうか。

 TVで見た話ですが、
大人になって、恥ずかしい癖には
自分が赤ちゃんの時に
母親からの愛情で足りていないもの
が大人になって無意識に出てきて、
それを別の形で、自分が補ってる、とか。

煙草を吸う人が、
吸うとか、くわえるしぐさに
落ち着くのは、
赤ちゃんが母親のおっぱいを
吸うこととで、
安心や落ち着きを感じてる、
のと同じ、だと言ってました。

 そこで、勝手な思い付きですが、
他人が立てるペチャペチャという音に
ものすごく気になるのは、
あまりにリアルな、
その人がおっぱいを吸う音として
聞こえてくるから。
とかっていう理由が
あったりはしないでしょうか?

 本人も気付てない
無意識の癖とかで、
実はこういうことを意味している
みたいな話があれば
ぜひ教えて下さい。

 

A 回答 (4件)

心理カテなのでその方向から



まず、日本社会の一般的なマナーからいえば、食事中に音をたてて食べることへの禁忌があります。
それは、明治開花期からの西洋崇拝が、異文化への同化作用として働き、実際に世代間の文化の受け継ぎ圧力として作用した結果、社会風潮として定着したものです。具体的には、食事の際のマナーとして、親が子供に「音を立てて食べるな」「口にモノを頬張って喋るな」等を躾として強力に行えば、そこから逸脱する者の存在を自分がいる「空間の中の異物」ととらえる心理的機制が働くわけです。

他の回答者もいうように、幼時からのマナー(音を立てて食べるな)への馴致は「刷り込み」的に人格形成のバックボーンとなります。

この心理的機制はマナーへの同化を快適とする機制ですから、不快感となって現れてきます。
ただ、自分の受けたマナーが実は洗練されたものであるとの暗黙の了解(思い込み)があって成り立ちますから、その前提が壊されたときは、より洗練されたと自分の目に映る方へ「宗旨替え」するか、馴染んできたものに固執して「栄光ある孤独」を選ぶかの、一種アイデンティティー・クライシスを経験することになります。

>おっぱいを吸う音として聞こえてくる

のは少し無理があるように思われます。
口唇期の愛着への名残りというより、安定したスーパーエゴを揺さぶるタブーの侵犯と見た方がより説得力があるように思われます。

>本人も気付てない無意識の癖

これこそフロイト理論がその宝庫ですね。性的な言い間違いは深層心理にそれへの強い欲求がある、というやつです。

「深層心理学 言い間違い」で検索をかけると沢山事例が出てきます。参考にしてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。このような回答期待してました!
No.1~No.3までの方の回答も整理がつきます。とても興味を持って読ませてもらいました。
>安定したスーパーエゴを揺さぶるタブーの侵犯
これは笑☆でもとても納得です(笑)。 それにしても、このような思い込みが壊された時の、不快感や怒りってもの凄い感情ですよね(私の場合)。そこまでの侵害なんでしょうか。ある意味とても興味深いです。教えて頂いた深層心理についても、調べてみます!

お礼日時:2011/08/20 00:52

No.2さんのおっしゃる刷り込みはあるかもしれませんね。


日本文化の一つともいえる日本人が麺をすする音は、外国人には無作法に写るみたいですし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。麺をすする音の例は良く耳にしますが、それを言われても共感できない自分が、その「刷り込み」によるものなんですね。何か当たり前のようでとても深いです。

お礼日時:2011/08/20 00:25

くちゃくちゃ音を立ててモノを食べる人、嫌ですよね。

本当に。

もし、その嫌悪感が人間の本能に普遍的なものでしたら、
その音を立てる本人も、自分のはともかく、その類の音を嫌うのではないでしょうか?
しかし実際には気にしない人は全然気にしません。
例えば外国ですとか、別の環境で育った人は別のことを気にします。

おそらく成長の過程で、親またはその他から、
音を立ててモノを食べるのは好ましくないという刷り込みが有ったからではないでしょうか?
私の場合は、私自身が直接それを注意されたのではなく、
母方の祖母が父のことをよく田舎者呼ばわりしていたことから身についた感覚のように思います。

また、こんな経験もあります。
90年代、まだ電車内での携帯電話の使用が禁止されていなかった頃、
携帯を使用して話しているそれ自体は、特には気になりませんでした。
それが一変禁止事項となってからは、なぜダメと言われているのに平気でやるのだろう、
どういう神経しているのだろうと、周囲にいてイライラいするようになりました。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。“刷り込み”ですか。なるほど。携帯の例がとても分かりやすかったです!

お礼日時:2011/08/20 00:11

朝4時になると小雀がちゅんちゅん、これで起こされるときがあります。



近所に年寄りがいて、早起きしてもすることがなく小雀にえさをやる。老人は耳が遠くなっているので

あまりいらいらしませんが、若者はいらいらするのです。

だから元気盛りの子供はとしよりにあずけてもへいきだったらしいでちゅ

びちとかガチャとかの割れる音、引き裂くような音、ずしんと言うような重い音、これらは人間の本能として反応しやすいのです。

だから、ヘビメタや、太鼓や、ソプラノ歌手がいるのです、ただし、うまければ拍手喝采ですが下手ならただの雑音です。

By hamutaro
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そういえば、昔から集中したいときに周りで音をたてられると、全く手につかなくなります。人一倍音に敏感なのかも知れません。そうです、私には雑音なんですね。納得です。

お礼日時:2011/08/20 00:05

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