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A 回答 (6件)

私は三年前に障害者になったものです。



私はあまり、自分が障害を持ってると感じたことはありません。
たしかに不自由することはありますが、少しずつ個性に変わりつつあります。
最初は大きな壁のように障害が立ちはだかりましたが、少しずつ努力を重ねて障害の壁を乗り越えて、今では不自由を補えるようになりました。
障害は私は個性だと思います。障害で失うものもありますが、失って手に入れられるものもあります。
ですから、障害は障害者にとって大切な自分の一部だと思います。
少なくとも私は、そう感じています。
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聴覚障害の方との交流がある者です。

手話を学んだ時に、障害について、一次障害二次障害三次障害があると教わりました。一次障害とは、障害を持ったということ(例えば耳が聞こえなくなった。)二次障害とは障害を持ったことによって能力的にできないことがある、ということ(例えば聞こえないので音楽が聞けないとか)三次障害とは障害を持ったことによって他から受ける差別のこと(例えば聞こえないから教師の免許を取れないとか)。もし、この世の中聞こえない人ばかりで手話が共通言語だとしたら、聞こえる人が障害者となる。または社会の人すべてが障害について理解があれば聞こえないことで差別を受けるという障害はなくなる・・・というように、障害とは視点を替えていけば障害ではなくなってしまうものなのです。うまく説明できませんが、「本当の障害」というより、先生の求めている「障害」とはもしかしたらそこのところなのでは?と思ったのですが・・・深読みかもしれませんが、参考にしてください。
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 これはまた壮大な質問ですね。

広義から狭義の様々な定義があるということで。私は広義を。

 従来、WHOは障害を「機能障害(impairment)」「能力障害(disability)」「社会的不利(handicap)」の3つのレベルに分けていました。乱暴に言えば、足がない→歩けない→出社できない、という感じです。つまり、「障害は、生物学的レベル、個体的レベル、社会的レベルという階層からなる」としていました。

 この障害分類が改訂されて、「機能障害」「活動の制限」「参加の制約」が採用されました。つまり、「~できない」というマイナスイメージではなく、健康という尺度から、どんな制限があるのかに注目しています。

 障害って何でしょうね。答えになっていないかも知れませんけど。

 さて、「障害は個性」とは綺麗な表現だと思います。しかし、障害は社会参加を阻むからこそ、「障害」なのだと、私は思います。その現実を見ずして、WHOのいう機能障害のみに着目して「障害は個性」と安易に言い換えてしまう最近の風潮には、私は疑問です。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2003/11/05 17:21

こんばんわ、現在福祉系の専門学校に通っています。

まず障害について大きく3つに分かけられると思います。
1.身体障害
2.知的障害
3.精神障害

1の身体障害については、身体障害者福祉法という法律で、身体障害者については次のように定義しています。

「この法律において、「身体障害者」とは、別表に掲げる身体上の障害がある18歳以上のものであって、都道府県知事から身体障害者手帳の交付を受けたものを言う。」(身体障害者福祉法 第四条 身体障害障害者)ここでいう別表とは、身体障害者福祉法の中に様々な障害(例えば、腕がなかったり、足がなかったり)と様々な規定がされています。

2の知的障害者については、「知的障害者福祉法」という法律がありますが、その法律の中では知的障害者については定義されていません。しかし1990年に厚生省(現:厚生労働省)が行った「精神薄弱児(者)基礎調査」を実施した際には、「知的機能の障害が発達期(おおむね18歳まで)にあらわれ、日常生活に支障が生じているため、何らかの特別の援助を必要とする状態にあるもの」と定義し、また、「知的機能の障害」の判定基準として、「標準化された知能検査で測定された結果、知能指数がおむね70までのもの」としています。

次に精神障害については、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の第五条(定義)によると、
「この法律で「精神障害者」とは、精神分裂、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう」となっており、精神病の方や、アルコール依存症、薬物依存症の方も精神障害と言って良いでしょう。

障害とは一言で「○○である」とはいえませんが、私なりの考えを述べたいと思います。
(1)まず障害とは、誰にでも起こりうることである。
例えば、今現在身体的にも、精神的にも全く障害のない人が、ひょっとしたら明日、急に事故にあって何らかの障害を負ってしまうかもしれないし、また何年か先に加齢とともに何らかの病気をしてその結果、身体のどこかに障害を負ってしまうかもしれません。

(2)障害とは個性である。
先程、障害についての法律的な規定に触れましたが、例えば目が悪くてめがねを掛けている人、つまり目が悪いということもある意味障害なのではないでしょうか。めがねは目が悪いという障害をめがという道具によって、もしくはコンタクトレンズによってその障害をカバーしています。しかし一般に目が悪くてめがねをしていたり、コンタクトレンズをしている人を「障害者」とは言いません。では目が悪い人と、事故や病気で手足がない人とどこがちがうのでしょうか。私は特に大きな違いはないと思います。それらは一言で言うと「個性」ではないでしょうか。多くの人が「障害」というものに偏見や誤解を持っているがために、「目が悪い人は健常者で、手足がない人は障害者である」というように思うのではないでしょうか。

障害を持っている人も持っていない人も同じ人間です。今後は老人、子ども、健常者、障害者、全ての人が安心して幸せに暮らせる社会を作って行かなければならないと思います。また人間が一人一人違うように障害も人それぞれ違います。それらをしっかりと理解し、また障害とはどういうものかを理解すれば、より良い社会になっていくと思います。

長々となってしまいましたが、以上が私の「障害」に対する考えです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これでレポートを書き終われると思います。

お礼日時:2003/11/05 17:24

こんばんは


多分福祉の部分ですので#1の方の回答が近いとは思いますが補足を

少し前までは障害者と健常者と分けていました
しかし世の中で必ずしも簡単に線引きができるものではないです
そこで、最近ではこのような考えが一般的になってきたのではないかと思います
障害=ネックではなく、健康な人でも、たとえば指に怪我をして聞き手の指が一本不便でも生活には不便を感じましよね
つまり、障害とはどんな人でも今よりも不便を感じた部分だと思います
そして、そういったことに対して何らかの工夫や発想をもってバリアーを取り除くことがバリアフリーです
また、このバリアフリーも障害が無くてももっと便利になって、みんなが使いやすくなるという考えからユニバーサルデザインとなってきました
こういう風に物事も価値観がどんどん変わっているので、障害=○○とは言いにくくなっています
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この回答へのお礼

参考になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/11/05 17:26

まず、国語辞典を調べてみると…


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(1)物事の成立や進行の邪魔をするもの。また、妨げること。しょうげ。
「―が生じる」「大悪魔王と雖絶て其自由を―すること能はず/明六雑誌 6」
(2)身体の器官が何らかの原因によって十分な機能を果たさないこと。また、そのような状態。
「機能―」「平衡感覚が―される」「血管に―がある」
(3)「障害競争」の略。
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とあります。
福祉からの質問なので、答えは2番なのでしょうかね。
でも、大きな意味で【障害】と言えば、どれに関しても正常でない状態にしてしまう要因の事だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
参考になります。

お礼日時:2003/11/04 18:20

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