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元横綱の曙が相撲協会を辞めてK1に参戦するという話題で、テレビなどでは曙のことを「若乃花・貴乃花とともに大相撲人気を支えた」とか「若乃花・貴乃花と並ぶ人気力士だった」とか紹介されてたんですが、僕が思うに、曙自体の人気はそんなになかったような気がするし、また相撲ファンの間では曙の存在は若・貴に対しての「敵役」というイメージがあったのではないかと思ってたんですが、実際のところ、曙の現役時代の人気はどうだったんでしょうか。
「…だと思う」といった回答でもいいんで教えて下さい。

A 回答 (5件)

こんばんはー。



全国的な「人気」という点であれば「若・貴」には及ばなかったかもしれせんが、人気を「支えた」という点では「敵役」であれ貢献しておられたと思います。

確かに外国人であり、国技である「相撲」において「純国産力士」でありマスコミには扱いやすい「若・貴」と比較してハンデキャップはあったと思います。

しかし、引退されてからの行動や姿勢においては遥かに「若・貴」よりは国技である相撲の「横綱」としての品格や姿勢があったのではないでしょうか。

ご質問にありました「Kー1」参戦に関しても、表向きは「格闘精神が残っている」との事ですが、本音は最高位の横綱でありながら閉鎖的な世界において障害があったという事の現れであると思います。

マスコミによって「飾られた」称号よりも与えられた「敵役」としての使命を自分で認識し、「若・貴時代」といわれる(これも商業ベース)を演出した曙関の貢献度は非常に大きいと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/11/10 19:44

日本には昔から生前はどんな人でも死んでしまえば、故人を悪く言うなという暗黙のルールがありますね。


相撲協会を去る者に対してもそのように紹介するのは一種のマナーのようなもので、つきつめて考えれば社交辞令にすぎないと思います。
結婚式での新郎と新婦はすべて才子と才媛です、それを「オレはあのふたりを子供の頃から知ってるけど、頭は悪かったような気がするし、バカというイメージがあったけどな」などと文字通り受取ってマジに考えるとすれば、それは野暮というものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/11/10 19:43

私は嫌いでした。


あの目付き、首を狙うツッパリ、相撲で無いのでは?と思うほどです。
>「若乃花・貴乃花とともに大相撲人気を支えた」とか「若乃花・貴乃花と並ぶ人気力士だった」
『若貴と同じ元横綱』では地味ですよね?単にインパクトが欲しかったのでは?と思います。
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こんばんは。



確かに若・貴に比べたら、人気は劣っていたとは思いますが、個人的には(相撲はさほど詳しくないですが)曙の場合は人気と言うより、存在感が物凄くあったと思います。自分もba3x307さんと同様に、曙=敵役という印象です。
でも、どんなスポーツでもそうですが「敵役(ライバル)」がいてこそ盛り上がるのではないでしょうか。野球で言えばONに挑んだ星野仙一。阪神対巨人。が、パっと頭に浮かびます。どちらも人気があると思います。
敵役って、その時(現役)は相手から憎まれても、引退したら愛される存在で、そう言った意味で考えれば、曙関も人気力士だったと思います。

実際、自分も若・貴よりも曙の方が好きでした。若貴に負けてたまるかと言う姿勢が特に。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/11/10 19:44

こんばんは。


確かに貴に比べると、とは思いますが、
人気力士といって差し支えないでしょう。
彼がいなければあのブームはあり得ませんでした。
一時期の彼は本当に強かったですから。
「人気を支えた」という表現も違和感ありません。

ただ、その後の長期低迷(これは貴も同じ)、結婚騒動(これも貴も同じ)で、妙なキャラになってしまったような気はします。

結果的に元小錦(KONISHIKI)の方が人気者というのは皮肉な話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/11/10 19:44

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