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中国の唐の辺境統治、節度使と潘鎮、都護府の違いは?
Wikipediaなどで調べても、それぞれの関係性がいまいちわかりません…。
潘鎮のリーダーのことを節度使というのでしょうか。都護府って潘鎮とどう違うのでしょうか…。詳しい方教えてください。

A 回答 (1件)

藩鎮というのは、日本語というか日本史的に言うと、「大名」みたいなもの。


日本史でも守護大名やら戦国大名やら近世大名やらいろいろなスタイルがありますが、要は「地方を武力を持って統治しているヤツ」

で、初期の唐は中国本土から外に侵略していったので、現地の勢力を見張る軍事力が必要。
というので設置されたのが都護府。
玄宗の時に、中国本土内を中心に置かれたのが節度使。
どちらも、「地方を武力を持って統治しているヤツ」だから、本来の役職名は違っても、藩鎮ということになります。
玄宗が中国本土内に節度使をおいたのは、玄宗が唐の再建をした皇帝だから。
再建をするには武力で見張る必要があるので、中国本土内にも節度使をおいたわけです。
このへんの構造は、室町初期に守護が南朝方を制圧するために足利家によって任命され、いつの間にか現地の武力勢力として独立化していったのに似ています。
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この回答へのお礼

守護が大名になっていった感じですかねー。わかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/14 15:47

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