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文明は何が目的で進歩していくんですか?

文明は絶え間なく進歩していますが、それによって最終的に何を目指してるんですか?

少なくとも文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係のように思えます。

例えば昔なら車や飛行機、鉄道の発明。最近なら情報技術の飛躍的発展など。

文明が進歩すると人間の生活が便利になり余暇が増え、幸せになるかというと、そうではなく、ただ単に生産効率を高めているだけですね?昔なら10日かかっていた仕事を一日で、あるいは一時間で、という風に。
昔に比べて一人当たりのGDPが増えてるだけで、生活の快適さや幸福感とは何の関係もないように思われます。

文明の進歩は何を目的に行われているんでしょうか?

A 回答 (8件)

Q、文明は何のために進歩していくんですか?


A、人類が存続していくために。

人間と犬や猫との決定的な差は、自然を自らの存続のために高度に利用している点です。
この人間の自然への働きかけは、人が人として生きる基本的で永久の条件です。
こういう人間と自然との関係を基礎に文明が生まれ文明が発展してきました。

>少なくとも文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係のように思えます。

そうです。
人間社会の歴史を振り返れば、<文明の進歩と個々人の幸せとは無関係>と断言できます。

例えば、自動車産業などは現代文明の象徴です。
日本の自動車産業のトップメーカーは、実に莫大な利益を上げ続けています。
ですが、その工場で働く派遣労働者は、彼がやっと生存できる賃金した手にしていません。
少なくとも、1100万人のワーキングプア層にとっては<個々人の幸せとは無関係>と断言できます。

>昔は電話なぞ村に一台しかなかった。
>しかし、今では派遣労働者だって携帯電話を持っている。
>十分に文明の恩恵を得たいるし、その事に感謝すべきだ。

などと言う議論は、現代日本の自動車産業の矛盾・闇から目を背けたものです。

文明が進歩すれば、その生活様式が変化するのは当たり前のことです。
ですが、万人に等しく<生活様式の変化=幸福>という等式が成立する訳ではありません。
<ブラウン管TVから液晶TVへの変化>が、何か幸福をもたらしましたか?
否、否、否、断じて否です。
今や、どこの生活保護家庭だって液晶TVはありますよ。
つまり、<文明の進歩による生活様式の変化と個々人の幸せとは無関係>と断言できます。

ところで、<文明の進歩と個々人の幸せとは無関係>という文明と個との矛盾を正すのも文明。
かっては、領民が領主に対して文明と個との矛盾が存在していました。
それは、永遠不変の真実かのように思われていました。
しかし、人類はそれを克服して近現代に突入。
この歴史を考えれば、私らが目にしている矛盾もいずれは正されることと思います。
人類が存続していくために。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。おっしゃる通り。携帯やテレビがあるから昔の人より幸せだというのは、単に生活様式の変化を指摘してるだけの議論だと僕も思います。しかし文明の進歩と個人の幸せがイコールにならない矛盾がいつか解消される日が来るのでしょうか…。

お礼日時:2011/11/08 21:54

>文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係



幸福の概念が異なれば当然そうなります。
>文明が進歩すると人間の生活が便利になり余暇が増え、幸せになるかというと、そうではなく

この感覚は貴方が間違っています。
>人間の生活が便利になり余暇が増え 
われわれはこれを普通、しあわせの指標にしているのです。

文明の進歩は普通、長く生きられるようになったとか、遠くまで早く行けるようになったとか、風呂を労力少なく浴びれるようになったとか、歴代のハリウッド映画を廉価で気ままにみれるようになったとか、夏も冬も快適に過ごせるようになったとか、そんなことを指すのですが、それが「幸福感」につながっていない人間なら、進歩はないとかんがえられるのも当然ですが、。
多数の人はそれらを目指すことを幸福と規定し、現在もそれらを追求しているのです。

しかし、それは人間という生物の種の進化とは無関係だと思います。むしろ、文明の進歩は生物としての人間の退化につながっているという人もいます。人間は意識しないところで自分たちの種の進化に寄与しています。それはDNAのレベルでの事象です。そして、それは現在の人間の意識している目的のようなものとはベクトルが異なっているかもしれません。

質問者樣が書かれる、個の存在よりも種の存続のために世界が動いているということは生物としては当然のことですが、文明というものが果たしてその方向なのかは、はっきりいってわかりません。人間が利己主義的に意識できることはそのレベルにとどまるので、それ以上のことは確実にはわからないと言っていいと思います。あるいは人間の文明の進歩は最終的に絶滅へ向かってプログラムされているのかもしれません。はっきりいってそれが人間自身の利己的な目的を無視し、制御の範囲を超得ていることは確かです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大事なのは幸福の定義ではなく、人間が進歩を止める事が出来ないようにプログラムされているのは何故か、その最終目的は何かと疑問を感じたのですが、「分からない」というのも1つの答えで結構だと思います。

お礼日時:2011/11/09 22:26

No.4です。



>現代社会はそのような利器を駆使して生活するのが前提となっているので。

先ず、間違っています。「駆使」するのは「前提」になんてなっていません。「無くても困らない。無くても十分生活していけるし、幸せに暮らせる」ものも含まれています。
(大体、「駆使」の意味を分かっていますか)

「それらがないと、生きていけない」
ならば、貴方にとっては「それらが身近にある」事は「前提」でも「当たり前」でもなく、「有難い」「幸せ」なのです。又、

>もし時代ごとタイムスリップできるのであれば、そのような利器がなくても生きていけると思います。

斯様な質問(愚問)をし、「ああ言えばこう言う」程度の愚にもつかない返答をしている貴方には、「無理だ」と断言します。もし、「生きていける」人ならば、この様な質問自体しないからです。

貴方の考え方は、即物的に過ぎる上に短絡的です。


貴方自身、自分は何か哲学的な疑問を発しているかの様に感じておられるか知れませんが、ただ単に、

「自分で自分を幸せにする力が無い」
「自分の内(心)に確固たるものが無い」
「自分自身の力で、自分の内(心)を満たす事をしていない」
「精一杯、一所懸命生きていない」
「自分で勝手に不幸せぶっている」
「自力で幸せになろうとしていない」
「というよりも、自力で幸せになる気がない」
「何も努力せず、ただ不平不満を溢している」

だけの人に他ならないのです。
大体、

「何が幸せか、何に幸せを感じるかは、個人がそれぞれに定める事」
「幸せは、人それぞれ」

という「大前提」を無視しています。

「文明の発達によって、『全ての個人』が幸せを感じられない」
「文明の進歩と『全ての個人』の幸福に関連性がない」

という事を「証明」しなければ、貴方の質問文は、

「僕は幸せじゃありません。便利な物が沢山あって、苦労せずに生活出来るけど、何か物足りなくて満たされない。

だって、誰も僕を愛してくれないし。

どんなに文明が発達しても、僕を愛してくれる人は簡単に現れない。寧ろ生活が便利になり過ぎて、結婚が難しくなっちゃった。
もっと不便な時代なら、誰でも当たり前に結婚してたのに。
文明が進歩しても、僕に『愛してくれる人との生活』という幸せは与えてくれない。

だから、文明の進歩は僕個人の幸福と関連性がない」

という本音が隠されているかの様です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。僕はまず、文明の進歩が個体の存続より種の存続のための営みという側面にに着目し、その最終的なゴールは何か、何を目指しているのかなという素朴な疑問を質問しました。

お礼日時:2011/11/09 07:52

人間の遺伝子DNAがそうさせている!



人間も棲息する,百数十億光年の彼方まで続く,この大宇宙は,エントロピーの増大に向かい,混沌の世界へと進んでいます.

50億年もたてば地球も消滅します.人類の文明など,はじめから無に等しいのです.

人類の文明の進歩は,一時的な現象で,やがて滅びる運命にあります.

文明の進歩の目的などと言うものはありません.

人間一人一人が,食うための行動・出来ること・好きなこと・やりたいこと,などをしているうちに,こんな世界が出来あがってしまっただけです.

そして,全てが滅亡に向かっています.花火のように,パッと輝いて,スーッと消えます.

どんな文明でも,パッと輝いて,スーッと消えるのです.過去の人類の文明が,いい例でしょう.みんな,パッと輝いて,スーッと消えています.

何の目的で進歩したのかを語らずに,みんな消えました!!

みんな消えて行ったんです.エジプト文明も・・・.

我々も,やがて,消えて,バラバラな原子に戻ります.

誰も止められません・・・・・.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。そうなんですよね。生物は遺伝子の命令に従って動いてるだけ、という面が確かにあると思います。でも文明の進歩を見ると一定方向を目指して動いているとしか見えないのですが…。

お礼日時:2011/11/08 21:43

>文明の進歩は何を目的に行われているんでしょうか?



「人間個人の幸せの追求」ですね。

>少なくとも文明の進歩は人間個人の幸せとは無関係のように思えます。

そう思う・思えるのは、貴方(若しくは、貴方の様に考える人)が「傲慢」だから、或いは「欲深い」からです。

人間の欲望(幸せの追求)には限りがありません。

今まで持ち得なかったものを手に入れると、暫くは感謝し満足し喜んでいますが、

早晩、感謝や有難みを忘れ、「もっと」「もっと」となるものです。

(だからこそ、「足るを知る」という言葉があるのですが)



先の回答者さんも書かれておりますが、

例えば、貴方が「お風呂に入りたい」と思ってから実際に入れるまでに、どの位の時間が掛かりますか。

蛇口をひねればお湯が出て、浴槽を満たすまで10分か15分もあれば十分ではないですか。

貴方にとってそれは「当然の事」で、敢えて「幸せだ」「便利だ」「助かる」と感じる事のないものなのでしょう。

しかし、それは、

「外の井戸から水を汲み上げてバケツで何往復もして浴槽を満たし、風呂釜に火を起こし、薪をくべて(薪割りは前もってしておく)、時々燃え具合を確認し、何度も薪を継ぎ足して、浴槽いっぱいの水がお湯になったら、お風呂に入れる」
(所要時間:水汲み(10l×12回=120l)30分+風呂焚き1時間=1時間半。+日中に薪割り1時間)

という「ほんの数十年前には、日常の事だった」事を経験していないからです。

子供の頃に、水の入った重いバケツを何度も運んで、斧を振って薪割りをした人からすれば、

「蛇口をひねるだけでお湯が出る。なんて有難い事だろう」
「こんなにすぐにお風呂に入れるなんて、助かるなあ」
「楽してお風呂に入れるなんて、幸せだ」

等と「文明の利器(文明の進歩)」に感謝するでしょう。
(お年寄りの方達は、実際に感謝したそうです)

電気にしても、また然りです。

貴方にとっては、「電気があるのが当たり前」「だから、わざわざ有難がらないし、幸せだとも思わない」のでしょう。

>(文明の進歩は)生活の快適さや幸福感とは何の関係もないように思われます。

それでは今すぐ、

「電気」「ガス」「インターネット」「パソコン」「テレビ」「冷蔵庫」「レンジ・オーブン」「電車」「自動車」「自転車」「コンビニエンスストア」「缶詰」「レトルト・冷凍食品」「インスタント食品」「輸入野菜・果物」「雑誌」「書籍」「石油ストーブ」「温風ヒーター」「エアコン」「こたつ」「太陽光発電」「携帯電話」「ゲーム機器・ゲームソフト」「映像作品」

等「文明の進歩の結果」を一切合切全て排除した生活を送って下さい。「文明の進歩は、生活の快適さや幸福感とは何の関係もない」と思うのなら、これらは「貴方の生活には一切必要でないもの」の筈であり、「無くなっても全く困らないもの」の筈です。

貴方の疑問は、そういう事ですよ。


それと、

>人間の生活が便利になり余暇が増え、幸せになるかというと、そうではなく

そんな事はありません。それは「人によりけり」「人によって違う」事です。

ただ、

「強欲」
「無能」
「自分で考えて行動出来ない」
「自分の考えというものが無い」
「自分の中に知恵や知識、経験の蓄積が無い(少ない・足りない)」
「自分の人生に対する長期的展望を持っていない」
(「持てない」というのはただの言い訳で、事実は「持たない」)
「学ぶ事、働く事、鍛える事が好きではない」

という人ならば、「生活が便利になり、余暇が増えても、幸せにならない」でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに電気、ガス、インターネット…等がなければ生きていけません。現代社会はそのような利器を駆使して生活するのが前提となっているので。もし時代ごとタイムスリップできるのであれば、そのような利器がなくても生きていけると思います。

お礼日時:2011/11/08 21:35

>昔に比べて一人当たりのGDPが増えてるだけで、生活の快適さや幸福感とは何の関係もないように思われます。



これに関して有名な生物学者でエッセイストの故スティーブン・グールド教授はエッセイの中で、以下のように述べておられます。

「墓地に行ってご覧なさい。1940年代以前の墓碑銘にいかに幼児の比率が多いか。(米国の例です) 古き良き昔などというものは存在しませんでした。抗生物質や先進医療が発達する以前の人間は非常に簡単に死にました。特に乳幼児の死亡率は悲惨なほど高く、人口増加が維持された背景に母親は数人の子供を産み、半分が繁殖年齢にまで達すれば御の字でした」

いま、我々はもう第二次世界大戦の前の世界の事を忘れています。
結核は「死病」であり、平均寿命は五十歳、主たる産業は農業で女の子はしばしば身売りさせられて売春婦になりました。
次男以後の男子はとびぬけて頭が良くても中学にも行けず、庄屋などの富農の子かパトロンが居なければ大学などへ行く事は夢のまた夢でした。
ですから次男以後の男子が不自由なく暮らすには軍人になるしかなかったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに先進医療のおかげで平均寿命は伸びました。しかし、医療が進歩するほど患者の苦悩も増えている、と僕には思えてなりません。昔なら不治の病ということで諦めていた命も、医療の進歩のために、手術だ、入院だ、抗癌剤だ、臓器移植だ何だのと、莫大な医療費と肉体的苦痛と精神的負担を患者と家族に負わせている現実を見るにつけ、本当に昔の人より現代人の方が幸せと言えるのかなと疑問を感じています。

お礼日時:2011/11/08 21:24

さぁ~


なんだろうね~

その質問は
誰に何の得があって人は生きてるの
並みの難しさだよね~

確かに文明の進化によりメリットは増えるけど
それ以上にデメリットが増える
殺人犯罪、人身売買、権力犯罪がいい例

まぁ
本当の幸せなんてだれにも分からないしね

家族が居て、愛する人が居て俺は幸せだ
的なあれとは違う意味で

まぁあれじゃないかな?
本当の幸せが分からないから探しているような物じゃないかな?

文明の進化が本当の幸せに繋がるとは限らないけど可能性があるならやるべき
的なあれの意味で
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。そうですね、答えが分からないから追求している、というのはある意味正論だと思います。

お礼日時:2011/11/08 21:09

生活は快適になっていると思いますが。


原始時代の人からしたら毎日ご飯が食べられて明かりがあって気温の調整が出来る。
これだけでも十分快適になっていますが。
それと幸せが必ず結びつくとは思えませんが、そう考える余裕があるというのは十分幸せだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。明かりがあって気温の調節ができるのは確かに有り難いですが、そのために昼夜なく働かされるような環境が出来てしまったのも事実です。

お礼日時:2011/11/08 21:06

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