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日本は何故アメリカを攻撃する必要があったのですか?
というのも日本が必要としていた南方資源、たしかにアメリカ領フィリピンがありましたが、そのほかのオランダやイギリスの植民地だけで十分だったのではないかと思います。
なのでわざわざアメリカに宣戦しなくともイギリス、オランダ、オーストラリア(イギリス)のみ侵攻すればそもそもの当初の目的である資源の確保はできたと思います。
大国のアメリカがいないだけで戦況は大幅に違っていたと思いますし、ヨーロッパでドイツが暴れていたのでイギリスも手一杯ですし、オランダはとっくの昔に本国がドイツに占領されてますし、当時のオーストラリア軍なんて弱くて相手にもならなく、楽勝だったと思うのですけど。
それともフィリピンには他の東南アジアの諸島にはない重要な資源があったのでしょうか?
もしくは日本がイギリスに宣戦するとアメリカも自動的に日本に宣戦するという英米の何かしらの条約があったのでしょうか?

そしてもっとよくわからないのがドイツのソ連侵攻です。
初めからドイツはソ連を狙っていたというのは聞いたことありますが、イギリスはまだまだ健在で十分戦力がある状況にも関わらず、東西挟み撃ちになる危険を覚悟でわざわざソ連に侵攻したのは何故ですか?
普通に考えても、ソ連侵攻前はソ連とドイツは共にポーランドに侵攻するなど同士的な関係だった上、とりあえず目の前の敵(イギリス)を葬り去ってから次の標的(ソ連)へと移行するのが普通の考えだと思うのですが。
ソ連領内にはドイツにとってどうしても必要な資源があったのですか?


詳しい方回答お願いします。

A 回答 (8件)

日本について・・・



英米の間に参戦を約束する条約はありませんでした。
オランダ、イギリスとだけ戦うという構想も日本軍部の中にはありました。
陸軍参謀本部の中には、迅速にアジアにおけるイギリス、オランダの主要地域を占領しアメリカの参戦する機会を与えなければ、イギリス、アメリカの分離は可能という判断がありました。
陸軍の当初の南進計画では、まずイギリスのマレーシア領を攻撃、占領し、後に蘭印を攻略しようと計画していたくらいです。
しかし、海軍内ではアメリカ、イギリスの歴史的関係とアジアにおける権益の共通性を考えれば、イギリスに宣戦布告すれば必ずアメリカもイギリスに味方して参戦してくるだろうという英米不可分という考えが支配的でした。
また、すぐにアメリカが参戦してこない場合でも、いずれは日本とアメリカは戦う事になり、その時では日本は不利な体制に置かれるという判断でした。
日本がイギリスのマレーシア、蘭印などを攻略しても、その日本との間の海上輸送路の真ん中にフィリピンがあり、結局、日本の海上輸送路が脅かされます。
アメリカは艦隊の大幅な増強計画を打ち出していましたし、フィリピンのアメリカ軍も増強が予想されました。
そのため海上輸送路という生命線を脅かすフィリピンを残して、アメリカと戦いに入るより、まず先にフィリピンを攻略した方がよいという判断がなされました。
結局、この英米不可分というイギリスと戦えばアメリカも必ず参戦するだろうという判断が日本ではなされ、初期に有利な態勢を得るためにアメリカへの開戦となり真珠湾攻撃がなされました。

ちなみに開戦前の十一月七日に開かれたアメリカでの閣議においてルーズベルト大統領が、「日本が太平洋でイギリス、オランダに攻撃を加えた場合に、我々が日本に挑戦したら国民は政府を支持するだろうか?」と閣僚達に問いかけており、その時の閣僚達の返事は「イエス、その際は正義の名分が成立するでしょう」という返事であり、閣議の決定でもありました。
つまり、アメリカ政府としては、日本がアメリカ抜きでオランダ、イギリスに開戦したとしてもアメリカ政府は日本と開戦するつもりがあったという事であり、日本の判断した英米不可分という判断は間違っていなかったという事になります。

ただし、日本がイギリス、オランダに攻撃を限定していればアメリカは参戦しなかったかもしれないという可能性を言う人はアメリカにもいます。アメリカ陸軍で戦史部長だったK.R.グリーンフィールドはアメリカが参戦しない可能性があったと主張しています。


ドイツについて・・・

質問者さんの仰るとおりで、ヒトラーの目的は最初からソ連でした。
ヒトラーはレーベンスラウム(日本語で生存圏、または生活圏)の獲得という思想を持っていました。
これはヒトラーの自著「我が闘争」にも書かれている事ですが、膨張するドイツ民族が生活するには新たな土地、農地と資源が必要であり、それは東方に住む劣等人種のスラブ人から奪いとろうというものです。
これはナチ党の党綱領であるナチ綱領二十五条の第三条にも書かれており「食料供給とドイツ人の過剰人口移住のための生活圏確保」とあります。
また、この生存圏確保のために第二次世界大戦勃発前にヒトラーは、イギリスと同盟するという構想も持っていました。
1937年に駐英ドイツ大使のリッペントロープとイギリスのチャーチルが会談しており、この時、リッペントロープはチャーチルに英独同盟を結びたいと言っています。リッペントロープはチャーチルにドイツは増大する人口のためにレーベンスラウムが必要であり、ポーランド、白ロシア、ウクライナが必要である。ただドイツがイギリスに求めるのは東ヨーロッパにおける自由であり、干渉してほしくない。そうしてくれればドイツはイギリスの防衛の役に立つという事を言っています。
チャーチルはこの提案を拒否しました。
ドイツが後にフランスに侵攻したのは、ドイツが東方に大きな領土を獲得する事を英仏が黙って見てはいないだろうから、先に叩いて後ろを安全にしようという事です。

ソ連より先にイギリスを葬りさってからという質問者さんのお考えはご尤もな事であり、対ソ戦の話がヒトラーから出た時、空軍総司令官のゲーリング元帥と、海軍総司令官のレーダー元帥の二大トップが揃って反対しています。
しかし、ヒトラーは対英戦はいずれアメリカが参戦してくるので対英米戦になるから、その時のためにソ連のコーカサスの油田地帯の石油の確保が必須うであり、また、ソ連の国力を強める産業五ヵ年計画が達成される前にソ連を攻撃するべきだと主張し、さらには対ソ作戦は二、三ヶ月で終わるだろうと言って、反対派を説得しています。
まあ、あの時のイギリスの状況ではイギリスがヨーロッパ開放のために上陸してきても追い落とせるという自信もあったかもしれません。イギリス単独ではフランス解放が無理なのは明らかでしたから。

つまり、ウクライナの穀倉地帯、ドネツ盆地の工業地帯、コーカサスの油田、そうしたものがドイツ民族にとって必要だとヒトラーは考えており、しかもその戦いは短期に終わり、対英戦は後回しと考えていたようです。

なお、対ソ戦については、6月23日に開かれた日本の参謀本部部局長会議で、岡本少将が二、三ヶ月でドイツが勝利し戦争終末となる公算が大きいと述べていますし、イギリス軍ではモスクワ、ウクライナの占領を三週間から六週間と予測し、アメリカでは陸軍長官が軍の主要幕僚と協議した結果、ルーズベルト大統領に最小で一ヶ月、最大で三ヶ月と報告しており、必ずしもヒトラーやヒトラーの考えに賛同するドイツ陸軍の将軍だけが、対ソ戦が短期に決着が着くとは考えていなかったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変参考になりました。

非常に納得しました。

お礼日時:2012/01/26 14:11

皆さんの回答で概略は尽されているようです。



その他に次のサイトも色々と隠されていた事柄について記されており参考になります。

http://www.anti-rothschild.net/truth/index.html
日本人が知らない恐るべき真実
(左側の お金の仕組み、金融の歴史なども辿って見て下さい)

http://www.anti-rothschild.net/truth/part3/find. …
==>
戦争とアメリカの嘘
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060722

真珠湾の謀略
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060723

ヒットラーは本当に“狂人”だったのか?
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060604

ホロコーストはなかった!?
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061213

戦争は誰が何のために起こすのか~日本編~(1)~(3)
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060821
.....
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

面白そうなURLですね、後でじっくり読んでみます。

お礼日時:2012/01/26 14:06

太平洋戦争の動機については、他の回答者さんの答えでよろしいかと思います。

独ソ戦についての動機は資源の確保と言うよりも、ナチスの思想、反共産主義、その核たるソビエトのボルシェビキ撲滅が第一目的です。資源については、独ソ戦前は独ソ不可侵条約により、石油の輸入があり、占領地のルーマニアで石油資源を確保し、国内では人造石油の製造をしていました。鉄については、スエーデンから輸入していました。ただ戦争中期から戦線が拡大し食料等の現地調達が第二目標になったみたいです。イギリスについては、ヒトラーは二面戦争を避けたいため、話し合いで解決しようとしましたが、イギリスは応じませんでした。これを人のケンカに例えると、周りの仲間のボコボコにして「やい!イギリス、俺は強いんだぞ!ボコボコにされたくなかったら言うことを聞け!」といった所でしょうか。本当の相手はソビエトだったので、「ヨーロッパを共産主義から守るための戦争」と言えば話に応じるだろうと思ったけど、チャーチルは「どっちも潰れろ」と思っていたので結局話しに応じませんでした。友好国のスペインは参戦してくれず、しょぼいイタリア軍では逆にイギリス軍にやられてしまい、結局二面戦争になってしまった訳です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変参考になりました。

ドイツがソ連に侵攻した時に、日本もソ連に侵攻すれば現在の世界はどうなっているか気になりますね。

お礼日時:2012/01/26 14:03

太平洋戦争については、おおむね他の方のおっしゃるとおりで。

当時の日本は石油の80%以上、くず鉄のほぼ100%がアメリカからの輸入に頼っていました。アメリカからの輸入をストップされると、国家として存続することそのものが危機に立たされたのです。

んで、ヒトラーの対ソ戦についてですが、これについては諸説ありますが、私は他の方が書いていない説を書きたいと思います。
そもそも、ヒトラーにとって最大の敵がスターリンでした。そして、スターリンにとっても最も危険な敵がヒトラーでした。その点において両者は不倶戴天の関係であったといえます。
そもそもヒトラーは最初からソ連狙いです。しかし、ソ連とフランスが親しかったのでもしヒトラーが対ソ戦にかかってしまったらその後背をフランスに突かれる心配がありました。そこで、ヒトラーは「先に」フランスを片付けたのです。あくまでヒトラーにとって英仏は「裏庭」の話だったのです。だから、ヒトラーは同じアーリア系というのもあってイギリスに対しては常に和平の道を探っていました。ダンケルクでイギリスを追い詰めなかったのもイギリスとの和平を見据えていたから、という説もあるくらいです。
できれば空襲でイギリスを屈服(和平条約に結び付ける)するところまでもっていきたかったのですが、バトル・オブ・ブリテンに敗れて対英戦の長期化は避けられなくなりました。

さて、そうなるとヒトラーとして気になるのは今や背中を向けることになったソ連の動向です。当時独ソの間では不可侵条約が結ばれていましたが、それを信じるほどヒトラーもスターリンもお人よしじゃありません。ヒトラーはユダヤ人を根絶やしにしようとし、スターリンは自国民ですら粛清しまくった人です。他人を信用するなんてことはしません。
「実はスターリンはドイツ先制攻撃を狙っていた」という説があります。ドイツのソ連侵攻作戦でソ連軍は大敗しますが、そのなかで「謎」とされたのが当時のソ連軍が極端に国境線沿いに展開されていたことでした。あれだけ広い国土を持つソ連では、普通は後背地にある程度の予備部隊を置いておくのが軍事的な常識です。ところが、バルバロッサ作戦のときのソ連軍は後方に予備部隊がほとんどいなかったのです。なぜ、こんなに「前のめり」の展開をしていたのか。その真実はもはや「謎」としかいいようがないですが、こちらから攻め込むことを考えてたから、というのも一考の余地はあると思います。
なにしろ「状況証拠」はいっぱいあります。1939年、満州国と蒙古国との国境で日本軍とソ連軍が大規模な軍事衝突を起こします。いわゆる「ノモンハン事件」です。このとき、ソ連軍は機甲部隊を中心に大規模な戦力を投入しました。それまで細かい軍事衝突は発生していましたが、ソ連軍はノモンハン事件では驚くほどの大規模な戦力を投入したのです。なぜそれほどまでに大戦力を投じたのか。それは日本軍に「ソ連軍おそるべし」と思い知らせるためでした。そしてそれは成功し、日本軍は「ノモンハン・ショック」で対ソ戦に対し慎重な姿勢をとるようになります。どうもスターリンは「ここらで日本に一撃を与えてその腰を重くさせよう」と考えていたようで、それは成功したといえるでしょう。
また、独ソ不可侵条約の後、ソ連はドイツに対して大量の鉄鉱石などの物資を供与します。不倶戴天の敵であったはずのヒトラーに対し、気持ち悪いほどの友好的態度です。側近でさえ粛清するスターリンがヒトラーにそんなに愛想よく振る舞うなんてもう「なにか腹にいちもつ考えている」と返って怪しいくらいです。
ソ連とドイツでは、国家の規模はソ連のほうがはるかに上です。もしドイツがソ連から侵略されたら、苦戦するのは免れません。独ソ国境線からモスクワとベルリンとどっちが近いかなんてのは一目瞭然です。ヒトラーは「いずれヤツ(スターリン)はドイツがおとなしくしても攻めてくるだろう」と考えていたと思いますよ。「やられる前に、やる」と考えても不思議はなかったと思います。

ヒトラーにとっては、ソ連(劣等民族ロシア人)こそ真の敵、イギリス(ドイツと同じアーリア系白人)は行きがかり上戦うことになってしまったが、本当は近い民族である友人である、というのが基本的な考えです。ソ連との友好なんて、ネット右翼が中国韓国と友好関係を結ぶみたいなもんですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変参考になりました。

ソ連とドイツは当時宿敵の間柄だったのですか。確かにそのような関係では共存はできなかったでしょうね。

お礼日時:2012/01/26 14:00

米国がどうしても戦争をやる必要があり


その策に日本が乗ってしまったのです。

当時の米国は、1930年大不況の影響で
経済はどん底でした。
株価は1/10,GDPは半分になり、
失業者は1200万人にものぼり、暴動が
発生しました。

背後には、社会主義革命の足音がひたひたと
迫ってきます。

ルーズベルトはニューデール政策を進めましたが
効果はさっぱりです。
このままでは体制が崩壊していまいます。
それでどうしても戦争をやりたく、ハルノート
ABCD包囲網などで日本を挑発したのです。

そのおかげで、戦争後、米国経済は見事に復活
しました。

尚、相手を挑発して、それに乗った敵をたたく、てのは
米国が得意とする手法です。
これは、米国が大衆民主制の国家のため、戦争をやる
には、国民を煽る必要があったためだと思われます。

★米国の戦争の特徴

○テキサス独立戦争
アラモの戦い 1836年2月23日 - 3月6日の13日間
守備隊が全滅し、世論を激高させた。

○米墨戦争 1846年ー1848年
米国が挑発したのが原因で戦争になった。

○米西戦争 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没。
米兵266名が死亡。
スペインの仕業だ、ということになり世論が激高。

○米比戦争 1899-1913
1899 2/4 フイリピン兵が射殺された事件が発生。
米は、これをフイリピンによるマニラ攻撃と発表。
戦争の発端となりフイリピン人60万を虐殺。

○第一次大戦
ルシタニア号事件が発生。
ドイツ潜水艦が沈没させ、128名のアメリカ人が死亡。
ドイツに対する世論が急速に悪化、これが2年後の
アメリカ参戦のひとつの伏線となった。

○第二次大戦 真珠湾攻撃

○ベトナム戦争 トンキン湾事件
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入。
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを
暴露。

○湾岸戦争 1990年
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーは
「介入するつもりはない」と発言。
これを信じたフセインがクエートを侵略したが
米国軍により撃退される。

○アフガン戦争、イラク戦争と911事件。


これらの中で、間違いないとされているのが、
ベトナム戦争と、湾岸戦争。
他は疑惑だけで、真偽は不明。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

アメリカは戦争が大好きなのですね。表面上は平和主義ですが、相手に先に攻撃をさせるように工作するという辺りはなんとも手の汚いやり方だと思います。

お礼日時:2012/01/26 13:56

 日本の対アメリカ攻撃については,アメリカが当時日本への石油輸出全面禁止という厳しい経済制裁を発動しており(これにイギリスやオランダも同調していました),何とか禁輸措置を解かせなければこれ以上の戦争を遂行できないばかりでなく,日本経済も破滅的な影響を受けるという状況にありました。


 普通に考えれば外交交渉で日本が譲歩するしかなかったのですが,当時の日本政府はそのような選択をせず,太平洋で中国を支援しているアメリカ軍やイギリス軍に奇襲で大打撃を与えれば,日本に有利な条件で経済制裁を解かせることができると考え,アメリカ・イギリスとの開戦に踏み切ったわけです(実際,開戦後半年くらいの戦況は,日本側の有利に進んでいました)。もっとも,実際にはアメリカ・イギリスとの有利な和解を勝ち取ることはできず,その後どうなったかはご説明するまでもないでしょう。
 当時の日本は,アメリカと戦わなければ戦争に勝てるなどという状況ではなく,むしろアメリカ主導の経済制裁を何とかしなければボロボロになるという状況に追い込まれており,そのような戦局を打開するために破れかぶれで開戦したというのが実情のようです。
 なお,正式な条約があったかどうかまでは分かりませんが,当時のアメリカとイギリスは対ドイツ・対日本の関係で明らかな共闘関係にあり,日本がイギリスに宣戦布告すれば,アメリカやオランダからも宣戦布告を受けることは当然予想される状況にありました。
 ドイツによる対ソ連攻撃の動機も似たようなもので,イギリス軍にどうしても勝てなかったヒトラーは,イギリスがアメリカとソ連の参戦を当てにしていることから,電撃作戦でソ連を破ればイギリスは講和を求めてくると考えていたようです。また,日本と同様石油資源の確保に頭を痛めていたナチス・ドイツにとっては,ソ連が領有するコーカサス地方の石油資源獲得も大きな魅力だったようです。こちらも開戦当初はドイツ軍が優勢で,死者は明らかにソ連軍の方が多かったのですが,ドイツはソ連軍というよりもソ連の冬に勝てず,結果的に敗北することになりました。
 ヒトラーの考えた作戦というのは,いずれも最初の一撃にすべてを賭ける電撃作戦で,結果的には成功したフランス侵攻なども,作戦が失敗すればその時点でナチス・ドイツの運命は終わりという危険極まりないものでした。第一次世界大戦の敗戦国であり資源も乏しかったナチス・ドイツが,アメリカやイギリスなどの大国と対等に勝負するには危険なギャンブルを続けるしかなかったのですよ。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変参考になりました。

ドイツも日本も切羽詰っていたのですね。

お礼日時:2012/01/26 13:53

ざっくり言うと、日本はアメリカの挑発に乗ってしまった。


アメリカは日本を攻撃する大義名分が欲しかった。
そして日本はまんまとアメリカの挑発に乗ってしまい、
真珠湾を攻撃します。
軍艦を沈めましたが、空母は無傷でした。
これで日本を攻撃する大義名分を得たアメリカは日本に
攻撃するのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かにアメリカの挑発にのってしまいましたね。残念な事です、当時の軍上層部はわからなかったのでしょうか・・・

お礼日時:2012/01/26 13:51

まず太平洋戦争ですが


当時日本は中国と戦っていました。しかし予想以上に戦争が長引いてしまい、日本は資源の不足や軍事費の増大に悩まされることになります。
やがてドイツがフランスを降伏させたので、いまのベトナム・カンボジア・ラオスにあたるフランス領インドシナが空白地同然になりました。
そこで日本は中国の補給線(いわゆる蒋介石ルート)の切断と侵略拠点の確保を目的としてインドシナへ進駐します。するとフィリピンに植民地を持っていたアメリカはこれを警戒し、いわゆるABCD包囲網を築きます。ここでアメリカは同時に中国への支援を開始しました。その支援を絶つため、また南方を植民地にした際の補給ルートを確保するためにアメリカを攻撃することは必要だったのです。

ドイツにつきましては
フランスを降伏させたあと、イギリスに上陸しようと、その下準備としてイギリスを爆撃しました。しかしあまりの航空機の被害の大きさにドイツはイギリス上陸を断念して仕方なく東方に目を向けることになります。イギリスを葬り去りたくてもできなかったのです。その後ドイツはユーゴスラヴィアに侵攻し、バルカン半島を占領します。するとバルカン半島に関心を持つソ連と仲が悪くなりました。そのまま独ソ戦に突入し、結果的にイギリス健在のままソ連と戦うことになったのです。

こんな感じでどうでしょう
書くことにあまりなれていないので文章に違和感があってもスルーでお願いします (参考・詳説世界史 山川出版社)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変参考になりましたが、いまいちよくわからない部分があります。

>その支援を絶つため、また南方を植民地にした際の補給ルートを確保するためにアメリカを攻撃することは必要だったのです

確かに南方ルート確保は資源輸送に重要だったかと思いますが、フィリピン近海を避けて、なんなら太平洋まで商船航路をとり大幅に迂回する事はできたと思います。迂回するのも効率悪いですがアメリカとの会戦になるよりはマシではなかったのかと。

お礼日時:2012/01/26 13:48

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